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2018/10/07

『絶滅した日本のオオカミ』 (02) アイヌの「イヌ」と「オオカミ」

_87a2715(セタカムイ岩とヴィーノ)

_87a2825(セタカムイ岩と日の出)

_87a3203(新ひだか町アイヌ民俗資料館の北海道犬(アイヌ犬)の剥製)


前回に引き続き、『絶滅した日本のオオカミ』 の内容からですが、アイヌにとっても日本人にとってもオオカミは神、あるいは神の使いとして崇められていたという話は書きました。

でも、アイヌと日本人では、オオカミに対する認識の違いもあるという話です。

「恐らくもっとも基本的な違いは、日本人が低地の「現世の」農村と異なり、山をはっきりと他界とみなしたことだ。」と著者はいう。

日本人は、オオカミを山=他界に棲む生き物と考えたということでしょうか。

「韓国、中国から渡来した宗教の伝統(仏教が最有力)は、日本人のオオカミに対する態度にも影響し、絵馬・お札・石像などに見られるように、貴いオオカミを図像的な型の中に住まわせた。農村の「現世」確立と同じように、やがて、仏教の理論はオオカミを実体とはかけ離れた姿に遠く追いやった。」

とあります。

また、野生動物に対する人間の態度について、米・日・独の比較をした調査があり、その中で、「日本人は動物や自然に関する実体験よりも人工的、かつ高度に抽象化された象徴的なものを好む」と答えた。」とのことです。

確かに、お犬さま像やお犬さまのお札で表現されたオオカミ像は、実態とはかなり違う姿をしたものもあります。各地のお犬さま像はバリエーションがあり、そこが想像力の豊かさと言えるわけですが、あくまでも「お犬さま」のイメージです。

それとは対照的だったのが、アイヌの世界観です。

「アイヌにとって唯一の別世界はカムイモシリ「神々の地」だった。そこは人々も住むことができた形而上の世界だった。つまり、日本人と違ってアイヌは地の全ての生き物と分かちあう一つの世界の一員だった。アイヌにとって、動物と人間は同じ地球の生き物仲間として同じ存在空間を共有した。」

日本人が、オオカミを他界の動物ととらえたのとは違い、アイヌにとって、オオカミは、もっと近い関係だったということでしょう。

それとアイヌは「イヌ」と「オオカミ」をはっきりとは区別しなかったという話がありますが、同じ理由かもしれません。

『犬像をたずね歩く』に、北海道古平町の「セタカムイ岩」を入れたのですが、この「セタカムイ」とは、「セタ=犬」、「カムイ=神」なので、「犬の神」という意味だと書きました。

でも、地元にある資料には、「犬」ではなくて「オオカミ」という説もあるとのことでした。どうしてだろう?と思ったのですが、その理由らしきものがこの本に書いてあります。

アイヌは特定の場所をオオカミに結びつく名前を付けました。たとえば、三石と静内の間にある山を「セタウシヌプリ(オオカミが棲んでいた神の山)」、然別湖にある一つの山を「セタマシヌプリ(オオカミが天から降ってきた山)」と呼びました。

これらの山名の「セタ」をここでは「オオカミ」と訳しています。でも、「セタ」はアイヌ語で実際には「イヌ」を意味します。

「アイヌは意識のなかでいずれにしろ両者をほとんど区別していなかった。自然を識別し分類する際に、アイヌはイヌとオオカミの違いをあまり重要視しなかった。」

とあります。

村で人を助けるのが「イヌ」で、山でシカを狩るときは「オオカミ」になる。アイヌは二種類のイヌ科動物を同じように見ていて、どちらか区別が必要とされるとき、その状況次第で変わったようです。

イヌとオオカミの区別に鈍感ということは、区別する必要がなかったからで、元々アイヌは馬を飼っていなかったので、馬が食べられて、犬とは違った厄介な動物としてオオカミを意識することがなかったということでしょう。

あらためて「セタカムイ」の「セタ」はどっちだろう?と考えると、飼い主を待って、あるいは飼い主を慕って、あるいは猫を追って岩になった伝説なので、ここは「イヌ」でいいのかもしれません。
 
 
 
 
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