佃島の於咲稲荷大明神は「尾崎大明神」のことか?
前から気になっていた神社があり、確かめるために佃島へ行きました。
その前に、その神社の向かい側に、長さ15mほどの、人ひとり通れるくらいの細い通路があって、途中には、地蔵堂に佃天台子育地蔵尊がありました。地蔵堂は天井を貫く大きな銀杏が生えており、1畳ほどの狭いところに、地蔵菩薩の姿が刻まれた平らな黒い自然石が立っています。多くの人が撫でるからでしょうか、姿が消えかかっているので、触わってはダメらしい。
そしてその通路を反対側に抜けると、問題の神社があります。「於咲稲荷神社」です。「於咲」は「おさき」と読みます。
安政五年に日本でコレラが流行り、アメリカ狐やイギリス疫兎をやっつけるのは、狼だとのことで、三峯神社や武蔵御嶽神社でコレラ除けのため、お犬さま(狼)を借りた、という話を書きました。
その続きですが、同じく高橋敏著『幕末狂乱 コレラがやって来た!』には、江戸の様子が書かれています。
江戸のコレラ騒ぎを記録したものに江戸在住の文人、金屯道人が書いた「項痢記」があります。
安政五年7月上旬に、コレラは赤坂あたりから発生し始め、ただちに霊岸島、築地、鉄砲洲、佃島の海岸に飛び火しました。8月に入ると江戸市中一円を席巻しました。江戸は人口100万を越える巨大都市で、過密な住環境の中にコレラが襲ってきたわけです。
お棺が所狭しと積まれ山となり、焼き場はてんてこ舞いだったという。人々の間にはコレラ変じて「狐狼狸」なりの流言が飛び交い、妖怪変化の仕業と信じてパニック状態になりました。
8月中旬、佃島の漁師に野狐が取り憑いたというので、神官、修験を頼んで狐落としを行いました。ついに狐が体から抜け出したところを捕まえて打ち殺しました。町の長が、狐の死骸を焼き捨て煙とし、その近くに3尺四方の祠を建てて霊を祭り、「尾崎大明神」と崇めたという。
関東地方の山村に伝わる狐の憑き物を「オサキ」とか「オサキギツネ」といいます。この「尾崎」は、この「オサキギツネ」のことらしい。オサキギツネは、人体に侵入して悪さをする「くだ狐」と似たものと考えられるという。曲亭馬琴著『曲亭雑記』ではキツネより小さいイタチに似た獣だとあります。
コレラ患者には、瘤ができるらしく、それが何か小さな妖獣が体内に入り込んでいるというイメージを造り上げた原因の一つでもあるらしい。
この佃島の於咲稲荷神社は、「項痢記」に記されている尾崎大明神のことなのではないでしょうか。
近くの住吉神社で聞いたところ、由来ははっきりせず、「おさき」とは人の名前と聞いているとのことでした。人の名前説は、ネットにも載っていますが、出典はわかりません。
ところで、この神社境内に置いてある3つの「さし石(力石)」は中央区有形民俗文化財にもなっています。
於咲稲荷神社から30mほど離れたところに「佃小橋」が架かっています。この橋のたもとに「麗江」という店がありました。読みもアルファベットで書いてあり「RI:JAN(リージャン)」とあります(中国語ピンインでは「Li Jiang」)。となると、これは雲南省のあの都市、麗江のことなのでしょうか。
言われて見れば、水辺で橋が架かっているところなど、麗江を彷彿とさせます。ただ、料理はナシ族料理でもなく、雲南料理でもなく、普通の中華料理のようです。
そしてこのビルを回り込むと、「日の出湯」という銭湯になっていました。この先が住吉神社です。なかなか趣深い界隈ですね。
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コメント
吉野啓史さま
コメント、ありがとうございます。
ブログには書いてませんが、この後、氏子さんにお会いして話をうかがったら、てっきり「オサキ」とは人名だと思っていたということでした。
この於咲稲荷神社が、尾崎大明神のことだと、また「於咲」が「オサキギツネ」だと断言できる資料もありませんが、そうではないかなと思っている段階です。
投稿: あおやぎ | 2023/05/06 16:00
初めてコメントします。大阪市在住の者です。
大阪市西淀川区佃の歴史と田蓑神社※の歴史について調べておりまして、その一環として、先日の23年5月3日に東京都中央区佃を訪れました。
「於咲稲荷神社」とは何ぞやと疑問に思っていたところで、このブログにたどり着きました。於咲=尾崎だったのですね。とても勉強になりました。貴重な情報をありがとうございます。
※田蓑神社・・・ご存知かと思われますが、江戸時代の前期に田蓑神社の分霊を以て成立した神社が佃島の住吉神社です。
投稿: 吉野啓史 | 2023/05/06 12:19