【犬狼物語 其の三百七十七】 山の神と狼
「山の神」と聞くと、箱根駅伝5区の「山の神」を思い浮かべる人もいるでしょうが、今日の「山の神」は文字通りの山の神です。
自分の奥さんのことを「うちの、かみさん」という人がいますね。「かみさん」は「神さん」のこと。もっと直接的に「山の神」と呼ぶ年配者もいます。俺はいいませんが、「かみさん」は「山の神」のことだそうです。
春には山の神が里に下りて田の神となり、秋の収穫後に、ふたたび山へと帰るという交代説はよく聞く話だし、俺も何度か原稿で書いたことがあります。
狼像を探して歩いていると、よく「山の神」の石碑や祠に出会います。運が良ければ、そこに狼像が伴います。
大護八郎著『山の神の像と祭り』によれば、山の獣や鳥を狩り、山草や木の実などの自然物に頼り、山から流れ来る水が生活に欠かせないものだった石器時代から、自然、山に対する感謝が生まれ、それは信仰になった。山の神に対する信仰は、山自体をご神体に感じていたという。
「人類の信仰の発達史からいえば、山の神こそその原初のもの」と大護氏は言う。
そして、山の獣の王者であった狼が山の神を守る神使になったというのも、自然な成り行きだったのかもしれません。
また山の神は豊穣の神、お産の神でもありました。狼や犬の多産・安産のイメージとも相まって、山の神と狼との親和性が生まれたとの指摘もあります。だから、山の神を守っている狼像を見ることもあります。掲載の写真(一番上)は、岩手県大槌町の「山の神」碑の鳥居に掲げてあった男女の山の神と狼の図です。
堀田吉雄著『山の神信仰の研究』によれば、縄文時代の土偶も山の神像のルーツとの説もあるようです。
国立博物館で展示されていた土偶。おっぱいがあって、お尻が大きく誇張されているのも、山の神=豊穣の神に通じるものかもしれません。
ただ山の神の像の多くは、仏教伝来以降、仏像などの影響を受けて造られるようになったらしい。だから、地方によって、山の神の像は千差万別です。
男の神像だったり、女の神像だったり、男女の神像だったり。鳥の形をした山の神像もあります。
山形県最上郡鮭川村の山の神神社には、女神像といっしょに男根石が祀られていました。山の神は豊穣の神、お産の神、生産の神ともいわれるので、男根石が祀られるのも、わかるなぁという感じです。
山で失くしものをしたときは、山の神の前で、オチンチンを見せると、失くしたものが見つかる、などという話もあったそうだし。この場合も、山の神は女神ということです。また、マタギは、山の神にオコゼの干物をお供えしたというのがあり、これも、女神である山の神が「自分よりも醜いものがある」と喜ぶからだそうです。
神社の前でオチンチンを露出するなど、今やったら、すぐ通報されて捕まるような行為ですが、山の中でひとり、長い時間過ごすことが多かった昔の猟師や炭焼きにとって、ある種の慰めというか、精神安定剤にもなっていたのではないかと思います。もっと直接的に、神木に精液をかけると、もっと女神は喜ぶという話もあったそうです。
とにかく、「山の神」を怒らせない、喜ばせることが昔から大切なようです。
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