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2019/09/29

【犬狼物語 其の三百九十六】 群馬県太田市 石原賀茂神社の「救命犬」再訪

287a4359 287a4388 287a4384 287a4376 群馬県太田市、「鳥居のない神社」として有名は石原賀茂神社の「救命犬」の像を再訪しました。

相変わらず交通量の多い道ですが、交通事故から人間を守ってくれているようにも見えてきます。

それこそ「救命犬」。

「鳥居がない」ことには、この犬が関係していました。

平成18年(2006年)に建立されたこの「救命犬之像」の後ろには、「鳥居の無い由来の碑」があります。それによると、

 

徳川のむかし、京都を発した日光御礼参の例幣使の行列が道中の安全祈願をかねてしばらく賀茂神社の境内で休んでいる時、にわかに一匹の犬が激しく吠えはじめた。

不審に思った供侍が吠えたてる犬を追い払おうとして何度も何度も制したけれど犬はなお激しく訴えるように吠えたてて逃げようともしなかった。怒った供侍はとうとうこの犬を切り捨ててしまった。

すると意外なことに胴をはなれた犬の首は空に飛び上った。あれよと人々が見上げると犬の首は鳥居の上の大蛇に噛みついた。たまたま鳥居下に休んでいた例幣使に犬は大蛇のいる危険を知らせる為に盛んに吠えたのだった。

例幣使は自分を助けようとして吠えたことがわかった。このため日光から帰ってくるまで犬の供養をして塚をこしらえておくようにいってこの神社を去った。

そこで犬を供養しその上に石尊様をまつった。この為村では鳥居があったので蛇がそこへあがったということで神社の鳥居をはずしてしまい今もないのだという。

 

鳥居がないのは、こういう理由だったのですね。

この物語は、以前来た時にはわからなかったのですが、日本全国に点在している小白丸型伝説でもあるようです。うるさく吠えて、刀で切られたとき、犬の首は、大蛇に噛みついて、人間を助けた。人間は、犬を誤解したことを悔やむ、というパターンの物語です。これに「例幣使」という地元に由来する話が合体したようです。

さんざん「危険な運転はしないで」とうるさく言っても、聞く耳を持たず、結局事故に遭ってから、後悔する、などといった話はこの物語と通じるような気がします。

ところで、拝殿左側に境内社があって、中を除いたら、丸っこい石が祀られていました。これは何でしょうか。

 

 

 

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2019/09/19

【犬狼物語 其の三百九十五】 東京都渋谷区 宮益御嶽神社の例大祭

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9月17日、18日は渋谷駅に近い宮益御嶽神社の例大祭。

17日には、例大祭サーカス宵宮ライブがあったようです。

18日午後には神社で神事が執り行われ、そのあと神輿渡御が行われました。

始まる前、担ぎ手が紹介されました。地元の銀行や店の方から何人かづつ参加しているというのがわかりました。今年は男49名、女19名の合計68名の参加です。

あいにくの雨でしたが、大雨ではなかったのは幸いです。

この神社の例大祭は、狼信仰の神社(お犬さま像・狼像が置いてある神社)の中で、一番の大都会で行われる祭りだったので、個人的には思い入れのある祭りなので、どうしても見てみたかった。でも、もし天気が良かったら、静岡県の棚田の撮影に行かなければならなかったので(逆取材を受けることになっていたので)、今年は祭りを見るのはあきらめていました。

神輿とお囃子の太鼓は神社の階段を下りて、宮益坂に出て、いくつか通りを周りながら、ヒカリエの1階入り口のところで休憩に入りました。

途中、大通りを横断するとき、急いで歩道橋に上って、神輿の様子を写真に撮りましたが、さすがに宮益坂から渋谷駅前の風景は大都会です。その中を悠々と進む神輿集団は、現代の「時代絵巻」を見るようでした。

それにしても、大都会の祭りというと、浅草の三社祭とか、京都の祇園祭とかイメージしますが、そういう祭りとは違います。場所はたくさんのビルが建ち、車も多い大都会ではあるんですが、雰囲気は村祭りです。

 担ぎ手も近所の銀行や店の人で、神輿の前になったり後になったりして写真を撮るカメラマンも、俺を含めて4人くらいしかいなかったし。そこが不思議な感覚で、また面白いなぁとも思いました。

  周りの風景があまりにも大都会なので、かえって村祭りの様相を呈する神輿渡御に、「がんばってるなぁ」と応援したくなってきます。

 

 

 

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2019/09/16

大山詣り

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久しぶりのヴィーノ連れ旅行です。

神奈川県伊勢原市の大山に行ってきました。大山ケーブル駅から阿夫利神社駅までは、キャリーケースに入れれば犬(ペット)も乗車できます。この急坂を上り下りするケーブルカー、ペット乗車可、拝殿前の立派な狛犬を見ると、武蔵御嶽神社と似た雰囲気です。

犬にはけっこう大変な登山道で(実は、私たち夫婦の方がバテたのですが)山頂までは行かずに、途中から引き返しました。下山は特に危ない。ヴィーノが急坂でも平気で引っ張るので何度滑りそうになったことか。

江戸時代から明治時代にかけて大山講(石尊講)がたくさん組織され、大山詣りをする人がたくさんいました。信仰心もあったようですが、娯楽的意味合いが多かったようです。大山と江の島観光がセットだったらしい。(阿夫利神社の下社からは江の島が見えます)

『大宮市史』『上尾市史』によると、大山は出世神でもあったそうです。上尾にも大山講があり、14、5歳になると、男子は大山詣りをしました。これが一種の大人の儀式のようで、借金してまでも大山詣りをしないと、一人前として認められなかったといいます。初めての登拝を「初山」といいました。

上尾から行く場合は、平塚まで汽車で行き、そこからは遠い距離を歩きでした。そのため下駄では大変なので、草鞋や地下足袋で行きました。でも、帰り、江の島、鎌倉、東京を通るとき草鞋ばきは恥ずかしいので、せめて地下足袋をはいて行きたいと言って買ってもらった人もいたそうです。いつの時代も同じですね。ちなみに境内に立っている「大山詣り」の像は、裸足ですけどね。

阿夫利神社の下社には大山名水が出ているところがあります。奥には燈明が灯された拝殿横の屋内(地下?)です。 癖がなくおいしい水です。

また、大山も含み、富士山、大雄山をお参りするのは「三山詣り」といいました。

明治時代、1匹の犬が、主人といっしょに「三山詣り」をしましたが、犬はとうとう疲れて歩けなくなってしまいました。

犬は、大雄山の寺に預けられ、その何日か後に主人の元に戻りましたが、犬の飼い主はお礼にと、寺にその犬が生んだ子犬をあげました。

その犬は、後に優秀な番犬となり、南足柄市の大松寺で晩年過ごしました。そして死んだあとは、立派なお墓が建てられ、今でも大松寺境内に残っています。それが「老犬多摩の墓」です。

 

 

 

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2019/09/12

「魔よけに保存か 民家にニホンオオカミの頭骨」のニュース

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(眉山公園からの徳島市)

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(インドネシア・スラウェシ島のお守り)

 

「魔よけに保存か 民家にニホンオオカミの頭骨」のニュース
徳島新聞より

徳島市国府町の民家でニホンオオカミの頭骨が見つかったというニュースは、ちょっと衝撃的です。いまだにこういう発見があるのかと。

民家のリフォーム工事中、大工の高木さんが神棚の奥から見つけたらしいのです。家主もその存在に気が付いていなかったようです。おそらくご先祖からも聞いていなかったのか、あるいは、忘れてしまっていたのか。

県立博物館では「ニホンオオカミである可能性が極めて高い」との鑑定結果を出したそうです。

『全国の犬像をめぐる』『犬像をたずね歩く』のときは四国各地の犬像を訪ねましたが、『オオカミは大神』の取材では、中国地方は周りましたが、四国は行きませんでした。でも、四国でも狼信仰が盛んだったことがだんだんわかってきて、いずれ行かなくては、と思っていた矢先にこういうニュースがあると、まるでオオカミに呼ばれているような気にもなります。

秩父を中心にした関東でも、オオカミの頭骨が発見されたことがあります。頭骨は病気を治すために祀ったり、削って飲んでいたりしたそうですが、四国でもオオカミの頭骨を祀る習慣はあったようです。

発見した髙木さんによると、祖父からオオカミの頭骨を魔よけとしてまつる習慣があったことを幼少時に聞いていたという。だから「もしかしたらオオカミか?」と思って、博物館に持ち込んだようです。

県立博物館でも「過去には、頭骨をまつる信仰が県内であったことを示す古文書付きの頭骨が当館へ寄贈されたことがあり、今回の頭骨も信仰に関係があるだろう。資料が乏しく断定できないが、箱にしまって大事にしていた様子から、魔よけの可能性はある」と言っています。

こういった動物の骨をお守りにしたり、祀ったり、煎じて飲んだりという話は、アジアの旅でもなんどか聞きました。中国雲南省のハニ族は、豚の顎骨を祀っていたし、インドネシア・スラウェシ島のトラジャ族は、水牛の頭骨、フィリピン・ルソン島のイフガオ族は、豚(猪?)の骨を魔除けに祀っていました。

上に掲載の写真は、スラウェシ島の村で手に入れたお守りですが、この大きさだと、ネズミの顔の骨でしょうか。「魔除け」「お守り」と言われて買いましたが、単なる土産品(外国人向けの工芸品)だったのかもしれません。

 

 

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2019/09/11

【犬狼物語 其の三百九十三~三百九十四】 千葉県柏市 廣幡八幡宮内の三峯神社&埼玉県越谷市 久伊豆神社内の三峯・御嶽神社

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(廣幡八幡宮)

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(廣幡八幡宮)

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(廣幡八幡宮内の三峯神社)

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(廣幡八幡宮内の富士塚)

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(久伊豆神社内の三峯・御嶽神社)

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(久伊豆神社の「足止めの狛犬」)

287a9994(久伊豆神社の「足止めの狛犬」)

 

 

今回の台風15号は、千葉県を初めとして各地に甚大な被害をもたらしました。昨日の夜、うちの周辺ではゲリラ豪雨がありました。台風の置き土産の湿って暑い空気が原因だそうです。うちの前が冠水しやすい道路だと分かって、大雨が心配にになってきました。

その台風が通過した日、千葉県柏市へ行く機会があり、廣幡八幡宮を参拝したら、境内には木の葉や枝が落ちていて、強風であったことをうかがわせました。

ここにも境内社として、厳島神社と合祀された三峯神社が鎮座します。それと富士浅間大神の富士塚もありました。

 

埼玉県越谷市の久伊豆神社にも、境内社として三峯神社と御嶽神社が大きなカヤの木のそばに鎮座します。

また、拝殿の左右には不思議な狛犬が並んでいます。前脚が縄で縛られているので、初め、壊れたからかなと思ったらそうではありませんでした。

これは「足止めの麻」と言い、家出、悪所通いなどしないようにとの願いを込めて家族が結ぶ麻縄だそうです。家族との絆を結び直すという願いも込めているそうです。 

 

 

 

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2019/09/06

「恋人たちの等間隔の法則」

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夕方、騒がしいなぁと思ったら、電線に多数の鳥。ムクドリでしょうか?

ここに越してきて初めてのことです。20分ほどして、鳥たちはどこかへ去りました。

鳥も、電線に止まるときは等間隔になるんですね。

日本や中国やベトナムやイランの公園へいったとき、恋人たちが等間隔で並んでいたのを思い出します。混雑したときだけなんですが、面白いくらい等間隔に並ぶんです。

これを俺は「恋人たちの等間隔の法則」と名付けています。この法則は、国籍や民族に関係なく同じだし、鳥も同じだったんですね。

と、いうことは、もしかしたら、植物も含めたすべての生物は同じ法則で並ぶのかもしれません。

これは心理学的なテーマでもあるかもしれません。なぜこうなるのか、研究したら面白いのではないでしょうか。(すでに研究済でしょうか) 

一応、俺の推理を言っておきます。あとでそこに来た人(鳥)が、すでにいる人(鳥)の、ほぼ中間に入るからこうなるんでしょう。じゃぁどうして中間に入ってしまうのか?

例えば、電車で座っているときも、詰めて座っているときは身動きできないですが、お客が下りて、席に少し余裕が出てきたとき、俺も、左右の人の中間に移動したりします。

もっとも最近の電車の横座りの席は、お尻の形に窪んでいて、位置がひとりひとり強制的に決められているものもありますが、それでも俺は、お尻に突起が当たっても、中間に座るときがありますね。

どうしてでしょうか? 両側の人に遠慮しているから? あるいは、「一番遠い位置」に移動して 「俺はあなたの敵ではないですよ」というアピールかもしれません。ただ「一番遠い位置」とは言っても、左右に人がいるから、結果、左右の人の中間の位置になってしまうということです。

 人にはテリトリー意識があって、それ以上近づくと攻撃するほど不快に感じる限界点があるので、なるべく「一番遠い位置」にいると快適になる。でも、離れすぎると、それはそれで寂しい。なので、そのバランスを取る位置かもしれません。

 

 

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2019/09/04

香港の混迷

 

香港へ頻繁に行っていたのは、80年代から90年代にかけてです。1989年には天安門事件がありました。あの時をきっかけにして、香港人には中国に対する不信感・危機感・恐怖感が生まれていたかもしれません。実際外国へ逃げた人々もいます。

そしてついに1997年には、香港はイギリスから中国へ返還されました。香港は50年間「一国二制度」でこのままだと言われていましたが、おそらく、中国の影響は強くなっていくだろうことは想像できました。

そして実際に香港の中国化が着々と進んできました。はたから見ていても、中国の圧力を感じていたのですが、当の香港人にしてみれば、その危機感・恐怖感は日増しに強くなっていたんだろうと想像できます。

中国の経済成長によって、相対的に香港の地位は軽くなり、香港が経済的にも中国に飲み込まれそうになっています。

前回の「雨傘革命」は民主的な選挙を求めたこと、今回のデモの発端となったのも「逃亡犯条例」改正案ですが、これはきっかけにすぎません。全体的に、体制も、経済も、文化も飲み込まれそうになっている危機感、それと経済格差に対する不満もあるでしょう。

そして、これは対岸の火事ではありません。これを「民主主義」「自由主義」というキーワードではなく、もっと別な見方もできると思っています。DNAレベルの話です。

このDNAについては、以前、こちらに書きました。

中国が尖閣列島を取りに来る理由 ---- 日本人とチベット人のDNA的つながりから考える(2012/11/09)

アジア大陸に住んでいたのは、D系統(古モンゴロイド系、縄文系)で、数千年の間で、漢民族を中心にしたアジア系O系統が広がってきて、古モンゴロイドのDNAは、「辺境の土地」であるチベットと日本列島などに残ったという。だからDNA的には、日本人(特に縄文系)は、漢民族よりもチベット人により近いということがわかったという話でした.

O系統の膨張に対する危機感をD系統の人たちは潜在的に持っているのではないか、ということなのです。DNAレベルの話ですが、現実問題として、今、アジア系O系統は、この数千年膨張し続けているのは事実です。

香港も、この流れからいうと「辺境の地」になるかもしれません。香港人の場合、すでに「中国人」ではないか、と言われるかもしれません。でも、香港人は、もともとは、中国南部に住んでいた「百越」の末裔(+他民族との混血)だったということを考えれば、必ずしもDNAレベルで、香港人=中国人とはいえないところもあります。少なくとも歴史も言葉も体つきも違う香港人が、漢民族と同じには見えません。実際に、香港人の中には「香港民族」という意識も芽生えているらしいのです。そして漢民族の方も、「野蛮な百越」と見ているむきがあり、もともと同じ民族としては思っていないのかもしれません。

O系統とD系統のせめぎ合いの最先端が、チベット問題、ウイグル問題、香港のデモ、そして日本人にも関係してくる南沙諸島問題、尖閣諸島問題として表れているのかもしれないのです。

 

 

 

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2019/09/03

今日から二十四節気「処暑」、七十二候「禾乃登(こくものすなわちみのる)」

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(愛媛県城川町の棚田)

 

今日から二十四節気「処暑」の末候「禾乃登」です。

田んぼは黄色くなって収穫の喜びの時期を迎えます。

「禾(いね・のぎ)」は稲やアワなどの穀物のことです。

漢字の「年」は、元々は「秊」(禾 / 千)と表記された字です。「禾」は「稲魂(いなだま)」の象徴を表したものです。

「禾(いね・のぎ)」が入っているところから、稲やアワを栽培する周期が1年と考えられていたようです。

 

 

 

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