【犬狼物語 其の三百二十九】埼玉県上尾市 平方・橘神社
上尾市の神社にもお犬さまらしき像がありました。「らしき」というのは、お犬さま(狼)像とは断定できない部分があるからです。「犬」にも見えるし、由来がわかりません。
場所は、橘神社の「平方河岸出入商人衆奉納の石祠」の前です。左側の像は顔の部分が割れて、下に置かれてありました。
『上尾の指定文化財』(上尾市教育委員会 平成25年)には、有形文化財に指定されているこの石祠について、次のように書かれています。
「平方河岸は、旧平方村(大字平方)にある荒川の河岸場で、近世には岩槻や原市方面から川越を経て多摩方面へ通じる脇往還筋にある渡船場としても機能する、交通の要衝であった。河岸の歴史は古く、寛永15(1638)年には既に河岸場として機能していたと観られる(『寺尾川岸場由来書』)。そして江戸時代を通じて荒川の舟運によって発展し、大正時代末まで栄えた。
指定の石祠は、明治40年代に河岸場から橘神社に移されたもので、神明社を祀っている。高さ166cmで、形状は笠付角型石祠であるが、笠の部分は後補の可能性がある。正面左側面に「享保二丁酉天九月吉日 武州足立郡平方村 願主 当村中 河岸出入之商人衆中 右之願主等明記内宮納置者也」とあり、平方村中及び平方河岸に出入りする商人衆によって、享保2(1709)年造立・奉納されたものであることがわかる。また右側面には、宝永6(1709)年に祈願して以来、平方河岸が太神宮の神徳により繁栄したことのお礼と、今後の輸送の安全と一層の発展を願う奉納の趣旨が記されている。
この石祠は、江戸中期から江戸地廻り経済(商品流通)によって発展した、平方河岸の隆盛を伝える数少ない貴重な歴史資料といえる。」
石祠は3基並んでいて、中央が指定の石祠ですが、お犬さまらしき石像が1対守っています。現在はこうですが、市の教育委員会にあった昔の写真を見せてもらうと、このお犬さまはいませんでした。平成15年に発行された『上尾の指定文化財』には載っていません。
最近になってこれが置かれたということが分かりました。でも、「最近」とは言っても、どのくらい前なのかははっきりしません。平成15年に発行された本には載っていなかったといっても、使われた写真がいつ撮られたものなのかわからないし。
いろんな状況から考えると、この石祠とお犬さま像は関係がなく、どこからか移されたものかもしれません。橘神社自体、明治40(1907)年、平方村の氷川神社に近隣の5つの村の鎮守を合祀してできたもので、このときに「橘神社」という名前に変えられています。氷川神社も、現在の場所ではなく、平方小学校の東にある氷川山にあったともいわれています。
上尾市教育委員会では、もしかしたら、別なところに石像があって、合祀されたときに、石像を神社に移し、さらに何年か前にこの石祠前に置かれるようになった可能性もあるのでは、ということでした。
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