【犬狼物語 其の百六十五】 東京国立博物館 古墳時代の「埴輪犬」
昨日は、縄文時代から弥生時代にかけて日本犬がどのようにできていったか、大まかなところを書いてみました。今日は、その後の古墳時代の話です。
上野の東京国立博物館の平成館考古展示室に行くと、まず、「国宝 埴輪 挂甲の武人」がお出迎えしてくれます。「埴輪」といったらこれ、くらい有名な埴輪ですね。
昔、子供のころ特撮時代劇『大魔神』という映画がありましたが、たしか、こんな埴輪武人がモデルだったような気がします。温和な埴輪の表情から、般若の面のような怖い形相に変身するシーンが忘れられません。
展示室の中に入ると、時代順に、発掘された遺物の展示があります。物によっては撮影禁止もありますが、ほとんど、ストロボや三脚などを使わなければ写真はOKです。
今回訪れた目的は、「埴輪 犬(はにわ いぬ)」です。「古墳時代」のコーナーにありました。ただ、他の埴輪といっしょに展示されていたので、じゃっかん全体が見にくい状態でした。
この「埴輪犬」は、古墳時代(6世紀)、群馬県伊勢崎市境上武士出土で、高さが47.1cmあります。
「首に鈴を付け、飼い主と向き合った家犬の姿であろうか。少し開けた口から舌を出した様子や尻尾をくるりと巻いたしぐさなどは、人間の生活の間近にいる犬の姿を巧みに捉えている。馬・鹿・猿・鶏など、動物を写した埴輪の例は多いが、その中でもとくに優れた作品である。」(東京国立博物館 埴輪犬)
そして隣には、「埴輪 猪」が立っています。この埴輪だけではなく、全国的に埴輪犬の場合、たいていは埴輪猪とセットで発掘されることが多いそうで、猟犬であることを表しているようです。犬と猪の組み合わせが狩猟儀礼の場面を構成する定型だったとのこと。
HP「狼神話」によると、朝廷には犬養部(いぬかいべ)という役職がありました。帝の御料用の狩猟犬を飼育していたところです。普通の犬ではなく、熊や猪に立ち向かう犬なので、狼を飼いならすか、もしくは狼と飼犬をかけあわせた犬もいたようです。
ちなみに、犬飼部が害獣駆除もしていたそうで、それが、例えば「しっぺい太郎」や「めっけ犬伝説」などの「猿神退治伝説」の元になっているのではないかということです。これは納得できる話ですね。
だから、この埴輪犬は可愛らしく見えますが、これが猟犬だとすると、実際はもっと獰猛・精悍な姿をした犬、狼に限りなく近い犬だったかもしれません。
じゃ、なんでこんな可愛らしい姿に作ったのか?という疑問は、たぶん、俺たちの価値観・美意識にすぎず、当時の人たちは「可愛らしさ」という観点からはあまり見ていないのではないでしょうか。
埴輪をよく見ると、強調されているのは、足の大きさ・太さですよね。当時犬に求められていた「強さ」はこれでよく表現されているのではないでしょうか。可愛く見えてしまうのは、今の俺たちが「可愛らしさ」を犬に求めているということも関係しているのかもしれません。
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