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2018/03/29

【犬狼物語 其の二百四十一】 京都府京都市  善峯寺の桂昌院と犬像

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京都西山の善峯寺を参拝した。

善峯寺境内には、国指定重要文化財の多宝塔や、樹齢600年以上といわれる国指定の天然記念物の「遊龍の松」など、多くの見どころが点在する。上の方にある薬師堂からの眺望もすばらしい。

桂昌院の墓所は東京都港区の増上寺にあるが、善峯寺には、応仁の乱で一部が焼失した寺の再興に尽力したことで桂昌院の遺髪を収めた「桂昌院廟」がある。また薬師堂近くの「けいしょう殿」には桂昌院と彼女の膝に前足を載せて甘えているような子犬の像が置かれている。

桂昌院と言えば、「生類憐みの令」を出した5代将軍綱吉の母親だ。

NHK「歴史秘話ヒストリア 大奥シンデレラ・ストーリー〜将軍の母・桂昌院 玉の輿物語」という番組があった。「生類憐みの令」を出した経緯に、桂昌院が深く関わっていることがわかる内容だった。

桂昌院は、京都の西陣の身分の低い八百屋の娘として生まれ、名前をお玉といった。春日局の世話で将軍家光の側室となり綱吉を産んだ。「玉の輿」という言葉が生まれたように、日本のシンデレラといえる女性だった。

本堂(観音堂)には、3匹の仔犬が玉を支え持っているようなお守り納めどころも設けられている。これは桂昌院の名前「お玉」にちなみ、3匹の仔犬が「玉の輿」を担いでいる様子を表しているという。金属工芸作家・小泉武寛氏が作成した。

家光没後は出家して桂昌院と名乗り、綱吉の教育に努めた。綱吉が学問を好んだのは桂昌院が大きな影響を与えているといわれている。

子が授からないのは良い行いが足りないからだという思いに至り、桂昌院と綱吉はすべての生き物の殺生を禁じたお触れ「生類憐れみの令」を出した。

特に犬は厳重に保護された。「犬公方」と呼ばれるほどの犬への偏愛ぶりは、人々の不評を買った。桂昌院が寺院の復興で使った多額の費用についての批判も多い。

しかし、最近は、桂昌院と綱吉の再評価も行われているようだ。寺院の復興は公共事業の意味もあったし、殺伐とした武士の世を変えたという面もある。また、動物のみならず人の保護まで包含した世界最初の動物保護法として重要だとの評価もされるようになってきた。
 
 
 
 
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