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2017/07/26

イラン映画 『ボーダレス ぼくの船の国境線』 を観て

170726(イラン ヤズド・マスジェデジャーメ)


第27回東京国際映画祭で、「アジアの未来部門」の作品賞を受賞したイラン映画『ボーダレス ぼくの船の国境線(原題:Borderless)』を観ました。

政治的メッセージが難しいイラン映画では、子供が主人公の映画が多く(そうならざるを得ないところもあり)、これもまた子供目線の映画の一作品ということでしょう。

「イランとイラクの国境付近の川に浮かぶ一隻の古ぼけた船。そこに住む少年と侵入者たちの言葉を越えた交流を描いた感動作。ペルシャ語、アラビア語、英語を話す登場人物たちは、最初から最後まで言葉によるコミュニケーションをとることができない。1980年代のイラン・イラク戦争後、今もなお紛争が続く中東の厳しい現実がリアルに描かれる一方で、時代設定や彼らの国籍、年齢について、映画は多くを語ろうとしない。また、プロの役者でなく地元に住む素人の子供たちを起用することで、彼らの豊かな表情と身振りを見事に描きだしている。」(Lucky Nowの「【ボーダレス ぼくの船の国境線】子供が主人公の名作が多いイラン映画」から引用)

この映画を観て、韓国映画『トンマッコルへようこそ』を思い出しました。

韓国軍兵士、北朝鮮軍兵士、アメリカ軍兵士が、偶然にも、桃源郷の村「トンマッコル」に迷い込み、最後は、村を守るという話です。「殺しあう」「闘う」ことが馬鹿らしくなるほど、村人は素朴で善良です。実際兵士たちは、敵ながらも、お互いを認め合うようになります。

『ボーダレス』でも、国境の廃船で3人が出会いました。主人公の少年はイラン人、赤ちゃんを連れた女の子はイラク人、そして脱走兵らしいアメリカ人。

3人はそれぞれ「敵」でもあるわけです。偶然この廃船で出会い、つかの間、3人の共同生活が始まります。そこが『トンマッコルへようこそ』と似た状況です。

誰のための戦争なんだろう?と考えてしまいます。戦争は国対国でやっているだけ。この3人にとっては迷惑な話でしかないということです。

イラクの少女は、アメリカ兵から村を焼かれたらしく、最初このアメリカ兵に憎悪をむき出しにしますが、このアメリカ兵がやったわけではなさそうです。少女はそれに気が付きます。ひとりの「人」として見えるようになり、「敵」というレッテルは取れました。それからだんだん心を通わせるようになっていきます。

またこの映画では、あまりセリフがありません。まぁ、実際、こんな状況だったら、言葉は無意味です。むしろ表情や身振り手振りが大切です。言葉が通じなくても、心は通い合うということはよく言われますが、俺も外国旅行での体験からそれは感じます。言葉が逆に障害になることもあります。

セリフが少なく静かな中、船の床板や部品の金属音が擦れ合い、ギシギシした音だけが耳障りです。はっきり言って不快でした。

でも、そこに、かえって子どもたちの置かれてる環境(戦争状態も含めて)の過酷さ(痛さ)が表現されているのではないかと思いました。鉄の船の中で裸足で生活するすることを想像するだけで、痛さが伝わってきます。

唯一、アメリカ兵のキャスティングはこれでよかったのかなぁと疑問が残ります。マッチョで少し怖い感じなのです。

じゃなくて、もっと細面の優男であったら、子供たちの恐怖心も薄れたのではないかなと思うし、本人がこの戦争に嫌気がさして脱走することにした事情も、もっと説得力を持った気がするのですが。
 
 
 
 
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