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2018/11/30

2019年の干支 トンパ文字「亥・いのしし・猪」

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2018年の戌年も、あと1か月で終わります。「犬」関連でいろいろとあった年でした。「犬」から「狼」に移りつつありますが。

2019年の干支は亥年です。

毎年恒例になっていますが、これは来年の年賀状用のトンパ文字で「亥・いのしし・猪」です。これは基本形なので、これから年末に向けて、違ったバージョンのトンパ文字もアップする予定です。

『納西象形文字譜(雲南人民出版社1981年)』の「猪」の文字を元に、イラストレーターで描きました。オリジナルですので、自由にコピーして使ってもらって大丈夫です。

トンパ文字(東巴文)は中国雲南省北西部、麗江を中心に住むナシ(納西)族に伝わる象形文字です。
 
ナシ族の祖先は古代中国の西北部に住んでいた遊牧民羌族で、その中の一派が南に移動し、やがて現在の麗江に住むようになったと考えられています。

ナシ族は千年あまり前、表意象形文字を作り出しました。この象形文字で、民間故事伝説、宗教経典などを著しました。とくに、この文字は、トンパ(東巴)教の経典を書写するのに用いたところから「東巴文(トンパ文字)」と呼ばれます。ナシ語では「ソチォ・ルチォ」(樹の記録・石の記録)と呼び、千数百種類(1200~1300とも言われる)の文字があります。

トンパ文字で著したトンパ経典は現在でも、中国内外に2万冊ほどが残っています。経典の内容は、宗教、民俗、歴史、文学、天文歴法、哲学など多岐にわたっています。古代ナシ族の「百科全書」と呼ばれるゆえんです。

宗教儀式同様、今ではこのトンパ文字を読める人間もほとんどいなくなってしまい、トンパ文化研究所を中心に保存活動が行われています。

でも、最近ではトンパ文化が見直されて、学校でも教えられているというニュースがあったので、これからもトンパ文字は生き続けていくかもしれません。
 
 
 
 
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2018/11/28

依田賢太郎著『いきものをとむらう歴史-供養・慰霊の動物塚を巡る』

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これは面白いなぁと思いました。

こんなにいろんな動物の塚が日本には存在するんだなぁと。もちろん犬像・狼像を探して歩いている身なので、前から、多いとは感じていました。それ以外も含めれば、日本全国動物の塚だらけです。

「おわりに」には、次のように書かれています。

「私が調査した動物塚の数はわずか五百数十基に過ぎませんが、対象となる動物はすでに百数十種に及んでいます。このような文化は世界に類例がありません。」

500数十基というのはすごいですね。

こんなに塚があるのは日本だけらしい。著者は外国の塚も調べています。

どうして塚を作るのか?というのは素朴に思います。

著者は、

「私は人間が生きものである人や動物の死に直面した時の衝撃は人種によって変わることはないと思っています。 (略) そして、その衝撃への対応の仕方には文化が大きく影響します。日本人は動物の死への対応の一つのあり方として動物塚を選びました。」

と書いています。「塚」に走るのが日本的ともいえるわけですね。感謝や思い出などプラスの気持ちと反対に、後ろめたさや祟りを鎮める装置として「塚」を作っているということらしい。

本では犬塚についても触れています。俺は主要な犬塚は訪ねたと思っていましたが、本にはそれがすべて載っていたので、やっぱりこれ以上の主要な犬塚は、現時点ではなさそうです。

「現時点」と書いたのは、これから新しい塚が造られるかもしれないからです。時代が下るにしたがって、塚の建立件数は増えているそうなので。

これには、今まで知らなかった狼塚の情報も載っていました。そのうち訪ねようと思います。
 
 
 
 
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2018/11/24

『日展』 新国立美術館

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新国立美術館で『日展』のほか、『生誕110年 東山魁夷展』もやっていたので、こっちも見ようと思って行ったのでしたが、祝日ということもあって、大混雑だったので『日展』だけにしました。

東山魁夷といえば、写真を撮り始める前、大学の図書館にあった緑川洋一、白川義一、並河万里の風景写真といっしょによく見ていた日本画家です。

チベットやメコンなど、大陸の風景や人間にのめりこんでいく素地は、この時期作られたのかもしれません。

ところで、『日展』ですが、展示作品は膨大な数になるので、1Fから2Fにかけて広い会場を周るのはけっこう疲れました。(「書」は割愛しました) でも、たくさんの絵に囲まれる空間は、やっぱりいいですね。『日展』の醍醐味です。

『日展』は明日25日(日)までです。

新国立美術館のHP

http://www.nact.jp/

いっしょに行った友だちの親戚が、昔、『日展』で総理大臣賞を取ったらしく、その自慢は来るたびに聞かされているのですが、本人は芸術とは関係のない会社員です。

日本画は風景、洋画は人物が多かったようです。今年あるところで、貴重な日本画の屏風を数点鑑賞したので、工芸部門の屏風はよく見てしまいました。

写真を使った屏風を作ってみたくなっていますが、まったく知識がありません。

それと一応、彫刻では「犬像」を探してみましたが、ほとんどは人の像で、犬像はわずか2点。これを少ないと考えるのは、犬像写真家だからでしょう。

「撮影禁止」の作品以外は個人的撮影はOKなので、撮影させてもらいました。上に掲載の犬像は、屋田光章氏の「特選」になった『ワンハート(ユメと私)』という作品です。
 
 
 
 
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2018/11/23

「勤労感謝の日」は「新嘗祭」

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1948年(昭和23年)に制定された勤労感謝の日、11月23日という日は、昔は「新嘗祭(にいなめさい、しんじょうさい)」の祭日でした。

今日、宮中の神嘉殿では儀式が執り行われます。伊勢神宮にも天皇の勅使が派遣されます。

「新嘗祭」は五穀(とくに稲)の収穫を祝う収穫祭です。飛鳥時代の皇極天皇の時代に始まったものでした。天皇が五穀の新穀を供え、自らもこれらを食して、その年の収穫に感謝するというものです。

旧暦11月の2回目の卯の日に行われていましたが、明治時代に太陽暦(グレゴリオ暦)に改暦して以降は、毎年11月23日に固定されて行われるようになりました。

それは、その年の「11月の2回目の卯の日」がたまたま11月23日だったので、翌年からもそのまま11月23日になったそうで、11月23日に特別な意味はないんですね。(もともとは旧暦だったし)

でも「新嘗祭」は、敗戦後GHQの占領政策で、天皇行事・国事行為から切り離され、一応表向きは「勤労感謝の日」になりました。天皇という精神的支柱を失わせ、日本人を団結させないためのアメリカの政策です。「勤労感謝の日」というのもアメリカから提案された名前だそうです。なるほどね。

稲に宿る精霊のようなもの「稲魂(いなだま)」を信仰する習慣とともに、収穫祭という意味で、中国南部に住んでいるミャオ族など少数民族にも初穂を捧げる儀礼のような、似た祭りは多くあります。カミに感謝し、収穫を祝うという農業民族にはごく自然な行為なのですが…

(参考: wiki新嘗祭勤労感謝の日)
 
 
 
 
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2018/11/22

今日からは二十四節気「小雪」、七十二候「虹蔵不見(にじかくれてみえず)」

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今日からは二十四節気「小雪」、七十二候「虹蔵不見」です。

七十二候は「虹を見かけなくなる」などといった意味ですが、冬場は日の光が弱まるので虹をあまり見ないということなんでしょう。虹は「夏」のイメージの方が強いかもしれないですね。

2、3週間前には山形県にいましたが、連日同じように雨が降ったり晴れたりして、夏の虹のように強烈な色彩にはなりませんでしたが、4日間ほど連続で虹を見ました。

これは、実家から写真展会場に向かうとき、慈恩寺方向に見えた虹です。

 
 
 
 
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2018/11/20

「東北お遍路写真コンテスト2018」の受賞作品

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「東北お遍路写真コンテスト」も3回目を迎えて、被写体の変化を感じます。津波の爪痕などの「非日常」の写真から、「日常」の写真への変化といったらいいでしょうか。それは復興が確実に進んでいるということでもあるでしょう。その過渡期の記録という意味でも貴重な作品群であったと思います。

上に掲載の写真は、最優秀賞を受賞した藤島純七さんの作品『復興を願って』です。毎年5月5日に開催される宮城・東松島のイベントで撮影されたものだそうです。迫力のある写真です。おめでとうございます。

他の受賞作品は、こちらのページに掲載しています。

「東北お遍路写真コンテスト2018」の受賞作品
 
 
 
なお、次回(2019年)からの写真コンテストについては、やり方が変わってくるかもしれません。

今までは、応募者にプリントしてもらい、そのプリントを送ってもらっていましたが、それを変えて、「データで応募」というふうなことです。

それと募集期間を長くすることなどです。

まだ検討段階ですが、決まりましたら、お知らせいたします。
 
 
 
 
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2018/11/19

山形県山形市  成沢・八幡神社の石鳥居と長栄稲荷神社の狛狐像

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上山市の「狼石」を見たついでに、前から気になっていた山形市成沢の八幡神社を参拝しました。

神社には国指定重要文化財に指定されている石鳥居があります。

どっしりとした重量感のあるフォルム。どこかクメールの石造にもつながる原始的な印象に、心の深いところを揺さぶられるようです。

この石鳥居は、凝灰岩製、総高436cm、柱は直径99.5cmで、平安時代末期の造立と推定されています。元木地区の石鳥居も同時代と推定され、2鳥居とも、日本で最古に属する貴重な石鳥居です。

以前訪ねた時の元木の石鳥居の写真はこちらです。

元木の石鳥居

なお、八幡神社の横に長栄稲荷神社がありました。神社前に控えている1対の狐像は欠けた部分もあって、かなり古そうに見えます。写真はその狐像です。
 
 
 
 
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2018/11/18

【犬狼物語 其の三百九】 山形県上山市 狼石と斎藤茂吉

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山形県の狼信仰(と、いうより狼伝説)、今回は、上山市の「狼石」です。

ちょっとびっくりするような石です。アダムスキー型のUFOにも似ています。「何かある」と思わせる雰囲気を持っています。噴石なのでしょうか。ここを昔の人が特別な場所と考えたのもわかるような気がします。

「パワースポット」や「磐座」と言ってもいいのかもしれません。

石の表面に、雨で穿たれた穴なんでしょうが、狼の足跡にも見えてしまいます。

「南山形自然・歴史野外ミュージアム」の開設看板によると、

上山市金瓶地区にある東西12m、南北7m、高さ約3.3mの巨石は「狼石」「大石」と呼ばれています。

昔、ここに狼の巣穴があったのでこの名が付けられました。また石の下は洞窟になっていて、狼の子が生まれると、村人はそこに食べ物を届けました。

また、この金瓶出身の歌人・斎藤茂吉は狼石のことを歌に詠んでいます。

 金瓶の向ひ山なる大石の狼石を来つつ見て居り
 (昭和22年作 歌集『白き山』)

 山のうへに狼石と言ひつぎし石は木立のかげになりぬる
 (昭和17年作 歌集『霜』)
 
 
また、ふるさと塾アーカイブスの「おおかみ石(上山)」には、伝説を元にした切り絵風紙芝居が掲載されています。

http://www.yamagata-furusatojuku.jp/material/654/

その内容を要約すると、

蔵王が噴火して大きな石が飛んできました。その中のひとつ、大きな石の根元には穴が開いていて、狼の親子が棲んでいました。

父狼が穴から出た時、人の行列を見ました。それは庄内のお殿様の行列でした。行列の家来は、籠から下りたお殿様に「殿、だいぶ歩きましたので、ここで一休みしてください。この石に腰を下ろしてください」と言いました。

お殿様は、石に腰かけ「今日は、蔵王の山がきれいに見えるのう」といって山の景色を眺めました。

父狼は、この石を「殿様石」と呼んでいると、子狼に教えました。

ある日のこと、最上義光公の行列が近くにやってきました。義光公は、お城の庭に置く石を探したら、みごとな石を見つけました。それは狼親子が棲んでいる狼石でした。

お城に帰った義光公は、「あそこにあった一番大きな石を置けば、立派なおつぼ(中庭)になるから運んでくるように」と言いました。

家来たちが石のところへ行くと、穴から顔を出したのは、狼の子どもでした。父狼は、石の上に立って、家来たちをにらみつけていました。

家来は、「殿がみつけた石は、狼の親子が棲んでいる石でした」と報告すると、義光公は「う~む。狼の親子が棲む石であったか。それを城に持ってくるのは、狼の家を取り上げることになるなぁ。あのような立派な石はふたつとはないが、しかたない、あきらめよう」と言いました。

狼は犬くらいの大きさで、人が飼っているニワトリやヤギなど、何でも食べてしまうので、人に恐れられていました。

しかし、この狼石に棲んでいた狼の親子だけは、人懐こくて、金瓶の人たちは可愛がっていました。

村人は、狼の子どもが生まれると、じょぶに育つようにと、うまいものを持って行って狼にあげていました。

以上、こんな伝説です。
 
 
現在、狼石の近くまで開発の手が迫っています。巨大な太陽光発電所も建設中です。「狼石」と名付けられた物語が石を守っているようです。

撤去されることは当分ないと思いますが、この場所にあるから価値があると思うので、移動した時点で、「狼石」は物語を失い、単なる「石」に変わってしまうかもしれません。

単なる「石」なら、砕いて道路の材料にしようが、どうしようが気にならなくなります。
 
 
 
 
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2018/11/17

今日から、二十四節気「立冬」、七十二候「金盞香(きんせんかさく)」

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今日からは、二十四節気「立冬」の末候「金盞香(きんせんかさく)」です。

七十二候でいう「きんせんか」とはキク科の金盞花(キンセンカ)ではなくて、水仙のこと。

写真は千葉県鴨川市・大山千枚田です。

水仙の見ごろは正月ころ。吉祥をあらわす花でもあるそうです。
 
 
 
 
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2018/11/16

【犬狼物語 其の三百八】 山形県高畠町 柏木目・熊野神社内 「山津見神社」の碑

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宮城県村田町歴史みらい館の「オオカミ展」では、東北地方の狼信仰には、三峯神社、山津見神社、その他の山神信仰の3系統があるそうですが、山形県に山津見神社や碑が、3カ所ほど紹介されていました。

その中の1カ所は、先日書いた高畠町の「山津見神社(和田遥拝所)」で、もう1カ所は柏木目・熊野神社内の「山津見神社」の碑です。

熊野神社は、主祭神が伊弊諾尊(いざなぎのみこと)と伊弊再命(いざなみのみこと)の二柱で、例祭は4月15日です。創建は定かではありません。

小さな神社ですが、苔むした古碑が10基ほど並び、古さを感じさせます。

「山津見神社」の碑は2基立っていますが、右側には「古峯神社」とも刻まれています。

山津見神社の本社は、福島県飯舘村佐須の虎捕山に鎮座しています。狼の天井画で有名ですが、平成25年の火災で神社は全焼してしまいました。

平成27年11月に神社が再建され、現在の狼の天井画は、東京藝術大学の大学院生たちが描いて再奉納されたものです。

以前参拝した時の記事はこちらです。

【犬狼物語 其の二百】 福島県飯舘村 山津見神社の狼の天井画

また境内には、珍しい板碑があります。高畠町のHPによると、

「本神社境内にある板碑は型の種類ある中で、龕殿型板碑(がんでんがたいたひ)として高1m15cm、巾1m、厚さ15cmの碑に棟(むね)を作り、内側に高さ85㎝、巾75cm、深さ10cmの室を彫り、奥壁に高さ85cm、巾35㎝、額部突起5cmの双式板碑を陽刻している。文献によると種子は釈迦、左は阿弥陀らしく見えるとあり。」

とあります。
 
 
 
 
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2018/11/15

【犬狼物語 其の三百七】 山形県尾花沢市 「三峯山神社」の碑

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山形県尾花沢市の細野・三峯神社を探しました。

先日、村田町歴史みらい館の「オオカミ展」で展示されていた、山形県で唯一の「三峯神社」です。

まず市役所を訪ねて狼信仰の情報を聞きました。

職員に細野出身者の人がいるというので、違う課でしたが、その人に引き合わせてくれて、三峯神社のことを聞いてもらいましたが、その人は40代くらいの人で、三峯神社につきては知りませんでした。当然狼信仰についても聞いたことはないといいます。

地元の詳しい人に電話して聞いてくれて、たしかに碑が立っていることが分かりました。住宅地図にも「三峯神社」と載っていたので、そのコピーをもらったのですが、あとでgoogleの地図を見たら、googleにもちゃんと出ていました。場所は意外とあっさりとわかりました。

細野地区は、市役所から南になります。こんなところがあったのかと思うほどの、紅葉が美しい谷沿いに進む道を南下します。かつてこういうところにも狼が棲んでいたんですね。

細野に着きましたが、地図の場所に神社が見当たりません。山を回り込むと、小川が流れ、橋があり、民家が1軒ありました。近づくと民家の脇の山道から入って行くらしいことがわかりました。道標と階段が見えたのです。

このお宅前に人がいたので神社のことを聞いてみると、上には3つのお堂(資料では、阿弥陀堂と地蔵堂)があって、「3つあるうち、1つはお堂が崩れていますが、その脇に石碑がいくつか立っています」と教えてくれたので、それかもしれないと思って、上がって行きました。

奥の崩れたお堂のそばまで行くと、確かに古碑が数基並んでいましたが、どれも「三峯山」ではありませんでした。

最初のお堂に引き返し、今度は反対の方へ進むと、別なお堂の前にポツンと碑が1基立っています。近づいて見ると、これが「三峯山神社」の碑でした。

昭和17年建立の碑です。今まで見てきた碑は、江戸末期とか明治時代のものが多かったので、逆に、どうしてこんなに新しいんだろう?と不思議に思って興味が出たというのは、先日触れたとおりです。

村田町歴史みらい館の専門員・石黒さんによると、日露戦争の時(記憶が不確かですが)にも、三峯の碑を建てたものがあるそうで、この昭和17年の碑も、戦争がらみではないかというのです。

昭和17年というのは、1月には日本軍がマニラを占領、2月にはシンガポールを陥落させ、5月にはビルマのマンダレーを占領するなどした年です。戦争に突き進んでいた時期です。

だから、三峯信仰(狼信仰)には、武運長久の祈願もあったのではないかというのです。それならわかります。今さら狼の被害はないし、猪鹿除けでもないでしょう。

安政5年に大流行したコレラに効くといって、三峰山のお犬さま信仰が流行りました。コレラは、「コロリ」と呼ばれ、この世のものではない異界の魔物の仕業だと考えられたようです。

魔物は、根源にいる悪狐・アメリカ狐で、それを退治してくれるのは狐の天敵の狼しかいないということになりました。そして狼を眷属として祀る秩父の三峯神社に着目したのは自然の成り行きだったろうというのです。(高橋敏著『幕末狂乱 コレラがやって来た!』参照)

このようにコレラが発生した時、アメリカ狐除けとして信仰されたことから推測すると、狼が持っている「強い」「勇敢」などのイメージともあいまって、戦争での敵除けや弾除け、武運長久の祈願で碑が立てられた可能性はあるのかもしれません。

ただ今のところ、資料もないので、本当のところはわからないというのが実情です。これからの研究で明らかにされるかもしれません。
 
 
 
 
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2018/11/14

【犬狼物語 其の三百六】 山形県鮭川村 山の神神社付近の狼穴

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山形県の狼信仰について調べてみましたが、最上町に引き続き、今回は、鮭川村です。こちらも出典とともに、記録しておきます。

山形県北部、鮭川村にある山の神神社が鎮座する集落は小舟山だと聞いていて、「山」という地名から山の中を想像していたら、意外にも開けた水田地帯でした。

小舟山は、鮭川村の東端に位置し、北側は真室川町、東側は新庄市に繋がっています。

『鮭川村史 集落編』(昭和61年)には、小舟山が大草原であったことが記されています。

「牛潜川北東部に広がる大地は塩野といわれ、広漠たる原野と雑木林がつらなる土地であった。そこは村域である水野新田・小舟山の集落がある。さらに、新庄市昭和地区へとつながっている。

・・・略・・・

この地区に本格的な開発がはいるのは、明治期から大正期になってからである。明治三十三年(一九〇〇)軍馬補充部が設置され、馬の飼育にあたったので、輪耕による焼畑や萱刈場としての活用が停止された。

・・・略・・・

小舟山は、水野新田の北東に位置し、同じ続きにある。明治時代は五戸であったという。・・・略・・・現在二二戸の集落となっている。」

また『真室川町史』(昭和44年)の「狼穴 小舟山」という項目(原典は『豊里村誌』)には、

「旧藩時代には小舟山方面の一大平原は草原であり狼のすみ家で、里の馬や犬、鶏などがたびたび食い殺され、子どもでも食われることがあった。村人は、狼群を”千匹群”といって、旅するものの最も警戒するところであった。里人は之を恐れ、中には神として祭る者もあった。小舟山の東、山の神神社の北に狼穴というのがある。穴の中が二メートルの大きさで付近には大小十余の抜け穴がある。文久年間ごろから、この穴にすんでいた狼が子を産んだ時近郷の人は、「狼さまのお坊子なし見舞」といって、握り飯などを持って行っては、恐る恐る穴の中に置いてきたという。」

とあります。

小舟山の集落に着いたとき、特別養護老人ホームがあり、職員らしい人が駐車場にいたので、「このあたりに山の神神社があるそうですが、知りませんか?」と聞いてみましたが「知りませんねぇ」とのこと。

適当に周っていると、こんもりとした杜があって、そこに白木の鳥居の先に社殿が見えました。ここではないかなと検討をつけて上ってみました。

社殿の戸は閉められていましたが、左右に引き戸を引いたら開いて、ご神体なのか、左側に丸い石と、右側には陶器製らしい像、それとお賽銭箱が置かれてありました。

その下には「山の神様 建立 昭和貮拾九年八月吉日 屋根替 平成八年八月吉日」と書いた札が置いてあります。

『鮭川村史』や『真室川町史』によると、この近くにかつて、狼の穴があったらしいのですが、それはわかりませんでした。

というより、自分で探すのは至難の業です。また、集落には廃屋も多いようで、まったく人の気配がなく、地元の話を聞けないし、たとえ聞けたとしても、笹森集落のことから推測すると、狼の穴を知っている人はもういないかもしれません。

役場でも聞いてみましたが、史料以上のことはわかりませんでした。狼信仰があったことさえ、初めて聞いたとのことです。

かつてここは狼が棲んでいた草原で、「狼さまのお坊子なし見舞」という祭りも行われていました。当時を想像しながら風景を眺めてみます。

旅人として一人で歩いていたら寂しいところではあったかもしれません。特に夜は怖かったでしょう。

現在は、神社の周辺には棚田が広がっていて、今の時期、稲はすでに刈り取られ、切り株が残っている状態です。

あぜ道を狐が一匹歩いていたので急いで写真に撮ろうとしましたが、こちらを伺いながら森の中へ入っていってしまいました。
 
 
 
 
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2018/11/13

【犬狼物語 其の三百四~三百五】 山形県最上町 笹森と本城の「三峯山」の碑

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287a0460z(最上町 本城の三峯山の碑)

287a0469z(最上町 本城の三峯山の碑)

287a0443z(最上町 本城の三峯山の碑)

287a0474z(最上町 本城の三峯山の碑向かいの稲杭の立つ田んぼ)


せっかく山形県に滞在しているんだからと、地元の狼信仰を調べてみました。

村田町歴史みらい館のオオカミ展で、あまり山形県に狼信仰の神社がないことがわかったので、逆に、探求欲が刺激されてしまいました。

すると、いくつか見つかりました。山形県北部の最上町や鮭川村では、「狼穴」や「おいの祭り(狼祭り)」が行われていたという資料を見つけました。

少し長くなりますが、いずれ本の原稿にするつもりなので、忘れないうちに出典とともに書いておきます。

『最上町文化財資料第十一集 小国(最上町)の年中行事と祭事』(最上町教育委員会)や、『最上町史 下巻』には、笹森の自然石の「おいのさま」の写真や、おいの祭りの記述があります。

「この祭りは馬産にまつわる習俗の一つで、「おいの」とは「おいぬ」のことつまり狼のことである。その昔「庄屋の馬が狼に食い殺された」とか「馬捨馬(死馬を埋める場所)の馬が食い荒らされた」というそんな伝えが残っているのを見ると、狼はたいへん恐ろしいものと受けとめていたにちがいない。ともあれ村人はその難を逃れようと、荒れる霊を祭り鎮魂したのである。その行事が習俗となって、長く伝承されてきた。」(『小国(最上町)の年中行事と祭事』より)

祭りは1年に3回行われていましたが、決まった日ではなく、村々でまちまちだったようです。

「この信仰の源は秩父の三峯山であるといわれるが、その流れを汲んで、遠い昔からどの村でも、「みつみね山」あるいは「三峯神社」と称して、祀ってきたのである。その場所は、放牧地または採草地への登り口とか、その道筋である。またお宮の建物とてなく、自然石や「三峯山」、「三峯神社」などと刻んだ切石の碑を立てているに過ぎない。

・・・略・・・

当番が立てられ、例によって餅米五合ずつを集め赤飯をつくり、組中の人たちがここにお詣りする。時には前森原(放牧場)を通り抜けししどの沢までお詣りにいく。この「しし」は獣を意味し、この場合は狼と考えられる。「ど」は閉ざす「戸」のこととすれば、昔、このあたりから狼が襲ってきたものだ。だから「おの原」の狼を、ここで祀らなければならない。いわばこの沢から出てこないように祀るのである。そこはかなりの山奥で、その沢いり(奥)に、ほら穴のようなところがあり、そこに赤飯をあげて拝むのであった。もちろん誰でもが行くわけではなく、元気な若者たちが何人か代表してのことだったそうである。」(『最上町史 下巻』より)

いつの時代の情報かわからないので、たぶん、祭りはもう行われていないだろうとは思いましたが、その痕跡を訪ねてみることにしました。

まず、自然石の「おいのさま」の写真が載っていた最上町の笹森集落を訪ねました。

80歳くらいのおじいさんがいたので話を伺ってみましたが、狼信仰・おいの祭りなど、聞いたことがないという。碑なども見たことはないそうです。

川向の人が昔の古いことを知っているかもと紹介されて、その家を訪ねました。

対応してくれた人は昭和29年生まれだそうで、

「昔この村で、おいの祭りという狼信仰の祭りが行われていたようなんですが、聞いたことないでしょうか?」

「狐に化かされた話は聞いたことはありますが、狼は知らないですね」

「お犬さま」「おいの」などの言葉も聞いたことはないという。彼のおじいさんからもそんな話は聞いたことはないし、知らないという。「三峯山」の碑も見たことないという。念のために、奥の部屋にいた彼のお父さん(90歳くらい)にも確かめてもらいましたが、お父さんでさえ、「お爺さんからも聞いてない」とのこと。

まぁそんなものだろうと予想はしていましたが、碑くらいは見つかるのでは?と期待していたので、正直がっかりです。

でも、「ここは東京オリンピックのころまで馬を飼っていたんです」という。俺はピクッと反応しました。もともとここは馬産地だったというのは本当だったようです。だから狼祭りが行われていたのでしょう。

この近くには奥の細道も通っているらしく、今まで何度か、奥の細道について聞きに来た人はいたが、狼信仰については初めてらしい。

次は最上町本城に向かいました。

三峯神社を探して集落を周っていると、ある民家におばあさんがいたのであいさつしました。そして三峯神社を聞いたら、「私はよそからきたので、お父さんに聞いてみます」と言って、彼女の旦那さんを呼んでくれました。

おじいさんに三峯神社のことを聞いたら、「三峯山のことか?」というので、そうですと言いました。お祭りはやっていないが、ちゃんと注連縄もかけて、碑は祭ってあるということでした。

おじいさんから教えられたとおり、集落を抜け、ずっと田んぼの横の農道を進んでいくと、杭架けの稲が残る田んぼの近くで作業をしていたおじさんがいたので尋ねると、「三峯山」の碑は、その田んぼの真向かい側にありました。

木の鳥居の奥、1mほど高くなったところに大きな岩があり、その上、右側に「三峯山」の碑と、左側に石祠が鎮座しています。年代はわかりませんが、祠の側面には人の名前らしいのが読み取れました。

祭りの場であった碑についてはこう書いてあります。

「いたって粗末な碑で、自然石の場合が多い。なかには本城村の「三峯神社」と切石に刻んだ立派なものも残っている。」(『小国(最上町)の年中行事と祭事』より)

本城の「三峯山」の碑は、最上町では立派なものであるようです。

狼信仰はまた、狼の多産のイメージから豊作のイメージにつながったようで、稲作の豊作祈願にもなっているそうです。この田んぼの真ん前に「三峯山」の碑があるのは、なんだか象徴的な光景です。
 
 
 
 
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2018/11/12

【犬狼物語 其の三百三】 宮城県加美町 三峯神社の狼の木像

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三峯神社の社は、運動公園の横で、用水路が流れている道沿いにありました。たぶんこれが旧道なのでしょう。

天気次第では、扉が閉められていると聞いていましたが、この日は天気が回復したので開いていました。

高さは約25cmほどの白っぽい木像2体が納められています。夫婦のように寄り添った狼像ですが、素朴な木彫りに温かみも感じます。

20mほど離れたところに10基ほどの古碑が並んでいて、こちらも気になりました。その中に巨大な「湯殿山」碑があります。

あとで調べたら、

「安政2年(1855)に建立された碑で、邑主古内千代実氏です。この碑は、信仰の深い人々が出羽三山への参詣記念に建て、水の神、作の神として信仰されました。」

とありました。(宮城県公式Webサイトより)
 
 
 
 
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2018/11/11

長瀞町「月の石もみじ公園ライトップ」

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埼玉県長瀞町の「月の石もみじ公園ライトップ」に行ってきました。

11月3日(土)~25日(日) 16時~21時

桜のライトアップは見たことありますが、紅葉は初めてかもしれません。

「犬連れOK」だったので、ヴィーノも連れて行って、雑誌用の写真もと思って撮影したのですが、疲れる疲れる。人の多さに興奮したのか、落ち着きがなく大変でした。

でもこんなヴィーノでも「アイドル」なので、イメージは崩さないような写真にはなったかなと思います。
 
 
 
 
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2018/11/10

【犬狼物語 其の三百二】 宮城県 村田町歴史みらい館の企画展「再び、オオカミ現る!-東北地方の狼信仰-」

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先日、山形での二人展のため、10日間ほど山形付近にいましたが、宮城県村田町歴史みらい館にも寄ってみました。

ここでは、12月19日まで、企画展「再び、オオカミ現る!-東北地方の狼信仰-」が開かれています。

http://kahopyon-event.com/evtdisp.php?id=21022&utm_source=dlvr.it&utm_medium=twitter

訪ねたのは11月1日でしたが、会場を入って、まずその「お犬さま圧」がすごいなと思いました。

それはこの展示を企画・準備した同館専門員の石黒伸一朗さんの熱意そのままであることを、展示品を説明していただいて感じました。(石黒さんには「犬像」でもお世話になっています)

なんと1階だけでは収まらなかったので、そのうち2階にも展示するとのことでした。(東北各地の山津見神社の写真パネルなど。もう展示されているかも)

東北の狼信仰について、これだけ内容の濃い展示は初めてで、もちろん、今回初公開の資料もたくさん展示されています。

とくに目を引くのは、横6メートル、縦1.4メートルの巨大な垂れ幕です。高さ1メートルものお犬さまの姿が向かい合って座っている絵です。福島県相馬市小高区の山津見神社の祭礼で掲げられる垂幕だそうで、この祭礼が10月17日だったので、翌日借りて、企画展が始まる10月19日に間に合わせたという話もうかがいました。

「明治廿七年 旧八月十七日」と書いてあるので、もともとは旧暦八月十七日に行われていた祭りだったようです。もちろんこれも初公開です。将来、文化財に指定されるかもしれません。

それと東北各地の三峯神社の写真パネルには興味を持ちました。ほとんどすべて、石黒さん自身が探して撮影した写真です。中には藪に覆われたところを自分で木を伐ったところもあるそうです。

総本山が埼玉県秩父の三峯神社は、北は北海道礼文島から四国の徳島県まであります。狼信仰の影響力の広がりを感じます。ただどういうふうに、いつ、広がったのかといったところは、これからの研究になるとのこと。

それと、俺の出身県である山形県にはあまり三峯神社はなく、展示では、尾花沢市の「三峯山神社の碑」の1カ所だけです。

それで後日、実際山形県に戻ってから尾花沢市の細野地区に鎮座する三峯神社を訪ねました。「昭和17年建立」という妙に新しいのも興味をひかれたところです。その詳しい話は、石黒さんの見解とともに、後日【犬狼物語】で書く予定です。
 
 
 
 
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【愛犬物語】から【犬狼物語】へ

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すでにお気づきの方もいるでしょうが、今まで【愛犬物語】としていた連載ですが、300回を越えたことをきっかけに、犬狼物語に変えました。

犬のことを調べていくなかで、犬と狼を完全に分けるのは難しいことがわかってきました。この曖昧さが日本的と言えるのかもしれませんが。

今になって考えてみると、【愛犬物語 其の一】は、秩父のお犬さまの「オイヌゲエ」ことからはじめているので、当初から【犬狼物語】でもよかったのかもしれません。

最近は、棚田の「どんぴしゃの季節」以外の写真と、「狼信仰」の痕跡を訪ねる旅が多くなり、自然と「犬」よりも「狼」が多く登場することになりそうです。

まぁ、「犬像」に関しては、2冊書籍にしてやり切った感もあるし。ただ、犬像の写真展に関してはこれからも続くし、新しい犬像が見つかれば見に行きます。

それと、「犬」に関して、ある別な企画を思いつきました。それはヴィーノとずっといて思いついた企画なのですが、より「写真」に寄った企画です。

ただ、どうやって見つけるかということもあるし(少なくとも50例くらいは欲しいところです)、それと、あるタイミングがあるので、時間的な制約もあるし、そもそも、その犬の飼い主さんが許可してくれるか、という問題もあって、すぐにできるかはわかりません。

でも、これは、俺自身の心の問題とも絡んでいて、その写真を撮れれば、犬と人との最高の瞬間なのではないかなと密かに思っているところです。

この本の最後の写真は決めています。それはヴィーノと俺と妻の写真です。
 
 
 
  
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2018/11/09

奥多摩湖と七ツ石神社への登山道の紅葉

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七ツ石神社のお披露目が11月7日に行われたという話を昨日書きました。

当日は、霧と霧雨で、お犬さまが実際現れそうな、幻想的な天候でしたが、盛りは過ぎたとは言え、いや、だからこそと言うべきか、紅葉も記録しておこうと思います。奥多摩湖と登山道で撮った写真です。

「盛りは過ぎたとは言え、いや、だからこそと言うべきか、」と書いたのは、この前山形で写真展を開いたとき、久しぶりにお会いした美術の先生が(自身も絵を描いている画家ですが)、自然はどんな季節でも、どこを切り取っても美しいんだ。若いころは、花なら目立つ花を描いて、葉や茎や根まで目が行きづらかったけど、この歳になると、花そのものよりも、葉や茎や根を細かく描くことも苦にならなくなってきたよと言ったことが気になっていたからです。

それは、日本の美が「不完全さの美」ということと通じるのかもしれませんが、紅葉も真っ盛りの日だけがいいのではなく、むしろ、「いつでもいいんだ」という境地になってこそ、本物を知ることになるのかなぁとも思うのです。

まぁ、正直言って、そこまでの境地になるには、あと何年かかるかわかりません。いや、一生わからないまま終わってしまうかもしれません。

ただ、自分の意志だけで、撮影の季節、場所、時間を選ぶことは、「美しい写真」を撮るにはいいかもしれませんが、そうなると、自分の意志から抜け出すことが難しくなるのではないかとも思います。

今回のように、他人の都合に合わせて訪れた場所と日に出会う光景というのは、少なくとも俺の意志で選んだ光景ではないというところが大切なことなのではないか、とも思うのです。
 
 
 
 
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2018/11/08

【犬狼物語 其の三百一】 山梨県丹波山村 七ツ石神社のお犬さま

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昨日は七ツ石神社の公開日でした。

七ツ石神社は文化財として指定し、平将門伝承と狼信仰の民俗的財産を活かし、村おこしにつなげていこうという計画のひとつです。

もともと11月7日は神社の例大祭の日だったので、それに合わせたとのことです。

霧が出て、お犬さまを迎える最高の天候の中、関係者のみなさんの神社・お犬さまに対する思いを知りました。

新しいお宮は、多くの人たちの強い思いの結晶です。

お犬さまは、尾根の峰谷登山道上まではモノレールで運び、その後神社まで専用の担架に載せて運び上げられました。

社殿のブルーシートが外され、お犬さまの梱包もとかれて、社殿の中に安置されました。

そのあと、村長はじめ関係者の方々のあいさつがあり、全員で拝礼し、お神酒で簡単な直会が行われました。

お犬さま像を修復した人は、文化財なので、なるべく元の形を残して修復したとのこと。ひび割れには接着剤を注入しました。

「あ形」の下顎は無くなっていたので再現されましたが、ここが難しいところでもあったようです。信仰の対象としてのお犬さまであれば、完品を目指せばいいのですが、文化財なので、どこまで再現するか、という問題があります。

例えば、スペインの小さな教会のマリア像がオリジナルとはまったく違う像になって批判されましたが、あれは「文化財」や「美術品」としての批判でした。

個人的には、小さな村の人たちが「信仰の対象」とした像を、よってたかって上から目線(「文化財」や「美術品」目線)で批判するのはおかしいとは思います。文化的暴力とも言えるかもしれません。とは言え、公に公開されるものならば「文化財」と「信仰の対象」としてのバランスは大切でしょう。

そういう意味で、この七ツ石神社のお犬さま像は、ふたつのバランスがよくとられた修復であったのではと思います。

ただし、この再建プロジェクトは、七ツ石神社を史跡として再建することで、宗教的な活動を行わないことで自治体として整備・修復が可能になったという事情がある。だから一応、お犬さまは「文化財」であり、「信仰の対象」ではないということのようだ。

「うん形」のひび割れたところはそのままで、時間の経過を感じるし、人工物が自然に還っていくような、そこはかとない愛おしさを覚えます。

また「あ形」は、顔と胴体は分かれ、そもそも何の像かもわからなかった状態だったので、下顎などを再現し、お犬さま像らしくなった姿は、信仰の対象(文化財に対して個人的に信仰するのは自由だろうから)にもなりうるのではと感心しました。

長く、愛される社殿とお犬さま像であってほしいと願っています。
 
 
 
 
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平成31(2019)年版 「旧暦棚田ごよみ」 販売開始

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今日(2018年11月8日)は、旧暦十月一日、平成31年版「旧暦棚田ごよみ」販売開始です。

日本一使いづらい、だけど美しい!  始めてみよう“旧暦生活”

■ 壁掛型の見開きタイプ・上部がA4サイズの棚田の写真、下部がA4サイズの旧暦カレンダー
   ※旧暦がわかる「ミニブック」が付いてます!

NPO法人棚田ネットワークのホームページで購入できます。

https://www.tanada.or.jp/tanada_goyomi/


【TEL、FAX、メールでのご注文&お問い合わせ 】

NPO法人棚田ネットワーク 旧暦棚田ごよみプロジェクト

TEL. 03-5386-4001 ( 受付時間 13:00 ~ 17:00 土日祝をのぞく)
FAX. 03-5386-4001 / E-mail:koyomi@tanada.or.jp

※ FAX、メールでのご注文の際は、お名前、電話番号、ご住所、部数をご記入の上ご送信ください。
※卸・委託販売ご希望の方もお問い合わせください。
 
 
 
 
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2018/11/04

『水を掬う』で、松田くんとふたりのギャラリートーク

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昨日は『水を掬う』の会場で、松田くんと俺で、ギャラリートークを行いました。

お越し下さった方々(遠くは埼玉県からも)にはお礼を申し上げます。

メコンの源流から河口までの水や、棚田の水の循環は、松田くんのテーマ「浮遊する水」と共通したものです。

それと、松田くんが話したのは、日本の美と西洋の美の違いで、西洋の美はシンメトリーをもって表現しますが、日本の美は不完全の美であること。

それで思い出した話は、ある小僧さんが、高僧から庭の掃除を命じられたので、落ち葉をすべてきれいに掃いたら、褒められるどころか渋い顔をされた。そこで、木の枝を揺らせて葉っぱを少し散らせたら、満足されたという話をしました。

また、西洋の科学的合理主義の下、夜の暗闇を無くし、曖昧さを無くし、白か黒に区切りをつけ、すべて白日の下にさらそうとしてきましたが、でも、それは限界であることも。

一方、古来から日本の美意識は、闇の世界をめでることにあること。闇の世界は、曖昧模糊としたもので、科学的には割り切れない部分を持っています。闇の世界は、無意識が活性化する世界でもあるのです。

「闇=無意識=異界」については、最近取材中の「狼信仰」が関わってくるのですが、「話は長くなるので」と言って、割愛しました。

松田くんの壁に架けた作品にはところどころ穴が開いています。この説明を聞くまで、正直、俺は気が付きませんでした。

完成した後に、あえて壊す作業を行っているのです。最初、穴を開けるのは勇気がいることでしたと、松田くんは言いました。

裏にも色彩を施してあります。そして、その穴を通して裏の色彩が少し見えるのです。裏の世界、無意識の世界をのぞいています。表と裏の世界はこの穴でつながっています。意識と無意識、すべて包含したもの、それはすなわち「自己表現」などではなく、世界・宇宙の表現と言ってもいいでしょう。

暗闇の美について俺は、「田毎の月」の話をしました。写真では、月はひとつしか映りませんが、真夜中の田んぼを月明かりを頼りに、自分自身が歩き回ることや、時間の経過とともに、月が移動をし、結果、すべての田んぼに月が映りこむのです。そのイメージが、広重などの浮世絵に描かれた「田毎の月」です。

多方向の顔が1枚の絵に描かれるピカソの絵を「嘘だ」と言わないのと同じように、「田毎の月」の絵も、時間を考慮した多視点の絵であり、絵師にとっての内的な現実の表現なのです。そしてすべての田んぼには、それぞれの宇宙が表現されています。

最後に質問に答えて、自分にとっての「写真」について話しました。基本、俺は「媒介者=メディア」です。だから、いい被写体があれば、それを変なテクニックを労せずとも、いい写真になると思っています。

ただし問題があります。その「いい被写体」に出会うことは難しいのです。じっくり観察して、その被写体が、一番輝く瞬間を待っているのです。

それには村人といっしょに暮らすこともそうだし、夜の田んぼで1晩中待っているのも必要です。どんなものでも食べ、どこでも寝れることも大切です。そうやって探し出して、辛抱強く待って映した写真は、ただし「事実」しか映っていません。(キャプションを変えるだけで、写真の意味が変わってしまうことを考えてもらえばわかると思います。「真実」はまた別です)

それでは「真実」はどこにあるかというと、「写真(被写体)+俺自身」なのです。「あの青柳さん」がそれを撮ったことを担保に、「事実」は「真実」になる、と俺は信じています。だから、当然、俺が撮った写真は、「俺の真実」であり、松田くんが撮ったら「松田くんの真実」です。人それぞれの「真実」があります。だからこそそこに「個性」というものが出てきます。

と、いった話です。

松田くんとは表現が違っても、求める方向性がいっしょだなと、昨日話をして、ますます確信しました。また機会があれば「二人展」をやりたいと思います。
 
 
 
 
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2018/11/02

山形県朝日町 椹平の棚田など

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雨と晴れの天気が続いて、毎日虹を見ていますが、昨日も夕方大きな虹が。

山形県朝日町の棚田に寄ってみました。

杭掛けの稲はもうなくなったかなと思っていたら、椹平の棚田に、ちょっとだけ残っていました。

それと、棚田の中にある小屋のイチョウの木が、ちょうど黄色く色づいていました、この木の紅葉を見たのは初めてです。

最上川沿いの棚田も健在でした。周囲の紅葉も雨上がりで美しさが一段と増しているようです。
 
 
 
 
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2018/11/01

11月1日、犬の日に紹介するのは『オオカミと野生の犬』

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犬の日は、社団法人ペットフード協会が1987年に制定した記念日です。

犬の「ワン (1) ワン (1) ワン (1) 」にちなみ11月1日と決められました。どうして1月11日や、11月11日でなかったのかは、突っ込まないことにします。

今日の本『オオカミと野生の犬』(菊水健史 監修・近藤雄生 本文・澤井聖一 写真解説)は、世界のオオカミと野生のイヌを紹介した本です。

美しい写真が満載で、見ているだけでわくわくしてきます。ナショナルジオグラフィックにも掲載されていたホッキョクオオカミの写真は特にすばらしい。流氷を飛び越える瞬間の写真です。

絶滅した日本のオオカミについては、国立科学博物館と北海道大学植物園の剥製の写真が掲載されています。

オオカミの仲間たちには、柴犬や秋田犬も入っています。

日本犬(にほんいぬ)は、古くから日本に住んでいる犬の総称ですが、日本犬の本質や理想的な体型をもとに、日本犬保存会が「日本犬標準」を定めています。

次の6つの在来犬種が日本犬の代表的な犬種として、国の天然記念物に指定されています。(「越の犬」も天然記念物に指定されましたが、1971年に純血種が絶えました)

秋田犬は、1931年7月31日、柴犬は1936年12月16日、天然記念物に指定されています。

柴犬は現在日本で飼育されている日本犬種の約8割を占めているほど人気の犬種です。日本犬の中では小型なので飼い易いということもあります。縄文犬から続く日本犬の特徴を備えているといわれてきました。

最近では外国でも人気の犬種ですが、柴犬は、世界的に見ても、重要な存在であることがわかってきたという。

2002年のスウェーデン王立工科大学の発表によれば、柴犬こそ、最も古い起源を持つ犬である可能性があるとのこと。一番狼のDNAに近い犬ということになるらしい。

「イヌの起源を示すDNA解析の例」のリストによると、遺伝的に狼に近い犬種として、この柴犬、次はチャウチャウ、そして3番目が秋田犬です。秋田犬も狼系の犬種です。

欧米の犬種より、日本を含む東アジアの犬種の方が、犬の祖先になるオオカミと近いということであるらしい。

以前、犬はモンゴルやチベットで家畜化されたという研究発表がありました.。

イヌの家畜化、発祥の地は中央アジアか? (2016/05/09)

この東アジアの犬種がDNA的に狼に近いという話と符合しますね。家畜化された犬は、アジアから世界各地に姿を変えながら広がっていったということのようです。

そして家畜化された犬が早い段階で日本に来て、大陸から隔離されて、そのまま古いDNAを持ったまま、現在の柴犬や秋田犬に繋がっているということなのでしょう。
 
 
 
 
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