日本経済新聞の記事「樺太犬タロ・ジロの像、なぜ大阪に?(もっと関西)」
先日、コメントを求められた日本経済新聞の記事が出ました。
「樺太犬タロ・ジロの像、なぜ大阪に?(もっと関西) とことんサーチ」
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO24365300X01C17A2AA2P00/
大阪府堺市の大浜公園に置かれている「樺太犬の慰霊碑」について、深堀した記事で、俺も知らない事実が書いてあり、へぇ~と感心しました。
その中で、慰霊像の作者、岩田千虎さんのお孫さんの自宅にはタロ、ジロらの像の原型が残っているそうです。そのうち見せていただきたいですね。岩田さんの思いがもっとわかるかもしれません。
岩田さんは獣医でしたが、彫刻は長崎の平和祈念像の北村西望さんに師事したそうです。そして多くの動物像を製作しました。各地に岩田さんの作品は残っています。
「樺太犬の慰霊碑」は、南極に置き去りにされた犬たちを慰霊するために建てられたものです。岩田さんは動物が人間に不当に扱われることに心を痛めていたようで、この慰霊像を作った動機も、そこらへんにあるようです。
15頭の群像ですが、第一印象は、悲しい群像だなと思いました。犬たちの姿は「別れを惜しみながら立去って行く越冬隊員に向かって遠吠えを続けている姿」だそうです。とくに後姿には悲しさがあふれています。
だから「犬像の中でも、これだけ人々の胸にぐっと迫ってくるものは他にないのでは」とコメントしました。
昭和33年に設置されたときはコンクリート像でしたが、昭和62年、ブロンズ像に作り代えられました。
「このカラフト犬慰霊像は昭和33年7月に南極地域観測隊の第一次越冬隊(S 32.2.15~S 33.2.11)に協力した15頭のカラフト犬の霊を慰めるため堺市在住の獣医で彫刻家岩田千虎氏が別れを惜しみながら立去って行く越冬隊員に向かって遠吠えを続けている姿をコンクリートの像に仕上げ 市に寄贈され 当時水族館の南側遊園地に設置されたものですが 像の風化が著しくなったので このたび原型像に忠実にブロンズの像に復元制作したものです 昭和62年3月31日 堺市公園部」
第3次南極観測隊がタロ、ジロと再会するのは昭和34年なので、まだタロ、ジロが生きていることはわからなかった時です。だから、全頭亡くなったと思って、この慰霊碑は作られました。
「どうして犬たちを置き去りにしたんだ?!」と、日本中から大バッシングを受けていた、その抗議の嵐の真っただ中で建てられた慰霊碑であったようです。岩田さんはその時代の雰囲気も表現したのではないでしょうか。
それと対照的なのが、東京都立川市の国立極地研究所の樺太犬の群像で、こちらは、タロ、ジロが生きていたということがわかった後で製作された像です。
こちらは犬係だった北村泰一さんの次の言葉を参考にして配置されています。
「残されたカラフト犬たちの脳裏に故郷北海道の懐かしい風景が浮かんだと思うのです」
やはり、こちらは「悲しさ」ではないんですね。
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