【犬狼物語 其の二百八十一】 熊本県熊本市 光琳寺通りの犬像
犬像をめぐる旅は、今年西日本から始めて、5月は北海道まで行きましたが、まだ西日本の分が残っているので、時間はさかのぼりますが、それを少しづつアップしていきます。
熊本市の光琳寺通りに犬像があるとのネット情報を得て、熊本城を訪ねたついでにその犬像を探してみました。
市役所の駐車場にいったん車を停めて、表に出たら、市役所前に案内地図があり、そこに光琳寺通りが書いてありました。
犬像は、繁華街というか、歓楽街にある馬肉の店の前に、堂々と座っていました。
通りで掃除をしていたおばあさんたちに、寺のことを聞いたら、昭和40年代、おばあさんがここに来た時には、すでに寺はなかったという。通りの名前だけが残っています。
像の台座に記されている「光琳寺通りのお話」によると、こんな話です。
昔、光琳寺(高琳寺)というお寺があった。寛永十六年、肥後細川藩初代・細川忠利公が没し、殉死が相次いだ。
犬曳き役だった津崎五助は、犬を連れて寺に行き、犬の前に握り飯を置き、「自分と一緒に殉死したければ食べるな。野良犬になっても生きたければ食べよ」と言った。犬は食べようとしなかった。そこで互助は五助と一緒に殉死したという。
津崎家歴代の墓は、光琳寺にあり、天保十一年津崎家六代目の当主がこの犬のために霊犬の墓を建てた。
また、夏目漱石は熊本に赴任してこの寺の裏に住んだという。
涼しさや 裏は鐘打つ 光琳寺
の句を残しているそうです。
ただ、市役所にも聞いてみましたが、こんな像があること自体、把握されていないようで、これ以上の詳しい情報は得られませんでした。なので、今回の『犬像』の本には入れることができませんでした。
ここからは想像というか、連想してしまうのですが…
この犬像といい、以前にアップした松浦市の「人柱観音供養塔と白犬」、大村市の「義犬華丸」など、物語には「殉死」「主人と死ぬ」というキーワードが出てきます。
この範囲と、先日世界遺産に登録された「潜伏キリシタン関連遺産」の範囲が重なっているように感じるのです。もちろん時代もばらばらなので、偶然なのでしょう。でも、犬の物語に潜伏キリシタンの話の影響はないのでしょうか。気になります。
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