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2017/09/16

【犬狼物語 其の百九十】 山梨県丹波山村 七ツ石神社

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丹波山村鴨沢から約3時間かけて七ツ石神社にお参りしました。

登山そのものについては、一昨日書いているので、今日は、神社やお犬さま信仰についてです。

ネットで画像検索すると、鳥居のある写真も出てきますが、今は、鳥居の柱が残っているだけです。神社は30年ほど前から崩れかけ始めたということです。

社殿の柱も40度くらいに激しく傾いています。支えている柱が絶妙な力のバランスでかろうじて倒れるのを防いでいるようです。

お犬さま像は2体あります。かなり年季が入っています。右側の一体は姿をとどめていますが、体や顔にはひび割れが入っています。左側の一体は、顔の部分が失われ、胴体も半分に割れています。


この神社の存在について知ったのは、東京都内で7月に開かれていた「「狼伝承と登る 七ツ石山展」という催しでした。

この展示の七ツ石神社の写真には見入ってしまいました。社殿が傾き痛々しい姿ですが、心に訴えてくるものがありました。人工物が自然に帰っていく過程には心を動かされます。特にお犬さまの石像には。

そして崩れかけた神社には、今、再建計画があると知りました。

雑誌で「お犬さま信仰」について書くことになっとき、民俗学的な古い習俗としての「お犬さま信仰」ではなくて、現在も生きている「お犬さま信仰」について書きたかったので、この神社について取り上げようと思いました。

それで、展示をしていたメンバーのひとり、現在、村の地域おこし協力隊隊員として働いている寺崎さんにインタビューしたいとお願いしました。

後日、神社の再建計画を聞くために丹波山村を訪ね、寺崎さんに話を聞きました。そのとき、寺崎さん自身が大の狼好きであることがわかったのですが、そのことについては雑誌でどうぞ。

名称は、七ツ石権現、七ツ石宮、などと数回変わってきました。三峯神社と同じように、明治の神仏分離で、七ツ石神社になりました。

実はこの神社、明治時代にも火災で焼失しています。そのときも再建計画がもちあがり、この神社は三峯神社の奥宮だったとの記載もあり(今のところ証拠は無いようですが)、いかに重要な神社であるか説明し、寄付を募りました。そのことについては、古文書「七石宮拝殿新築寄付帖」(明治27年)に書かれています。古文書のコピーを見せてもらいました。

「どうしてこんな山奥に?」と思ってしまうのは、自動車道路が便利だなと思い込んでいる現代人だからであって、考えてみれば、昔は物や情報が行き来する、山伝いに続く街道の要衝でもあり、神社の存在価値も大きかったのです。

神社前では賭場も開かれていたそうです。賑やかだったでしょうね。楽しそうです。

そういえば、ミャンマー・シャン州を訪ねた時も、寺の境内では賭場が開かれていて、たいへん賑やかだったのを思い出しますが、ここに集まる人たちは、単に博打をするだけではなく、集まった情報を四方に散らばって伝達するという、今でいうメディアの役割も果たしていたようです。

ちなみに、シャン州の博打は、動物サイコロでした。地元では「マクロー」と呼んでいました。サイコロの6面に違う動物の絵が描いてあり、3つのサイコロを転がして、3つとも同じ動物になれば大当たりといったものです。

ところで、インタビューの後の8月下旬、七ツ石神社は「七石権現社旧社地」として村指定文化財に登録されました。

再建計画の第一歩が始まったそうです。これから一度社殿を解体し、発掘作業をしたうえで、登山道整備とともに、社殿も再建されるようです。

このお犬さま信仰と将門伝承のふたつ、民俗的財産を活かして、村おこしにつなげていこうという計画だそうです。
 
 
 
 
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