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2019/12/31

【犬狼物語 其の四百二十四】東京都板橋区 徳丸 北野神社の三峯神社

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東京都板橋区の徳丸 北野神社を参拝しました。ここを参拝するのは2回目ですが、前回はいつだったか、たしか稲作をテーマにしているころで、2004年に出版した写真集『アジアの棚田 日本の棚田』にもこの神社の写真を掲載しているので、2002年ころではないかと思います。

狼信仰を追って、まさか同じ神社にたどり着くとは、なんだか不思議です。もっとも「稲作」と「狼信仰」にはつながりがあるし、別に不思議ではないわけですが、とにかく、お犬さまに導かれたのは確かなようです。

この境内に三峯神社が祀られています。神職さんの話では、講員は北野神社の氏子さんの何戸かで、ちゃんと三峯講は存在し、毎年ではないようですが三峯神社に登拝しているということです。

新しい白木の5柱が祀られた社の真ん中が、三峯神社でした。

ところで、前回参拝した時は、ここで「田遊び」の写真を撮るためでした。掲載している「田遊び」の写真はそのとき撮影したものです。

「田遊び」は「予祝儀礼」と呼ばれる稲作儀礼のひとつで、日本各地で行われています。旧正月にその年の五穀豊穣と子孫繁栄を祈願し、田の神に奉納する神事芸能で、一年の稲作りの手順を真似してみせることで、田の神が豊作を授けてくれることを願うものです。 

日本各地にあり、他に「御田植」「御田」などとも呼ばれています。その古い形をとどめた儀礼が、東京都に残っているのは意外な感じがしましたが、もともと湿地だった板橋区は、明治維新後に水田が拓かれ「徳丸・赤塚田んぼ」と呼ばれ、近年まで東京のコメ所でした。

昭和40年代に入ると高島平団地が開発され、水田は姿を消してしまいましたが、この「田遊び」だけが残りました。

現在、2月11日の「徳丸北野神社田遊び」と2月13日の「赤塚諏訪神社田遊び」が国の重要無形民俗文化財に指定されています。

徳丸北野神社の田遊びは、拝殿の前に注連縄を張って作られた聖域「もがり」の中で、1年間の農作業のしぐさが面白く演じられます。見ていてもわかりやすく楽しいものです。特に種蒔きのときの「福の種をまーこうよ」という唄が印象的で耳に残ります。

田遊びで使うモチや道具類の一番奥に見えるのは、「よねぼう」と呼ばれる稲を象徴する人形です。

媼面をつけた「安女(やすめ)」と翁面の「太郎次」とが、抱き合って生殖の様子を演技し、五穀豊穣を表現します。稲もこれに感染してたくさんの実を結ぶようにとの願いを込めるわけですね。

 

 

 

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【犬狼物語 其の四百二十三】東京都板橋区 桜川 御嶽神社のお犬さま3対

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東京都板橋区の桜川御嶽神社を参拝しました。東武東上線の上板橋駅を出て、南に続く上板銀座商店街を抜け400mほど歩くと、城北中央公園に至ります。野球場や体育館があり、時折歓声が聞こえてきます。

その一角に御嶽神社が鎮座します。

正月用だと思いますが、鳥居から階段に向かって両側に提灯が下げられています。

この神社を3対の狼像が守っています。(プラス1体、正体不明の壊れた像が、正体不明の祠の横に置かれています)

一の鳥居そばの狼像は昭和35年奉納されたものです。階段を上ったところの二の鳥居横には昭和61年11月奉納の狼像がいます。

そして社殿の右側にある覆屋の中には、古い狼像がいます。

解説看板によると、

「信州の御嶽山(一説に甲州)を勧請したと伝えられる。境内にある嘉永七(一八五四)年銘の狼型狛犬は、山岳信仰を伝えるもので、同型のものとしては都内でも有数の古さを誇っている。毎年三月八日に行われる昆謝祭には、強飯式の面影を残す大盛飯の膳、大根で作った鶴亀(逢来山)を神前に供える風習が残されている。板橋区教育委員会」

だそうです。この古い狼像は、板橋区HPによると、下新倉(埼玉県和光市)の石工・石田栄蔵によって造られ、当時、神社の肝煎(きもいり)をつとめていた宝田氏・木下氏が中心となり安置したもので、「御嶽神社の狛犬」として板橋区登録有形民俗文化財に指定されています。

なお、看板には、「信州」か「甲州」とありますが、HPでは、「武州御嶽」を勧請したように書いてあって、つまり、三御嶽のどれを勧請したのかはっきりしていないようです。

まぁ、とにかく、原初的なパワーと同時に愛嬌も感じられる、すばらしい造形です。神社を守る狼像としてふさわしい姿をしているのではないでしょうか。「東京狼」の東京23区内の狼像の中では、1番か、2番目に好きな 狼像です。

3対とも、それぞれの時代の狼のイメージの違いも分かって、狼信仰の神社としても大変重要な神社だと思われます。

 

 

 

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2019/12/30

【犬狼物語 其の四百二十二】埼玉県和光市 浅久保 武蔵御嶽神社

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埼玉県和光市の浅久保・武蔵御嶽神社を参拝しました。

和光駅から南東方向へ徒歩約15分。東京外環自動車道を越えると浅久保通りになります。200mくらい行って、南側に入った突き当りです。

浅久保地区集会所の建物がありますが、その裏に、武蔵御嶽神社、稲荷神社(浅久保稲荷神社)、富士浅間神社(浅久保富士)が固まってあります。と、いうより、富士浅間神社の富士塚の中に3社が祀られているといってもいいようです。

武蔵御嶽神社前の碑文によると、御嶽神社が建てられたのは昭和58年10月のようです。

また、稲荷神社前には一対の狛狐が向かい合って置かれています。

 

 

 

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2019/12/29

【犬狼物語 其の四百二十一】埼玉県朝霞市 浜崎氷川神社の御嶽社

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JR武蔵野線・北朝霞駅を出て、線路に沿って東北方向へ300mほど歩くと、少し高くなった壁があり「浜崎氷川神社」と大きく書いてあります。

壁を回り込むように進むと数段の階段があり、それを上ると、氷川神社の鳥居に到着です。

鳥居を入ってすぐ、左手に本社が宮城県塩釜市にある鹽竈(しおがま)神社があり、参道の奥が氷川神社社殿です。正月の準備をしているところでした。

社殿の左側へ回ると、木曽の「御嶽(おんたけ)社」と、「御嶽(みたけ)社」が祀られています。この「雪の御嶽」「月の御嶽」2社が隣り合っているのを見たのは初めてかもしれません。

ネットで「御嶽神社」で検索するといろいろと出てくるのですが、それが「おんたけ」なのか「みたけ」なのかわからないことがあります。

でもこうしていっしょに並んでいて、ちゃんと表示もされていれば間違えることもありません。素人にはありがたい存在です。

長野県王滝村 の御嶽神社を「雪の御嶽(木曾の御岳)」、山梨県甲府市の金櫻神社を「花の御嶽(甲州御岳)」、東京都青梅市の武蔵御嶽神社を「月の御嶽(武州御岳)」といい、これが「日本三御嶽」です。

 

 

 

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2019/12/28

【犬狼物語 其の四百二十】東京都荒川区 諏方神社の三峯神社

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荒川区、JR西日暮里駅から徒歩7分の諏方神社を参拝しました。境内には三峯神社があります。

ここは江戸有数の景勝地、日暮の里<ひぐらしの里>として有名だったそうです。

「古くは新堀または入堀と表記したが、江戸時代中期には日暮里と書くようになった。(略)日の暮れるのも忘れるということから「ひぐらしの里」とも呼ばれた。(略)諏訪神社境内は諏訪台と呼ばれ、眺望が良く、厄よけなどの願いを掛けて高い場所から皿などを投げる土器投かわらけなげの遊びが盛んに行われた。」(「錦絵で楽しむ江戸の名所」より)

西日暮里駅の横の高台に位置します。駅に近い方が公園になっていて、神社はもう少し南側にありました。江戸時代は、もっと眺望がよかったはずです。たしかに桜や紅葉も見れて、行楽にはもってこいの場所だったかもしれません。

この神社は、「諏訪」ではなく「諏方」とありますが、現在は全国で一万有余ある諏訪神社で、「諏方」を使っているのは3~4社だけらしい。「諏方」というのは、古い時代の表記らしいのですが、ここではずっとこの社名を続けているとのことです。

拝殿の右側に「三峯神社」の矢印があり、本殿の脇に祠がありました。そこからは、木々を通して西日暮里駅のホームがよく見えました。電車がやってきては、仕事帰りか、乗客が忙しく乗り降りしています。

ホームの横の高台に三峯神社(諏訪神社さえも)があることはほとんど知らないでしょう。都会を守るお犬さま(狼)として、火災除け・盗賊除けが期待されて勧請されたのでしょうが、今は、なんでしょうか。交通安全かもしれません。

そして諏方神社には、御嶽山大神の碑があるのですが、これは「木曽おんたけ山」だそうです。三峯神社とは反対側、拝殿に向かって左側の社務所を通り越した一角にありました。中央に「御嶽山大神」、左側に「三笠山大神」、右側には「八海山大神」とある石碑です。

奥の暗がりに、スポットライトのように光が当たって、ちょっとドキッとしました。

 

 

 

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2019/12/27

今日から二十四節気「冬至」、次候「麋角解(おおしかのつのおつる)」

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今日からは、二十四節気「冬至」、七十二候「麋角解」です。

「鹿の角が生え変わるために落ちる時期」という意味。

七十二候の「麋(さわしか)」とは「なれしか」とも読み、トナカイの和名だそうです。

写真は、北海道幌延町トナカイ牧場の写真です。これは夏に撮影したもので、今の時期、これが落ちるわけですね。

 

 

 

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2019/12/26

【犬狼物語 其の四百十九】埼玉県小川町 大塚三峯神社

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埼玉県小川町の大塚三峯神社を探しました。

三峯神社は、コインランドリーとアパートの間の奥まったところ、東武東上線と八高線の小川町駅の東200mほどの線路沿いに鎮座します。

電車がすぐ後ろを通過します。これは東上線でしょうか。暗くなり始めていたので、電車の窓が光線となって流れていきます。こういう立地の三峯神社を見たのは初めてです。

社の左横に建っているのは「三峯神社 遷宮之碑」とあったので、この神社、もともとは別のところにあったようです。

納められていたお札が「大塚講社御中」となっているので、講は機能しているようです。

「百拾八戸」とあるのは講員の戸数なのでしょうか。お犬さま1体で 50 戸を守護する、50 戸以上の講では2体拝借するとと言われているので、ここでも2体のお犬さまが祀られているかもしれません。

 

 

 

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【犬狼物語 其の四百十八】群馬県藤岡市 諏訪神社の「社頭の虎」と三峯社

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群馬県藤岡市の諏訪神社を参拝しました。

ここの狛犬はちょっと変わっているらしいというので、確かめに行きました。もしかしたら狼像ではないのかと。そして思いもかけず境内には三峯社もありました。三峯社があるならなおさら狼像かもしれないと期待は膨らみます。

拝殿前、左右に向かい合うように石像が護っています。遠目では、狼像にも見えます。ただ近づくと、顔つきは猫のようです。とくに右側の像の胴体には、うっすらと縞模様も見えて、ネコ科の虎か?という感じです。

実際、これは虎像でした。虎像に疑いの余地はありません。由来がはっきりしているからです。

これは大正9年10月29日、陸軍大臣・田中義一が、この藤岡で、料亭「富士川」の娘、出口文子さんを見初めて結婚し、記念奉納した石像だったのです。その詳しいいきさつは、社務所でいただいた小冊子、赤松義光著『小説 社頭の虎』に書かれています。

「田中夫妻はある日、お忍びで藤岡入りし、諏訪神社には東京の名工「石勝」作の虎の石彫り一対を寄進し、・・・」とあります。像の台座にも確かに「石勝」の銘があります。

この小冊子には、後の昭和2年、第26代内閣総理大臣になった田中義一、奥さんの富美子さん(田中家は格式を重んずるため、文子さんはいったん日本橋田賀屋の養女となり、田賀屋から田中家に嫁入した)のモノクロですが、写真も載っています。22歳の時の文子さんの写真ですが、きれいな方だったのですね。

 ところで、なぜ「虎」だったのかというと、これも小冊子の中にあることが答えなのかなと思います。

 作者の赤松氏が田中義一亡き後、富美子未亡人を訪ねた時の様子です。

「床の間の掛け軸は、大家が描いた猛虎が今にも飛びかかるような逸品で、その下には純銀製の虎に目だけ純金製の虎の置物、周りの大戸棚には全国各地から蒐集した張り子の虎、こけしの虎、木彫りの虎、瀬戸焼の虎などおおよそ三百近い虎々 で埋めつくされていた。これは田中総理が寅年生まれの富美子を愛している証と思われた。」とあります。

ところで、本殿の裏側にまわると赤い社が建っていて、それが三峯社です。隣には「三峯大神」の碑。納められているお札を見てみると、講社あてになっています。三峯講について社務所で聞くのを忘れてしまいましたが(社頭の虎に話がいっていたので)今も登拝してお札をもらって来ているようです。 

 

 

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2019/12/25

【犬狼物語 其の四百十七】群馬県前橋市 亀里 三峰神社

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群馬県前橋市の産泰神社へ再び行く機会があったので、前橋市の亀里三峰神社に寄ってきました。

 神社のあるところは広場になっていて、「集落之碑」の碑文によると、昭和3年に焼失した龍門寺本堂があった場所らしい。ここに神社は3社あり、三峯神社は一番右側、高さ1m40cmほどの台座に祀られた石祠です。

祠の中には、竜門講社あての三峯神社のお札が祀られているので、確かめてはいないですが、ここでは講社が今も機能しているらしい。少なくとも誰かが三峯神社に登拝して、講社としてお札をもらって来ているようです。

 

 

 

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2019/12/24

【犬狼物語 其の四百十六】東京都北区 王子神社の狐像? 狼像?

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東京都北区の王子神社を参拝しました。東京十社の一社に数えられている神社だそうです。

境内社として御嶽神社が祀られているというネット情報があったからですが、どうも御嶽神社はないようです。社務所でも伺いましたが、「ありませんねぇ」とのこと。

その代わりというか、神輿殿の裏側に昔からあったという大きな岩の上に置かれていたのが、狐か狼かといったイヌ科動物の石像です。これも社務所で尋ねたら、誰かが置いて行った(勝手に奉納された)石像らしく、この岩とは直接の関係はありませんでした。残念ながら由来がわかりません。顔つきはキリリと締まって狼ふうですが、尻尾の太さから狐かもしれないし。

ところで、狼像探しには、たまに副産物があります。確たる由来・物語を持った狼像を見つけることはかないませんでしたが、この境内の関神社には珍しい「毛塚」があって、すぐにピンときました。そしたらやっぱり、理容・美容業・かつら屋などが髪の供養と感謝を込めて昭和36年に建てたもので、今は、髪に悩む人たち(もちろん俺のような人でしょうね)も参拝するようです。多髪(おおかみ)のご利益を見つけたのも、オオカミのお導きかもしれません。

 

 

 

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2019/12/23

【犬狼物語 其の四百十五】東京都北区 七社神社の三峯神社

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東京都北区にある七社神社の三峯神社を探しに行きました。七社神社は、渋沢栄一旧居・曖依村荘跡の「飛鳥山公園」の隣にあります。

拝殿前に茅の輪(茅草で作られた大きな輪)が設置されていました。年末・正月用でしょうか、大祓のとき、これをくぐることで、疫病や穢れが祓われるといわれています。七社神社の茅の輪の設置期間は、

6月1日~7月7日
12月1日~1月7日

となっています。 

さて、目的の三峯神社はというと、紅葉が根元を取り囲んで、まるで燃えているような願掛け公孫樹(イチョウ)の奥に、菅原神社と合祀された祠が建っていました。石灯篭もあって立派な祠です。ここに狼像(お犬さま像)があったらなぁと思うのですが、そう理想通りにはいきません。でも、狼信仰の痕跡をみただけで満足です。

三峯・菅原神社の前には「歯固め石 納め所」があって、先日もブログで書いた歯固め石が置いてあります。

また大通り(本郷通り)に出たところ、大鳥居前に一里塚がありますが、この位置は昔から変わっていないそうです。 日本橋からは2里目です。七社神社は、旅人の守り神でもあったようです。

 

 

 

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2019/12/22

今日から二十四節気「冬至」、初候「乃東生(なつかれくさしょうず)」

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冬至は、北半球では一年のうちで昼が最も短く、夜が最も長くなる日です。

冬至カボチャがおいしい季節です。ちなみにカボチャの語源は、「カンボジアCambodia」に由来します。カンボジアやタイでは、カボチャのプリンのようなものを食べましたね。市場に行くと、よく売っていました。

そして、冬至の対に当たるのが、一年で最も昼が長い日「夏至(げし)」です。そして夏至の初候は「乃東枯(なつかれくさかるる)」で、これも対になっています。

「乃東」というのは、「靫草(ウツボグサ)」のことで、冬至のころに芽を出し、夏至のころに枯れることから別名「夏枯草(カコソウ)」といいます。写真は夏至のころに撮影したウツボグサ(カコソウ)です。

 

 

 

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2019/12/18

【犬狼物語 其の四百十四】埼玉県上尾市 天神氷川八幡合社内の三峰神社

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上尾市藤波1丁目に天神氷川八幡合社があり、境内に三峰神社が祀られているとわかって行ってみました。自宅から車で8分ほどのところです。狼像はないだろうなと、ほぼ、期待はしていませんでした。関東の三峰神社に行き始めて、狼像がある方がめずらしいくらいです。

境内は比較的広々としています。集会所になっているようで、裏には子供が遊べるような遊具もあって小さな公園のようです。

拝殿の右、3つ並ぶ小祠の左が稲荷、中が三峰、右が浅間大神でした。やっぱり狼像はありません。お札らしきものも見当たりません。民俗調査をした平成元年ころはまだあったといいますが、上尾にはもう講が存在しないと教育委員会でも聞いているので、まぁしかたないとは思います。

祠には「平成二十四年六月二十五日再建」とあって、数年前に建替えられたようです。3つ並ぶ祠の一番右側には「浅間大神」という石碑が祀られています。

 

 

 

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2019/12/17

今日から二十四節気「大雪」、末候「鱖魚群(さけのうおむらがる)」

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今日から二十四節気「大雪」、七十二候は「鱖魚群」です。「鮭が群がり川を上る」といった意味です。

焼いた鮭とか、石狩鍋とか、ムニエルなどの鮭は大好きです。鮭は基本的に好きなんですが、生の鮭だけは、あまり好んで食べません。なので、寿司を食べに行っても、鮭だけは選ばないですね。どうも生臭く感じてしまうからです。でも、それしかないときは、もちろん食べます。

中国の東北地方のアムール川沿いに住んでいるホジェン族(赫哲族/ナナイ)の集落に行ったときは、ホジェン族の伝統食だと言って、川魚の刺身が出されました。(アイヌにも似た料理があったと思います)

魚の身とキャベツ(?)を千切りにしたものを醤油、唐辛子などで味付けしたものでした。これも結構生臭かったように記憶しています。この生臭さと鮭の生臭さが、俺の中で結びついているような気がします。

ただ、その食事よりも、大量の蚊(夏に行ったので)に悩まされたことの方が印象に残っていて、この川魚の料理がおいしかったのかどうか、生臭さ以外、ほとんど記憶に残っていません。

 

 

 

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2019/12/16

【犬狼物語 其の四百十三】埼玉県越谷市 越谷・香取神社の犬張り子と子安信仰

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北越谷駅から徒歩数分、越谷・香取神社が鎮座します。

香取神社では14柱の神様が祀られているそうですが、中でも木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)が祀られていることから、縁結び・安産・子授け・子宝の神社として有名だそうです。絵馬にも犬張り子が使われています。

境内にはこの子安信仰にまつわるものがいくつかありますが、犬張り子に囲まれた「安産の石(子宝石)」は、ご利益を求めて大勢の参拝者が撫でていくそうです。

特徴的な丸い石です。川で流れる間に削られて丸くなったものでしょうか。丸い石は、偏りのない、無垢な赤ちゃんを連想させます。

また安産の石の裏にまわってみると、そこには碁石のような白黒の石がたくさんあります。

これはお食い初め儀式の「歯固めの石」として使うもので、ちゃんと洗って使うようにとの注意書きがあります。

お食い初め儀式では、初宮参りを終わった赤ちゃんに、一生食べ物に困らないようにとの願いを込めて、尾頭付きの鯛・ごはん(赤飯)・汁物・煮物などを 箸でつまんで食べさせる真似をするものですが(基本は3回繰り返す)、そのとき、この「歯固めの石」も使います。石にちょんちょんと箸をつけて、赤ちゃんの口元に持っていきます。(実際に石を赤ちゃんの口元に持っていこうとする親御さんもいますが、これは危ないのでダメです)

香取神社では「歯固めの石」は神社に返すと、本殿玉垣の敷石として奉納されるということです。

 お食い初め儀式は、地方によって、また、レストラン・料亭で様々なやり方がありますが、レストランや料亭で頼む場合、石もセットでついてくるところが多いようです。

 ただ自宅でやる場合や、石がついていないところでは、親御さんたちが自分で石を拾わなくてはなりません。なるべく本殿(神様)近くから拾った方がいいとかあるようで、それも地方で様々なようです。

 

 

 

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2019/12/15

【犬狼物語 其の四百十二】神奈川県川崎市 九郎明神社の狼像(?)

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小田急多摩線の五月台駅から徒歩約8分。川崎市麻生区古沢に、九郎判官こと源義経を祀った九郎明神社が鎮座します。伊邪那岐命、菅原道真、宇迦之御魂(稲荷)神を合祀します。別名、久能社(くのうしゃ)。

古沢の静かな集落の奥、小高い山の中腹、石段を上ると竹林の中に社殿が見えました。

古沢町内会 – 麻生区町会連合会」によると、

「源義経が奥州から鎌倉に向かう途中この地に陣を敷き一夜を過ごしたと伝えられ、後の建長年間に村人により祭祀され、その後菅原道真など複数のご祭神が加わり今日に至っています。毎年9月には例大祭が行われ、その後子供達が楽しめる企画も子供会中心に催されます。」

とあります。

 社殿の左側、竹林の下には、台座に載った1対の石像が向かい合って置いてありますが、ネットでは、これを狼といっているのもあれば、狐といっているものもあります。

今までお犬さま(狼)像を見てきた感じからいうと、尻尾の巻き方などから狼像かなと思われるのですが、どうでしょうか。

これも「ゴジラ型」と俺が勝手に名前を付けたお犬さま像のカテゴリーに入るのではないかなと。とくに壊れていない方の顔はゴジラと似ています。

 

 

 

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2019/12/14

【犬狼物語 其の四百十一】東京都多摩市 瓜生御嶽神社のお犬さま(狼)像

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東京都多摩市にある瓜生(うりゅう)御嶽神社を訪ねました。

京王永山・小田急永山の駅から、徒歩7~8分ほどのところにあります。

瓜生自治会館隣の参道を進み、石段を上った社殿の左わきには「御嶽神社再建記念碑」があって、この神社の由来を知ることができます。

「本社は、瓜生地区の鎮守として建立されたものである。昭和四十一年より開始された多摩ニュータウン開発と多摩土地区画整理事業のため、本社も仮移転を余儀なくされた。前記事業終了とともに、氏子の総意によって、元地への建替えが決定され、氏子を始め地区居住の多くの人達の浄財を集め建立されたものである。当地区の鎮守として鎮座させ、末永く地区の人々の平安と発展の御守護を願い、建立を記念してここに記す。 平成元年九月吉日」

狼信仰の神社の中では新しい神社です。社殿の両側に座っているお犬さま(狼)像も、 建立は平成元年(1989)9月です。

多摩ニュータウンは、多摩丘陵に開発された日本最大規模のニュータウン。事業が始まったのは1960年代です。神社はどこかに仮移転したようですが、その後ここに戻ってきました。「平成」の始まりからずっと地域を見守ってくれていた神社です。新しい「令和」になっても、この地域を見守り続けるでしょう。

犬像も、狼像も、「そこ」にあることが大切なのです。「そこ」とのつながりがあるからこその犬像であり、狼像なのではないでしょうか。土地と離れて物語を失った像は、たんなる石の塊です。

ところで、 御嶽神社、瓜生公園から南へ続く通りは桜並木にもなっているようです。

 

 

 

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2019/12/13

【犬狼物語 其の四百十】埼玉県熊谷市 伊勢神社内三峯社(?)

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 ネット情報で、熊谷市八ツ口の伊勢神宮内の祠に、三峯神社の木札が納められているとあったので尋ねてみました。ところが、伊勢神宮自体の様子がまったく変わっていたことに驚きました。

「2011-11」とあるので、8年前の記事ですが、そのときは鬱蒼とした鎮守の杜に鎮座していたのがわかります。今は、その杜がなくなって、隣には新しい住宅も建って、道路から丸見えの、開けた土地になっています。

かろうじて境内は残されていて、伊勢神宮と、三峯神社らしき小さな祠も残されていました。たしかに祠の中にはお札が納められています。「御眷属拝借」と読めます。

 

 

 

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2019/12/12

今日から二十四節気「大雪」の次候「熊蟄穴(くま あなに こもる)」

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今日から二十四節気「大雪」、世間では、七十二候「熊蟄穴(くまあなにこもる)」ですが、毎年恒例となりましたが、我が家のオリジナル七十二候は「人狗蟄炬燵(ひといぬこたつにこもる)」です。

解説はいらないと思いますが、ヴィーノの様子はまさにこれ。人(俺たち)もそうです。ただ、今年は引っ越したので、炬燵を使うかどうかわからないですね。炬燵を出すほど寒くはなってないし。


 

 

 

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2019/12/11

【犬狼物語 其の四百九】群馬県前橋市 産泰神社の犬張り子型「安産子育て戌」

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群馬県前橋市の産泰神社の主祭神、木花佐久夜比売命は女性の神様で、安産・子育ての守護神として信仰されています。

なので、境内にはいくつか子安信仰にまつわるものがあります。

「安産子育て戌」は可愛らしい像です。

「戌はお産が軽く、一度にたくさんの子どもを産むことから、「安産の守り神」として親しまれそれにあやかったものです。」とあります。

全国には子安信仰の犬像がたくさんありますが、産泰神社のは、犬張り子を模した像で、石像としては初めて見るものです。社務所の中にもカラフルな犬張り子が飾ってありました。

犬張り子はもともと、京都の「犬筥(ばこ)」を産室に飾る風習が江戸に伝わり、箱型でなく、犬の立ち姿の犬張り子が、江戸中期以後作られるようになりました。 

犬張り子は江戸玩具になり、上方(かみがた)では東犬(あずまいぬ)と呼ばれたそうです。

産泰神社の本殿は立派な造りですが、その奥には「安産胎内くぐり」という岩があります。妊婦がくぐると安産になるというものです。

そして拝殿前には「安産抜けびしゃく」があります。

「当社には古くから底のないひしゃくを奉納する信仰がありました。このひしゃくで水を汲むと水はそのままスーッと抜けてしまいます。そのくらい楽にお産ができますようにと願ったものです。妊婦の方がより軽いお産であるよう、心をこめて抜けびしゃくで水をお汲みください。」とのことです。

 

 

 

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2019/12/10

【犬狼物語 其の四百八】 見つかった犬(狼)のミイラは「ドゴール(Dogor)」

150302(Baobab trees, Morondava, Madagascar)

 

「「オオカミから犬への進化途中の種」かもしれないミイラが良好な状態で永久凍土から見つかる」というニュースがありました。

2018年夏、サハ共和国の首都ヤクーツクを流れるインディギルカ川近くの永久凍土層で、1万8000年前のイヌ科の動物のミイラが見つかったそうです。

まるで生きているような子犬のミイラ。(画像は検索すれば出てきます)

いや、まだ「犬」と断定されたわけではありません。もしかしたら「オオカミ」かもしれないし、「オオカミと犬の間」かもしれません。

研究者たちはこの赤ちゃんを「ドゴール(Dogor)」と名付けました。

「Dog or ・・・(犬、あるいは・・・)」という意味かなと思ったら、そいういう意味もかけているのかもしれませんが、「ドゴール(Dogor)」はヤクート語で友人を意味するそうです。

ところで、犬の祖先はオオカミであることは確実なようですが、2015年、イヌが初めて家畜化されたのは、中央アジアあたりらしいという研究発表がありました。米科学アカデミー紀要(Proceedings of the National Academy of Sciences、PNAS)に発表された研究論文です。

「1万5000年以上前にユーラシア(Eurasia)大陸のハイイロオオカミから進化したイヌが、群れをなして放浪していた野生から、人間の主人の前でおすわりをする家畜へと歴史的飛躍を遂げた場所とそのプロセスをめぐっては、幾度となく議論が繰り返されてきた。」(イヌ家畜化、発祥の地は中央アジアか

これまでも一部の考古学者の間では、中央アジアがイヌの家畜化の発祥地だろうと考えられていましたが、遺伝学的な研究は初めてらしい。

論文によると、遺伝子の分析結果は「イヌが中央アジア、現在のネパールとモンゴルのあたりで家畜化された可能性が高いことを示唆している」というものです。

この研究でも、オオカミから犬への家畜化は、少なくともユーラシア大陸だし、今回のドゴールの発見もユーラシア大陸ということで、ユーラシア大陸は犬誕生の最有力候補地であるのは舞違いないようです。

DNA解析が進んで、これが犬のルーツに迫ることになったら面白いと思います。ただ、このドゴールは、融け出した永久凍土から見つかったそうで、温暖化が進んだから、というのが気になります。

近年は、永久凍土から多くの動物が発見されて、中には、マンモスもあり、象牙が取引できなくなったことから、マンモスの牙が高値で取引されていて、盗掘が横行しているらしい。

そういえば、前、ボルネオで野生のゾウが見つかったのは、ジャングルがなくなったから、というのがありました。

こういうのを「森の皮肉」と言っていました。

昔ジャングルだったところは、ラワン材を取るために森が伐採され、その後に植えられたのがアブラヤシだそうです。パーム油の輸出のためです。

それで何が「森の皮肉」かというと、ボルネオにゾウはいないと考えられていたのが、ジャングルが伐採されて少なくなったことが、ゾウの発見に繋がったというのです。

また、バオバブの木の独特の姿が分かるのは、周りの木を焼いた(切った)から、というのもありました。

今回の永久凍土からの発見もこれと似ているところがあります。温暖化が進んで貴重なミイラが見つかる、これも「森の皮肉」なのかもしれません。

 

 

 

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2019/12/09

雲南省麗江・納西族に伝わるトンパ文字、2020年の干支「子・鼠・ネズミ」

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中国雲南省麗江周辺に住むナシ族は千年あまり前、表意象形文字を作り出しました。この象形文字で、民間故事伝説、宗教経典などを著しました。とくに、この文字は、トンパ(東巴)教の経典を書写 するのに用いたところから「東巴文(トンパ文字)」と呼ばれます。ナシ語では「ソチォ・ルチォ」(樹の記録・石の記録)と呼び、千数百種類(1200~1300とも言われる)の文字があります。

トンパ(東巴)教は、ナシ族の原始宗教で、太陽、月、星、山、水、風、火などの自然物を崇拝し、万物に霊魂がやどると信じられていました。 唐の時代から、ナシ族とチベット高原の吐蕃とは頻繁に接触があり、トンパ教は、チベットのボン教の影響、および仏教、道教の影響も受けているといわれます。冠婚葬祭や、病気の時や、邪気払いの時は、トンパを呼んで儀式を行ってもらっていました。トンパは、宗教儀式を司る「智者」を意味します。しかしこの宗教も、1950年代からだんだん廃れていきました。

トンパ文字で著したトンパ経典は現在でも、中国内外に2万冊ほどが残っています。経典の内容は、宗教、民俗、歴史、文学、天文歴法、哲学など多岐にわたっています。古代ナシ族の「百科全書」と呼ばれるゆえんです。

しかし宗教儀式同様、今ではこのトンパ文字を読める人間もほとんどいなくなってしまい、トンパ文化研究所を中心に保存活動が行われているところです。

現在のナシ族はナシ語という言語を使っていますが、元、明朝以来、漢族との接触が進み、ほとんどのナシ族は漢語(北京語)を話すことができます。しかもトンパ文字は、昔からトンパだけが使っていた文字なので、 現在の一般的ナシ族にとって、生活とはまったく関係がない過去の遺物です。ナシ族がトンパ文字を使って手紙のやり取りをしたり、学校で教えられたりということもありませんでした。トンパ文字が「生きた象形文字」と紹介されることもありましたが、宗教儀式も廃れ、トンパもほとんどいなくなってしまった現在では、正しい表現とは言えないのではないかと、ずっと思っていました。

ところが、80年代後半から、トンパ文字だけが、宗教から切り離されて一人歩きを始め、現在では、麗江の街興しに一役買っています。そういう意味でなら「生きている象形文字」という表現も正しいのでしょう。街では、トンパ文字を判子に作ってくれるみやげ物屋があったり、ろうけつ染めのデザインに使われています。学校でも教えられているという話も聞いています。

麗江が世界遺産に登録されて一躍有名になり、トンパ文字が「おもしろい文字」として、日本人の一部にも知られているようです。トンパ文字は、デザイン、絵柄の面 白さでうけています。

この文字を日本に広めた人物のひとりである、アートディレクターの浅葉克己さんは、「デザインの原点のような素朴な美があり、アイコンが好きな若者にうけるのでしょう」と、以前、朝日新聞のインタビューで語っていました。

何百年か何千年かのち、雲南ナシ族のトンパ文字が日本に残っていた、などという話になったとしても不思議ではないのかもしれません。

 

 

 

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2019/12/07

今日から二十四節気「大雪」、初候「閉塞成冬(そら さむく ふゆとなる)」

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今日(2019年12月7日)から二十四節気「大雪」、初候「閉塞成冬」です。

「大雪」は、雪が激しく降り始めるころです。今年、暖冬だという予報もありますが、どうなるかわかりません。北日本ではすでに大雪が降っています。

関東地方でも、今日は一段と寒くて、雪のちらつくところもあるかもしれません。「閉塞成冬」そのものの空模様です。

今日は、前橋まで撮影に行かなければならないので、雪道にならないことだけを祈ります。

 

 

 

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2019/12/06

「瀾滄江水源地区で13世紀の仏教壁画見つかる 中国・青海省」のニュース

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「瀾滄江水源地区で13世紀の仏教壁画見つかる 中国・青海省」のニュースがありました。 

https://www.afpbb.com/articles/-/3257590

壁画が見つかったということよりも、俺は「 瀾滄江水源地区」という文字に反応しました。瀾滄江(ランツァンジャン)とは、メコン上流、中国語の名前です。

 本当の源流域は、中国青海省(チベット)の玉樹の雑多にあります。

チベット人は「ザーチュ」「ザナチュ」と呼んでいます。

俺がメコン源流(瀾滄江水源)を探しに行ったのは、1992年と94年です。当時はまだ、メコンの源流がどこか、学術的(地理学的)にわかっていなかった時です。

長江や黄河の源流はすでに探されていたのに、メコンの源流は1990年代まで謎のままでした。どうしてかというと、長江や黄河は中国人(漢民族)にとっては重要な川でしたが、メコン(瀾滄江)は、チベット人のような他民族が住む辺境の地で、経済的、文化的に関心がなかったからです。しかも、チベット高原から雲南省を通り、ミャンマー、ラオス、タイの国境を流れ、カンボジア、ベトナムの南シナ海に流れるという国際河川にもかかわらず、政治的な国際環境で、メコンは統合の川としては見られずに、分断の川であり続けたからです。今では考えられません。

とにかく、俺は一人でメコンの源流を探しに行きました。まぁ、一人と言っても、当時もこのあたりを旅するには、中国旅行社を通していく必要があり、車とガイドを雇ってですが。

そしたら、同じことを考える人たちはいるもので、ちょうど源流から雑多の街まで戻ったとき、日中合同調査隊が、これから探検するのだと言って滞在していました。

でも、この規模の違いに驚きました。彼らは20人くらいはいたでしょうか。いろんな機材も持って、ちゃんとした学術調査隊です。一方の俺は、チベット人の案内人に引かれた馬に乗って、カメラ2台だけの、ほとんど気軽なバックパッカーでした。食料もテントもありません。現地のチベット人のバー(天幕住居・テント)に泊めてもらい、いっしょの食事をとりながらでした。掲載の写真の、バーやチベット人たちは、現地で泊めてもらった時のものです。

だからなのか、俺は彼らには良く思われなかったようです。なにしろ、「世界で初めての調査隊」の前にバックパッカーが来ていたんだから。

その後彼らが帰国した後、ある週刊誌に「私たちが来る前に来ていた日本人(俺のこと)が現地の物価を押し上げた」と批判というか、嫌みを書かれたのですが、でも考えてもみてください。総勢20人の調査隊と、俺とガイド2人のどちらが影響力があるのか。

別に、源流の発見者を名乗るわけでもなく、というか、そもそもGPSなどもないし、学術的な目的ではなくて、あくまでも俺は文化的な源流(現地の人間が、ここが源流だと信じている泉)を探したに過ぎないし、彼らのその後の発表がどんなものだったかにも関心はありませんでした。ただ、ほぼ同時に入ったフランス隊とどっちが先に源流を見つけたかの論争があった、みたいなニュースは聞いたような気がします。

そんなことよりも、メコンの源流探しの旅は面白かったですね。自分も遊牧民になったような気分でした。

その後、妻とヴィーノといっしょに日本一周の車旅をすることになるわけですが、この旅が影響したのは間違いありません。遊牧民の真似事に過ぎませんが。

 

 

 

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2019/12/05

【犬狼物語 其の四百七】 日本犬保存会の会誌「日本犬」に「犬像」2つ

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日本犬保存会の会誌「日本犬」がリニューアルしました。

表紙は柴犬のイラストですが、この会誌に俺が撮影した全国の「犬像」の写真が連載されることになりました。初回は、東京都中野区「中野犬屋敷跡の群像」です。

そしてもう一つの「犬像」、会誌には「日本犬の故郷を訪ねて① 柴犬 島根県益田市」の記事があり、柴犬「石号」ことが載っています。これは知りませんでした。

今年11月2日にこの犬像の除幕式が行われたそうで、ということは、今現在日本で一番新しい(公共の場に建てられた)犬像かもしれません。

石号は、昭和5年生まれで、日本犬保存会に血統登録されたのは昭和11年。

「日本犬保存会で、毎年新たに登録を受け付けている3万頭弱の柴犬はすべて、「父系の血統を遡ると石号にいき着く」ことになる。国内外60万頭いるとされる柴犬、血統上その始まりは、石号なのである。」とのこと。すごい話です。

柴犬は、DNA的には一番狼に近い犬種と言われているので、ニホンオオカミの血の痕跡も、日本では石号にたどり着くということになるのかもしれません。これはぜひ、石号の石像を見に行かなくては。

石像は、石号の生誕地、益田市美都町、益田市市街地から東の山間部にあるようです。

犬像・狼像はこれからも新しいものが建てられていくことでしょう。そのうち、「全国犬像狼像サミット」を企画してみたいと思います。ただ俺の力だけではどうしようもありませんので、どなたか、興味のある方のお力を貸していただきたく思います。

 犬像狼像で町おこしをしている人たちが一堂に会したら、さぞ楽しい祭り・イベントになるのでは?と勝手に妄想している段階です。

 

 

 

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2019/12/04

大嘗宮

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287a7209_20191203171201(南神門)

287a7252(主基殿とビル)

287a7265(主基殿)

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287a7267(廻立殿の方から見た大嘗宮) 

 

大嘗宮は、天皇陛下の国家・国民のために安寧と五穀豊穣などを祈念する大嘗祭の中心的儀式「大嘗宮の儀」のために造営されたものです。11月14日の夕方から夜にかけて「悠紀殿供饌の儀」、15日の晩前に「主基殿供饌の儀」が行われたところです。

12月8日まで一般公開されています。これまで棚田や稲作文化をテーマに写真を撮ってきたので、いつかは、稲作文化の儀式の中でも最も重要な儀式の場所の写真が必要になるときがくるのではないかと思って、撮影してきました。

今は、乾通りの紅葉と重なり、たくさんの人出です。俺が行った12月3日は、昼12時ころに荷物検査場の前から並び始め、大嘗宮にたどりつくまで2時間かかりました。

そして大嘗宮前はまるで戦場のような賑やかさでした。今はみんなスマホを持って写真を撮るので、人の流れが止まってしまうのです。それに殺気立った警備の警官やスタッフの荒っぽい対応は、みんなの不評を買っているようでした。と、いうのも、そもそも人の流れを妨げているのは、彼ら自身でもあったからです。

みんな写真を撮るために警官たちが自分の前からどくのを待っているのでした。もう少し、なぜ人がとどまってしまうかを考えて警備をした方がいいのでは?と思いました。昔とは違うのです。

まぁ混雑はしかたありません。でも、建物自体はそれなりにすばらしいものです。

印象的だったのは、その大嘗宮の背景に高層ビル群が見えることでした。これぞ現代の大嘗祭という光景でしょうか。このコントラストにはめまいがしそうでした。

 

 

 

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2019/12/03

令和2年(2020年)の干支「子・ネズミ」のトンパ文字

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令和2年(2020年)の干支「子・ネズミ」のトンパ文字です。

最近、みんな年賀状を出さなくなっているので、このデザインも必要なくなっているのかもしれませんが、毎年恒例にしてきたので、来年分も続けます。年末にかけて、2~3のデザインを考えてみます。

トンパ文字(東巴文)は中国雲南省北西部、麗江を中心に住むナシ(納西)族に伝わる象形文字です。

文字は、納西象形文字譜(雲南人民出版社 1981年)を参考にしました。

 

 

 

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2019/12/02

今日はから二十四節気「小雪」、七十二候「橘始黄(たちばなはじめてきばむ)」

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今日はから二十四節気「小雪」、七十二候「橘始黄」です。

コタツに入ってみかんを食べる季節になりました。

「橘」は、食用柑橘類の総称で、不老長寿の象徴「常世草(とこよぐさ)」でもあるそうです。常世(とこよ)の国は、永久不変不老不死の理想郷と言われます。

個人的には、不老不死が理想とは思えず、ある程度の年齢を健康に過ごせて、死ぬときはバッサリというのが理想ですね。もし不老不死の世界が実現したら、この地球上に人間があふれてしまうことになります。

まぁ、柑橘類は好きですよ。体にいいイメージはあるし、それが不老長寿のイメージともつながっているようです。

柑橘類と言えば、2回目のヨーロッパ旅行で、ギリシャ・ペロポネソス半島をヒッチで回っていた時、オレンジ畑に迷い込んだことを思い出します。

農家の人がオレンジを数個取ってくれました。その喉の渇きをいやしてくれたオレンジは忘れられない旅の思い出です。

 

 

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2019/12/01

【犬狼物語 其の四百六】埼玉県さいたま市岩槻区 久伊豆神社

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岩槻区の久伊豆神社には「叶い戌(子育て戌)」の像があります。再再訪しました。

『犬像をたずね歩く』でも紹介していますが、これは犬の安産・多産にあやかる子安信仰の母子犬像です。

像をなでると子宝・安産に恵まれるということですが、「叶い戌」は秋田犬のメスだそうです。具体的ですね。

戌の周りには、子、丑、寅・ ・ ・といった干支の刻印が右回りに配されていて、自分自身あるいは赤ちゃんの干支をなでるのが良いようです。

 また今は、七五三のシーズンで、「碁盤の儀」の碁盤が置いてありました。

 これは解説看板によると、碁盤の上に乗り、南の方向へ「エイ」のかけ声とともに飛び降りるもので、皇室に古くから伝わる七五三儀式「着袴の儀」「深曽木の儀」が元になっているそうです。

「碁盤(世界)の上にしっかりと立ち、地面に向かって飛び降りると碁盤の目のように節目正しく美しく、また立派な勝負運の強い子どもに育つといわれています。」とありました。

 

 

 

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