『遠野物語』カッパ淵でのヴィーノ
遠野について書くことになり、原稿を考えていたのですが、突然、思い出したことがあります。
これは、犬だけではなく、狼にも通じる(と俺が感じている)ことでもあります。
ヴィーノを連れてカッパ淵を歩いたときのことです。ヴィーノは嬉しそうに川の水を飲み、高さ60センチほどのカッパ像の匂いをかぎました。でも、どうもそわそわして落ち着きがない。クーン、クーンと鳴いて、リードを強く引っ張ってどこかへ行こうとしました。
「ヴィーノ、どうした?」
すると、観光客のおばさんが、騒ぎ始めたヴィーノを見て、
「このワンちゃんにはカッパが見えるようねぇ」
といったのです。
なるほど、と思いました。昔の人間にも見えていたカッパ。でも時代と共に、見えなくなってきました。犬にはわかるようです。(「ゲゲゲの・・・」の水木しげる氏にも見える?)
この場に漂うある種の気配です。自然との対話の場所。あるいは死と生の境をいったり来たりできる空間。そんな場が、カッパ淵にはあるのかもしれません。
犬は人間のように理屈で自然を理解することはありませんが、自然そのものを感じることは出来るに違いないのです。そこがどういうところか直感することはできるのでしょう。でなかったら、生きのびられないからです。
そしてもう一カ所、遠野の北、荒川高原牧場への途中に、「犬淵」という地名があって訪ねました。その集落の入り口にあった山神さまです。人間がくぐるには鳥居が低く、まさか犬用の鳥居ではないでしょうが、ふしぎな光景です。
ここでもある気配を感じたのか、ヴィーノは落ち着きません。
犬は、超高感度の感覚器官を持っています。人間には聞き分けられない音や嗅ぎ分けられない匂いもちゃんとわかります。
人間が発達させた脳によって「賢く」はなったかもしれませんが、そのかわり失った「感覚」というものがありそうです。犬は細部に敏感です。感覚器官から入った情報をそのまま生かしているようです。一方、人間は環境をそのまま見るのではなく、いったん脳で処理して、おおざっぱな概念で見ています。だから、極端に言えば、人間は見たいと思ったものだけ見ているらしいのです。
直接的に自然を感じる犬が、そばにいることは、人間に本当の自然を思い出させてくれるといえるかもしれません。先日の話の、犬(狼)が「自然への案内人」というのがよくわかります。
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