【犬狼物語 其の百六十一】 東京都 忠犬ハチ公の剥製と青山霊園の墓
東京都の国立科学博物館には、「忠犬ハチ公」の剥製があります。
ハチ公の剥製・・・。
ハチ公は晩年、左耳が折れたはずなのですが、耳はちゃんと立った状態に「修復」されていました。
なんだか複雑な思いを感じます。有名になり過ぎて、普通に埋葬されることはなかったハチ公。この剥製では、皮と爪と指骨だけが、ハチ公自身のものだそうです。そして、ハチ公の骨格や内臓はまた別な運命をたどりました。
飼い主であった上野英三郎博士が亡くなって10年近くが経った1935年(昭和10年)3月8日にハチ公も亡くなりました。
ハチ公の墓は青山霊園にあることはすでに本でも書いていますが、少し補足説明が必要かもしれません。
というのも、青山霊園の案内図には「忠犬ハチ公の碑」とあって、「墓」とは書いていないのです。英語でも、「Hachi, the faithful dog memorial monuments」と記入されています。
どうして「碑」とあるのに、「墓」と言えるのでしょうか。
管理棟前の中央道路を南に進み、東三通りを左折、春なら桜がきれいだろうという並木を進むと、「忠犬ハチ公の碑」があります。
4メートル四方ほどの竹垣で囲った区画の奥には、「東京帝国大学教授 農学博士 上野英三郎墓」と刻まれた墓石が建っていて、右手には小さな祠があります。これが「ハチ公の碑」です。
ハチ公について新聞に投稿し、ハチ公を有名にした斎藤弘吉著『日本の犬と狼』によると、
「上野家は青山の自家の墓地に犬の墓を作って置き、同家で死んだ犬はみなその墓に埋めることになっていたので、内臓の一部分を切り取って墓に葬り、死体は上野の科学博物館に剥製のために送られた。」
「あの剥製は従来の製法と全く違って、骨格を全部取り除き、また軟い綿その他を内部に詰める等の方法を用いないで、厳密な石膏の肉付け、すなわち肉体の彫刻を作って、その上に毛皮を着せたもので、剥製についているのは爪とその指骨だけである。頭骨はじめ全身の骨格は私の研究用に引き取った。」
とあります。
また、林正春編『ハチ公文献集』によると、「昭和10年3月12日、ハチの内蔵の一片は、青山墓地の故上野博士墓前の一遇に埋葬され」と記されています。
皮は剥製になって博物館に置かれ、骨は斎藤の日本犬属研究室に収納されましたが、昭和20年5月25日の大空襲で焼失してしまいました。
バラバラになって可哀そうな気もしますが、ハチ公の霊を埋葬する祭事も行われたとのことなので、ここが実質上の墓になるようです。
博物館の剥製に手を合わせるのもへんだし、渋谷駅のハチ公像でもいいのかもしれませんが、やはり、ハチ公を偲んで手を合わせられる所は、上野博士といっしょに眠る(2016年、上野博士の奥様も合祀されました)ここが一番ふさわしいのではないでしょうか。そういう意味で、ここは「ハチ公の墓」なのです。
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