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2018/11/14

【犬狼物語 其の三百六】 山形県鮭川村 山の神神社付近の狼穴

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山形県の狼信仰について調べてみましたが、最上町に引き続き、今回は、鮭川村です。こちらも出典とともに、記録しておきます。

山形県北部、鮭川村にある山の神神社が鎮座する集落は小舟山だと聞いていて、「山」という地名から山の中を想像していたら、意外にも開けた水田地帯でした。

小舟山は、鮭川村の東端に位置し、北側は真室川町、東側は新庄市に繋がっています。

『鮭川村史 集落編』(昭和61年)には、小舟山が大草原であったことが記されています。

「牛潜川北東部に広がる大地は塩野といわれ、広漠たる原野と雑木林がつらなる土地であった。そこは村域である水野新田・小舟山の集落がある。さらに、新庄市昭和地区へとつながっている。

・・・略・・・

この地区に本格的な開発がはいるのは、明治期から大正期になってからである。明治三十三年(一九〇〇)軍馬補充部が設置され、馬の飼育にあたったので、輪耕による焼畑や萱刈場としての活用が停止された。

・・・略・・・

小舟山は、水野新田の北東に位置し、同じ続きにある。明治時代は五戸であったという。・・・略・・・現在二二戸の集落となっている。」

また『真室川町史』(昭和44年)の「狼穴 小舟山」という項目(原典は『豊里村誌』)には、

「旧藩時代には小舟山方面の一大平原は草原であり狼のすみ家で、里の馬や犬、鶏などがたびたび食い殺され、子どもでも食われることがあった。村人は、狼群を”千匹群”といって、旅するものの最も警戒するところであった。里人は之を恐れ、中には神として祭る者もあった。小舟山の東、山の神神社の北に狼穴というのがある。穴の中が二メートルの大きさで付近には大小十余の抜け穴がある。文久年間ごろから、この穴にすんでいた狼が子を産んだ時近郷の人は、「狼さまのお坊子なし見舞」といって、握り飯などを持って行っては、恐る恐る穴の中に置いてきたという。」

とあります。

小舟山の集落に着いたとき、特別養護老人ホームがあり、職員らしい人が駐車場にいたので、「このあたりに山の神神社があるそうですが、知りませんか?」と聞いてみましたが「知りませんねぇ」とのこと。

適当に周っていると、こんもりとした杜があって、そこに白木の鳥居の先に社殿が見えました。ここではないかなと検討をつけて上ってみました。

社殿の戸は閉められていましたが、左右に引き戸を引いたら開いて、ご神体なのか、左側に丸い石と、右側には陶器製らしい像、それとお賽銭箱が置かれてありました。

その下には「山の神様 建立 昭和貮拾九年八月吉日 屋根替 平成八年八月吉日」と書いた札が置いてあります。

『鮭川村史』や『真室川町史』によると、この近くにかつて、狼の穴があったらしいのですが、それはわかりませんでした。

というより、自分で探すのは至難の業です。また、集落には廃屋も多いようで、まったく人の気配がなく、地元の話を聞けないし、たとえ聞けたとしても、笹森集落のことから推測すると、狼の穴を知っている人はもういないかもしれません。

役場でも聞いてみましたが、史料以上のことはわかりませんでした。狼信仰があったことさえ、初めて聞いたとのことです。

かつてここは狼が棲んでいた草原で、「狼さまのお坊子なし見舞」という祭りも行われていました。当時を想像しながら風景を眺めてみます。

旅人として一人で歩いていたら寂しいところではあったかもしれません。特に夜は怖かったでしょう。

現在は、神社の周辺には棚田が広がっていて、今の時期、稲はすでに刈り取られ、切り株が残っている状態です。

あぜ道を狐が一匹歩いていたので急いで写真に撮ろうとしましたが、こちらを伺いながら森の中へ入っていってしまいました。
 
 
 
 
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