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2017/09/29

山形県、秋の田んぼ風景 2

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上から2点は、山形県天童市田麦野の棚田、次は朝日町の最上川沿いの棚田、大石田町大浦の棚田。

田麦野も、杭掛け(稲杭)にはちょっと早く、刈り取りは20パーセント程度。
 
 
 
 
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2017/09/28

山形県、秋の田んぼ風景

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上から2点は山辺町大蕨の棚田、大蔵村四ケ村の棚田、朝日町椹平の棚田、それと高畠町安久津八幡神社の三重塔と田んぼの写真です。

山形県の秋の田んぼの写真を撮ることも目的のひとつでしたが、ちょうど天気に恵まれ黄色が映えました。

ただ、大蕨の稲杭は、ちょうど掛け始めたばかりで、まだ7割といった程度でした。あと1週間後くらいがベストのようですが、今回は、時間がないので、諦めるしかありません。
 
 
 
 
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2017/09/27

宮城県七ヶ宿町から山形県高畠町へ

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170928_3(高畠町)

170928_4(高畠町)


宮城県七ヶ宿町から国道113号線で山形県高畠町へ抜けました。

このルートで山形県入りしたのは今回が初めてです。

途中、靄のかかった山々の風景などもあって、美しいルートです。
 
 
 
 
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福島市の浄土平天文台と飯舘村の山津見神社

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郡山市を過ぎてから、山道へ入り、岳温泉や土湯温泉を通ります。磐梯吾妻スカイラインの高度が増すにしたがって、木々の葉っぱが色づいています。そろそろ紅葉の季節です。

峠からは西に磐梯山が見えました。しばらく行くと、浄土平に到着です。広い駐車場があって、周辺の山々に登る登山者でいっぱいです。

ここに天文台があり、アストロ犬「チロ」の座像があります。チロは、1975年から10年間、この浄土平のイベントがあるときは、犬の世話人代表として、親しまれました北海道犬です。(詳しくは後日)

午後は、福島市を経由して、飯舘村の山津見神社へ向かいました。まだほとんどの住民は戻っていない飯舘村の北側に位置します。山の中とは言え、立派な神社です。ここは有名な狼の天井画がありますが、2014年に焼失し、復元されたものです。(詳しくは後日)

神社から10分ほどのところ、霊山のふもとに日帰り温泉がありました。露天風呂はありませんでしたが、ゆったりした湯船でよかったです。

国道4号線の国見から、県道46号線を通っていると萬蔵稲荷神社という神社があり、思わず停まりました。どこまでも続きそうな真っ赤な鳥居の列が印象的です。
 
 
 
 
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2017/09/25

福島県白河市 日本最古の公園「南湖公園」

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白河市の南湖公園は、1924年(大正13年)に、国の史跡・名勝に指定された、「日本最古の公園」といわれています。

早朝は靄が立ち込めて幻想的な風景になりました。
 
 
 
 
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2017/09/24

茨城県筑西市から福島県白河市へ

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茨城県筑西市にも三峯神社があり、訪ねると、予想以上にすばらしいお犬さま像が。

たまたま話したおじさんは講元で、数年前まで自分で車を運転して秩父の三峯神社を参拝し、お犬さまのお札をいただいて帰り、講員に配っていたそうです。そのことについても、詳しくは、帰宅後に。

真岡市には、白蛇弁財天があり、境内に三峯神社があるので参拝しましたが、銭洗い弁財天で、裏の滝の水でお金を洗うとお金持ちになるらしいので、絵の付いた網にコインを入れて洗い、財布に戻しました。

栃木県宇都宮市周辺には、「高お神」を祀る神社が何社かあります。犬像がたくさん奉納されていました。

造形的にもすばらしく、まるでアンコールのクメール彫像を見るようでした。

ただ湿気が多く、蚊がたくさんいて、痒さとの戦いもあります。そのくらい我慢しろ、という話でしょうが。

夕方は、福島県白河市の南湖公園まで。
 
 
 
 
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2017/09/23

仙台へ向けて撮影旅行(久伊豆神社と板橋不動尊)

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来週仙台で、「東北お遍路写真コンテスト」の審査があります。8月末で締め切ったコンテストは、去年に引き続き、今年が2回目。2回目なので、コンテストの手順は比較的順調に進みました。

どんな写真が集まっているのでしょうか。楽しみです。


仙台まで、茨城県、福島県、宮城県などで、犬像と棚田と「日本最古シリーズ」の撮影をしながら北上を続けたいと思います。

さっそく昨日は自宅を出発してから、埼玉県さいたま市岩槻区の久伊豆神社と、茨城県つくばみらい市にある板橋不動尊を参拝しました。

犬像そのものについては、帰宅してから詳しく書きます。

久伊豆神社には、「叶い戌(子育て戌)」という子宝犬が置かれているので参拝しました。境内を鶏が歩いているのが面白かったですね。人を恐れないので、近づいても逃げないのです。

それと神社には、孔雀もいます。由来として、

「昭和13年朝香宮殿下が岩槻町にご来臨の折、当社に孔雀3羽を下賜された。現在飼育中の孔雀は、その裔である。」

とありました。由緒ある孔雀だったのですね。

久伊豆神社から約1時間のところに、つくばみらい市の板橋不動尊があります。

ここには、犬像が3対置かれていますが、その由来が3対とも別のようです。詳しくは、後日書くとして、ご当地伝説の白犬はインパクトありますね。雄雌の2体です。写真は、雌の顔です。愛嬌のある顔で気に入ってしまいました。

夕方、お犬さまの像があるという情報で、常総市のある神社も訪ねたのですが、お犬さま像は見つかりませんでした。

そして急に大雨が降ってきて、しばらくやみそうもなく、本当は茂木町まで行くつもりでしたが、大雨の中、夜道を運転するのも自信がないので、下妻の道の駅で泊ることにしました。
 
 
 
 
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今日、二十四節気「秋分」、七十二候「雷乃収声(かみなりすなわちこえをおさむ)」

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今日、二十四節気「秋分」、七十二候「雷乃収声」です。

秋分の日は、春分の日と同じで、昼と夜の長さが同じです。

「雷乃収声」は、雷が鳴り響かなくなる(遠雷の)季節という意味ですが、今年の夏は雷被害も多く出ました。もう大雨といい、雷といい、異常が異常ではない状況になっていますが、どうなっていくんでしょうか。

雷に関しては、とりあえず、今年のシーズンは終わったということなのでしょうが、来年から心配です。

ところで「稲妻」ということば、雷が落ちた田んぼの稲はよく育つところから生まれたそうです。

写真は愛媛県西予市城川町の棚田で、ちょうど彼岸花が咲いていました。
 
 
 
 
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2017/09/22

業務連絡: 雑誌やテレビやイベント企画担当者様へ。来年は「戌(犬)年」です。

170922_1(岐阜県白川村荻町)

170922_2(長崎県南島原市の原城跡)

170922_3(愛媛県松山市の「目の見えない犬ダン」像)

170922_4(秋田県大館駅前の「忠犬ハチ公」像)


今日は、雑誌やテレビやイベント企画担当者様への業務連絡です。

大倉眞一郎さんと杏さんがナビゲーターをつとめるJ-WAVEの書評・トーク番組「BOOK BAR(ブック・バー)」で『全国の犬像をめぐる:忠犬物語45話』が紹介される予定です。

放送予定日は23日(土) (22:00~22:54)

もし機会があったら聴いてみてください。撮影旅行中なので、俺は車中泊の車内で聴くことになるかな。予定では、福島県あたりにいると思います。

ところで、先日、ヴィーノの日本一周旅行で撮影したヴィーノのいる日本の風景写真が、雑誌で1年間連載するという嬉しい仕事が入ったので、そうかそろそろ来年用の企画を提案しなければ、そんな時期なんだなぁと思ったので、いくつか提案してみます。

来年2018年は、戌(犬)年です。犬→お犬→お犬さま→狼という連想で、犬から狼まで拡大解釈します。

そこで、雑誌やイベントの企画担当者様へ、来年戌年のこんな企画はいかがでしょうか。

● 街歩き企画 「関東のお犬像めぐり」 約50カ所のお犬像ゆかりの地を歩いてみようという企画。(以前ブログで詳しく書いています)

● 街歩き企画 「都会で狼を探してみよう」 ニホンオオカミは絶滅してしまいましたが、東京周辺には狼信仰の秩父三峯神社や武蔵御嶽神社の講の人たちが奉納した多くの狼像(お犬さま像)があります。都会のビルの中で出会う狼という意外性。

● グラビア企画 「アジアの犬たち」 中国雲南省、貴州省、広西チワン族自治区、インドネシア、スリランカ、ネパール、タイ、ラオスなどで出会った犬たちの写真で構成。

● グラビア企画 「ビーグル犬が紹介する日本の風景」 日本再発見の旅。犬が見た日本の風景ということで、ヴィーノが写りこんでいる日本全国、全都道府県の風景写真で構成。

● グラビア企画 「日本全国の犬像100景を訪ねる」 『全国の犬像をめぐる:忠犬物語45話』をベースにして、さらに50カ所を追加して、100の犬像を紹介する。

以上、思いつく企画をあげてみました。他にも、犬・戌関係のアイディアはありますので、お気軽にお問い合わせください。
  
 
 
 
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2017/09/21

【犬狼物語 其の百九十一】 東京都檜原村・あきる野市  臼杵神社のお犬さま像

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臼杵山登山については昨日書きましたが、今日は、山頂にある臼杵神社のお犬さま(狼)像についてです。

臼杵神社のお犬さまについては、主に西村敏也氏の「檜原村の狼信仰」を参考にさせていただきました。

http://repository.musashi.ac.jp/dspace/bitstream/11149/1592/1/sogo_2012no22_002.pdf

神社の右側には木製の祠、左側には石の祠が祀られています。木製の祠は今から20~30年前に担ぎ上げられたものです。石の祠はそれ以前からありました。

臼杵神社には、お犬さま像が奉納されていることや、お犬さまのお札を頒布していることから、狼信仰の神社だろうということです。

『新編武蔵風土記稿』によれば、神社は応永四年(1397)創建と伝えられ、当初、機織(はつたて)という川沿いに鎮座していましたが、永禄三年(1560)霊夢によるお告げがあったため、臼杵山頂に遷座されました。

お犬さま像は左右に置かれています。昔の写真を見ると、像はもっと手前に置かれていたようですが、現在は、祠のちょうど横に置かれています。

右側のは元型をとどめていますが、少しだけひび割れが入っています。ずんぐりしたユニークな姿は、このあたりに特有のもので、例えば奥多摩の大岳山直下の大嶽神社や、檜原村の湯久保・すず野御前神社、笹久保・貴布禰神社のお犬さま像とも似ているそうです。(飛騨高山地方の「はじめタイプ」の像とも似ている気がします)

左側の像はバラバラになった胴体の上に頭の部分が載せられています。目があるので、これが頭であることが、かろうじてわかりました。

技巧的に優れているわけではないかもしれないですが、むしろ素朴で荒削りなところは、子供の絵を見て感動するように、この像にも原始的なパワーを感じます。タイやカンボジアで見たクメールの石像にも感じたものです。

像に抱く感動とは、技巧にはまったく関係ないんですね。あらためて思います。

ただし、苦労してこの山頂まで登ってきて出会うということも、ひとつ、舞台装置としては必須なのかもしれません。信仰心が薄くなった今の時代は。

この像は、どのくらい古いものでしょうか。参考までに、大嶽神社の像は宝暦9年(1759)で、貴布禰神社の像が宝暦10年(1760)です。臼杵神社の像がそこまで遡ることはないかもしれませんが。

ところで、臼杵神社のお犬さま像をネットで調べると、この像が「猫」だというのが出てきます。でも、全国の猫像を見たわけではありませんが、この像を「猫」というのは無理があるのでは?と素人目にも思いました。

不思議な姿の像ではありますが、やっぱり「狼(お犬さま)」に見えます。少なくとも、イヌ科動物を象っていると思われます。

この「猫」説には、実際に、一時期(養蚕が盛んな頃)、臼杵神社が養蚕の神として崇められていたことがあったことと関係しています。

養蚕神として広く知られ、実際瀬戸物の猫を拝借する儀礼もあったことから、臼杵神社の神のお使いが猫と言われるようになったようです。

さらに、この「猫」説が一般に広まったのは、昭和19年に出た宮内敏雄著『奥多摩』(昭和刊行会)で、

「嶺に蚕の守護神として地方的に有名な宮があり、その神前には狛犬代りに猫の像がある。これは養蚕の守り神の使姫は猫であるとの俗信に據ったものなのである」

と、石像が猫だと断定して紹介されていて、これが、奥多摩のバイブルともいわれる本だったので、この「猫」説が独り歩きしたというのが真相のようです。

そして現在、古いお犬さま像とは違う、新しい像が左右に鎮座していますが、これは、平成16年に自治会が奉納した狛犬だそうです。
 
 
 
 
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2017/09/20

東京都檜原村・あきる野市 臼杵山登山

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臼杵山にある臼杵神社を参拝しました。標高842.1mの臼杵山は、東京都檜原村、あきる野市の境界にあります。

登山道はいくつかあるようで、ひとつは「元郷」から登る道、もうひとつは、「荷田子」から登る道。今回は、駐車場がある、あきる野市荷田子から登りました。

山頂までは約2時間かかりました。

荷田子の集落と果樹園を通り、防護柵を入って山道に入ります。ここから30分ほどは急な上りの道で一気に汗が噴き出します。

荷田子峠に出ると、城山と臼杵山を結ぶ尾根道に出るので、それを右(西)の方へ。しばらくすると、右後ろに、あきる野市乙津軍道の集落が望めます。ちなみに「軍道紙」は東京都にたったひとつ残る和紙だそうです。

さらに20分ほど上ると、休憩所があって、そこから山を回り込むと、右手が開けて、眺めの良い場所を通ります。

上から4枚目の写真ですが、方向的には、西北なので、雲取山の方向です。写真に見える山がそうなのかどうか、山に詳しくないのでわかりません。

途中、まぎらわしい分岐点もありますが、再び尾根に出ると、そこからは、手前に採石場と遠くには、あきるの市市街地と関東平野の広々とした様子が望めます。

あとで採石場のことをネットで調べてみたら、これは(株)村尾組 五日市工場で、露天掘階段採掘で砂岩を採っているのだそうです。秩父の武甲山のように石灰岩ではなかったですね。

尾根道から100mほど一気に急坂を降り、そして急坂を上りきると臼杵山です。北峰に臼杵神社が祀られています。

神社のあるところは、10m×6mくらいの広場になっています。祠の前には平成16年に奉納された新しい1対の石像が鎮座していますが、これは狼でしょうか、それとも狐でしょうか。

目的はこの像ではなく、祠の左右に鎮座するもっと古い石像です。

しばらくすると、「元郷」から上ってきたらしい女性集団がやってきました。何気なく会話を聞いていたら、これは「オオカミ像」だと言っていました。

この像については、明後日書きます。
 
 
 
 
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2017/09/16

【犬狼物語 其の百九十】 山梨県丹波山村 七ツ石神社

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丹波山村鴨沢から約3時間かけて七ツ石神社にお参りしました。

登山そのものについては、一昨日書いているので、今日は、神社やお犬さま信仰についてです。

ネットで画像検索すると、鳥居のある写真も出てきますが、今は、鳥居の柱が残っているだけです。神社は30年ほど前から崩れかけ始めたということです。

社殿の柱も40度くらいに激しく傾いています。支えている柱が絶妙な力のバランスでかろうじて倒れるのを防いでいるようです。

お犬さま像は2体あります。かなり年季が入っています。右側の一体は姿をとどめていますが、体や顔にはひび割れが入っています。左側の一体は、顔の部分が失われ、胴体も半分に割れています。


この神社の存在について知ったのは、東京都内で7月に開かれていた「「狼伝承と登る 七ツ石山展」という催しでした。

この展示の七ツ石神社の写真には見入ってしまいました。社殿が傾き痛々しい姿ですが、心に訴えてくるものがありました。人工物が自然に帰っていく過程には心を動かされます。特にお犬さまの石像には。

そして崩れかけた神社には、今、再建計画があると知りました。

雑誌で「お犬さま信仰」について書くことになっとき、民俗学的な古い習俗としての「お犬さま信仰」ではなくて、現在も生きている「お犬さま信仰」について書きたかったので、この神社について取り上げようと思いました。

それで、展示をしていたメンバーのひとり、現在、村の地域おこし協力隊隊員として働いている寺崎さんにインタビューしたいとお願いしました。

後日、神社の再建計画を聞くために丹波山村を訪ね、寺崎さんに話を聞きました。そのとき、寺崎さん自身が大の狼好きであることがわかったのですが、そのことについては雑誌でどうぞ。

名称は、七ツ石権現、七ツ石宮、などと数回変わってきました。三峯神社と同じように、明治の神仏分離で、七ツ石神社になりました。

実はこの神社、明治時代にも火災で焼失しています。そのときも再建計画がもちあがり、この神社は三峯神社の奥宮だったとの記載もあり(今のところ証拠は無いようですが)、いかに重要な神社であるか説明し、寄付を募りました。そのことについては、古文書「七石宮拝殿新築寄付帖」(明治27年)に書かれています。古文書のコピーを見せてもらいました。

「どうしてこんな山奥に?」と思ってしまうのは、自動車道路が便利だなと思い込んでいる現代人だからであって、考えてみれば、昔は物や情報が行き来する、山伝いに続く街道の要衝でもあり、神社の存在価値も大きかったのです。

神社前では賭場も開かれていたそうです。賑やかだったでしょうね。楽しそうです。

そういえば、ミャンマー・シャン州を訪ねた時も、寺の境内では賭場が開かれていて、たいへん賑やかだったのを思い出しますが、ここに集まる人たちは、単に博打をするだけではなく、集まった情報を四方に散らばって伝達するという、今でいうメディアの役割も果たしていたようです。

ちなみに、シャン州の博打は、動物サイコロでした。地元では「マクロー」と呼んでいました。サイコロの6面に違う動物の絵が描いてあり、3つのサイコロを転がして、3つとも同じ動物になれば大当たりといったものです。

ところで、インタビューの後の8月下旬、七ツ石神社は「七石権現社旧社地」として村指定文化財に登録されました。

再建計画の第一歩が始まったそうです。これから一度社殿を解体し、発掘作業をしたうえで、登山道整備とともに、社殿も再建されるようです。

このお犬さま信仰と将門伝承のふたつ、民俗的財産を活かして、村おこしにつなげていこうという計画だそうです。
 
 
 
 
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2017/09/14

丹波山村鴨沢から七ツ石山に登る

170914_1(山梨県丹波山村 鴨沢)

170914_0(雲取山・七ツ石山登山道の入口)

170914_2(多摩川水源森林)

170914_3(七ツ石山登山道の水場)

170914_4(将門伝承の解説パネル)

170914_5(七ツ石小屋)

170914_6(七ツ石小屋からの山並み)

170914_7(七ツ石山登山道の分岐点)

170914_11(七ツ石神社の傾いた社殿とお犬様像)

170914_9(七ツ石山の頂上)

170914_10(七ツ石山登山道のを横切ったカエル)


雑誌「山と渓谷」11月号で「お犬さま(狼)信仰」について書きますが、七ツ石神社の写真はどうしても必要になり、東京都と山梨県の境界にある七ツ石山(標高1757.30m)に登ってきました。

七ツ石神社のお犬さまについては、明日、あらためて【犬狼物語】の中で書くことにして、今日は、登山そのものについてです。

七ツ石山は、丹波山村鴨沢から登りましたが、雲取山への途中でもあり、人気の登山道でもあるようです。

今回は車で行きましたが、鴨沢のバス停のところから国道411号(青梅街道)を右折して(鋭角に曲がるので切り返しが必要)、5分ほど上ると駐車場があります。20台ほどの車が止められるトイレも完備した村営の駐車場です。

ここから200mほど自動車道を進むと、左に上って行く雲取山・七ツ石山登山道の入口があります。

このあたりは多摩川水源森林になっています。「多摩川水源森林隊活動地」の看板も立っていました。土地所有者やボランティアの人たちが、水源地にふさわしい緑豊かな森林に再生するための活動を行っているそうです。

しばらく行くと七ツ石山への行程の半分のところに水場があります。冷たい山の湧き水。

先日の「川の博物館」の、三峰山博物館 名誉館長 山口民弥さんの講演でも、江戸の人たちが必要とする水の水源地との関連で、お犬さま信仰(山の信仰)があるみたいなことでしたが、川を軸として、上流と下流は繋がっているんですね。

喉がからからに渇いたときに出会うこの湧き水のありがたさは、江戸の人たちの水に対する切羽詰まった気持ちと同じようなものがあるのかもしれません。

森林を守ることは、すなわち自然(山)との付き合い方を見つめなおすこと。お犬さま(狼)は、まさに自然(山)の象徴、自然(山)の神の使いということだろうと思います。

登山道にはところどころに、「将門伝承」の解説看板が立っています。「七ツ石」の由来となっているのもこの将門伝承です。七つの岩は将門のお供の七人の武者が石化したものだそうです。

登山道入り口から写真を撮りながらゆっくり歩いて約2時間半、七ツ石小屋に到着しました。小屋の裏側は、ちょっとした休憩所・展望所になっています。ここでジュースを買って、一休み。

周りの山並みが見えます。天気が良ければ富士山も見えるそうですが、あいにく、この日は雲で隠れていました。

最後の30分の登りはけっこうこうきつかった。普段のなまくら生活がたたって、息を切らしながら登ると、開けた場所が現れ、山の名前の由来となっている「七ツ石」の岩が並んでいて、その直下に屋根掛けされた神社の社殿が見えました。

ここが七ツ石神社。神社とお犬さまの話は、明日詳しく書きます。

神社からさらに100mほど上ると頂上です。標高1757.30mの山頂碑が立っています。

天気のせいもあるのかもしれませんが、山頂からはあまり展望がよくありませんでした。

もう一度神社に戻って撮影をし、下りも約3時間かけてゆっくり駐車場まで戻りました。突然登山道を大きなカエルが横切りました。
 
 
 
 
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2017/09/10

菱川晶子著 『狼の民俗学 人獣交渉史の研究』

170910_1(遠野市 荒川高原牧場)

170910_2(奥州市  衣川三峯神社)

170910_3(奥州市  衣川三峯神社)

170910_4(奥州市  衣川三峯神社 狼像)

170910_5(奥州市  衣川三峯神社 狼像)

170910_6(奥州市  衣川三峯神社 狼の神札)


人と動物の関係を探る人獣交渉史の研究ですが、主に狼の民俗の世界を紹介しています。

かなり内容が濃く、また豊富ですが、一番面白いと思ったところは、狼が地方によって呼び方がさまざまあったことと、それが時代とともに変わっていること。

まず、そもそもの話として、狼の語源は何なんでしょうか。鎌倉時代の辞書『名語記』によると、

「「オホカミ」とは、「大神」からきており、「大神」はまた「山神」と呼ばれているのがわかる。今日もみられる狼を山の神とする伝承は、鎌倉時代にすでにあった」

一方、江戸時代の語学書『和句解』からは、

「いわゆる「大咬」とある。・・・(略)・・・狼の語源としてはこれらの「大神」と「大咬」の二説が有力なようだが」

と菱川氏は書いています。

なるほど。「大神」と「大咬」の二説あるんですね。

さらに、明治時代からの名称はどうかというと、「名称分布図」によると、

オイノ
オイヌ
オイヌサマ(オイヌサン)
大犬(オオイヌ)
オーイン

オオカメ(オオガメ)
カメ
オカベ
山犬(ヤマイヌ)
山の犬

などの名称が、日本地図上にプロットされています。

「「狼」が全国的にほぼ均等にみられ、「山犬」も岩手県から大分県までの広がりをみせている。しかし「山犬」には分布上の偏りが若干あり、山梨県、長野県、四国地方に多い傾向がみられる。これらの地域はまたお犬信仰の篤い地域でもあり、信仰との関連が想定される。・・・(略)・・・「オイヌ」は東北地方に多くみられ、「オイヌ様」になると東海地方まで広がっている」

とあります。この傾向を見ると「お犬さま」は東日本の名称ということですね。でも、同じ「お犬さま」でも、秩父を中心にした関東と、東北ではちょっと意味が違うようです。

三峯神社を総本山とする狼信仰は、遠く東北地方にまで広まりました。

その1社、衣川三峯神社は、世界遺産の平泉中尊寺本堂から北西1.5kmほどのところに位置し、東北の狼信仰の中心になった神社です。江戸時代中期の享保元年(1716年)、総本山・三峯神社から分霊勧請されました。

ここは馬産地でしたが、狼が馬を襲う被害が多発していました。被害は深刻だったので、名馬を贈るなどして必死で三峯神社から分霊してもらったと言われています。

つまり、ここでは秩父と違って狼は益獣どころか害獣だったということです。むしろ祟り神として恐れられていました。

その狼を狼(お犬さま)で封じたというかっこうになります。毒をもって毒を制すということばもある通り、同じもので防ぐというのは、ある意味理にかなっているかなとも思います。

『狼の民俗学』によれば、東北では「オイヌサマ」ではなく「オイヌ」が多い傾向があるようです。

衣川三峯神社では「オオカミ」と呼び「お犬さま」とは呼ばないそうです。

「サマ」が付かないのは、害獣だったことと関係するのでしょうか。
 
 
 
 
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2017/09/08

【犬狼物語 其の百八十九】 東京都青梅市 武蔵御嶽神社のお犬さま

170609_1(御岳山 御師集落)

170609_2(拝殿前の狛犬)

170609_90(お犬さまのお札とお守り)

170609_3(本殿登り口のブロンズのお犬さま像)

170609_4(本殿登り口のブロンズのお犬さま像)

170609_5(旧本殿の常磐堅磐社)

170609_7(大口真神社)

170609_6(大口真神社)

170609_8(大口真神社)

170609_9(日本武尊を祀る奥宮の遥拝所)


東京都青梅市にある武蔵御嶽神社は、狼信仰の神社で、最近は、愛犬と参拝する人も多いと聞いていました。

それで俺たちもヴィーノの健康祈願のために参拝することにしました。

ケーブルカーの出る滝本駅に着いたのが土曜の午前6時45分。すでに数台の車が駐車場が開くのを待っていました。駐車場は7時10分ころ開いて車を停め、切符を購入。御岳山駅まで片道大人590円、ペット130円でした。

ペットを乗せるスペースはケーブルカー車両のはじにあるので、リードをしていればそのまま乗車できます。

約10分で御岳山駅に到着です。そこから御師の宿や国指定天然記念物の「御岳の神代欅」や土産物屋(時間が早いのでまだ閉まってましたが)を抜けていくと、鳥居の前に出ます。

手水舎には犬専用の水場もありました。

江戸時代後期、御嶽神社のお犬さま信仰」は関東一円に広がりました。江戸・武蔵・多摩・相模など各地の御嶽講が建てた碑が参道にずらりと立ち並んでいます。どれだけ信仰が篤かったのかよくわかります。

長い階段を上っていくと、どっしりとした狛犬に守られたけっこう派手な色彩の拝殿に到着です。

その左脇には授与所があります。お犬さまのお札やお守りを戴きました。左向きの黒いお犬さまの姿が配されたお札です。お犬さまのお札としては、大型のものです。

ここには、三峯神社と同じように、日本武尊の伝説も残っています。

武蔵御嶽神社のHPより引用すると、

「日本武尊が東征の際、この御岳山から西北に進もうとされたとき、深山の邪神が大きな白鹿と化して道を塞いだ。尊は山蒜(やまびる)で大鹿を退治したが、そのとき山谷鳴動して雲霧が発生し、道に迷われてしまう。そこへ忽然と白狼が現れ、西北へ尊の軍を導いた。尊は白狼に、大口真神としてこの御岳山に留まり、すべての魔物を退治せよと仰せられた。」

境内の本殿後ろ側には摂社・末社がありますが、何年か前のブログを見るとペットも入れたようですが、現在ペットは入れないので、妻とヴィーノには拝殿前のベンチで待っていてもらい、ひとりで参拝しました。

拝殿背後にある、本殿登り口にブロンズのお犬さま像が鎮座しています。立派な像です。近づけないので、柵の間から撮影です。

常磐堅磐社は旧本殿で、明治10年に現在の社殿に建て替えられた際、ここへ移築されました。寛保3年(1743年)奉納の一対のお犬さま像が護っています。

御岳山(929m)の山頂碑があり、オオカミを祀っている大口真神社があります。大口真神は、オオカミを神格化した神です。

一対のたてがみも凛々しい新しい石像が護っていますが、これは平成19年3月に奉納されたもの。

さらに左後方奥には、日本武尊を祀る奥宮の遥拝所があります。奥宮がある峰は、男具那ノ峰で、別名甲篭山と呼ばれています。

拝殿前に戻り、今度は俺がヴィーノと待って、妻が参拝しました。

帰りは、ケーブルカーには乗らないで、滝本駅の駐車場まで登山道を下りました。けっこう急坂でしたが、これから参拝するという犬連れの人たちにたくさんすれ違いました。中には、チワワを連れた人もいて、階段は抱っこして上るしかないなぁと思いました。

神社のHPによれば、お犬さまは、病魔・盗難・火難除けなどの災除けの神として、登山や旅行安全の神として、また、「おいぬ」は「老いぬ」にも通じるところから、健康・長寿の神であり、戌は安産・多産なことから、安産・子授けの神としての信仰を集めるようになっているそうです。

現代でも「お犬さま」は生物学的な「ニホンオオカミ」とイコールではなく、あくまでも信仰上の「山に棲むイヌ科動物全般」のイメージです。「お犬さま」に現代的なご利益が加わっていく(新しい物語が生まれる)ことで、お犬さま信仰はこれからも生き続けていくのではないでしょうか。
 
 
 
 
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2017/09/07

今日は、二十四節気「白露」、七十二候「草露白(くさのつゆしろし)」

160907(新潟県長岡市塩新町の水田)


今日から二十四節気「白露」、七十二候「草露白」です。

「露が白し」という表現が秋の気配を感じさせるもので、写真を撮っていると納得できる表現です。それで調べてみました。

「草露白」は、朝夕気温が下がり、草の上に結んだ露が白くみえるようになる状態だそうです。

また和泉式部が詠んだ句には、「白露も夢もこの世のまぼろしも たとへていえばひさしかりけり」があり、白露は、夢・この世・まぼろしと同義語として括られています。(びお・七十二候より)

朝夕の白く見える露も長い時間ではなく、夢のようにすぐに消えてなくなってしまうものなのですね。
 
 
 
 
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2017/09/05

「家庭画報」10月号「黄金の国の秋の実り」の写真と記事掲載

170905


「家庭画報」10月号に「黄金の国の秋の実り」の写真と記事が掲載されています。

写真は、長野県長野市北郷の棚田、福島県喜多方市磐見の棚田、福岡県八女市鹿里の棚田、長野県飯山市福島新田、新潟県十日町市星峠の棚田、山形県山辺町大蕨の棚田、山形県山形市蔵王駒鳴の棚田などと、新潟県長岡市塩新町の水田の稲穂を使用しています。

リードには、3歳半のときの、稲刈り時期の思い出を書いてみました。


黄金に色づいた稲穂の
大海原が広がる日本の秋。
稲の匂いが漂ってくる。
個人的には子どものころの
ある記憶を呼び覚ます。
当時、兼業農家の我が家は屋内で
刈り取った稲を脱穀していた。
オレンジ色の裸電球が灯る、
脱穀機の騒音の中で、
私は妹の産声を聞いた。
稲の匂いは、私と3歳半離れた妹が
生まれた瞬間を結びつける。
稲の収穫と人の命の誕生・・・
日本の収穫の秋は、
喜びと感謝の季節でもある。

最近ではなかなかこのくらい大きな誌面の雑誌は少なくなってしまったので、機会があったら迫力のある写真をぜひご覧ください。
 
 
 
 
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2017/09/04

目黒寄生虫館の展示物

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目黒不動尊の犬像撮影のついでに、近くの、目黒寄生虫館に寄りました。不動尊から歩いて数分のところにありました。

こういう博物館があることは知っていて、前から行こう行こうと気にしていたところです。

1953年に医学博士亀谷了氏の私財投入により設立された私立の研究博物館です。世界でただひとつの寄生虫の博物館です。

入場無料で、私的使用に限って写真ビデオ撮影はOKです。ちょうど夏休みの自由研究のためか、小学生なども多かったですね。お父さんが熱心にメモしていて、そうだよなぁ、自由研究って、家族でやるものなんだなぁとあらためて思いました。

いろいろな寄生虫があります。自然界・生物界に「善悪」はないのですが、「すばらしい」と思わず言葉が出てしまいそうです。どうしてこんな形をしているのか。生き残るため必死になって代々造り上げてきた形です。

犬猫に着く寄生虫で、北海道旅行の時、ヴィーノに着くのではと怖れていたエスのコックも展示してありました。顕微鏡で覗けます。

また、人体に着く寄生虫もたくさん展示してあります。

友人の名誉のために名前は伏せますが、昔F君が、サナダムシの寄贈を頼まれたというは、たしかここだったような気がします。

結局、どうした理由なのか、実際にF君は寄贈はしなかったようですが。世界の寄生虫学に寄与するチャンスだったのに。

亀谷博士の記録した寄生虫のイラストはすばらしいです。研究資料としてももちろんなのですが、これにはアートとしての興味もわきます。
 
 
 
 
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2017/09/03

【犬狼物語 其の百八十八】 東京都目黒区 目黒不動尊の親子犬像たち

170904_1(目黒不動尊 仁王門)

170904_2(仁王門前の母子犬像)

170904_3(仁王門前の母子犬像の子犬像のアップ)

170904_4(仁王門前の父子犬像)

170904_5(男坂階段の親子犬像)

170904_6(独鈷の瀧の犬像)

170904_7(独鈷の瀧の右側親子犬像)

170904_8(独鈷の瀧の左側親子犬像)

170904_9(前不動堂前の犬像)


目黒不動は通称で、正式の名前は泰叡山瀧泉寺という天台宗の寺院です。

寺伝によれば、大同3年(808年)、慈覚大師・円仁が像を彫って安置したのが寺の起源だといいます。

江戸五色不動のひとつですが、目黒不動がとくに繁栄したのは、家光が鷹狩をしたとき、行方不明になった鷹が戻ってくるように祈願したら、本当に戻ってきたという。喜んだ家光は大伽藍を完成させ「目黒御殿」と呼ばれて、多くの信者を集めることになったという。

境内には弘法大師ゆかりの犬像、地主神の神使の犬像など、多くの犬像があることで有名です。とくに「親子」がテーマであるらしい。ただ由来がはっきりしたものではないようです。寺でもわからないようだし、ネットで調べても、「これだ」という理由は見つかりません。

「仏の慈悲・慈愛とか、子孫繁栄とかいったものを象徴しているのかも知れない」(神使の館より)という推理は納得できるものです。

日本各地には「犬」、「女」、「水」が関係する場合も多くあります。雨の予知や水場の発見など、犬の持つ鋭い嗅覚が人間には神秘的にも見えたようです。それと、犬が楽にお産をすることなどから、安産の神様になったりします。

いろんな願いが重なり結果としてここに親子の犬像が多くなったのかもしれません。

とにかく、多くの犬像があり、それを探しながお参りするのもいいかなと思います。犬像の聖地のひとつと言ってもいい(勝手に?)のではないでしょうか。

一番目立つのは、なんと言っても仁王門前の親子像です。台座の高さが1.5mほどあるので、近づくと像を見上げるかっこうになります。

右側の犬像には乳首があるのでお母さん、左側がお父さんでしょうか。それぞれ子犬を守っています。お母さんの足元の安心しきった子犬。お父さんを見上げる子犬。建立されたのは文久2年(1862年)です。

本堂へ至る男坂階段の左手には、3匹の子犬が戯れ、優しいまなざしをした親犬像が置かれています。斜めから見ると、丸々とした子犬が、他の子犬の背中にもたれかかっているのがわかったり、全体的にほほえましい犬像です。個人的には、目黒不動の中でのイチ押し犬像です。

階段の左手は、「独鈷の瀧」の水掛不動があり、その背後の斜面に多くの不動像や犬像があります。ちょっと遠くて、望遠で覗くしかない犬像も。両脇に離れて立っているのも、1対の親子犬像です。

「独鈷の瀧」のさらに西側の前不動堂前にも、首を垂れて畏まって控える1対の犬像があります。地主神の神使といわれる和犬像です。でも、現在工事中で近づくことができませんでした。階段の下から望遠で撮影しました。
 
 
 
 
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2017/09/02

『2017 それぞれの猫展』の紹介

Azuma

友人の作家、田中誠さんが参加するグループ展の紹介です。

『2017 それぞれの猫展 ー12名の作家による絵画・版画・イラスト・羊毛フェルト展ー』
会場: 銀座ギャラリーあづま
会期: 2017年9/11(月)~9/17(日)

猫好きなメンバーの作品展です。それぞれの作家の表現で「猫」を展示します。

個人的には、今、犬像など撮っているので、「犬派」ではあるんですが、子供のころは猫を飼っていたので、猫も好きです。

とくに猫のお腹が。ぷにゅぷにゅしたお腹に触るのは気持ちがいい。犬のお腹とはまた違います。

そういえば、「猫像」というのは意外と少ないですねぇ。覚えているのは3ヵ所だけ。

回向院の馬頭堂前、城峯神社の境内、荻窪白山神社の境内の3ヵ所。

もちろん今は犬像に注意しているので、猫像が目に入らないということはあるんでしょうけど。


銀座ギャラリーあづま


Aduma_map
 
 
 
 
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麻生副総理「ヒトラーの動機は正しかった」発言とフランク・パブロフ著『茶色の朝』

170902


nifty NEWS 「麻生副総理「ヒトラーの動機は正しかった」発言」というニュースがありました。

「高須クリニックの高須克弥院長によるナチス礼賛ツイートが問題となっているが、今回はよりにもよって副総理の発言。国際的な非難を浴びるのは必至だ。」(nifty NEWSより)

フランク・パブロフ著『茶色の朝』という、約20年前、フランスでベストセラーになった物語があります。西ヨーロッパ全体に広がっていた極右運動への危機意識から書かれた物語でした。

「茶色以外のペットは処分するように」という法律を皮切りに、少しづつ周りが茶色に変わっていくのですが、主人公は、半分は疑いながらも、「茶色に守られた安心、それも悪くない」と思い、まぁいいかとやり過ごしていると、突然、自分がその茶色にとらえられそうになって、初めて危機を理解するというもの。

「茶色」とは、フランス人にとっては、ナチスをイメージさせる色だそうです。

心理学には、「チェンジ・ブラインドネス(変化盲)」というのがあります。たまにテレビの「脳トレ」などでも行われるテスト、いわゆる「アハ体験」で、静止画の一部がだんだん色や形が変わっていくものですが、意外とそれに気が付くのは難しいというテストです。

ゆっくりした変化は気が付きにくい。でも、気が付いたときには取り返しがつかない状態になっているという怖さもあります。『茶色い朝』もその怖さの物語です。

ナチスがなぜ支持されたのか?

ナチズムは大量虐殺で「極悪」のイメージですが、当初ナチズムは、人間の理想形を求める思想でもありました。理想形を隠れ蓑にしているからやっかいなのです。

タバコやアルコールの害について啓蒙し、健康増進運動を展開、菜食主義や自然に親しむこと、子供を母乳で育てることの勧めなど、これだけ聞けば、なんて理想的な社会を目指しているんだろうと思ってしまいます。

だったら、これは良いことなのではないかと思うようになります。徐々に、徐々に。でも、それとセットになっているのが理想形から外れたものの排除です。

ところで、アメリカのトランプを筆頭に、世界的に、排外主義、民族主義、差別主義などが台頭しています。

何か不満があるときは、悪いのは「あいつのせいだ」とか「あいつらが悪かったからだ」と言って、責任は自分にあるのではなくて、外部に原因を作って攻撃し、留飲を下げるということは俺もあります。ちょっと気を抜くと、楽な方へ流されやすいというのが俺たちなんでしょう。

だからこそ、今周りが茶色になっていることに気が付き、流されないように、ふんばらないといけないのかもしれません。「茶色の朝」を迎えないために。

これらの思想に共通するのは、行きつく先は、自分が抹殺されるということなのでしょう。なぜなら、みんな、誰ひとりとして「理想形」ではないからです。そもそも人間の「理想形」などというものはないのです。
 
 
 
 
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2017/09/01

【犬狼物語 其の百八十七】 東京都大田区 多摩川浅間神社

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多摩川駅の南、多摩川沿いの丘に鎮座しているのが、木花咲耶姫命を祀った多摩川浅間神社です。

溶岩がたくさん置かれた富士塚のような参道になっています。参道を上り切る手前に勝海舟が揮毫した「食行身禄石碑」があります。明治15年(1882年)に氏子の富士講が33回目の登山を記念して建てたもの。

鳥居をくぐって左側の手水舎の奥へ進むと広々とした展望が開けます。社務所の屋上が展望スペースになっています。

多摩川が流れ、左手には対岸の川崎のビル群、右手には東横線の線路と、その奥には富士山も見えます。(この日は靄でみえませんでしたが)。

この場所は、映画『シン・ゴジラ』のロケ地にもなったそうです。そういわれれば、見覚えがある場所です。

映画では自衛隊がゴジラを阻止するため、多摩川の河川敷に戦車を配置し「タバ作戦」を展開したところ。その前衛指揮所になったのが、この展望スポットでした。

『シンゴジラ』は面白かったですね。日本の一大事がどんな風に決められていくのか、誰が決めているのか誰もわからないという、皮肉もこめられ、苦笑するシーンも多かったと思います。

話を、お犬さま(狼)像に戻します。

手水舎の向かい側には、左から阿夫利神社、三峯神社、稲荷神社、小御岳神社の四社が祀られています。稲荷神社以外は山岳信仰の神社です。

ここに2対1体、合計5体のお犬さま(オオカミ)像が置かれています。昔の写真を見ると、屋根がない祠が並んでいますが、平成28年(2016年)の参道整備にともなって、屋根付きの合祀殿という現在の形になったようです。

小御岳神社の前に奉納されているのが不思議でかわいい像です。一見すると、ブタのようにも思えますが、これもオオカミ像らしい。

三峯神社を護っているのは、1体のお犬さまですが、けっこう損傷がはげしく、修復されたあとがたくさんあります。

境内には主祭神の木花咲耶姫が炎の中で出産したという故事にちなんで、子産石や夫婦銀杏などもあります。

子産石とは自然石で、長い年月をかけて海の波で削られて丸くなり、本体の大岩から分離してできたものだそうです。まるで子どもが産まれるように。だから「子産石」の名前が。

撫でると子どもに恵まれるという言い伝えもあります。別名「子宝石」です。

ところで、『シンゴジラ』での自衛隊の「タバ作戦」の「タバ」とは何なのか。調べてみたら、これは興味深いことがわかりました。

多摩の語源が「タバ」だとする説があるようです。 

「タバ」とは峠という意味の古語だそうです。

多摩川上流部には、山梨県丹波山村の「丹波(タバ)」川という川が流れています。多摩は「タバ」が訛って「タマ」になったという説です。

 
 
 
 
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