【犬狼物語 其の四百六十三】東京都板橋区 桜川御嶽神社の毘射祭(オビシャ)
桜川御嶽神社の毘射(びしゃ)祭。
本来は3月8日なのですが、今年は防災訓練が予定されたので7日に変更になりました。ところが、新型コロナ禍で防災訓練は無くなったのですが、祭りは変更した7日に、そのまま斎行となったようです。だから今年は例外です。
その日、阿佐ヶ谷の撮影の仕事が終わってからすぐ神社へ行ったのですが、着いたのは12時50分ころになりました。すでに神事は終わった後でした。ただ、鶴亀の飾りはまだあるとのことで社務所で見せていただくことができました。
「毘射祭」では、大根で作った鶴亀や大盛飯の膳を神前に供えます。
元御嶽講の講員だったKさんによると、例年はもっと大きい大根で作るのだそうですが、今年の大根は小さいとのこと。過去の飾りの写真が額にかけてあったので見たら、さすがに大きい。立派な鶴亀です。
この飾りは、当日の朝9時から作り始め、神前に供え、神事の後、社務所に持ってきたという。
毘射祭(オビシャ)は他のところにもあります。
「柳田國男は、関東のオビシャについて、「農作業の始まりに先立って年を祈り、弓を射て神意を伺う式である」と述べ、「歩射(ぶしゃ)」という武芸を奉納したのが元の形である、としました。」(「千葉の県立博物館」より)
中国の創世神話では、五代目皇帝・帝俊の義和夫人は太陽を10個、嫦娥夫人は月を12個を産みました。ところが堯帝の時代に、10個の太陽がいっせいに輝き、大地は灼熱地獄になりました。堯帝は弓の名手・羿(げい)に、9個の太陽を射落とさせました。太陽はひとつとなり、元の世界に戻りました。日本にもこれと似た射日神話が伝わっていて、オビシャが行われています。
特に千葉県各地や利根川・江戸川・荒川流域の農村部で盛んにおこなわれています。弓で的を射る儀式をやるところもあります。以前参拝した中井御霊神社の備射祭でも弓で的を射る儀式はあるようです。でも、この桜川御嶽神社ではやっていません。
関東地方のオビシャについて、
「関東のオビシャは、実は弓射を行なわないもののほうが多数です。(略) オビシャの供物は、祝いの場を演出し、宴席に臨む人々がめでたさを共有できるように、村人達が自分たちの手で工夫して作る造形物が多いようです。」(「千葉の県立博物館」より)とあります。
御嶽神社の大根の鶴亀も、めでたさを表現しているようです。
ところで、この御嶽(みたけ)神社は、Kさんの話では、最初はどうも甲州市の金櫻神社を勧請したものではないかという。神社の内部から金櫻のお札か何かが見つかっているそうです。そして金櫻神社へ行ったとき、この御嶽神社に関する資料も残っていると聞いたそうです。でも、なかなか機会がなくて、その資料をまだ見ていないそうですが。
その後木曽の御嶽山の信仰が重なったのではないかというのですが、なんだか、これは大田区の御嶽神社と似ているようです。木曽の御嶽山信仰にあまりお犬さまは出てこないので、ここにお犬さまがいるのも、そう考えると自然です。
Kさんの家は、代々、御嶽講の講元ではなく、会計をやっていた家だそうで、村には江戸時代から付き合いのある御嶽神社の御師が来たとき泊まる家が4軒あったそうですが、Kさんの家も、その中の1軒でした。だから若いころから御師との付き合いがありました。御師は、2月の節分が終わると青梅市の武蔵御嶽神社からやってきて、お札を配りながら講中の家々をまわったそうです。
Kさんは代参で武蔵御嶽神社へ参詣したことがあります。その時は、7人で行って、御師のところに泊まりました。昭和53年のことです。そしてこれが御嶽講の最後の代参になりました。Kさんは代参をした最後の講員。代参講の生きた証人で、貴重な存在と言えるのではないでしょうか。
| 固定リンク
コメント