


1858年(安政5年)から3年にわたって流行したコレラでの死者は3万人と言われています。このとき、コレラ除けとして、人々は三峯神社や御嶽神社のお犬さまに頼った話は前回書いた通りです。
そして、『社記・寺記』(慶応4年)には、伊豆の村々では三峯山とともに甲州三嶽山(金峰山)からもお犬さまを借りたとの記録もあります。
金櫻神社は、甲府市市街地から昇仙峡を目指して県道を北上すること約30分。昇仙峡ロープウェイを越してさらに3kmほど、昇仙峡を登りつめたところに鎮座します。金峰山を御神体とした金櫻神社です。
武田家代々の祈願所でもありましたが、本殿など昭和30年の大火により焼失しました。社殿は昭和34年に再建されたものです。
ここは、三峯神社や武蔵御嶽神社と同じように、日本武尊の眷属・狼信仰の神社でもあり、お犬さま(狼)像はないそうですが、お犬さまのお札は授与所でいただくことができます。
お犬さまのお札の配札がいつから始まったのかは資料がないのでわからないそうですが、文化年間以降幕末にかけてのようです。
高橋敏『幕末民衆の恐怖と妄想 ━駿河国大宮町のコレラ騒動━』(国立歴史民俗博物館研究報告 第108集 2003年)には、安政5年のコレラの流行で、人々がパニックに陥っていき、コレラは悪い狐が憑いたからだというふうになって、狐ならお犬さまが防いでくれるということで、三峯神社、武蔵御嶽神社、金櫻神社にお犬さまを借りに大勢が参拝したという様子が見えてきます。
これは危機的状況になったとき、人がどのように考え行動するのか、という心理学的な課題でもあるようです。
今なら、お犬さまに頼るなんてばからしいと思うのでしょうが、当時の日本は、大地震や風水害などが起こっていて、人々の不安が背景にはありました。そこへ追い打ちをかけるように、長崎に寄港した米艦ミシシッピの乗組員からコレラが流行り出したので、異国=悪というイメージは増幅され、攘夷思想が高まりを見せました。
人々の妄想は「千年モグラ」「アメリカ狐」「イギリス疫兎」を生み出し、お犬さまに頼るようになりました。このお犬さま(狼)は、つまりは日本古来から信仰されてきたということもあって、「日本」そのものであったのかもしれません。「狐」対「狼」ではなくて、「異国」対「日本」という構図。悪い「異国」を「日本」がやっつけてくれるという、ある意味、これも攘夷思想と言えるのかもしれません。
三峯神社の公式記録「日艦」によれば、安政5年8月になると御眷属拝借の登山者が急増し、8月15日には「日増ニ代参多、殊ニ東海道辺・江戸芝口・変病除心願ニ参詣御座候」とあり、東海道の宿々や江戸から、コレラ除けの心願のため殺到したことが記されています。8月24日、三峯の御眷属拝借は1万を超え、11月10日に1万2千、12月15日には1万3千になったそうです。
この異常ぶりは驚くばかりですが、じゃぁ、今の俺たちにこんなことは絶対起こらないんでしょうか。人間が極限状態に陥ったとき、どうなってしまうかは、今も昔も変わらな気がします。

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