(最上町 笹森)
(最上町 本城の三峯山の碑)
(最上町 本城の三峯山の碑)
(最上町 本城の三峯山の碑)
(最上町 本城の三峯山の碑向かいの稲杭の立つ田んぼ)
せっかく山形県に滞在しているんだからと、地元の狼信仰を調べてみました。
村田町歴史みらい館のオオカミ展で、あまり山形県に狼信仰の神社がないことがわかったので、逆に、探求欲が刺激されてしまいました。
すると、いくつか見つかりました。山形県北部の最上町や鮭川村では、「狼穴」や「おいの祭り(狼祭り)」が行われていたという資料を見つけました。
少し長くなりますが、いずれ本の原稿にするつもりなので、忘れないうちに出典とともに書いておきます。
『最上町文化財資料第十一集 小国(最上町)の年中行事と祭事』(最上町教育委員会)や、『最上町史 下巻』には、笹森の自然石の「おいのさま」の写真や、おいの祭りの記述があります。
「この祭りは馬産にまつわる習俗の一つで、「おいの」とは「おいぬ」のことつまり狼のことである。その昔「庄屋の馬が狼に食い殺された」とか「馬捨馬(死馬を埋める場所)の馬が食い荒らされた」というそんな伝えが残っているのを見ると、狼はたいへん恐ろしいものと受けとめていたにちがいない。ともあれ村人はその難を逃れようと、荒れる霊を祭り鎮魂したのである。その行事が習俗となって、長く伝承されてきた。」(『小国(最上町)の年中行事と祭事』より)
祭りは1年に3回行われていましたが、決まった日ではなく、村々でまちまちだったようです。
「この信仰の源は秩父の三峯山であるといわれるが、その流れを汲んで、遠い昔からどの村でも、「みつみね山」あるいは「三峯神社」と称して、祀ってきたのである。その場所は、放牧地または採草地への登り口とか、その道筋である。またお宮の建物とてなく、自然石や「三峯山」、「三峯神社」などと刻んだ切石の碑を立てているに過ぎない。
・・・略・・・
当番が立てられ、例によって餅米五合ずつを集め赤飯をつくり、組中の人たちがここにお詣りする。時には前森原(放牧場)を通り抜けししどの沢までお詣りにいく。この「しし」は獣を意味し、この場合は狼と考えられる。「ど」は閉ざす「戸」のこととすれば、昔、このあたりから狼が襲ってきたものだ。だから「おの原」の狼を、ここで祀らなければならない。いわばこの沢から出てこないように祀るのである。そこはかなりの山奥で、その沢いり(奥)に、ほら穴のようなところがあり、そこに赤飯をあげて拝むのであった。もちろん誰でもが行くわけではなく、元気な若者たちが何人か代表してのことだったそうである。」(『最上町史 下巻』より)
いつの時代の情報かわからないので、たぶん、祭りはもう行われていないだろうとは思いましたが、その痕跡を訪ねてみることにしました。
まず、自然石の「おいのさま」の写真が載っていた最上町の笹森集落を訪ねました。
80歳くらいのおじいさんがいたので話を伺ってみましたが、狼信仰・おいの祭りなど、聞いたことがないという。碑なども見たことはないそうです。
川向の人が昔の古いことを知っているかもと紹介されて、その家を訪ねました。
対応してくれた人は昭和29年生まれだそうで、
「昔この村で、おいの祭りという狼信仰の祭りが行われていたようなんですが、聞いたことないでしょうか?」
「狐に化かされた話は聞いたことはありますが、狼は知らないですね」
「お犬さま」「おいの」などの言葉も聞いたことはないという。彼のおじいさんからもそんな話は聞いたことはないし、知らないという。「三峯山」の碑も見たことないという。念のために、奥の部屋にいた彼のお父さん(90歳くらい)にも確かめてもらいましたが、お父さんでさえ、「お爺さんからも聞いてない」とのこと。
まぁそんなものだろうと予想はしていましたが、碑くらいは見つかるのでは?と期待していたので、正直がっかりです。
でも、「ここは東京オリンピックのころまで馬を飼っていたんです」という。俺はピクッと反応しました。もともとここは馬産地だったというのは本当だったようです。だから狼祭りが行われていたのでしょう。
この近くには奥の細道も通っているらしく、今まで何度か、奥の細道について聞きに来た人はいたが、狼信仰については初めてらしい。
次は最上町本城に向かいました。
三峯神社を探して集落を周っていると、ある民家におばあさんがいたのであいさつしました。そして三峯神社を聞いたら、「私はよそからきたので、お父さんに聞いてみます」と言って、彼女の旦那さんを呼んでくれました。
おじいさんに三峯神社のことを聞いたら、「三峯山のことか?」というので、そうですと言いました。お祭りはやっていないが、ちゃんと注連縄もかけて、碑は祭ってあるということでした。
おじいさんから教えられたとおり、集落を抜け、ずっと田んぼの横の農道を進んでいくと、杭架けの稲が残る田んぼの近くで作業をしていたおじさんがいたので尋ねると、「三峯山」の碑は、その田んぼの真向かい側にありました。
木の鳥居の奥、1mほど高くなったところに大きな岩があり、その上、右側に「三峯山」の碑と、左側に石祠が鎮座しています。年代はわかりませんが、祠の側面には人の名前らしいのが読み取れました。
祭りの場であった碑についてはこう書いてあります。
「いたって粗末な碑で、自然石の場合が多い。なかには本城村の「三峯神社」と切石に刻んだ立派なものも残っている。」(『小国(最上町)の年中行事と祭事』より)
本城の「三峯山」の碑は、最上町では立派なものであるようです。
狼信仰はまた、狼の多産のイメージから豊作のイメージにつながったようで、稲作の豊作祈願にもなっているそうです。この田んぼの真ん前に「三峯山」の碑があるのは、なんだか象徴的な光景です。

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