【犬狼物語 其の二百五十一】大阪府岸和田市 大山大塚遺跡公園 捕鳥部萬の白犬墓
大山大塚遺跡公園は、場所がなかなかわかりづらく、地元の人に「犬の墓(実際は捕鳥部萬の墓)があるところ」と聞いて、ようやくたどり着いた。
大山大塚古墳は天神山二号墳とも呼ばれ、直径約20m、高さ約3mの円墳で、頂上に捕鳥部萬の墓石と顕彰碑が建てられている。
また、義犬塚古墳(天神山一号墳)は、200m離れていて、頂上に「萬家犬塚」銘の墓碑があるそうだ。しかし、こちらは私有地で普段は立ちることができないようだ。
「日本獣医史学雑誌」(2001)の小佐々学氏「日本書記の捕鳥部萬の白犬墓」によると、
捕鳥部萬の白犬墓は、日本書紀に記載されているため、犬の墓を作った史料としては昔から知られた話だった。
蘇我氏が物部氏を滅ぼした戦争で、捕鳥部萬は物部守屋の近侍者だったが、戦って自刃した。萬の愛犬だった白犬が萬の首を奪って持ち去り、古い塚にその首を埋めた。白犬は首を守ってその場を動かず、そのまま餓死したという。
小佐々氏は、
「現存する大山大塚古墳と義犬塚古墳にある墓石は、江戸時代後半の国学の興隆により日本書紀という古代史料の記載を知った地元の有力者が、有真香邑に比定されるこの地の古墳を、萬と義犬の墓所に見立てて建立した墓碑と解釈するのが妥当ではないかと考えられる」
と結論付けている。
歴史的には、ここがそうだったかどうかはわからないが、古代や近世に犬の墓を作ったということ自体が、日本人の動物観を知る史料として高く評価されるものだという。
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