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2017/10/31

【夢日記】 ある動物のお腹

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形的には、マンタやカメのようでもある。

厚さが10センチほどの平べったい動物だ。

腹ばいになっていたのを、裏返して、あおむけにした。

お腹には毛が生えている。

猫? 犬? タヌキ? にも見える。

目はどこにあるんだろう?

おちんちんが付いていたので、雄なんだろう。

お腹を触ると毛が気持ちいい。

                   ☆

映画『アバター』のような風景の中、空を飛んでいた。

高いところから低いところへ一気に下る浮遊感。

「これは夢だよ」と、夢であることをちゃんと「夢の中の俺」は意識していた。

                   ☆

夜、城壁のようなレンガ積みの壁の前にいた。

一カ所だけ人が上ったような崩れたあとがあり、手すりも付いていたので、俺はそこから昇った。

手すりがぐらぐらしたので、力加減に気を使った。

城壁の上は、通路になっていて、右へ歩き、さらに角を右に回った時、人間と犬がいた。

人間が犬から襲われていたのか、飼い犬なのかわからない。

俺はびっくりして大声をあげた。

犬が俺の方に飛んできたところで目が覚めた。(自分の大声で目が覚めた)


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この3つの夢が続いていたのか、途中で目が覚めたのか、よくわかりません。ただ最終的にこの3つを覚えていました。

最初の謎の動物については、たぶんヴィーノのことだと思います。目もどこにあるかわからないけど、おちんちんだけ強調したような動物です。俺の関心はそこにあるようです。ヴィーノが病気のため飲んでいる薬のせいか、頻尿になったことが気がかりなんでしょう。だからおちんちん。オシッコが漏れていたような感覚もあります。

2番目の夢は、『ブレードランナー2049』の予告編を見たからだと思います。前作のブレードランナーの、雨降るチャイナタウンの近未来的光景は、今でも新鮮です。今回のは、映像的にさらにグレードアップしているようで、乗り物が空中を滑っていく感覚と、夢の感覚はほぼ同じでした。

「夢の中の俺」は、ちゃんとこれが夢であると意識しています。たぶん、夢の中で再構成された『ブレードランナー』を観ているのでしょう。「映画」を「夢」と言い換えているのかもしれません。

ところで、この夢を見た日の夜、「Youは何しにニッポンへ」を観ていたら、なんとあるYouが、マジンガーZに影響を受けて映画のCGを作る仕事をしているという話の中で、映画『アバター』のそのシーンが出てきたときには驚きました。これも「シンクロニシティ(共時性)」と言うんでしょうね。

最後の夢も、犬がらみなので、たぶんヴィーノの気がかりと関係しているのだと思いますが、今のところ、はっきり思いたることはありません。
 
 
 
 
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2017/10/29

【犬狼物語 其の二百三】 山形県鶴岡市 忠犬ハチ公像の石膏試作品が鶴岡市に来た奇跡話

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171029_2(鶴岡駅内、忠犬ハチ公石膏像の展示)

171029_3(忠犬ハチ公石膏像)

171029_4(斎藤弘吉さんの肖像写真)

171029_5(三條美紀さんの肖像写真)

171029_6(藤島ふれあい広場の忠犬ハチ公像)


渋谷の忠犬ハチ公を有名にしたのは、斎藤弘吉さんでした。斎藤さんが昭和7年10月4日、東京朝日新聞に寄稿した「いとしや老犬物語、今は世になき主人の帰りを待ちかねる7年間」という記事が反響を呼び、無名の犬は、一躍有名犬になり銅像にまでなったのでした。

そして、この斎藤さんの故郷が山形県鶴岡市なのです。

明治32年生まれの斎藤さんは東京美術学校(現東京芸術大学)に進学しました。昭和3年、日本犬が絶滅の危機にあることを知って日本犬保存会を創立、昭和23年には日本動物愛護協会を設立し理事長として活躍しました。

現在鶴岡市のJR鶴岡駅の構内に忠犬ハチ公の石膏像と、藤島城址そばの藤島ふれあい広場には、忠犬ハチ公像が置かれています。

なぜでしょうか?

普通に考えれば、「忠犬ハチ公を有名にした斎藤さんの故郷だから」とj答えるのは自然のことでしょう。俺もそうだと思っていました。

ところが、答えはブブーッです。違っていました。

これがまったく不思議な話なのです。偶然が偶然を引き寄せ、斎藤さんと忠犬ハチ公の石膏像が奇跡的に鶴岡市で出会うことになったのです。

「奇跡的に」と書きましたが、すべては偶然です。でも、この偶然に意味を見出し、そして面白いと思った人物がいます。その人物が「奇跡」を生み出したと言ってもいいのかもしれません。

この奇跡に気が付いた人物は、市内で薬屋を営む薬剤師 高宮宏さんです。高宮さんを訪ね、石膏像が鶴岡にやってきた経緯を伺いました。

話は敗戦直後にさかのぼります。

渋谷駅前の忠犬ハチ公像は、戦時中金属供出されたので、今あるのは2代目です。1代目を造ったのは安藤照さん。そしてその息子である安藤士さんが今の2代目を造ることになりました。

士さんの自宅は空襲で焼失したので、被害を免れた別の家を借りて造ったのが試作品の石膏像です。1947年(昭和22年)のことです。

でも、士さんは気に入らなかったので、それはそのままにして、再建された自宅アトリエで、少し大きめの次の試作品を造りました。これが現在の渋谷の像の元になりました。

その後、この借家を買ったのが女優 三條美紀(本名 佐藤幹子)さんです。残されていた家財道具の中にこの試作品の石膏像もありました。

石膏像はそのまましばらく三條美紀さんの家に置いてありましたが、東栄村(藤島町を経た後に鶴岡市)出身の、俳優で大映の部長も務めた彼女のお父さん、佐藤圓治さんがこれを譲り受け、今度は彼の同級生であった湯野浜の佐藤新五郎さんが譲り受け、冨士屋旅館のマスコットとして大切にされました。

そして20数年、月日は流れ、冨士屋旅館が廃業することになりました。藤島町に住んでいた土建会社の会長 太田角之助さんには骨董趣味があり、廃業した冨士屋旅館からこの石膏像を譲り受けました。

太田さんが保管していましたが、1985年(昭和60年)、藤島町役場竣工記念として、太田さんはこれを町に寄贈したのでした。なので、しばらく藤島町役場庁舎に展示されていました。

2005年10月1日に、合併によって藤島町は鶴岡市になりました。このことも大きな偶然と言えるでしょう。合併がなかったら、「鶴岡市」ではありませんでした。

像の台座に「士1947」と刻んであるのに気付いた高宮宏さん。「これは忠犬ハチ公の試作品ではないか」と思い、実際、安藤士さんにも連絡し確認したところ、士さんが造った石膏像であることがわかったということです。

2006年(平成18年)11月3日には、「鶴岡ハチ公像保存会」が設立されました。初代会長が高宮さんです。

藤島ふれあい広場の忠犬ハチ公像の除幕式には、作者の安藤士さんも招待されて出席したそうです。

このようにして石膏像が鶴岡市にやってきた、という話です。偶然て、面白いですね。
  
 
 
 
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2017/10/27

【犬狼物語 其の二百二】 山形県高畠町 犬の宮・猫の宮

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安久津八幡神社から車で数分のところに、犬の宮・猫の宮が鎮座します。

犬の宮は、去年も参拝し(ヴィーノも)、『全国の犬像をめぐる』にも収録した社です。だから1年半ぶりです。

戸川幸夫の『高安犬物語』の文学碑があるのは犬の宮への参道わきです。

「人年貢」を強要していた役人(実は2匹の大狸と多数の荒狸でした)を退治して村人を助けた伝説の犬、みっけ犬・しっけ犬由来の犬像もそのままです。この犬たちは甲斐から借りてきた犬だったらしく、高安犬の特徴が残っているようです。

犬張子を思わせるたくましい体型ですが、両方の犬像とも、片耳が欠けてしまっているのは残念です。

その奥に一体だけ置かれている由来不明の石像も健在でした。前回、気に入った石像です。

たぶん、尻尾の巻き方から犬像だと思うのですが、ここを管理している寺の住職も由来はわからず、

「犬の好きな人が奉納したんでしょうね。かなり昔だと思います」

とのことです。

何度も言うようですが、人工物が自然に帰っていく姿には心打たれるものがあります。

猫の宮もそのままでしたが、今回あることに気が付きました。昔は、猫の宮と犬の宮の参道が一直線でつながっていたようなのです。昔の参道らしい草むらには、古い碑が立っていました。

猫の宮には、写真などいろんなものが奉納されています。愛猫の好物だったのか、缶詰もありました。飼い主さんの愛情を感じます。
  
 
 
 
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2017/10/26

【犬狼物語 其の二百一】 山形県高畠町 安久津八幡神社 狛犬か?狼像か?高安犬像か?

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宮城県の方から国道113号線で山形県高畠町に入りました。

安久津八幡神社に近づくと急に霧が立ち込め、視界が悪くなりました。ここは安久津八幡神社とまほろば古の里歴史公園になっています。

三重塔が霧から浮かび上がり、より神秘性が増したようです。寛政9年(1797年)に再建された(初建は寛永2年)三重塔の前には水田があり、稲刈り直前の黄色い稲がたわわに実をつけています。

安久津八幡神社は平安後期、源義家が奥州平定のために戦勝を祈願して、鎌倉鶴岡八幡を勧請したと伝えられていますが、はっきりわからないようです。

参道途中には舞楽殿があり、その奥、階段を上ったところに本殿があります。三重塔、舞楽殿、本殿は県の指定文化財になっています。

「耳の神様」という小さな祠もありました。「耳の神様」というのは初めて知りました。聴力向上にご利益があるのでしょうか。

本殿手前、階段を上った両側で、1対の像が本殿を護っています。これは狛犬のようでもあり、狼のようでも、犬のようでもあります。

この曖昧さで、人それぞれどのようにも解釈でき、心の奥底(深層心理)を刺激するような何か得体のしれないものを感じもします。像は、ある意味、見る人の深層心理を映す鏡にもなるわけですね。決してこの曖昧さは嫌いではありません。

このあたり「高安犬」の産地だったことを考えると、高安犬の犬像という可能性もあるでしょう。

「チンは高安犬としての純血を保っていた最後の犬だった、と私はいまもって信じている。」

という書きだしで始まる直木賞受賞作家、戸川幸夫の『高安犬物語』があります。

戸川は、高安犬に魅かれる理由を「亡びゆく種族への愛惜」といっていますが、「チン」という名の最後の高安犬に出会った時の印象をこのように描写しています。

「ぴんと立った耳、大張子のように張った胸、逞しく巻き上がった尾、きっと正面を見すえる刺すような瞳。悠々と力強く歩いてくるその犬を見た瞬間、私はこれこそ長い間さがし求めていたものだと感じた。この犬がチンだった。」

高安犬は、数枚の写真が残っているものの、事情があって剥製は残されていないそうです。

『高安犬物語』を読んで、神社の犬像を見ると、長年の風雪ですり減ったようで「ぴんと立った耳」とは言えませんが、体つきはがっしりしていて、個人的にはやっぱり高安犬を象った犬像なのではないかな、いや、そうだといいなという願望も入っていますが、残念ながら想像の域を出ません。
 
 
 
 
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2017/10/25

【犬狼物語 其の二百】 福島県飯舘村 山津見神社の狼の天井画

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この【犬狼物語】のシリーズも200ヵ所を迎えました。これからもしばらくはシリーズは続きます。犬像・狼像の情報は、日々増えていて、最終的にどのくらいの数になるか想像できません。

それにしても、これだけ犬像・狼像がある国も珍しいのではないでしょうか。

犬像・狼像の背後にある物語・伝説に興味がわいてきました。ユング心理学の深層心理(無意識)としての解釈が、自分がなぜ魅かれるのかという問いの答えとしてしっくりきます。
 
 
 
浄土平天文台のチロ像から福島市内を経由して、飯舘村の山津見神社へ向かいました。

飯舘村は、阿武隈山系北部の高原に開けた自然に恵まれた村で、2010年9月に「日本で最も美しい村」連合に加盟しました。畜産業に力を入れ、黒毛和牛の「飯舘牛」はブランド牛として高い評価を得ていました。

それが震災後、住民は移住を余儀なくされてしまいました。未曽有の災害に巻き込まれてしまうとは、誰が想像したでしょうか。今も、住民の多くは戻っていません。

神社の手前で、左手前方に切り立った岩山がちらりと見えました。スリランカのシーギリヤ岩山ほどではありませんが、これは何かあるなと思えるような特徴的な岩山で、案の定、神社はその直下に鎮座していました。神社は大きな敷地で、由緒ある神社だと推察できます。

鳥居を入り参道を進み、階段を上り切ると、1対の狼像、さらに拝殿前にも1対の狼像と、左側にはヤマトタケルの像が置かれています。山津見神社の神の使いは狼で、お札も授与されています。

2013年4月1日に火災が発生し、社殿と宮司宅が焼失しました。拝殿は2015年6月に再建されたものです。だから新しい。何と、拝殿の入口は自動ドアです。

拝殿に入ると、狼が描かれている天井画が目に飛び込んできました。山津見神社と言えば、これが有名な天井画(眷属絵画)です。231枚、どれひとつとして同じ姿はない、親子、夫婦、単独の狼の画で天井が埋め尽くされています。

この神社が焼失する2か月前、たまたま研究用に天井画が1枚1枚記録写真に撮られていたのだといいいます。だから写真をもとに天井画を復元することができました。画の位置は同じではないそうですが、すべての画は復元されています。復元したのは東京芸術大学の学生たちです。

ところで、さっき車から見えた特徴のある、あの岩山の頂上付近に本殿が鎮座し、最後のところは梯子を上っていくという切り立った岩山です。

この山は「虎捕山」と呼ばれます。約900年前、橘墨虎という凶賊がいました。永承6年、人々が墨虎を退治してほしいと訴えたことで、源頼義は部下に命じて、墨虎を討たせました。だから「虎捕山」。

てっぺんからは晴れたら浪江町の海まで見えるそうです。虎捕山は、海が見える神の山として崇められ親しまれてきました。山の神は、はるかな洋上で働く人々を見守り、豊漁と海上の安全を導いてくれるという信仰は年々盛んになっているそうです。

山の神が海とつながっている話は、秩父市の三峯神社でも聞いいたことを思い出しました。

地元では原発の放射能を山津見神社で食い止めた、という話(噂)があるそうです。科学的にどうかはわかりませんが、原発に対して、そんな話(噂)が広がっていることが、山津見神社らしいのかもしれません。

自然を畏れなくなった人間へ警告するものとして、狼が再び姿を現わすことは不思議ではないような気がします。
 
 
 
 
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2017/10/24

「東北お遍路展」開催 2017年10月25日~10月30日

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「東北お遍路展」が開催されます。

一般社団法人東北お遍路プロジェクトは、東北の青森から福島までの東日本大震災の被災地に、63ヵ所の慰霊と鎮魂の巡礼地を設定しています。

今回の展覧会は、先日仙台市において審査された「第2回東北お遍路写真コンテスト」の受賞作品が展示されます。

また、合わせて「第1回東北お遍路俳句コンテスト」の作品も展示されます。

日時: 平成29年10月25日(木) 12:00スタート
     平成29年10月30日(月) 15:00まで
※初日はスタートから17:00まで。最終日は10:00から15:00まで。
  その他の日は、10:00から17:00までの展示となります。

会場: 仙台市地下鉄東西線 国際センター駅 2階多目的スペース(仙台市青葉区青葉山2-1外)
 
 
 
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2017/10/23

【夢日記】 脚のあるバス

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印象的な夢を見たので記録しておきます。

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アジア(タイ?)を旅している。

バスツアーらしいが、俺の立場は、ツアーガイドか添乗員らしい。

バスはヤシの木などもある畑の中を進んでいたが、俺はバスの先を歩いて、道を確かめていた。

水が溜まってぬかるんだ所もあって、バスのタイヤが泥に取られそうだと心配になった。

先へ行くほど厳しくなっていた。

そこへバスがやってきたが、水に濡れた泥のところには布を敷いている。

布なんかは持ってきていたんだなと感心した。

バスには四つ脚がついていて、布の上を通ろうとしたとき、布につま先がひっかかったが、なんとか進むことができた。

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最近、外国を旅する夢を多く見ている気がするのは、実際には外国旅をしてないことの禁断症状(補償作用)だろうと思います。

先へ行くほど道のコンディションが悪くなっているのは、たぶん、今気がかりなことに対する不安かなと思います。でも、脚がついたバスはユニークです。タイヤなら泥にはまってしまいそうですが、脚がついていたなら、なるほど、泥道でも大丈夫です。

発想の転換ですね。たぶん、そのことです。この夢からのメッセージは。

タイという、明るいところが舞台であることも、この夢がけっして暗く絶望的な夢ではなく、発想の転換をして、この不安から乗り切れるのではないか、という楽天的な雰囲気を感じます。

ただ、その発想の転換は、そう簡単ではないのかもしれませんが。
 
 
 
 
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2017/10/19

【犬狼物語 其の百九十九】 福島県浄土平天文台  「星のチロ像」

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福島県浄土平天文台に「星のチロ像」があります。

チロとはどんな犬だったのでしょうか。

Wikiから引用させてもらいます。

「チロ(1969年10月頃 - 1981年9月14日)は、藤井旭(イラストレーター・天体写真家)が飼育していたメスの北海道犬である。「白河天体観測所」という私営天文台の「天文台長」を務め、地元の人々や天文ファンなどに「チロちゃん」、「犬の天文台長さん」などと親しまれていた。その死後、藤井はチロとのエピソードや周囲の「星仲間たち」との交流などを『星になったチロ』などの子供向けの本にまとめた。」

1941年生まれの天体写真家・藤井旭さんは、アマチュア天文家のリーダー的な存在だったそうです。1969年に白河に星仲間と「白河天体観測所」を建設しました。

そして1969年冬、デパートで開かれていた犬の展覧会で、当時としては大金の5万円を支払って、引き取ったのが北海道犬のチロでした。

チロは犬としては初めて(?)、天文台長になりました。クマが出るので、一番頼りになるチロを天文台長にしたそうです。実際クマと対峙したことがあって、お互い退いたので大事には至りませんでした。

もうひとつ理由があって、そこが藤井さんらしいと思いますが、世間的な地位や肩書を抜きにして平等に星を楽しんでいるのに、肩書をつけるのは面白くないので、チロを責任者にしたようです。

その後、全国から2000人も集まる「チロの星祭り」が浄土平で毎年開かれ、チロはイベントの世話人(犬)代表として、全国の天文ファンから親しまれました。「チロにあいにいこう」が星仲間たちの合言葉になりました。

ここ浄土平に天文台ができたのは、チロと藤井さんたちの、そういう経緯があったからです。

今、天文台に展示されているチロの像は、高さが20cmほどのものでした。ネットで見ると、もう少し大きいのかなと思い込んでいたので、小さいな、というのが第一印象です。

ただ、細部までこだわって作られているのはわかるので、おそらく実際のチロとも似ているのではないかなと思います。

天文台には、他に、チロに関するパネルや、藤井さんが執筆した2冊のチロの本なども展示されていました。

チロの死後、愛媛県八幡浜市在住の彫塑家であった塩崎宇宙さんから連絡があり、チロの話に感動したので、ぜひチロの像を作らせてほしいとの申し出がありました。塩崎さんの「宇宙」という名は本名です。

藤井さんは「宇宙先生が宇宙犬チロの像をつくる」ことに不思議で奇妙なめぐりあわせを感じたそうです。

銅像は2年後「星のチロ像」として完成し、1983年の8月の第9回「星空への招待」会場で披露されました。

天文台に展示されている像は、1983年に披露されたオリジナルの縮小コピーですが、これも塩崎宇宙さんが制作したものです。「星のチロ賞」受賞者に対して贈呈されたトロフィーの1体です。

今、像の色は赤銅色ですが、もっと黒かったそうです。火山から硫化水素ガスが出ていて金属を腐食させてしまうらしい。その影響で、赤っぽくなったのだそうで、火山らしいなと思いました。

チロの像は、藤井さんたちの私営天文台である「白河天体観測所」にありましたが、東日本大震災で被災してしまいました。機材のほとんどが壊れ、原発の放射性物質による汚染も深刻で、再起不能になってしまった白河天体観測所は、2014年に閉鎖されてしまいました。だから今、像は公開されていません。

また、塩崎宇宙さんの故郷、愛媛県八幡浜市に記念館があるそうで、そこにチロの石膏像が展示されている、ということを教えてもらいました。

2冊目の『犬像』の本には、このチロを取り上げたいので、その時はあらためてオリジナルの「星のチロ像」や八幡浜市の石膏像を訪ねたいと思います。
 
 
 
 
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2017/10/17

富田和明太鼓芸能生活40周年記念コンサート『太鼓打ち誕生』

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友人の和太鼓奏者、富田和明さんのコンサートが行われました。太鼓芸能生活40周年だそうです。すごいことです。

いろんな人が駆けつけて、40周年記念コンサートを盛り上げました。

冒頭、成田山深川不動堂から出発した『浜から島へ~富田歓暦歩き打ち2017』と銘打って、東京から自身の故郷、淡路島まで約635kmを歩いたときの映像が流されました。

富田さんとは中国貴州省で、旅人同士として出会っているので、富田さんの旅のパフォーマンスにはいつも特別に共感をおぼえるところです。

歩くことは、地球(地面)の太鼓を2本の足で叩いていることではないか、という話は面白いなぁと思いました。富田さんにとっては、「旅=歩く」は「太鼓を叩く」と同じことになるわけですね。

そしてもうひとつ、富田さんのコンサートに身を置いて気が付いたことがあります。音楽を「聴く」と表現しますが、太鼓の音は特に、耳だけで聴いているのではないんだなということです。

鼓膜はもちろん皮膚が音を聴いているのです。直接来る振動。反響して来る振動。人々の雑音。俺のカメラの音など、雑多な音と振動が、皮膚を刺激することで、隠し味のようになって深みを感じさせているようです。

皮膚で聴く音と振動が気持ちよいのです。だから、音楽は「その場にいる」という体験なんですね。


富田さんのHPはこちらです。


富田和明太鼓芸能生活40周年記念コンサート 『太鼓打ち誕生』

10月15日(日)

出演/富田 和明 

特別ゲスト/藤本 吉利 藤本 容子(鼓童名誉団員)

友情出演/近藤 克次

賛助出演/どんどこ座 和太鼓 MIKAWA

太鼓アイランド オールスターズ

会場/亀戸文化センター・カメリアホール
 
 
 
 
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2017/10/16

大分県竹田市 「竹田キリシタン研究所・資料館」がオープン

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知人がNPO法人竹田キリシタン未来計画で活動していますが、このたび、JR豊後竹田駅前(古町商店街)空き店舗を改装して、竹田キリシタン研究所・資料館をオープンするので、お知らせします。

これが大分県内初のキリシタン資料館になるそうです。

竹田キリシタンという歴史を見直し、観光資源として生かし、商店街に活気を取り戻すべく、新たなチャレンジがいよいよ本格的に始まります。

2017年10月28日(土)には、オープニングイベントが行われます。

09:30~ オープニングセレモニー
10:15~ マリオネット南蛮音楽演奏
10:45~ 歴史大河漫画『へうげもの』(山田芳裕)トークセッション
12:00~ 終了


TAKETAキリシタン謎PROJECT

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2017/10/15

【犬狼物語 其の百九十八】 栃木県塩谷町 大宮神社

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栃木県塩谷町大宮に鎮座するのが大宮神社です。

鳥居前にはしだれ桜の木がありました。

神社名は「大宮神社」ですが、拝殿に掲げられている扁額には、「正一位大宮高龗大明神」(旧社名は「高龗大明神」)とあり、ここも「たかおかみの神」を祀る神社であることがわかります。漢字は、「雨+龍」の文字が使われています。

1対の犬像が、拝殿手前の参道両脇の一番端の地面に直接置かれています。ちょっと見過ごしてしまいそうですが、ころころっとした可愛らしい犬像です。

それと本殿の両側、軒下には古そうな犬像が1対置かれています。こちらは前足が壊れていて、顔もすごみがあります。

周辺はまもなく稲刈りが始まりそうな田んぼです。田んぼでした。ここを撮影したのは9月23日だったので、もう3週間たっているんですね。(記事にするまで時間がかかります)

これで一応、栃木県は終わって、次からは福島県、山形県の予定です。

とくに、山形県では、忠犬ハチ公の石膏像について、奇跡の物語を取材することができました。ご期待ください。

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2017/10/14

【犬狼物語 其の百九十七】 栃木県宇都宮市 高龗(たかお)神社

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こちらも高龗神(たかおかみのかみ)を祀る宇都宮市大網町の高龗(たかお)神社です。

宇都宮市内から国道119号線(日光街道)を北上し、大網町で田川を越えた対岸に鎮座します。周辺はのどかな田園地帯です。

道に面した一の鳥居が見えますが、そこからは中へ入れませんでした。草がぼうぼうと生えていて、しばらく人が通った形跡がありません。鳥居を回り込むように進むと、一の鳥居、二の鳥居の間に車を停める場所がありました。

二の鳥居から拝殿まではきれいに草も刈られています。

赤い回廊の欄干が印象的な拝殿両側には、1対の像が立っています。

2体とも傷んでいて、左側は顔が壊れていますが、右側は残っていて、独特の歯が印象的です。お歯黒のおばさんが笑っているように見えてしまいます。

この像は明治28年(1895年)11月21日に奉納されたという。

見た目、これは和犬ではなく、狼像に見えます。ネットでも、「和犬」と「狼」の2つの説があるようです。

「来福@参道」の「高寵(たかお)神社」には、こんな記述があります。

「下野国(今の栃木県)は、利根川の支流鬼怒川の流域です。利根川流域の上総(茨城県方面)は早くから開拓が進み、桓武天皇から分家した坂東平氏が入植したことが知られています。利根川流域には平氏に付き従う形で、犬飼の一族、県犬養氏(あがたいぬかいし)が入植していました。開拓地に犬飼の一族が移り住んだのは、開拓地の田畑を荒らす害獣を狼と犬をかけ合わせた猟犬で駆除するためでした。こうした事情は下野国でも同じことで、下野国にも犬飼を生業とする一族が移り住んだことは確かだと思われます。
高寵神とは闇寵神と対の神で水源の守り神とされる一方、岡山県の木野山神社や貴布弥神社では狼神とされています。下野国の開拓が始まったころ、岡山方面から入植した人々が高寵神を氏神として持ってきたのではないかと思われますが、推測の域を出ません。」

「狼」説ですが、結局はわからない、ということですね。でも、この「狼」と「犬」のあいまいさも、あまり問題にならないのが日本かもしれません。

そもそも、生物学的な「ニホンオオカミ」と信仰の対象としての「お犬さま」は、必ずしもイコールではないし。この像も信仰の対象のイメージということなのではないでしょうか。
  
 
 
 
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2017/10/13

【犬狼物語 其の百九十六】 栃木県河内町 高靇(たかお)神社の犬像

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栃木県河内町の高靇(たかお)神社も、また高龗神を祀る神社の1社です。

車道から延びる石の階段には「高靇神社」の額を掲げた一の鳥居。途中には二の鳥居があり、天保時代の古い手水石も。

木造の長屋ふうの門があり、そこから数段上ったところに苔むしたいい感じの石造りの犬像が控えています。2対ありますが、1対は和犬、もう1対は和犬ふうの狛犬のようです。どちらも高さは50cmくらいです。

午後の光が木々の間から射しこんで、犬像を浮かび上がらせます。ハッとする神々しい気持ちになります。

犬像を作った石工もすごいとは思いますが、まるでこの光も意識しておかれたのかと思うほどの、舞台としては完璧な場所です。

宗教がないと自分自身でも言っている日本人ですが、日本人の宗教性は特定の神からの教えではなく、全体の調和を大切にし、その美意識に従っていると言われます。だからその場の美しい調和は、そのまま宗教性の表れではないか、この美しい場を作ること自体が、日本人の宗教性そのものなのかもしれません。

ここにも犬像の由来書はありませんでした。高龗神と犬像との関係については、前回の「さくら市 高尾神社」で書いているので、そちらでどうぞ。

垂れた耳が可愛らしい和犬像は、どこかで見た姿だなぁと、思い出したら、千葉県の久留里城址の城山神明社に奉納されていた和犬像を髣髴とさせるものです。ヴィーノと似てるあれです。

あれも丹生明神由来の和犬像でした。これもそうなのかもしれません。

神社は小さいですが、拝殿には回廊があって、右側に2体、左側に4体の和犬像が奉納されています。この像は高さが20~30cmの小柄な像です。それぞれ個性的で、いろんなタイプの犬像がいて面白い。

それにしても、雨上がりの湿った薮には蚊が多い。蚊くらい我慢しろという話なんでしょうが。すばらしい犬像にお参りするためには仕方ありません。蚊も、その場の調和に無くてはならないものかもしれないし。
 
 
 
 
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2017/10/12

【犬狼物語 其の百九十五】 栃木県さくら市 水神(龍神)を祀る高尾神社

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栃木県宇都宮市周辺にも犬像が守護する神社が点在します。

ネットで調べると、それらは「高龗神(たかおかみの神)」を祀る神社だそうです。

栃木県さくら市の鬼怒川のほとりに鎮座する「高尾神社」も、この「高龗神」を祀っています。扁額には「高龗神社」とあります。「高尾神」と「高龗神」は同じ意味のようです。現在の社殿は明治42年(1909年)に建てられました。

「高龗神」とはどういった神様なのでしょうか。まずこの漢字「龗」が難しい字なのですが、「高龗神社の雨口龍字について」に詳しく書いてありました。

「高龗神社の「雨+口三つ+龍」文字の「龗おかみ」は栃木県では口みっつが省略されて雨+龍の「靇」が使われる社がいくつかあり,さらに「高尾」と混在する社すらあります。 (略) また読み方は本来「たかおかみ神社」が正式ですが,栃木県では例外なく「たかお神社」と呼ぶようになりました。」(環境依存文字なので、人によっては見えていないかもしれません)

境内に立つ由来の看板には、

「天候を支配する神が高尾神で、天空や地の底・闇の中にいる神々たちの集団です。雷神・竜神・水神などとなって人々に信仰されてきました。上阿久津の高尾神は鬼怒川と関係の深い水神(龍神)信仰が原点と考えられます。
10月19日の大祭には古法による強く発酵させた甘酒と生の川魚を一緒に供え、それをいただく古式の神事が伝承されています。
古来より農耕や河岸など水とかかわりがあった上阿久津の守護神だったことがしのばれます」

拝殿の前には、大正8年(1919年)10月に奉納された1対の和犬像が鎮座します。犬像の由縁についての説明はないのですが、そのヒントになりそうな記事が福田博通さんによる「神使いの館」にありました。

「この地区の高お神は、高おかみの神を祀るので有名な丹生川上神社(奈良県吉野郡)から勧請されたもので、丹生明神の神使の和犬が置かれているのかもしれない。」

とあります。

各地の犬塚でも、「水」と「犬」との関係はあるようで、それは犬の持つ鋭い嗅覚が水場を見つけたりすることから来ているらしいのですが、とにかく「水」と「犬」とは親和性が高いようです。

また、近くには農業用水を分水する井堰が設けられているそうで、高尾神社はこの井堰を守護するために、水神を祀ったもの、という説もあるようです。

「井堰を護る」という話を聞くと、棚田(水田)が多い、インドネシア・バリ島の「スバック」の井堰を思い起こします。

「スバック」とは、千年前に作られた水利管理組織です。「スバック」それぞれが持つ寺院では祭りも欠かしません。定期的な会合では、水の管理や、管理費の徴集の相談をします。組合員はみんな協力して、水利施設のパトロールをし、水が配分計画通 りにきちんと流れているかをチェックします。

井堰には必ず寺院や祠が建てられていて、水の配分のルールが厳格に守られています。

何割の水を流すか、というのはかなりシビアな問題で、ときには、その水をめぐって争いにもなるからです。水の争いは農業やっているところではどこもそうで、バリ島だけではありませんが。スリランカでは、井堰の見張り役が1日中見守っていました。

2012年には「トリ・ヒタ・カラナの哲学を表現したスバック・システム」という名前で、バリ島の「スバック」は世界遺産に登録されました。

ところで、高尾神社の境内には、1体だけ、古い狛犬と思われる像が置かれています。首から背にかけての模様は残っています。

朽ち始めた石像は、アンコール遺跡のクメール像を思わせました。人工物が自然に帰っていく過程には、そこはかとない愛おしい感情が沸き起こってきます。
 
 
 
 
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2017/10/10

【犬狼物語 其の百九十四】 茨城県つくばみらい市 板橋不動尊の犬像たち

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つくばみらい市の板橋不動尊・清安山不動院は関東三大不動尊のひとつです。本堂も立派ですが、三重塔もあります。

境内に複数の犬像が置かれています。ここは犬像を味わうには、量と質が高い場所のように感じます。

本堂への石段脇の犬像はなかなかリアルです。片方には、可愛らしい子犬もいます。

それぞれの犬像は由来が別のようです。

板橋不動尊は「お犬不動尊」と呼ばれているそうで、次のような伝説が伝わっています。

「板橋不動尊白犬の由来」という解説看板には、以下のようにあります。

「婦人が子を産み育てることは、古来より現在、未来、永劫の定めです。この喜びの反面生まれ出る子のため、母の苦しみも変わらないようです。
江戸の昔、山王新田(現つくばみらい市)で難産の婦人多く親子ともに死に至るものもあって子どもを身篭ると皆不安な毎日を送るようになった。ある夜村名主の夢枕に雌雄の白い犬が現れ、我れは板橋不動の使いなり、女人講中揃って不動尊に参詣し護摩祈願を成せば難産の苦しみを救わんとのお告があった。翌朝村人協議の上一同揃って不動尊に参詣、護摩祈願をし不動尊の使者である白犬一対奉納したところ以後当村内で難産で苦しむ者一人もなく、以来板橋不動さまを別名お犬不動尊と呼ぶようになった出産安全の霊験今に伝わっています。」

元禄年間建立と言われる鮮やかな朱塗りの楼門の本堂側の左右に、この伝説の白い犬像が鎮座します。伝説通り雄と雌の像です。(股間を覗いてわかりました)

顔がいい表情です。ちょっとおとぼけ気味で優しい感じです。

また子安観音、子安こんがら童子の両脇に、目黒不動などの母子像と似ている犬像が控えています。こちらは板橋不動内で一番古い犬像のようです。
 
 
 
 
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2017/10/09

『Fに』 ― 追悼 藤田基夫 ― 10月16日よりgalerie OUで

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『Fに』 ― 追悼 藤田基夫 ―が開催されます。

藤田さんとは1986年ごろ香港で初めて出会ってから、頻繁に中国各地で会うことになり、日本に帰国した時も、写真展などで会う友人になりました。

その藤田さんとは、この8年くらいご無沙汰してしまって、2015年4月に病気で亡くなっていたことも、共通の友人から、去年聞いて、初めて知ったのでした。

今回、追悼展を開催するということで、追悼文を書かせていただきました。

なお、掲載の写真は、藤田さんと出会ったとき、1986~8年ころの香港の写真です。この写真を藤田さんに捧げたいと思います。
 
 
 
タイトル: 『Fに』 ― 追悼 藤田基夫 ―

会期: 2017年10月16日(月)~10月21日(土)
     12:00~18:00
     * 入場無料

場所: galerie OU (ぎゃるり うー)
     大阪市中央区谷町1-3-1  双馬ビル9F
     06-6941-5587

内容予定: 故藤田基夫氏の作品、遺品、および資料(著作、写真、図録など)の展示
        友人有志による追悼展(オマージュ作品、追悼文、メッセージなど)

主催: 『Fに』実行委員会

Fujitasan
 
 
 
以下、藤田さんへの追悼文です。

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旅人同士とは、不思議な関係だなぁと思うことがあります。旅先で偶然に出会って、名前も出身地も職業も、何も知らないのに、意気投合し、会話に花が咲くことがあるからです。藤田基夫さんも、そんな人でした。

藤田さんに初めて出会ったのは香港のラッキーゲストハウスという安宿だったと思いますが、その後も80年代後半から90年代初めにかけて、頻繁に中国や香港で出会っていました。

何度も会ううちに藤田さんが鎌倉に住んでいることや芸術家であることを徐々に知っていったのです。でも、私にとっての藤田さんは「共感できる旅人」でした。肩書や出身地や年齢にもこだわらず、現地の安い食堂でいっしょに食事をしたり、町から山道を何時間も歩いて少数民族の村を訪ねたり、旅の失敗話をしたり、ということが楽しかったのです。

「芸術がどうの」とか「写真がどうの」とかいう話をした記憶はありません。もちろん帰国した時には私の写真展にも足を運んでくれましたが、あくまでもお互い「旅人同士」という関係性だったのではないかと思うし、それが藤田さんの人間性でもあった気がします。でなかったら、長く付き合うことはできなかったのではないかなと。

藤田さんと共有できた中国での時間は、私にとって、今はたいせつな宝物となっています。
 
 
 
 
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2017/10/07

秋田県大館市 「忠犬ハチ公生誕祭」

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忠犬ハチ公のふるさと大館市では、ハチ公生誕祭を実施しているそうです。

昨日のツイッター(大館市観光案内所のつぶやき‏ @odateekiannai )によると、

「《忠犬ハチ公生誕祭》10月7日(土) 10:45~11:15
JR大館駅前の忠犬ハチ公広場にて忠犬ハチ公の生誕を記念した式典が行われます。駅前のハチ公像への献花やケーキカットなどが行われる予定です。明日、駅からきりたんぽまつりにお越しになる方は立ち寄ってみてはいかがでしょう。 」

とあります。そうだったんですね。今日気が付きました。

ただ、実際にハチ公が生まれたのは、1923年11月のことです。大館駅から南西に8kmほどいった大子内の斎藤義一宅で、父・大子内山号、母・胡麻号の間に生まれました。現在住宅前には、ハチ公の像と、向かい側には、「ハチ公トイレ」が建っています。

ところで、昨日、ヴィーノの10歳の誕生日でした。最近は動きも緩慢になり、色も白くなって、歳とってきたのを、俺自身同様に感じているところです。

上に掲載の、大館駅前の忠犬ハチ公像前で撮ったヴィーノの写真は、2009年7月、日本一周していたときのものです。

こういった「忠犬」像があると、必ずその前で写真を撮られ、忠犬と比べられることにうんざりしているふうにも見えます。

有名な忠犬にはかなわないかもしれませんが、ただ、日本一周してわかったことですが、ヴィーノは、「旅犬」としては優秀でした。

ひとりで留守番できるし、どんなご飯でも食べます。車旅が好きで、吐くことなどもありませんでした。車内で阻喪したこともほとんどありません。

俺たち夫婦の旅によく付いてきてくれたと、今では忠犬であることは認めています。ただ、ヴィーノの像を建てることはできないかもしれませんが。
 
 
 
 
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2017/10/06

『全国棚田ガイド TANADAS』 棚田と自分との新しい物語

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ついに出ました。待望の棚田ガイドブック『『全国棚田ガイド TANADAS』。

多くの棚田関係者が、情報を集めたり、原稿を書いたり、写真を提供したりして協力しています。これだけの内容の濃いガイドブックはなかなかないのではないでしょうか。

先日発表された、日経新聞紙上での「棚田ランキング10選」の棚田も、もちろん含まれています。

「私たちの大切な財産である棚田を少しでも未来に残していきたいという思いから、1999年に農林水産省によって選定された「日本の棚田百選」の134ヶ所のほか、「景観が優れている」「保全活動が盛ん」「希少性がある」などの理由から厳選した合計212ヵ所の棚田を紹介。」(「BOOK」データベースより)

監修: 中島峰広
編集: NPO法人棚田ネットワーク
出版社: 家の光協会
発売日: 2017年9月26日
ページ数: 320
サイズ: 21.2×15cm
価格: 2700円

棚田ネットワークの特設ページはこちら。

http://tanada.or.jp/guidebook/
 
 
 
1999年の夏に「日本の棚田百選」が発表されてから、18年も経つんですね。

当時、すぐに百選のリストを頼りに、全国134カ所の棚田をすべて周ってみましたが、そのとき、「今さら棚田ねぇ」とか「あと数年すれば無くなってしまうよ」と、何人もの農家の人から言われたものでした。

でも、その後、棚田は世間に認知され、「タナダって何?」と聞かれることもなくなるほど市民権を得ました。

もちろん、中には、高齢化などの原因で、無くなってしまった棚田も実際あります。その現実は解決されるどころか、ますます深刻さは増しているといえるかもしれません。

それでも、棚田を多方面から再評価する動きも活発になって、棚田をなんとか残そうと頑張っている人たちも増えています。棚田は単なる米の生産現場というだけではなく、新しい価値を付与され、よみがえったと言ってもいいでしょう。

「新しい価値」は「新しい物語」と言い換えてもいいかもしれません。

各棚田には、意欲的に活動している人たちの存在があります。その人たちを抜きにして棚田保存は考えられません。この本には、その活動も詳しく紹介されています。

ぜひ、気に入った棚田を見つけて、棚田と自分との「新しい物語」を生み出してください。物語は人の心を豊かにします。そのきっかけがこのガイドブックであることを願ってやみません。
 
 
 
 
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2017/10/05

【犬狼物語 其の百九十三】 埼玉県さいたま市 久伊豆神社の「叶い戌」像

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埼玉県さいたま市岩槻区にある久伊豆神社を参拝しました。木々のトンネルを抜けた鳥居の先に拝殿が見えます。境内は静かですが、鶏が放し飼いされていて、コッコッコッという音が日本の神社では新鮮に感じます。

神社のHPはこちらです。

https://www.hisaizu.jp/

HPから以下、引用させてもらいます。

「久伊豆神社のご祭神は「大国主命」は子宝に恵まれた神様

久伊豆神社のご祭神大国主命は、子宝に恵まれ男女百八十名もの子孫がいる神様である。”大国主命”は出雲神話の主役であり、もちろん出雲大社の主祭神である。また、少名彦神と協力して天下を経営し、禁厭、医療などの道を教えた。」


久伊豆神社の境内には縁結び・安産・子育てに関係するものがたくさんあります。

拝殿右側には北野天満宮が祀られていますが、その横には絵馬掛けがあり、「叶い戌(子育て戌)」の母子犬像が近くに置かれています。

像をなでると子宝、安産に恵まれるということですが、「叶い戌」は秋田犬のメスで「子宝いぬ」とも呼ばれているそうです。

戌の周りには、子、丑、寅・ ・ ・といった干支の刻印が右回りに配されていて、自分自身あるいは赤ちゃんの干支をなでるのが良いようです。

特に、戌の日には多くの人たちが参拝します。

また、手水舎の前、拝殿に向かう石段の右側には、2本の巨木が寄り添うように立っている「夫婦(めおと)モッコク」があります。「さいたま市指定天然記念物」に指定されているモッコクは、縁結びの木として知られています。

もともとは別々のモッコクだったそうですが、今では根元同士がいっしょにくっついています。その様子が「夫婦」を連想させるのですね。

ところで、「久伊豆(ひさいず)」は「くいず」とも読めるので、「クイズ神社」として、過去にアメリカ横断ウルトラクイズの予選会場になったことがあるそうです。
 
 
 
 
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2017/10/04

今日は旧暦八月十五日、「中秋の名月」

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今日の月は「中秋の名月」。

あくまでも「名月」。「満月」ではありません。たまたま「満月」の年もありますが、基本的には月はどこか欠けています。「満月」でなくても「名月」です。いや、「満月」ではないから「名月」なのかもしれません。

不完全の美」については、以前も書いています。
 
 
夜の天気はどうなるでしょうか。

ところで、月に関しては当ブログでも何度も書いています。昔の人は、直接見るよりも、杯とか池とかに映して月を鑑賞するのが風流だったらしいと前にも書きました。

それで俺も2年前、実際やってみたことがあります。これはその写真です。

今晩も晴れれば、やってみようと思います。
 
 
 
 
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2017/10/03

【犬狼物語 其の百九十二】 東京都あきる野市 小和田 御嶽神社

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東京都あきる野市で撮影の仕事があったので、終わってから、小和田 御嶽神社を参拝しました。

ちょうどこの日(9月29日・30日)は、3日間続いている阿伎留神社の例大祭の日で、表通りは露店が立ち並び、お神輿、子供神輿が練り歩きました。山車も出たらしいのですが、それは見ることができませんでした。

御嶽神社は武蔵五日市駅から徒歩30分ほどの、秋川の南側、小高い山の上に鎮座します。どこからともなく囃子の音が聞こえ、静かな境内ですが、ウキウキした気分になります。

境内には、市指定保存樹木のヒノキやヤマザクラが立ち、秋川の流れと旧五日市町の街並みの風景を望むことができます。

社殿前には、1対のお犬さま像が鎮座しています。比較的新しいものです。台座を確かめると昭和49年(1974)4月に奉納されたようです。

神社の扁額「御嶽神社」にも、見覚えのある一対の黒い狼像が向かい合うように配されていて、社殿の前に置かれている像も、お犬さま(狼)像なのでしょうか、どうも、犬像のように見えてしまいます。

とくに、向かって左側の像は、ジャックラッセルテリアのように見えます。ヴィーノとは粗利が合わない犬種です。

それともう一対、お犬さま(狼)像があります。社殿の右奥の祠の両脇に控えている像です。

こちらは古そうです。左側のは胴体に修復の跡が残り、右側のは前足が折れてしまったようで、針金で固定されています。

ネットで調べると、以前、この古い方のお犬さま像は、社殿の中に置かれていたようです。今は、外です。いつから外になったのかはわかりません。

姿も面白い。まるでアヒルのくちばしのように出ています。今まで出会ったことのない形をしたお犬さま像です。
 
 
 
 
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2017/10/02

国道6号線を南下。北茨城市 五浦海岸の「忠犬ジョンの碑」再訪

171002_1(映画『天心』撮影に使われたロケセット)

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相馬市の道の駅を出発し、鹿島区の神社を1社、お参りしてから、南相馬市で国道6号線に出て、ひたすら南下。

雨も降っていましたが、浪江町を過ぎるとしばらくは、左右の道は立入禁止になっているので、上り下りとも、全車が前進するだけです。

たんたんとしたスピードで、車列が乱れずに走り続けるのも、ここならではの光景に違いありません。

北茨城市の五浦海岸の「忠犬ジョンの碑」を訪ねました。数年ぶりです。大雨になったので、駐車場で40分くらい待ちました。

ジョンの碑はそのままありましたが、碑文はカビが生えて、ますます読みづらくなっていました。震災当時は胴体と頭が取れてしまいましたが、今は、修復されています。

ジョンは61年ほど前、誰かに毒を盛られて亡くなった犬です。碑文では「花咲か爺」にも触れていて、犯人に対して、「そのうち、報いがあるぞ!」と警告しているようでもあります。「花咲か爺」では犬を殺した強欲夫婦はいつか罰を受けるという話なのです。

隣にあった古い教会の建物はなくなり、そのかわり、教会の鐘だったのか、新しく吊るされていました。

以前の記事はこちらです。

その後、ひたちなか市の三峯神社や、水戸市の八幡神社を参拝したあと、帰宅しました。
 
 
 
 
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2017/10/01

「東北お遍路写真コンテスト 2017年」の審査が行われました

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2017年9月27日、仙台駅から徒歩10分のところにあるSS30ビルの26Fの会議室で、東北お遍路写真コンテストの審査が行われました。写真は、会議室から見えた仙台市内の様子です。

2時間ほどかかって、最優秀賞、優秀賞、佳作、入選、それぞれの写真が決まりました。

審査員は昨年同様、写真家 齋藤康一さん、民俗研究家・東北お遍路創生委員 結城登美雄さん、東北お遍路プロジェクト理事長 新妻香織さん、そして青柳。

公式には、お遍路プロジェクトのHPで発表されますので、しばらくお待ちください。

これは今回の審査をした際の、青柳の印象です。

今年より去年の方が全般的に明るい雰囲気の写真が多かったような気がしました。去年は「復興」「未来」「希望」というキーワードを「忖度」してしまったのか(応募者も審査員も)、祭りとか景観のやたら明るい写真が多くなった感は否めません。過度に「忖度」したかもしれません。

それと比べると、今年はむしろ落ち着いてきた印象です。日常をたんたんと切り取るという意味では、コンテストとして少し成熟したのかもしれないですね。

それと被写体の絞り込みは、意識をもって撮影している応募者が多くなったせいか、写真のレベルも上がったような気がします。これも審査員一同、同じように感じたことでした。

そのことを象徴するような写真が今年の最優秀賞に選ばれました。柏舘健さんの『復興願いて』という作品です。

一見すると、震災直後の写真かなと思われる荒れた土地の風景写真なのですが、実は、これは福島県の浪江町浪江漁港近くで今年2月に撮影されたものです。

6年経っても、こんな状態であることを知って、なんとも言えない気持ちになってしまいますが、衝撃的な写真ともいえます。普通の写真コンテストでは選ばれない写真だったでしょう。

被災地の現実を、ストレートに撮影した作品ですが、写真を撮るということは、現場に自分が実際に行くことだ、ということもあらためて感じさせます。それこそ、巡礼地を自分の足でめぐってもらいたいというお遍路プロジェクトの思いと通じるところがあります。
 
 
 
 
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