映画『ハドソン川の奇跡 (SULLY)』を観て
映画『ハドソン川の奇跡 (SULLY)』を観ました。
「ハドソン川の軌跡」を、監督・製作クリント・イーストウッド、主演トム・ハンクスで映画化した作品です。原題の「SULLY(サリー)」とは、機長チェスリー・サレンバーガー氏のニックネームだそうです。
この飛行機事故は日本でも大きなニュースになったので覚えています。
映画を観て思い出したのは、韓国セウォル号の事故です。パンツ一丁で我先に逃げ出した船長と、乗客の数を気にして最後に飛行機を後にした機長のサレンバーガー氏とのあまりにも対照的な姿が印象的です。
Wikiから引用すると、
「2009年1月15日、USエアウェイズ1549便がニューヨーク・マンハッタンの上空850メートルを飛行中、バードストライクによって全エンジンが停止、コントロールを失う。機長のチェスリー・サレンバーガーは必死のコントロールと苦渋の決断の末、ハドソン川に機体を不時着させる。その結果、1人の犠牲者も出さず、この奇跡的な生還劇は「ハドソン川の奇跡」として全世界に報道された。」
こういうのを本当の「奇跡」というのでしょう。
他に方法がなかったとしても、ハドソン川に着水して助かる可能性は低かったのです。
機長は、この奇跡が起こったのは、すべての人のおかげだと言いました。
そうなんです。何か少しでも違っていたら、大惨事になっていたでしょう。
機長が冷静沈着なサレンバーガー氏ではなかったら、乗務員も冷静でなかったら、着水したとき機体が破損して浸水速度が早かったら、水上警察のボートが近くにいなかったら、救急隊員への連絡が遅れていたら、持病を持った客が心臓麻痺でなくなっていたら…
そんないくつものハードルをみごとクリアして、機長、副機長、乗務員、乗客、警察、救急隊員の全員が命がけで「完ぺきな奇跡の物語」を造り上げました。
映画のクレジットシーンでは、実際の機長と乗客たちも出演していました。「完ぺきな奇跡の物語」を命がけで作り上げた仲間です。特別な連帯感というか一体感が生まれたとしても不思議ではありません。
でも、考えてみれば、奇跡はいつも起こっているのに、俺たちは気が付いていないだけなのかもと思います。
例えば、ゴルフのホールインワンを考えます。1打でカップにボールが入ることが奇跡です。でも、カップに入ることが「良い」と人が見なしているからこそです。
カップの南東1mの芝生の「そこ」にボールが止まることも、バンカーの砂の上の「そこ」にボールが止まることも、毎回毎回、ボールが止まる「そこ」は、ある意味、すべて同じように低い確率です。なぜなら、もういちど「そこ」にボールを止めようとしても、カップの中にボールを入れるのと同じくらい難しいということは納得してもらえるでしょう。いや、プレーヤーは、カップを目指して打っているのだから、カップ以外のところで止まる確率の方が低いとも言えます。
ホールインワンを「奇跡」と呼ぶのは、カップにボールが入るのが「良い」としているからです。意味があるからです。
こう考えると、日々の何気ない生活は、いつも同じことは起こらない奇跡の連続と言ってもいいのかもしれません。その奇跡のうち、人間に意味のあるものは「奇跡」と呼ばれ、意味のないものはスルーされているだけとも言えるでしょう。
「意味のない」と書きましたが、意味があるかないか、そこを大切にするか無視するかは、当人次第でもあります。
日常的な奇跡を表現するものとしては「一期一会」という素晴らしい言葉があります。
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