菱川晶子著 『狼の民俗学 人獣交渉史の研究』
人と動物の関係を探る人獣交渉史の研究ですが、主に狼の民俗の世界を紹介しています。
かなり内容が濃く、また豊富ですが、一番面白いと思ったところは、狼が地方によって呼び方がさまざまあったことと、それが時代とともに変わっていること。
まず、そもそもの話として、狼の語源は何なんでしょうか。鎌倉時代の辞書『名語記』によると、
「「オホカミ」とは、「大神」からきており、「大神」はまた「山神」と呼ばれているのがわかる。今日もみられる狼を山の神とする伝承は、鎌倉時代にすでにあった」
一方、江戸時代の語学書『和句解』からは、
「いわゆる「大咬」とある。・・・(略)・・・狼の語源としてはこれらの「大神」と「大咬」の二説が有力なようだが」
と菱川氏は書いています。
なるほど。「大神」と「大咬」の二説あるんですね。
さらに、明治時代からの名称はどうかというと、「名称分布図」によると、
オイノ
オイヌ
オイヌサマ(オイヌサン)
大犬(オオイヌ)
オーイン
狼
オオカメ(オオガメ)
カメ
オカベ
山犬(ヤマイヌ)
山の犬
などの名称が、日本地図上にプロットされています。
「「狼」が全国的にほぼ均等にみられ、「山犬」も岩手県から大分県までの広がりをみせている。しかし「山犬」には分布上の偏りが若干あり、山梨県、長野県、四国地方に多い傾向がみられる。これらの地域はまたお犬信仰の篤い地域でもあり、信仰との関連が想定される。・・・(略)・・・「オイヌ」は東北地方に多くみられ、「オイヌ様」になると東海地方まで広がっている」
とあります。この傾向を見ると「お犬さま」は東日本の名称ということですね。でも、同じ「お犬さま」でも、秩父を中心にした関東と、東北ではちょっと意味が違うようです。
三峯神社を総本山とする狼信仰は、遠く東北地方にまで広まりました。
その1社、衣川三峯神社は、世界遺産の平泉中尊寺本堂から北西1.5kmほどのところに位置し、東北の狼信仰の中心になった神社です。江戸時代中期の享保元年(1716年)、総本山・三峯神社から分霊勧請されました。
ここは馬産地でしたが、狼が馬を襲う被害が多発していました。被害は深刻だったので、名馬を贈るなどして必死で三峯神社から分霊してもらったと言われています。
つまり、ここでは秩父と違って狼は益獣どころか害獣だったということです。むしろ祟り神として恐れられていました。
その狼を狼(お犬さま)で封じたというかっこうになります。毒をもって毒を制すということばもある通り、同じもので防ぐというのは、ある意味理にかなっているかなとも思います。
『狼の民俗学』によれば、東北では「オイヌサマ」ではなく「オイヌ」が多い傾向があるようです。
衣川三峯神社では「オオカミ」と呼び「お犬さま」とは呼ばないそうです。
「サマ」が付かないのは、害獣だったことと関係するのでしょうか。
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