【犬狼物語 其の三百七】 山形県尾花沢市 「三峯山神社」の碑
山形県尾花沢市の細野・三峯神社を探しました。
先日、村田町歴史みらい館の「オオカミ展」で展示されていた、山形県で唯一の「三峯神社」です。
まず市役所を訪ねて狼信仰の情報を聞きました。
職員に細野出身者の人がいるというので、違う課でしたが、その人に引き合わせてくれて、三峯神社のことを聞いてもらいましたが、その人は40代くらいの人で、三峯神社につきては知りませんでした。当然狼信仰についても聞いたことはないといいます。
地元の詳しい人に電話して聞いてくれて、たしかに碑が立っていることが分かりました。住宅地図にも「三峯神社」と載っていたので、そのコピーをもらったのですが、あとでgoogleの地図を見たら、googleにもちゃんと出ていました。場所は意外とあっさりとわかりました。
細野地区は、市役所から南になります。こんなところがあったのかと思うほどの、紅葉が美しい谷沿いに進む道を南下します。かつてこういうところにも狼が棲んでいたんですね。
細野に着きましたが、地図の場所に神社が見当たりません。山を回り込むと、小川が流れ、橋があり、民家が1軒ありました。近づくと民家の脇の山道から入って行くらしいことがわかりました。道標と階段が見えたのです。
このお宅前に人がいたので神社のことを聞いてみると、上には3つのお堂(資料では、阿弥陀堂と地蔵堂)があって、「3つあるうち、1つはお堂が崩れていますが、その脇に石碑がいくつか立っています」と教えてくれたので、それかもしれないと思って、上がって行きました。
奥の崩れたお堂のそばまで行くと、確かに古碑が数基並んでいましたが、どれも「三峯山」ではありませんでした。
最初のお堂に引き返し、今度は反対の方へ進むと、別なお堂の前にポツンと碑が1基立っています。近づいて見ると、これが「三峯山神社」の碑でした。
昭和17年建立の碑です。今まで見てきた碑は、江戸末期とか明治時代のものが多かったので、逆に、どうしてこんなに新しいんだろう?と不思議に思って興味が出たというのは、先日触れたとおりです。
村田町歴史みらい館の専門員・石黒さんによると、日露戦争の時(記憶が不確かですが)にも、三峯の碑を建てたものがあるそうで、この昭和17年の碑も、戦争がらみではないかというのです。
昭和17年というのは、1月には日本軍がマニラを占領、2月にはシンガポールを陥落させ、5月にはビルマのマンダレーを占領するなどした年です。戦争に突き進んでいた時期です。
だから、三峯信仰(狼信仰)には、武運長久の祈願もあったのではないかというのです。それならわかります。今さら狼の被害はないし、猪鹿除けでもないでしょう。
安政5年に大流行したコレラに効くといって、三峰山のお犬さま信仰が流行りました。コレラは、「コロリ」と呼ばれ、この世のものではない異界の魔物の仕業だと考えられたようです。
魔物は、根源にいる悪狐・アメリカ狐で、それを退治してくれるのは狐の天敵の狼しかいないということになりました。そして狼を眷属として祀る秩父の三峯神社に着目したのは自然の成り行きだったろうというのです。(高橋敏著『幕末狂乱 コレラがやって来た!』参照)
このようにコレラが発生した時、アメリカ狐除けとして信仰されたことから推測すると、狼が持っている「強い」「勇敢」などのイメージともあいまって、戦争での敵除けや弾除け、武運長久の祈願で碑が立てられた可能性はあるのかもしれません。
ただ今のところ、資料もないので、本当のところはわからないというのが実情です。これからの研究で明らかにされるかもしれません。
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