【犬狼物語 其の三百二十七】 神奈川県厚木市 狸と猪を育てたモスカ像
モスカの話を知った時、『南総里見八犬伝』の八房という犬が、狸に育てられたという話を思い出し、逆パターンですが、こんな犬がいたのか、100年ほど経ったらいずれこれは伝説になるのでは?と思いました。
東丹沢温泉郷の七沢温泉「七沢荘」で、自分の子どもだけではなく、狸の子2匹と、猪の子1匹も同時に育てたモスカという名の犬の話です。
モスカの子どもがトモカズ、猪はモモエ、狸2匹はシャープとフラットという名前だと聞けば、あぁ、あのころねと懐かしく思う年代の人も多いでしょう。
先代の中村重男さんは奥さんの典子さんとこの七沢荘を作りました。重男さんは息子の道隆さんから見ても「宇宙人」と呼びたくなるほど、自由奔放な人だったらしい。
突然ライオンを買ってきたり、ペット専用の露店風呂とサウナまで作り、獣医にサウナはダメだと注意されてやめたこともありました。とにかく重男さんは動物好きで犬にもリードを付けず、何かあったら自分が責任は取ると言っていたそうです。
ある日、重男さんがゴルフ場のカップの中に落ちていた狸の子2匹を見つけ、可哀そうになり連れ帰りました。
看板犬モスカは子犬を産んだ直後で、近所の人にもらった猪の子も牙を抜いてモスカの乳を吸わせることに成功していました。それで狸2匹も、最初モスカに目隠しをして乳を吸わせたら大丈夫だったので、目隠しを取りましたが、モスカは狸たちも受け入れました。
こうしてモスカの子犬、猪の子、狸の子2匹を同時に育てることになったのです。湯治客たちは、猪や狸を犬の子だと思っていたらしい。それくらい自然にいっしょに仲良く暮らしていました。
種を越えたモスカの育児が、イギリスのBBCや中国のテレビでも取材され、後追いするように日本のメディアも紹介するようになりました。雑誌やテレビなど、当時はたくさん取材されたそうです。
南アフリカのネルソン・マンデラが1964年に国家反逆罪で終身刑の判決を受け、獄中で闘っていた時代でもありました。このアパルトヘイトなど人種差別の問題がクローズアップされていたこともあり、動物は種が違ってもいろんな動物を育てるのに、肌の色の違いだけで差別する人間て何だろう? むしろ動物の方が自由なのではないか。道隆さんは、モスカが取り上げられたのは、そんな疑問が生まれていた時代背景もあったのではといいます。
モスカが死んで、2、3年後のこと、モスカを石像にしたいと思ったとき、あおむけで寝て猪と狸に乳を与えている姿こそが、モスカを象徴すると思って、その姿にしました。
重男さんとは安曇野の中学の同級生で彫刻家の高島文彦氏がモスカの像を製作しました。敷地内には高島氏の作品が数多く展示されていて、野外美術館のようです。
七沢荘にはモスカの後も代々看板犬がいて、2代目はラブラドールの夢宇(むう)、そして今は、3代目のトイプードルのカガリが湯治客を出迎えています。
(『犬像をたずね歩く』より)
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