【犬狼物語 其の四百四十六】東京都大田区 御嶽神社の狼像
池上線・御嶽山の駅近くに鎮座する御嶽神社を参拝しました。木曽御嶽山を信仰する木曾御嶽山関東第一分社です。
木曾御嶽山信仰は、御嶽山そのもを信仰するもので、木曾御嶽神社の里宮は長野県木曽郡王滝村に、奥宮は御嶽山(3,036m)に鎮座します。
御嶽神社の公式HPによると、
「御嶽神社の創祀は、嶺村(現嶺町地区)ができた天文4年(1535年)頃と謂われる。
当時は小社であり祠に近いものであったと推察されるが、後の天保年間(江戸時代後期)に木曾御嶽山で修業をされた一山行者が来社して以来信者が激増し、天保2年(1831年)に現在の大きな社殿を建立し御霊を遷座した。信者の中には江戸の豪商なども多くあり、かなりの寄進がされたようである。関東一円から木曾御嶽山を信仰する信者たちが多数訪れ、その勢いは江戸、明治、大正、昭和へと続く。「嶺の御嶽神社に三度参拝すれば、木曾御嶽山へ一回行ったのと同じ」と言われていたようだ。」
4年前も一度参拝していますが、そのときは5月15日「五月祭」の前日で、境内でも露店の地割りや新しいしめ縄の準備をしているところでした。
立派な神社で、社殿の木彫もすばらしく、拝殿の前では、一対の狼像が守っています。あばら骨の表現もあり、巻物らしきものを口にくわえています。この狼は「御使者神狗」と呼ばれます(お札にもあります)。
今回は夕方で、常夜灯の灯りが狼像を照らしました。
なんなんでしょうね。この時間帯、ゾクゾクっとします。狼像が動き出す時間帯なのです。あっち側の世界への入口の番人(狼)のようにも感じます。山の神(御嶽山)のお使いなので、当然かもしれませんが。
少し壊れた部分もあって、明治以前のものかと思われますが、奉納された年代はわかりません。大きな社殿にした天保二年(1831)のころ奉納されたのでは?という説もあります。ちなみに、昭和初期に発行された「御嶽神社絵はがき」にも、拝殿正面左右に、今と同じ位置に狼像が鎮座しているのがわかります。
本殿の背後には「霊神の杜」が広がっています。約30基の霊神碑群と潜在自然植生のもとに植樹した木々が神秘的な杜です。なお、霊神碑群は木曽御嶽山の形状をモチーフに並べられているそうです。
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