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2019/07/31

【犬狼物語 其の三百七十六】「東京狼」

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『オオカミは大神』第二弾の「東京狼」の企画については、前に書きました。

「東京」とは言っても、実際は関東圏の狼像と狼信仰についてです。「大都会」と「狼」というギャップが面白いかなと思っています。

原稿を少しづつ書き始めていますが、そのために現在の三峯・御嶽神社の位置と、江戸時代の三峯社の位置を地図で合わせてみました。

グーグルマップに赤や黄の狼マークをプロットしたのが現在の三峯・御嶽神社、プラス狼像のある寺社の位置で、黒丸が三木一彦氏「関東平野における三峰信仰の展開 ―武蔵国東部を中心に―」の「武蔵国における三峰末社の分布 -文化・文政年間(1804~30」から引用したものです。

おおざっぱな地図で、正確なものではないので、傾向を読み取るしかできないのですが、これを見て気がつくのは、文化・文政年間には、かなりの数の三峯社が江戸にあったこということです。しかも、今はあまりないところにです。たとえば、墨田区、江東区、江戸川区、葛飾区あたりでしょうか。

単純に想像すると、関東大震災や戦時中の空襲によって、また、戦後は都市の再開発で、無くなってしまったのか?ということです。

その代わり、今は、都内でも西側に多く残っているように見えます。ただし、これは三峯神社と御嶽神社です。しかも、東京都三鷹市の東牟礼御嶽神社のように、今、まさに消滅している神社もあります。たしか、東牟礼御嶽神社も、道路拡張に伴って壊されていたと思います。

これからも、増えることはもうなく、減るだけかもしれませんが、何とか、都会の狼が残ることを期待しています。狼が鎮座するところには杜も残っています。そういう意味で、狼が杜を守っているともいえるかもしれません。

あとはこの地図を見て気づくのは、俺が住んでいる中山道沿いについて言えば、さいたま市周辺にも黒丸の比較的集中しているところがありましたが、今は、それほど残っていません。

 

 

 

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2019/07/30

「何ちんたらやっているんだ!」は、「時間」を信じて発する暴言

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“時間”はあと50億年で終わる?
(http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=20101029003&source=mm125d  ナショナルジオグラフィック ニュースより)

読みましたが、よくわかりません。

と、いうか、そもそも時間というのはあるのかな?という疑問もあります。いや、時間はあるんでしょう。ただし、それを「単位」にしてしまったところに人間の不幸がうまれたのではないかとも思います。

どういうことかというと、例えば、無我夢中で何かに没頭して作業しているときは、時間があっという間に過ぎた感じがします。そうじゃなくて、イライラして人を待っているときなどは、時間が長く感じます。嫌な仕事をしているときも長く感じます。

実際、感覚としての時間と、物理世界の時間は、違うのではないか、ということなんです。それを一律に物理世界の時間を単位にしてしまったことで、人と比べることになってしまう。

同じ物理的時間内に、ある人は仕事が終わり、ある人は仕事の途中だとすると、「どうして遅いんだ? どうしてもっと速くできないんだ?」と怒られる。俺の体験ですが、昔、若いころ工場のラインに入って、ある製品の組み立てをしていたとき、どうも俺は仕事が遅いらしく、何度か注意されました。

でも、その時、意外な感じがしたのです。自分では速くやっているつもりだったからです。むしろ、速くやりすぎているのではないかとさえ感じていました。でも、俺の外側の世界は違いました。俺の仕事は遅いのでした。少し愕然としました。これ以上速くはやれないとも思い、絶望的な気持ちになりました。このとき、人とは時間感覚が違うんだなぁと思いました。

だから、物理的時間を単位としてやる仕事は俺にはむいていないとはっきりわかりました。人と協力してやるとか、人といっしょにやるには、どうしても物理的時間を単位として、合わせなければなりません。それが苦手なのです。

もちろん、だからと言って、物理的時間を否定するのではありません。それによって、俺も恩恵は受けているので。電車や飛行機の時間が、個人的感覚時間だけで運用されていたら(そんなことは不可能ですが)、大混乱です。

養老孟司先生は、こう言っていました。

「時間というものは、人間の脳にしか存在しないということです。つまり、時間は人間だけがもつ幻想である、ということになります。」(https://www.1101.com/yoro_ikegaya/2019-05-13.html)

 と、いうことは、「幻想」を「単位」にしているわけですね。これはおかしな話です。俺は「物理的時間」なんて書きましたが、「幻想」だとすると、ほんとにそんなものあるのかな?という感じです。

人間どおしでさえこうなんだから、種が違えばもっと時間の感覚は違っているのでしょう。ある人がこんな言葉を言っていた気がします。「かたつむりは、自分では走っているつもりなのかもしれない」というのです。

たぶん、これは「かたつむり」ではなくて「高齢者」に置き換えてもいい。

「何ちんたらやっているんだよ!」と高齢者に対する暴言は、この「物理的時間」を信じている(当たり前だと思っている)から発する言葉でしょう。

人間の脳内にある「幻想」なら、人間が滅んだら、50億年も待たずに、時間は消滅してしまうのではないでしょうか? 

はっきり言葉では表現できないんですが、「時間」を単位にするというのは、何か、大きな勘違いを犯しているような気がしてなりません。

俺が普通の人より遅いことに対する言い訳でもある、というのは自覚していますが。

 

 

 

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2019/07/28

「悪夢」とはなんなのか

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「悪夢に苦しむ犬は起こした方が良いのか?」

(the WOOF :https://woofoo.jp/editors_desk/should-you-wake-a-sleeping-dog/)

という記事が目にとまりました。

前から、ヴィーノも夢を見ているのではないかとは思っていました。寝ているとき、声を出したり、手足を動かしたり、瞼がぴくぴく動くことがあって、それが人間の夢を見ている様子と同じだったからです。

「意外と」というのも、犬に失礼な話かもしれませんが、犬の精神活動も、それほど単純ではなく、意外と複雑で、犬にも意識があるはずだから、無意識もあるはずで、夢を見ることもあるだろうと考えた方が自然な気がします。

そこで、「悪夢」を見ているときにどうすればいいのでしょうか。

自分で夢日記をつけていて思うのですが、そもそも「悪夢」というのは何なのかはっきりした定義はないし、仮に「怖い夢」「うなされる夢」が「悪夢」としても、それは意識側から見た話で、無意識にとっては、その人にその夢が必要だから見ているのだろうということなのです。

たとえ、殺されるような夢を見ているとしても、実際に死ぬわけではなく、無意識内での「死」は、何か意識側で、今の自分を否定し(殺し)、新しく変わらなければならない、あるいは、新しく変わりたいという願望かもしれないのです。

だから意識側の人間が、勝手に「悪夢」と判断して、夢にうなされている人や犬を起こすのは、けっしていいことではないような気がします。そのままにしておく。

でも、そのままにしておくのは、意外と難しいものです。辛そうにしている人や動物を「助けてあげたい」という気持ちは大切かもしれませんが、それは、そうしない自分に対する後ろめたさであるかもしれません。

体と同じように、心にも自然治癒力はあると思っています。

 

 

 

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2019/07/25

『棚田を歩けば』第4刷

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『棚田を歩けば』第4刷が出版社から届きました。

何度か、お母さん世代から「この本、知ってます」と言われましたことがあります。これが子供たちへの読み聞かせで使われているそうです。

嬉しいですね。

これには、中国・韓国・インドネシア・フィリピン・ベトナム・イラン・マダガスカルの棚田までは載ってますが、その後に撮影したスリランカとネパールの棚田は載っていません。

世界の棚田全部入れた写真集を出したいとは思っていますが、今のところ、出版業界ではドキュメンタリーの写真集の出版は、難しい時代になってしまったので、どうなるかなぁと言う感じです。

 

 

 

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2019/07/21

福井昭夫絵画展

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東京都自由ヶ丘・Cafe Gallery るなんで「 福井昭夫絵画展」が開催されています。


3Fギャラリーと2Fミニギャラリーに20数点の作品が展示されています。今回のテーマは、東欧の風景と花。


ドゥブロヴニフ(クロアチア)などの東欧の落ち着いた街並みの絵を見ていると心が落ち着きます。


 福井昭夫のHPにも情報が掲載されています。


http://www.hidekiyo.sakura.ne.jp/akio/event/new/index.html


 


 


 


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2019/07/17

【犬狼物語 其の三百七十五】東京都中央区 水天宮の子宝犬

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戌の日の安産祈願で有名な水天宮の子宝犬の像です。

水天宮の子宝犬については、当ブログでも何度か書いているし、『犬像をたずね歩く』にも掲載しています。

 栄養も医療環境も良くなかった時代に、出産・子育てはたいへんなことで、難産の末に亡くなってしまう赤ちゃんも多く、このため、安産・子授け・子育てを神仏に祈願することが熱心に行われました。これが子安信仰です。

子安信仰の形はいろいろあります。木花開耶姫、子安観音、地蔵、鬼子母神などの神仏の他、安産・多産の象徴として、また生命力にあやかろうと、犬も信仰の対象になりました。

戌の日に安産のお参りをする、妊娠5ヶ月の戌の日に妊婦が岩田帯をつけるのもそのためです。「犬張子」「犬の子」のようなものもあります。

日本全国には、子安信仰にまつわる「子宝犬」「撫で犬」「守護犬」「夢叶い犬」「安産犬」など、たくさんの犬像が存在します。

犬の安産や多産にあやかろうという信仰からきたものらしいのですが、なぜ「犬」なのか、というのが、いまひとつピンとくるものがありません。他の動物でもいいのに、なぜ・・・ 

 

 

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2019/07/14

【夢日記】希少生物を調べている人

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ここ最近、まともに夢を覚えていることが少なく、夢日記は、4月から更新されていませんでした。

 

    ☆

どこか事務所から出た俺は、自宅に帰るためにバス停へ行った。

バスに乗り込んだとき、ポケットに事務所の鍵が残っているのに気が付いた。

返さなければならない。

事務所に戻ろうと思った。

そのときバスに乗っていた青年がいて、どこか登山でもするのかという格好をしていた。

彼は俺に登山の地図かガイドブックのようなものを出して、あげましょうか?といった。

俺は、登山はしないので、と断った。

俺も登山客だと思われたらしい。

彼はどうしてか聞きたがっているようだったが、この公園には希少生物もたくさんいて、俺はそれを調べている仕事をしているようだった。

    ☆

 

夢の舞台の事務所やバス停は、感覚からいうと寒い山村のような感じでした。だから、スイス人家族と出会ったマッターホルンのイメージが混ざっているようです。それと最近の「トライ」のCMでアルプスが出てくるところも。

そして夢を見るきっかけになった、もっとも関係ある舞台は、ペナン島の北西端、ペナン国立公園のことではないかと思います。ここで軽くジャングルトレッキングができます。「登山」とありますがこの「トレッキング」のことでしょう。

 この夢の「希少な生物を調べている人」というのは、現地で会った日本人のことなのではないか、と思います。

その人は、貝の研究のために、そのジャングルの研究所に勤めているといい、昼飯を食べるために、ちょうど俺たちが食べている食堂にやってきて、日本人ではないかと声をかけた人でした。

その人の話を聞き、ペナンに住んでいるのが、うらやましかったことを覚えています。

 こうしてみると、「夢」は、いろんな思い出、イメージを合成して造り上げられているんですね。そして問題は、なぜこのタイミングでこれを見たか、ということが、俺に何かあるんだろうと思います。

 やっぱり「ペナン島・ロス」の症状ですね、これは。

 

 

 

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2019/07/13

【犬狼物語 其の三百七十四】埼玉県さいたま市 浦和区・高砂の三峯・秋葉両社

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埼玉県さいたま市浦和区は、縁があってよく行く街のひとつですが、ここは以前は浦和市で県庁所在地でもありました。なので、旧中山道沿いの宿場という歴史もありながら、近代的なところもあり、「住んでみたい街」ということにも納得できるいい街です。

浦和駅の西口には、コルソや伊勢丹のビルがあります。その裏側にパチンコ店とファミリーレストランがあって、その間に三峯・秋葉両社が鎮座します。

こんなところに神社が?と思えるようなロケーションです。

この神社について何か知っている人はいないだろうか?と思って、探したら、なんと三峯講が存在し、ちゃんと機能していることがわかりました。

「講元」ではありませんが、今年当番を務めている人に話を伺うことができました。

三峯神社は、正確には、三峯と秋葉の合祀です。

まず、この神社は、もともとは(100年以上前から?)浦和駅西口を出た真ん前にありました。(残念ながら狼像は最初からなかったそうです)

神社は、65~70年前に今のコルソがある敷地内に移転しました。

その後、40年ほど前にコルソができるとき、今のところに再移転したというわけです。

三峯講の構成員は、高砂1丁目から4丁目までの全戸です。ただし、活動に参加するのは全員ではなく、有志だけです。若い世代も多くなり、また、忙しくて活動に参加しない講員も多くなったといいます。

当番は1年ごとに変わり、今年は1丁目だから、来年は2丁目の住民というふうに当番が移動していきます。そして毎月19日、野菜、魚、塩、コメなどをお供えする日があります。とくに毎年5月には、調神社から神職が来て祝詞をあげます。そして夕方にはお供えを下げて、みんなで分けます。昔は直会があったようですが、「今は仕事が忙しくて」という。

希望者だけですが、毎年バスで秩父の三峯山へ参拝します。今年も35、6人が参拝しました。(秋葉神社へは行っていない)

「温泉入ったりするのが楽しいんですよ」といいました。今は、特別の願いがあって参拝する訳ではなく、ほぼ100パーセントリクエーションです。そして本社からもらってくるお札も、個人でもらうものだけです。社殿の中にはお札が納められていますが、これはあくまでも個人でもらったもので、講としてのものではないそうです。

この講員の認識では、「三峯が盗難除け、秋葉が火災除け」とのこと。ところが、神社は昔賽銭泥棒の被害に遭ったと笑いました。「でも、神社でお金盗られる代わりに私たちには泥棒は来ないからいいんです」といいました。なるほど、そういうふうにも言えますね。

現在の社殿には「賽銭箱」はなく、貯金箱のような賽銭を投入する口があって、賽銭は社殿の奥へと入っていくので、社殿を壊さない限り賽銭は盗られなくなっています。

でも、これだけの都会(駅近)の神社に三峯講があって、まだ機能しているということに驚かざるを得ません。関東でも少なくなった講社が生きている貴重な三峯の分社と言えるのではないでしょうか。

 

 

 

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2019/07/12

令和2(2020)年版「旧暦棚田ごよみ」の打ち合わせ

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来年は、東京オリンピックの年、令和2年、2020年版の「旧暦棚田ごよみ」の打ち合わせがありました。

去年よりも早めの打ち合わせです。

来年は閏年にあたり、旧暦のカレンダーは13ヶ月あります。(1ヶ月多いので、お得感がある?)

季節と地域があるので、選ぶのは難しいですが、そこが棚田ごよみ作りの醍醐味でもあります。

13ヶ月の棚田写真の流れがスムーズにおさまるまで、入れ替え、差し替えを繰り返しました。

そして、ようやく落ち着くところに落ち着きました。ただ、表紙は今日決まりませんでしたが。

 

 

 

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2019/07/10

『遠野物語』カッパ淵でのヴィーノ

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遠野について書くことになり、原稿を考えていたのですが、突然、思い出したことがあります。

これは、犬だけではなく、狼にも通じる(と俺が感じている)ことでもあります。

ヴィーノを連れてカッパ淵を歩いたときのことです。ヴィーノは嬉しそうに川の水を飲み、高さ60センチほどのカッパ像の匂いをかぎました。でも、どうもそわそわして落ち着きがない。クーン、クーンと鳴いて、リードを強く引っ張ってどこかへ行こうとしました。

「ヴィーノ、どうした?」

すると、観光客のおばさんが、騒ぎ始めたヴィーノを見て、

「このワンちゃんにはカッパが見えるようねぇ」

といったのです。

なるほど、と思いました。昔の人間にも見えていたカッパ。でも時代と共に、見えなくなってきました。犬にはわかるようです。(「ゲゲゲの・・・」の水木しげる氏にも見える?)

この場に漂うある種の気配です。自然との対話の場所。あるいは死と生の境をいったり来たりできる空間。そんな場が、カッパ淵にはあるのかもしれません。

犬は人間のように理屈で自然を理解することはありませんが、自然そのものを感じることは出来るに違いないのです。そこがどういうところか直感することはできるのでしょう。でなかったら、生きのびられないからです。

 そしてもう一カ所、遠野の北、荒川高原牧場への途中に、「犬淵」という地名があって訪ねました。その集落の入り口にあった山神さまです。人間がくぐるには鳥居が低く、まさか犬用の鳥居ではないでしょうが、ふしぎな光景です。

ここでもある気配を感じたのか、ヴィーノは落ち着きません。 

犬は、超高感度の感覚器官を持っています。人間には聞き分けられない音や嗅ぎ分けられない匂いもちゃんとわかります。

人間が発達させた脳によって「賢く」はなったかもしれませんが、そのかわり失った「感覚」というものがありそうです。犬は細部に敏感です。感覚器官から入った情報をそのまま生かしているようです。一方、人間は環境をそのまま見るのではなく、いったん脳で処理して、おおざっぱな概念で見ています。だから、極端に言えば、人間は見たいと思ったものだけ見ているらしいのです。

直接的に自然を感じる犬が、そばにいることは、人間に本当の自然を思い出させてくれるといえるかもしれません。先日の話の、犬(狼)が「自然への案内人」というのがよくわかります。

 

 

 

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2019/07/08

【犬狼物語 其の三百七十二~七十三】埼玉県草加市 高砂・三峰神社&青柳・三峰神社

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埼玉県草加市の高砂・三峰神社は、東武伊勢崎線・草加駅の東側約300mのところに鎮座します。

草加宿七福神の寿老神が祀られているとの情報がありました。草加宿七福神巡りのコースになっているらしいのですが、それらしいものが見当たりません。新春だけのようです。

狭い境内には、保存林(イチョウ?)が立ち、社の中には、三峯神社のお札が納められています。確かめてないですが、「草加三峯講」があるようです。

もう一か所は、青柳に鎮座する三峰神社です。地名「青柳」なので、俺が行かなくてどうする、という三峰神社です。

葛西用水沿いにある民家の脇に、社だけの小さな神社でした。ここもちゃんとgoogle地図には載っています。

社の中には、三峯神社のお札と「御眷属守護」の箱も。オイヌゲエも行っているらしい。ここも確かめてないですが、講が存続しているのかもしれません。

草加の歴史」によると、葛西用水は、万治3年(1660)に開削されました。また、草加では火事が何度か起きています。

天明4年(1784) 草加宿5丁目から出火.。2丁目八幡神社際まで焼け野原となる
文化5年(1808) 草加宿3丁目から出火、南は2丁目八幡神社まで、北は5丁目東福寺門前まで類焼、大火となる
明治3年(1870) 草加宿6丁目から出火、約450戸が焼失

これらの火事と、三峯神社が関係するのかどうか。街の中なので、上尾市農村部のような作神信仰としてではなく、火伏の神としての信仰だったとは思います。

 

 

 

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2019/07/06

ヴィーノが空を飛ぶ~

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「羽犬」をイメージした ヴィーノです。こんなふうに空を飛んでいたら、気持ちいいだろうなぁと思って描いた団扇絵です。

最近は、梅雨で蒸し暑いときもありますが、寝苦しいほどの暑さはまだなく、これからの本格的な暑さ襲来を恐れている段階、「戦いの前夜」の心境です。

以前は、東南アジアを旅行することが多く(たまたま先日はペナン島に行きましたが)、自分でも暑さには強い方だと思っていましたが、ここ何年か、炎天下を歩いていて頭痛がしたり、帰宅後ぐったりすることがあって、歳のせいかなぁと思っていたのですが、もちろんそれもあるでしょうが、やっぱり異常気象というか、年々気温が上がっているようにも感じられます。

ラオスのゲストハウスで会ったスイス人旅行者と、最近、自国が暑くなっているという話をしていたら、地元のラオス人も、最近は暑くなったといったときには驚きました。こんなに暑い国でもさらに暑さを感じるのかと。

日本の最近の大雨も「異常」ではなくなりつつあるのを感じます。毎年大雨の被害が出るようになってきました。理由はよくわかりませんが、気象の専門家がいうように、大気中の水蒸気が多くなり、雨が多くなったということなんでしょうか。結局、地球温暖化が理由になるのでしょう。

これ以上地球の平均気温が上がっていくと、生物が住めない環境になってしまいます。徐々になら(何万年もかけてなら)「進化」という方法で、環境に合わせた生物が生まれても行くでしょうが、数十年単位では、この「進化」という方法は使えないので、じゃぁどうするか、となったときには、環境の方を元に戻すことしか方法はない、ということなんでしょう。

とはいえ、数十億の人間の活動を、今さら昔に戻すと言っても至難の業で、現実的には簡単ではありません。でも、方法がそれしかないのなら、その方向をみんなで向いて進むしかないわけです。

誰かのように(確か、「宇宙人」と呼ばれていたな)、「地球から見れば、人間がいなくなるのが一番優しい」みたいなことを言うのも、自分が人間であることを棚上げにした、まったく意味のない発言を聞くと、ますますイラつくだけです。

もっとも彼が本当に宇宙人だったら、話は別ですが。 

 

 

 

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2019/07/05

【犬狼物語 其の三百七十~七十一】 東京都台東区/墨田区 浅草寺境内社の三峯神社&天祖神社内の三峯神社

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浅草寺は、今や、外国人観光客の方が多いのではないかと思うくらい外国人がたくさん参拝しています。だから、ついでに先日マレーシア・ペナンで使いきれなかった外貨も、両替所で日本円に戻そうと思って持って行きました。多少レートは悪かったようですが、簡単にマレーシア・リンギットも両替できました。

カメラを提げているからでしょうか、外国人のグループからは、スマホを渡され、写真を撮ってほしいと頼まれます。職業柄、しっかり撮ろうとしてしまいますが、「Good photo !」などと言われるとやっぱりうれしくなります。

 浅草寺の境内社に三峯神社があります。火災が多かった江戸で、三峯信仰が盛んになり、各地で講が組織されたり、三峯神社が建てられたりしました。

なので、火防の守り神として三峯神社は本堂を向いているそうです。火を消す水の水源地が三峯など秩父の山であったことも江戸の人たちが三峯を信仰した理由のひとつだったようです。残念ながら、ここにお犬さま(狼)像はありません。

浅草寺から歩き、隅田川を渡って、業平2丁目に鎮座する天祖神社を目指しました。

左手にそびえるスカイツリーが、あいにくの天気で、先っぽがじゃっかん霞んでいたようです。

天祖神社は思ったほど大きな神社ではありませんでしたが、スカイツリーが背景に見えるというのは、やはり写真的にはいいロケーションです。晴れていたら、もっといいかなと思うので、また、あらためて撮影し直したいと思います。

社殿に向かって左側には、富士塚のような溶岩の上に三峯神社が鎮座します。

「押上講」が組織され、この三峯神社が勧請されました。でも、おしなり商店街振興組合のHPによると、

「「押上講」は途絶えてしまっており、境内にある溶岩を使った社殿に往時の面影を残すばかりとなってしまいました。」

とあります。

 

 

 

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2019/07/04

【犬狼物語 其の三百六十七~三百六十九】 埼玉県さいたま市 岩槻区の三峯神社&天満宮の三峯社&氷川女體神社の三峯山大権現の碑

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さいたま市の三峯神社を周りました。

『オオカミは大神』の第二弾として考えているのが、「東京狼」という企画です。「東京」とは言っても、実際は関東圏の狼像を紹介する本と考えています。この場合の「東京」は、山形出身者である俺たちの「大都会」というイメージもあります。「大都会」と「狼」というギャップが面白いかなと。

もちろん企画段階で、版元が決まっているわけではありません。いつものことですが、自分の企画先行で、興味を持ってもらえる版元に出会えば出版が実現するし、出会えなかったら、没になるという厳しい事情は何も変わっていません。でも、自分が面白いと思ったものは、全国を探せば300人はいると思うし、このネット社会なら、その300人にアピールすることはできるでしょう。そしてその300人が10人にアピールしてくれれば、なんとか出版はできます。

そんな理由で、今年は関東地方の三峯神社や御嶽神社を歩いているのですが、狼像(お犬さま像)となると、なかなか新しい発見はありません。そんな中、下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるではないですが、高さが18cmほどの像が納めてある神社がありました。対ではなくて1体しか見当たりません。さいたま市岩槻区の三峯神社です。

あとでネット検索したら、すでに他の人がアップしていたのですが。しかも、何年か前に撮られた写真で、そのときは、目線と同じような高さに置かれていたようで、今よりも見やすい位置にあったことがわかりました。その写真によると、この狼像は、何か(猪)を抱えている(押さえている)ようです。

雨の中、傘をさして写真を撮っていると、そこに杖をついたご老人がお参りに訪れたので、多少の期待を持って「すみません。この三峯神社の氏子の方ですか?」と声をかけてみました。すると、氏子ではないですが、毎日、この神社を含めて3社をお参りしているそうです。

そして「毎日お参りしていると神さまと話ができるような気がして」というので、「どんな話をされましたか?」と聞くと、「おまえ、今日もよく来たなと」とのこと。日課になっているこのお参りの散歩が健康維持にもつながっているようです。ご老人にとって、神さまが健康状態を見守ってくれているという感覚があるのではないでしょうか。

残念なことに、賽銭泥棒なんかもいたそうで、社を覆う建屋も、以前はなかったそうです。いつごろ覆われたのか聞いたところ、ずいぶん前になるかなぁと言っていました。

その建屋には、雲形が相対するシンメトリー模様が施されているのですが、どうも、お犬さまが向かい合ってキスしているように見えてしかたありません。

 

次に、さいたま市緑区の天満宮の境内社の三峯社です。本殿の左側に、伊勢参宮記念碑と赤い社が建っています。この社に祀られているのが、資料によると、三峯社と稲荷社だそうです。

 

最後は、さいたま市緑区の氷川女體神社です。社殿1棟が埼玉県指定有形文化財に指定されている立派な神社です。境内に「三峯山 榛名山 大権現」の石碑があります。

石碑の右側面に「文久二壬戌八月」の文字が刻まれています。157年前に建てられた碑のようです。

埼玉県東部では、三峯講、榛名講、大山講なども昭和の時代まで盛んだったとのこと。他に境内には、伊勢参宮記念の碑も何基か並んでいます。伊勢講も盛んだったようです。『上尾市史』や『新編埼玉県史』などの資料からもそれがうかがわれます。

その中に「おかげ犬」なんかいなかったのでしょうか? 「おかげ犬」というのは、主人の代わりに伊勢神宮までお参りに行く代参犬です。まぁいたら、珍しさもあって記録されていたでしょうが。

 

 

 

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2019/07/03

【犬狼物語 其の三百六十六】 群馬県桐生市 三峯神社

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群馬県桐生市の三峯神社も、Google地図で「三峯神社」を検索して出てきた一社です。雷神嶽神社からの帰りに寄ってみました。

桐生市浜松町1丁目にありますが、もともとは川だったのでしょうか、帯状に窪んだ土地の脇に鎮座します。

鳥居をくぐって境内に入ると、左側に掲示板があって、三峯神社のお札が納められています。残念ながら、ここにもお犬さま像はなさそうでした。「講」として続いているのかわかりませんが、大切に管理されていることは感じます。

 

 

 

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2019/07/02

【犬狼物語 其の三百六十五】 群馬県みなかみ町 湯原神社隣の三峯神社の子狼像

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 群馬県みなかみ町の湯原神社境内にある三峯神社のお犬さまに会いに行きました。

平日の雨降りの湯原温泉街は、人通りも少なくひなびた温泉街という印象ですが、水上温泉郷には、水上温泉、宝川温泉、谷川温泉などあって、この湯原温泉が「水上温泉」として知られている古くからの温泉街だそうです。 

観光会館の西側、国道291号線を挟んだ高台に鎮座するのが湯原神社です。三峯神社は、その湯原神社に隣接した高台の際に鎮座し、温泉街を見渡せます。

三峯神社自体は大きくありませんが、祠の左右で守護する狼像は、子狼のようで可愛らしい。なにしろロケーションが素晴らしいし(たぶん晴れていたらもっと良さそうですが)、温泉に入ったあと、ついでにでもいいので、会いに行く価値はある狼像なのではないかなと思います。

 

 

 

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2019/07/01

【犬狼物語 其の三百六十四】 新谷尚紀著『神々の原像 祭祀の小宇宙』のしっぺい太郎の話

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新谷尚紀著の『歴史文化ライブラリー92 神々の原像 祭祀の小宇宙』(2000年 吉川弘文館)を読みました。

この中に「しっぺい太郎」の話が出てきます。しっぺい太郎は、静岡県磐田市で、今は「しっぺい」という名のゆるキャラとして活躍していますが、その元になった見附天神社に伝わる伝説の犬(狼)のことです。

【犬狼物語】でも何度か紹介しています。

人身御供で差し出される村の娘の身代わりになって、怪物と戦って死んでしまいます。同じような伝説は全国各地にあって、犬の名前が違ったり、登場人物が違ったりしますが、物語の基本形は、このようになります。

 娘ー旅人ー借りてきた犬ー怪物(狒々や猿など)

 見附天神社のしっぺい太郎は、長野県駒ヶ根市の光前寺から借りてきたという犬で、一方の光前寺の伝説では、犬の名前が「早太郎」になっています。とにかく、借りてきた犬でなければなりません。

 しかも、これ「犬」とは言っているんですが、ものによっては「山犬」であったり「狼犬」であったり「狼」であったりします。このあたりはあいまいです。ただ、何度も書いているように、日本の場合「犬」と「狼」は区別するのが難しく(時には狐とも混同があって)、現実にも山に棲むニホンオオカミと狼犬や野犬や家犬との区別は難しかったようっだし、ましてや伝説に登場する犬と狼が、きちんと描き分けられていることはないようです。

「この人身御供の伝説は、この見附天神社に限らず日本の各地に伝えられており、たしかに大林の指摘するとおり、年老いた猿や狒々、古狸などはいずれも山という自然と野生の世界の脅威を象徴的に表現したものと考えられる。そして、それを退治して人間の文化の領域が拡大されていく構図が描かれているといってよい。」とあります。

じゃぁ、なんでここに犬(狼)が登場するのでしょうか?

新谷さんはこう書いています。「その背後には、「自然・野生」と「人間・文化」という二項対立の世界観が存在し、娘と犬とにはその両者の境界を再確認する媒介項としての共通点があるということがわかる。」

「人身御供の物語に登場する犬について、それらが普通の犬ではなく、特別に大きな白い犬であったり、中には山犬であるとか狼であるとしている例があることに注意する必要がある。」

「大きな白い山犬」と聞くと、すぐ『もののけ姫』の白くて大きな三百歳の犬神、モロの君を思い出してしまいます。宮崎駿監督は、このしっぺい太郎の話を知っていたのでしょうが、モロの君と彼女に育てられた人間のサンは、ともに「自然・野生」と「人間・文化」との媒介者・仲介者でもあったようです。

全国の犬像をめぐる――忠犬物語45話』では、京都府与謝野町に鎮座する大虫神社に伝わる「麻呂子親王の鬼退治と白犬」に因んで奉納された2対の犬像を取り上げました。この伝説の犬(山犬)については、「自然と人間との橋渡しをする」と書きました。

「犬(山犬)は昔から人間にとっては身近な野生であり、自然への案内人の役を担ってきたということでもあるのだろう」

このときはヴィーノと暮らしてきた体験から感じていたのでそう書いたのですが、『神々の原像』を読んで、あらためて、そうだよなぁと納得できました。

「日本の狼や山犬に対する霊獣観念は欧米の狼に対する害獣観念とは大きく異なり、「自然・野生」の領域と「人間・文化」の領域との間で人間と相互に接近しあう動物としてのイメージがある。そのような狼や山犬のイメージを基盤とする犬へのイメージにより、この人身御供の怪物退治の物語における主役の座が山犬や犬に与えられてきたものと解釈できるであろう」

このあたり、狼に対するイメージは、西洋とは違っていました。家畜を殺される西洋で、狼は「敵」でしかありません。でも、日本では、馬産地を除いて、狼は農作物をシカやイノシシから守ってくれる益獣だったのです。しかも、「送り狼」などでも語られているように、狼は特別の理由がない限り人間を襲うことはなく、むしろ「後ろから付いてきて、守ってくれる」というイメージさえありました。狼はだから、「自然・野生」でありながら、ある時は「人間・文化」に近い存在というふうに言えます。少なくとも「敵」ではありませんでした。

そしてもうひとつ、犬や狼が、安産のシンボルにもなっている点にも触れています。

「犬が女性の営為を守るという民俗の伝承の背景には、ここで確認してきた人身御供の物語における犬と安産祈願の犬との両方に通底する「自然・野生」と「人間・文化」の両界の媒介項としての犬と女性との共通性への観念が民俗の中に深く静かに伝えられてきているからではないかと考えられる。」といいます。

狼は神秘的です。たしかに自然を象徴する存在でもあります。ただ、「もういない」ということも関係あるのかなぁとも思っています。つまり、絶滅して、より「神」に近くなったというふうに感じるからです。

古来からの農事の神とし狼を崇めてきたのですが、明治になって、自然破壊が進むのと同時に、狼も居場所を無くして人間を襲うなど、「神(神使)」の座から「害獣」の座に引きずり降ろされた感があります。だから躊躇なく殺すこともできた、のではないのかと。

それがもう絶滅したとなれば、もう人間に害を及ぼすことは100パーセントないので、再び神の座に戻ったのではないかなどと考えるのです。

 

 

 

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