テレビ朝日「食彩の大国」で、姨捨の棚田「田毎の月」の映像
テレビ朝日「食彩の大国」2020年10月31日(土)午前9:30~9:55
今回、第855回< 新米 > では、長野県千曲市姨捨で、「先祖代々棚田を守ってきた名月会のみなさんを中心に、困難を乗り越え、全国からオーナーが集まる人気の棚田になるまでのストーリをが紹介」されるそうです。
その中で、姨捨の棚田で撮った「田毎の月」の映像(動画)も使われる予定です。
「田毎の月」とは?
テレビ朝日「食彩の大国」2020年10月31日(土)午前9:30~9:55
今回、第855回< 新米 > では、長野県千曲市姨捨で、「先祖代々棚田を守ってきた名月会のみなさんを中心に、困難を乗り越え、全国からオーナーが集まる人気の棚田になるまでのストーリをが紹介」されるそうです。
その中で、姨捨の棚田で撮った「田毎の月」の映像(動画)も使われる予定です。
「田毎の月」とは?
昨日(2020/10/23)から二十四節気「霜降」、七十二候「霜始降」です。
霜が降り始めるころです。
いよいよ秋なんだなぁと思いますが、今年はまだ霜を見ていません。写真は、長崎県の大中尾の棚田の稲刈り風景です。
ところで、七十二候は、日本では「霜始降」ですが、中国では「豺乃祭獣(さい すなわち けものをまつる)」です。(Wiki参照)
「山犬が捕らえた獣を並べて食べる」という意味です。wikiでは豺を「山犬(狼)」と訳していますが、これがなかなか難しい。狼と犬について調べている中でわかってきたことです。
というのも、江戸時代、豺と狼とは違う動物と認識されている本もあるし、同じと認識されている本もあるようなのです。
羽田神社を参拝しました。
羽田空港へ向かう京急線の大鳥居駅で降りて、徒歩約8分。多摩川を越える橋の手前に鎮座します。
「羽田神社」だからでしょうが、絵馬にも飛行機の絵が描かれているし、書かれた願い事も航空関係のものが多いようです。神社のリーフレットにも、「羽田の氏神様 航空安全・病気平癒・えんむすび・安産祈願」とあります。
この神社には、「羽田富士」と呼ばれる富士塚があります。大田区の富士塚はここだけだそうで、これは明治初年に築造され、大田区文化財に指定されています。塚の一部には、溶岩が用いられ、登山道には合目石も置かれています。狭いながらもちゃんと頂上まで上り、浅間神社にお参りすることができます。
毎年7月1日には山開き神事が行われていたそうですが、一時中断していました。平成25年に富士山が世界文化遺産に登録されてから、神事が再会されているようです。
今日から二十四節気「寒露」、七十二候「蟋蟀在戸」です。いよいよ秋めいてきました。暑くなくなってきたのは個人的にはいいことです。
先日、日比谷公園で撮影がありましたが、噴水の隣、普段は入れない第二花壇の芝生地が「芝生でカフェ」として開放されていて(入るときはアルコール消毒と検温はありますが)、ここで撮影できたのはラッキーでした。
https://www.visit-chiyoda.tokyo/app/event/detail/339
「日比谷公園の真ん中で、密を避けての安心ピクニック」とうたっています。緑のじゅうたんに椅子やテーブルが置かれていますがこれも良かった。赤とんぼが止まっていました。
赤ちゃんを芝生に座らせたり、両親に抱っこしてもらい、3人での家族写真を撮影したり。
これは「期間限定」とかスタッフが言っていたようですが、いつまででしょうか。写真撮影にもすばらしいロケーションです。調べてみたら、2020年10月21日まで、10:00~15:00だそうです。大都会の真ん中んで、これだけの広さの芝生地はなかなかないです。
それと、日比谷公園の隣、皇居前広場も、今、人が少なくて撮影には良かったですね。
そのうち紅葉の時期になりますが、それもまたすばらしいロケーションになりそうです。
茨城県のJR石岡駅西口前の広場で新しい犬像の除幕式が行われたのは、2017年4月15日のことでした。
「みんなのタロー」という犬像です。以前から駅の待合室には忠犬タローを紹介する写真パネルが掲げられていましたが、この物語を語り継ごうと、犬と子どもたちのブロンズ像が建てられたのでした。
あれから3年、今度は映画化の話が進んでいます。
9月29日に石岡市で映画『石岡タロー』の制作発表会がありました。石坂アツシ監督や、出演者の菊池均也さん、グレート義太夫さんも来場し、山口良一さんはビデオメッセージだったそうです。
公式HPはこちらです。
ishiokataro.com
昭和39年、石岡市立東小学校に保護された雑種犬。
「タロー」と名付けられたその犬は、午前と午後の決まった時間に
東小学校から石岡駅までの2キロの道のりを17年間毎日通い続けました。
タローは誰を迎えに石岡駅に通っていたのでしょうか?
本作は茨城県石岡市で実際にあった感動的ストーリーを映画化したものです。
残念ながら静岡県松崎町の石部の棚田撮影をすることになっていたので、制作発表会へはいけませんでした。
エキストラの募集もしています。ヴィーノの容姿からタロー役は無理だけど、俺といっしょに通行人ならどうでしょうか。どうせ出るならヴィーノといっしょだろうし。でも、昭和30年代にビーグル犬はペットとして珍しかったかなとも思います。ヴィーノ連れだと、通行人としては浮いてしまうかもしれません。
ヴィーノに柴犬の着ぐるみを着せるとか、方法はないことはありません。
山梨県韮崎市の神明山法泉院を参拝しました。
階段の右側に、目的の石造はありました。高さは20cmくらいのものです。3体あって、左の2体は、はじめ狛犬ふうです。でもそんなに古いものではないかもしれません。
右の1体は顔が無くなりよくわかりません。でも、どこかで見たフォルムだなぁと思い出してみたら、山形県高畠町、犬の宮で見た謎の石造と似ている気がします。
山梨県韮崎市上今井の山神社を参拝しました。
道路からいきなりの急な階段が続いています。上りきると、神楽殿や社務所などがあり、さらに奥に進むと、すごい鳥居が見えてきました。
原初の鳥居と言ったらいいんでしょうか。半分朽ちかけて、木の年輪がむき出しになった木製の鳥居です。これだけでもここを参拝したかいがあったというものです。異界への入り口にふさわしい。とくに「なるがまま」の状態が好きなので、これはすばらしい。気に入りました。
そして一番奥には、御腰掛という四角い構造物。真ん中に木が立っています。山の神の依り代のようです。
もともと神社には社殿がなかった、社殿のない神社が本来の形式と考えられているので、これもまた原初の神社を見るようです。「御腰掛」という名前にもその名残を感じます。神様が腰掛けるという意味なのでしょうか。とすると、ずっとそこにいるわけではないということになります。いつかはお発ちになる。だから仮の場所(半永久的な建物ではない)なのではないかなと想像します。
ネリー・ナウマン『山の神』「山の神の住まいとしての木」には、
「青森から鹿児島におよぶ本土全域において、山の神が特定の木に降りると信じられている。こうした木はときに山の神の宿り木、あるいは休み木、腰掛木、遊び木などと呼ばれる。」
とあります。
目的の石像は、「文化十年酉四月吉日」との銘が。山神社に奉納されているので、これも狼像ではないかと言われています。先日参拝した韮崎市中田町小田川・柳原神社の像と似ていて、同じ石工の作なのではないかとも言われているようです。
とぼけた顔は味がありますが、造形的には洗練されたものを感じます。肩から尻にかけては渦巻き模様の鬣(あるいは毛並み)が表現されています。そして渦巻きの太眉も珍しいし、尻尾の造形がまた独特で素晴らしいものです。
御腰掛の横には 鉄製の剣が奉納されています。「○山津○神」(大山津見神)とあります。
つい先日、映画『星の子』の舞台あいさつのとき「信じるとは?」ということについて持論を展開した芦田愛菜に賞賛の声があがりました。
その持ち上げ方になんだか俺はもやもやを感じて、この違和感はなんだろう?とずっと考えていました。
16歳の子がこんなに持論を持っていてすごいという賞賛なんでしょうか。「16歳」だからなのかな。たぶんそう。この大人の持ち上げ方を見ると。
でも、50歳になっても、60歳になっても、こんなに深く考えている(哲学している)大人はむしろ少ないと言わざるをえません。だからこれは年齢ではないのでしょう。考えない人はいくつになっても考えず、「ぼーっと生きている」だけです。もちろんその中には俺も含みます。
その考えていない大人が、考えている16歳を誉めている図は、こっけいとも言えます。
「誉め殺し」という言葉がありますが、深層心理では、誉めながらその実、相手を否定するこざかしさを持っています。そのこざかしさが「大人」であるともいえるかもしれません。
「どうせ大人になったら、そんな理想論じゃすまないんだよ」など、無意識ではそう思っているからこそ、やたら16歳を誉める。
こういうのは努力とかではなくて、一種の性質(性格)であって、彼女だけが考えているのではなく、考えている青少年はたくさんいます。でも、彼女のように外へ自分の思いを出しずらい。哲学しているなどと思われると、暗いだの、面倒だのと言われてしまう。だからそういう人は隠れています。それがバレると生きづらくなることを知っているからです。むしろ人以上にバカになり、ピエロを演じたりすることもあります。
その点、 芦田愛菜は超有名人だから(しかも秀才と世間でも認知されているので)、哲学していることを堂々と口に出しても、周りに押しつぶされる心配はないと言えるでしょう。
ところで、この発言で関心を引かれた映画『星の子』の方も、がぜん興味がわいてきました。ぜひ観たいと思います。芦田愛菜の発言が映画の最高のプロモーションになったというのも、してやられたなぁという感じですね。
公式HPはこちらです。
内容にも興味があって、「あやしい宗教」を信じている両親との間で揺れる少女の愛情・葛藤の物語らしいです。
山梨県甲斐市の御領の棚田を撮影しようと、橋の方へ歩いていたら、路傍に石祠があり、左右に動物らしい石像がたっていました。
一瞬、お犬さま(狼)像かなと思ったのですが、半分になった像の後ろ側を見たら、尻尾が直立し、尾の先端が宝珠状になっているのはお稲荷さん(狐)の特徴でもあるので、狐かもしれません。
と、いうことはこの石祠は稲荷神社なのかもしれないですね。
刈穂稲荷神社は果樹園の中にあって、境内の台座に載った祠(三峯社か?)の前には、お犬さまの像がありました。
高さは30センチくらいでしょうか。小ぶりながらも狼像の特徴がよく表れています。
ひとつ残念なことに左右の像とも、両脚が無くなっていて、ビニールパイプで代用されています。文化財的には問題でも、信仰的にはまったく問題はありませんが。こういうお犬さまを「文化財」「美術品」「資料」としか見れなくなっていたら、その奥に広がる深遠な世界を知ることはできないでしょう。
街を抜けて山側へ上ります。「中野の棚田」にもほど近いところに、上市之瀬山神社があります。
棚田撮影で何度も訪れている場所で、この神社にも気が付いてはいましたが、ここが山の神を祀る神社であることは初めて知りました。
石祠がいくつかありますが、その中で確認できた「山神」は2つ。
そこから1kmほど離れたところには、平岡諏訪神社が鎮座し、狼像かもしれない古型の狛犬が本殿を護っています。
山梨県は、ニホンオオカミの血を引くと言われる 甲斐犬の故郷です。芦安村(現南アルプス市)には「甲斐犬の里 芦安」があります。
Mnabi Japan「日本犬探訪2 山岳の主 甲斐犬」(https://manabi-japan.jp/culture/20191202_16878/)によれば、
甲斐犬のルーツは、「南アルプス山脈を中心とした山岳地帯に分布した野生の山犬、もしくは山犬と里犬の交配種だと思われる。」という。
「山犬の子を山中で拾ってきたり、発情期の牝犬を山中に繋いでおいて山犬と交配させたりして手に入れた犬を猟師が育てたのが始まりで(略)、元来はニホンオオカミなどと同じ野生動物の血を濃く受け継いでいる犬のようだ。」
金櫻神社を初めとして山梨県も狼信仰が盛んなところでしたが、秩父同様、実際に狼は棲息していた土地なんですね。
だから山仕事をする人たちにとっては、山の神の使いとしてのニホンオオカミは身近な存在だったのかもしれません。実際にオオカミの血を引いた動物が甲斐犬として命脈を保っている、「生のお犬さま」がここにいると思うと魂が震えます。
(余談ですが、東京麹町に甲斐犬好きの人物が建てた「甲斐犬像」があったのですが、去年の2月、地上げ屋によって壊されてしまいました)
御領の棚田を訪ねました。
御領、日影林、横田などにまたがる「御領千枚田」群とも呼ばれる規模の大きな棚田です。江戸初期から開田が始まり、かつては3ヘクタール、1000枚以上もあったそうです。現在は2ヘクタール、約800枚です。これでも関東の棚田としては十分広いですが。
ほとんどの稲は刈り取られ、ハサ掛けされた稲が、ひな壇状の棚田に並んでいます。
地図からすると、ここは昇仙峡や金櫻神社への入り口でもあるので、棚田の奥に見える山は、金峰山や国師岳や甲武信ヶ岳でしょうか。
「棚田と案山子の芸術祭」として棚田を見渡せる場所に、複数の案山子が立てられています。その中には、今年ならではの、フェイスシールドをした「コロナにかちましょう」案山子もありました。
二十四節気の「寒露」は、露が冷気によって凍りそうになるころ、また初候の「鴻雁来」は、雁が北から渡ってくるころという意味です。
「清明」の次候には「鴻雁北(こうがんかえる)」がありますが、これと対になっています。
写真は、それをイメージしたもので、映っている鳥が雁かどうかはわかりません。
山梨県富士川町の平林の棚田を訪ねました。田んぼの半分は稲刈りが終わってハサ掛けされていました。ちょうどいいタイミングです。
ここには数回来ていますが、今までで一番富士山が見えた日になりました。晴れの日を狙ってきても、なかなか富士山が見えなかった棚田なので、やっぱり今回は運が良かったというべきなんでしょうか。いや、それはどうかな。
と、言うのも、富士川町の手前で、国庫に12000円「寄付」することになったからです。前の車に着いていったことで、結果的に、前の車といっしょにスピード違反になってしまいました。あまり言い訳したくないのですが、取り締まりには、不公平感がありますね。くねくね道が終わった下り坂の50km制限の広い道路。心理学的にもスピードを出してしまう「好条件」の場所です。「みせしめ」とは、本来そういうこと、というのであれば、ぐうの音も出ないのですが。
悪いこともあれば、いいこともあります。富士山が見える棚田で富士山が見えない写真というのは使いようがなかったので、今回の写真はどうにか使えるかなと。ただ、欲を言えば、もっとはっきりと富士山が見えることを期待していました。あんなに快晴だと思ったのに。
大井川を遡り、川根温泉から寸又峡へ向かいました。大井川支流の寸又川沿いの道は、幅が狭く、とくに2カ所ほどは、すれ違えない幅なので、対向車を感知する信号が付いているくらいでした。
寸又峡は、車で行ける最奥のところ、寸又峡温泉求夢荘前の駐車場に停めることができました。
一般車両はそこから入れないので、歩きになります。環境美化募金案内所で募金をし、約1km歩くと、300mほどほトンネルがあり、抜けると右手下に夢の吊り橋が見えてきます。
ダムの事務所のところを階段で下っていくと、吊り橋の端に着きます。ヴィーノが怖がって歩かないようだったら抱っこして渡るしかないなと思っていましたが、ヴィーノは自分で歩いてくれたので、そのまま橋の真ん中まで進んでいきました。
神秘的な水の色です。まだ太陽光線が当たっていなかったのでなおさら青い世界でした。
「旅するヴィーノ」という雑誌での連載が来年1年間延びることになったので、新作の撮影も兼ねてきました。どうなるかは現場に来てみないとわかりませんでしたが、観光客のじゃまにならないように、ほぼ一番乗りでやってきたので、立ち止まってヴィーノを撮影することができました。もし、多くの観光客がいる時期だったら無理だったでしょう。紅葉の時期は、吊り橋は一方通行になるそうです。
ところで、ここの住所は、静岡県榛原郡川根本町犬間というところになります。「犬間」という地名に引っかかりますが由来はよくわかりません。島田市大字伊久美にも犬間城跡や犬間川があります。山で「犬」と聞くと、狼を連想してしまうのは、狼像病なんでしょうか。
対岸に渡るとまた急な階段です。200段以上あるそうで、俺たちもバテました。上り切って右へ行くと、展望台がありました。
駐車場に帰って、売店で寸又峡サイダーを飲みました。気持ちのいい天気で、久しぶりのヴィーノ連れ旅を満喫しました。
松崎町を出て伊豆半島を北上です。天城トンネルでは、ヴィーノがダッシュボードに頭を載せて、前方の様子を眺めていました。
沼津港に寄り、生しらす丼で昼食。昼近くになると多くの観光客が来て、駐車場はいっぱいになるくらいでした。
国道1号線を走り、島田市から大井川を北上します。数キロ走ったら、大井川が見渡せる雄大な景色が見える場所がありました。
そして川根温泉の道の駅に夕方到着し鉄橋の下の河原を散歩しました。夜は温泉です。1度づつ違った湯船のある露天風呂も空いていて快適でした。
松崎町の道の駅、花の三聖苑伊豆松崎の裏手、那賀川のほとりに山神社が鎮座します。ドラマ「世界の中心で、愛をさけぶ」のロケ地にもなっているらしい。
「山神社由緒」によると、
「創立不詳、寛永十七年(1640)に、大沢の奥山より遷すとあります。主祭神は、大山祇命(山の神)で大昔から自然の恵み(大地、水、採集、狩猟、耕作等)の象徴として村人が畏敬と感謝の念を込め、奉ったものと思われます。(略)本殿は、大正九年(1920)郷土の偉人依田佐二平を含め大沢村民総力を挙げて造営されたものです。平成三十一年四月 大沢区」
本殿の横、那賀川に面して、古そうな石碑や石祠が並んでいます。
今度は松崎町中心の南東側、岩科川沿いに進んでいくと、集落の中に八幡宮が鎮座します。その境内に三峯神社がありました。八幡宮本殿の横、階段を上ったところに社が鎮座します。
たまたま地元の人に話しを伺うことができました。この八幡宮は、もともとは川の対岸にあったそうで、洪水発生のあと、こちらに遷座したとのこと。だから三峯神社もそうなのではないかということでした。
三峯神社については、今は、三峯講はなくなったそうですが、毎年、3月15日には盗難除け、11月15日は火災除けの願掛けのために、信者の方が訪れるとのことです。お札などはありません。階段を上る人たちが多いので、手すりを付けたそうです。
一方の八幡宮の例祭は、10月15日です。扁額のところには現在アマビエの絵が掛けられていますが、これは氏子の人の作成。前に絵馬を作ったところ、町のHPで紹介されたそうで、願掛けに来る人がいるそうです。この絵馬も同じ人が作っているとのこと。
旧暦棚田ごよみ、2021年(令和3年)版、現在作成中です。もうしばらくお待ちください。
ところで、2022年(令和4年)版は10周年ということで節目の暦になる予定ですが、それに今回撮影した石部の棚田が載るはずです。
数年前から石部の棚田の写真を希望されていたのですが、どうもタイミングが合わず、毎年行きそびれていました。10年ほど前に一度行ったきりです。それで稲刈り直前の晴れの日を狙って伊豆半島に出かけました。
夕方のちょうどいい光線が入って、黄色い稲が輝いていました。富士山は雲で見えませんでしたが、海は見えました。彼岸花も残っています。暦用の写真には良かったのではないでしょうか。
ところが、天気が良すぎて、暑い中歩いてしまい、ちょっとした熱中症気味。日陰に入って水を飲み、首には水で濡らしたハンカチを巻いて、なんとか頭痛が収まるのを待ちました。
日が暮れると、急に涼しくなりました。このあたりは夏と違います。
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