「UFO」が宇宙からやってくる神なら、「狼」は深層心理に棲まう神(神使)
犬像・狼像に魅かれるのはなぜなのか、納得できる「自分の物語」を探しています。
あくまでも「俺の」ということです。人それぞれ、犬像・狼像に魅かれる「物語」が違うのはもちろんです。まだ「これだ!」というものがありませんが。
そんな中、河合隼雄総編集「講座 心理療法2 心理療法と物語」という本には、前から気になっていたことが書いてあって、あぁそうなんだ、と思いました。
それはUFOのことですが、ユングがUFOについて言及しているそうです。
この本の中の川戸圓氏の「「モノ」の語りとしての妄想と物語」にはこういう記述があります。
「UFOの物語は、現在まさに「生きている物語」となりつつある、というのがユングの主張である。…(略)… UFO伝説は、現代の「生きている神話」であると、ユングは言うのだが、何故、今、私たちが神話を必要としているのか、何故、今、私たちが神話を語り始めているのか、その理由については、現代というこの時代が、「人間性という面では暗黒」の時代であるからだという。…(略)… だからこそ宇宙の彼方から、この危機を乗り越えさせてくれるかもしれない、特別な力がやってくる、そういう話が生成してくるというのである。…(略)… この果てしない宇宙こそが、新たな天国となっており、「モノ」の棲む場所となっているのである。」
科学的合理主義が発達し、俺たちの周りから「異界」が消えてしまいました。そこで、「異界」を求める場所として、まだ未知の宇宙の果てがあります。そこに神を見るということなのでしょう。
なるほど、江戸時代にUFOを見たという話は聞きません。それは宇宙というものを、少し知ってきた現代だからこそ、UFOが見えるようになってきたということなのでしょう。「見たいから見える」のです。
『物語という回路』の編者 赤坂憲雄氏は序文で、
「物語の背後には、きまって異界やそこに棲まうモノらが蠢いている。異界とはときには死者たちの棲む他界であり、桃源郷にも似た場所であり、日常の領域のすぐ向こうに拡がっている悪所のごときものであり、また、ときには精神の内界深くに隠されている未知なる時―空であるかもしれない。物語はそうした異界の音ずれ=訪れに耳を澄ます者らにのみ聴こえてくる、幽かな異界からの言伝てである。」
と書いています。
「桃源郷」や「精神の内界深く」というキーワードは、今まで自分が興味をひかれるものと一致していて、胸にストンと落ちてくるものです。
ひるがえって、犬像・狼像を考えてみると、特に狼像に魅かれるのは、異界が関係しているのは間違いありません。漠然としてですが、狼像にはずっと「夢」「無意識」「神話」、もちろん「自然」などのイメージを持ってきました。狼像が異界へ通じるドアのようなものかもしれません。
無くなってしまった異界を、狼信仰の場合は、宇宙ではなく、深層心理に求めるということです。「UFO」が宇宙からやってくる神なら、「狼」は深層心理に棲まう神(神の使い)ではないのでしょうか。
狼像の写真を撮って、俺は異界からの言伝てを聴こうとしているのかもしれません。
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