オウムの死刑囚たちの死刑が執行
麻原彰晃らオウムの死刑囚たちの死刑が執行されました。
突然、という印象がありますが、当局も熟慮した結果、「7人同時にこの日に」というふうになったのだと想像します。
なにしろ、麻原は黙して語らず、こういった事件の再発防止の手がかりを残さなかったところが、歯がゆいところです。
彼らはもともと「極悪非道な人間」なのでしょうか? そうではないでしょう。むしろ「普通の人間」だったはずです。
だから逆に怖いのです。「普通の人間」がある条件で変わってしまうというのは。
俺も他人事だとは思いません。年代も近く、実際、ある教団(オウムだったか覚えていませんが)の誘いで、事務所のようなところでビデオを見せられたことが2回あります。幸い、その時、俺の頭の中は「外国旅行したい」という思いが強く、この教団との関係もそれっきりで助かったのでしたが。
こんなことがあったので、俺も少しでも変な方向に転んだら、彼らと同じようなことにならなかったとは言えません。
どうしてこういったカルト教団や、最近では、ISなどのテロ集団に入ってしまうのでしょうか。
当然その人の内面の問題があります。
内面の問題とは、「普通」から外れた人のこころを受け入れてくれる「もの」あるいは「場所」あるいは「団体」あるいは「つながり」という解決策がないことです。
「どうしてISへ行こうとするのかわからない」という言葉は、俺の耳にも違和感がありました。これが一般日本人の感覚なんでしょう。この言葉の中には「この幸せな日本に住んでいるのに何が不満なのだ?」という裏の意味を感じます。
オウムの幹部も高学歴で、どうしてオウムなんかに?と思われていました。
ここです。問題は。
今の社会について疑問をもたず、淡々と生活を楽しんでいられる圧倒的多数派の人々。
むしろこの多数派の人間が本当は病的で、社会になじめない少数派の人間がまともにさえ見える社会です。そして「平和で、自由で、安全で、平等な国」というのも、しょせんは「他人の理想郷」であるし、また、建前(もっと言うなら「嘘」)であることをみんな薄々感じながらも、それを意識してしまうと生き辛くなるので、無意識に押し込めているというのが現状ではないでしょうか? だから圧倒的多数派と言っても、いつでも少数派になりえるということでもあり、結局みんな同じです。
こういう建前社会に、ついていけない人は正直なのかもしれません。建前社会になじめない少数派の人間の方が、本当はまともな人間なのではないかとさえ見えてしまうのです。
とにかく、今の社会に生き辛さを感じる少数派の人は、なかなか行き場所がありません。この内面の問題を解決しない限り、若者(若者ばかりではないですが)が、ISやオウムなどカルト集団に向かってしまう怖れは続きます。
この「内面の問題解決」こそ、これからの「テロとの戦い」でもあるのでしょう。
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