【犬狼物語 其の三百三十三】埼玉県上尾市 向山・神明神社内の三峯社
上尾の三峰信仰については、先日も書きましたが、具体的に現在残っている三峯神社を探したら、いくつか見つかりました。上尾市向山の神明神社内の三峯社もその1社です。
社殿の左奥に末社が並んでいて、その中に三峯社がありました。石祠には「三峯山」と刻まれています。残念ながら狼像はありません。
上尾には、大山講、榛名講、雷電講など多くの代参講があったことは先日も触れましたが、秩父の三峰神社も青梅の武蔵御嶽神社も、農家が多かった上尾では農業を見守ってくれる作神様として信仰されていました。講の構成員は、現在の大字(ムラ)単位で、地域の祭りや行事を行う単位と一致していて、ほぼ全戸が講に加入していたので、代参講がムラの付き合いの一つと考えられていました。
代参講では代参者をくじ引きで決めていました。だから代参者は、講員の代表です。でも、信仰集団の代表という形ではありましたが、旅をすることがあまりなかった当時の人々にとって、世間を知る絶好の機会でもあったようです。それと娯楽的要素も。とくに若い人にとっては。
榛名講では伊香保温泉に入ったり、大山講では江の島・鎌倉観光、板倉の雷電講では、門前のなまず料理を楽しみにしていたそうです。(『上尾市史 第十巻 別編3 民俗』(平成14年))
先日も引用した『上尾市文化財調査報告 第三十七集 上尾の民俗Ⅱ』(平成4年)には、向山の代参講についても記されています。
向山には榛名、大山、三峰、御岳、成田の講がありました。この民俗調査が行われた平成元年ころは、成田講以外、まだ他の講は残っていたそうです。
代参者を決めるくじ引きは、向山の場合、初午でみんなが集まるときに行われ、くじは、紙のコヨリで、最初に講員分のコヨリを作り、この中に四本だけインクで印をつけて当たりくじとしました。当たりくじを引いた者がその年の代参者になります。(一度代参した人は次の年はくじを引かない)講の代参にかかる費用は、講金といって一定の金額を決めて各講で集金しましたが、足りない場合は、自己負担でした。
向山の三峰講については、
「春四月の代参で、以前は秩父鉄道が影森までしか行っていなかったので、ここから歩いて神社まで行ったものである。このため、日帰りでは代参出来ないので、神社の坊に宿泊している。代参者は、講中の各家にお札を買ってくるが、このほか講で一体御眷属というお札を毎年取り替えて来る。これは大神宮様の三峰神社のこの中に納められている。」
とあります。
秩父鉄道は、明治34年に熊谷・寄居間で営業を開始して、大正3年には秩父駅まで、大正6年には影森駅まで伸びました。三峰口まで伸びたのは昭和5年のこと。
だから、影森から神社までは歩いたというのは、大正半ばから昭和初期ころの話になります。このときはまだ日帰りの代参は難しく、神社の宿坊に泊まり、一泊二日の行程が多かったとのことです。その後、鉄道やロープウェイの整備、自家用車の普及によって日帰りの代参が可能になりました。
神明神社の境内には、他に馬頭観音、青面金剛も祀られています。向山地蔵堂近くの路傍から移された「力石」も置かれています。力試しに抱え上げられた石です。
| 固定リンク
コメント