埼玉県川口市 川口神社の富士塚
埼玉県川口市の川口神社を参拝しました。境内には浅間神社(富士塚)があります。
石碑には「富士」「登山」「参拝」と刻まれています。
意外と新しい富士塚で、昭和天皇即位を記念して 1929 年(昭和4年)に設置奉納されたそうです。
さらに2008年に撮られた写真を見ると、この碑だけの小さい塚でした。2014年(平成26年)に移築されて今の大きさになったようです。
埼玉県川口市の川口神社を参拝しました。境内には浅間神社(富士塚)があります。
石碑には「富士」「登山」「参拝」と刻まれています。
意外と新しい富士塚で、昭和天皇即位を記念して 1929 年(昭和4年)に設置奉納されたそうです。
さらに2008年に撮られた写真を見ると、この碑だけの小さい塚でした。2014年(平成26年)に移築されて今の大きさになったようです。
東京都板橋区のときわ台駅近く、常盤台天祖神社で七五三の撮影でした。
こちらには、「お犬さま」がいます。どうして?
どうやら、同じ区内の桜川御嶽神社のお犬さまの影響らしいのですが、お守りとして使われています。天祖神社の宮司が桜川御嶽神社の宮司も務めているそうで、それを聞いて納得しました。桜川御嶽神社のお犬さまは、3対ありますが、一番古いものは文化財に指定されていて、天祖神社のお犬さまはその姿を模したらしい。
お犬さまの解説や、撮影用のお犬さまのパネルなども用意されています。どうせなら、だれか石像でも奉納してくれたらなぁと思いますが。
そして、神社の弘化三年の狛犬の台座には丸い窪みがありますが、これは、昭和20年6月10日の空襲でできたものだそうで、空襲被害の遺構になっています。
令和3年(2021年)版、「旧暦棚田ごよみ」の販売開始です。
https://www.tanada.or.jp/tanada_goyomi/
今回の表紙は、山形県山形市の蔵王山田の棚田、秋の風景です。東北独特の稲杭が並んでいます。写真には映っていませんが、奥の方は下っていて山形市・上山市の市街地が広がっています。
新型コロナ禍によって、 私たちの生活は一変してしまいました。まさかこんな世界が来るとは、一年前は想像もしませんでした。
ウ ィズ ・ コロナといわれる新しいライフスタ イルが模索されています。今まで、 あって当然のものだった人間の 「密」 が否定され、 経済活動を維持するためにソーシャルデ ィスタンスが必要とされるようになりました。疫病退散祈願だったはずの祇園祭を初めとして、 夏祭りや花火大会なども軒並み中止されました。どのようにライフスタイルを構築していけばいいのかわからなくなり、 混乱しています。少なくとも効率や便利さだけを求めた結果としての 「密」 の状態は、 考え直さなければならないのかもしれません。都会の 「密」 と対極にある農村や農業が再び見直されつつあるようです。
また、 異常気象と言われて久しいですが、 近年の気象の変化で、 災害が多くなった気がします。
こんな混乱した人間世界ですが、 太陽と月は何事もなく変わらず天空に輝いています。その規則正しさが、 人間に安心感をもたらすような気がします。だから時の為政者たちは、 世の中を安定させるためにも正確な暦を必要としたんだな、 と身をも っ て感じます。
「掬水月在手、 弄花満香衣」 ―水を掬すれば月手に在り、 花を弄すれば香衣に満つ―
という言葉があります。この言葉は、 もともとは中唐の詩人 ・ 于良史の 『春山夜月』 という自然を愛でる詩の 一節です。禅語として用いられる場合の意味としては、 『両手で水を掬えば、 天空の月さえもただちに私の掌の中に入って自分とい っしょになる。一本の菊の花でも手に持って楽しめば、 その香りが衣服に染み込んでくる。自分と月、 自分と花とは別物でありながら、 簡単にひとつになることができる、 真理を手にできる』 という意味のようです。
水に月が映る描写は、 棚田を写真に撮っている私には 「田毎の月」 を連想させます。天空の月が田んぼの水の中で融け合い、 ひとつになる、 というイメージは素晴らしいものです。ただし、 そこには簡単なアクシ ョ ンが必要です。 手で水を掬わなければならないし、 花を手に持たなければなりません。つまり、 より自然との 一体感を得たければアクシ ョンが必要だ、 という意味ですが、 難しいアクシ ョ ンではありません。
旧暦棚田ごよみも、 ただ飾っておくだけよりも、 実際に使ってみるというアクシ ョンを起こすことで、 「自然は自分の中に在る」 ことになるのではないかなと思います。
「旧暦棚田ごよみ」 は太陽暦 (新暦) に慣れている人にとっては、 正直使い づらいものです。でも、 使い づらい ことが、 かえって日付や季節や月の満ち欠けを意識させてくれます。その気づきがアクシ ョ ンにつながるのではないでしょうか。
(Prologueより)
埼玉県和光市の新倉氷川八幡神社です。七五三&お宮参りの撮影で参拝しました。
ここには、境内社として御嶽神社が鎮座するという情報があったのですが、他には見当たらず、「富士嶽浅間大神」の石碑と狛猿の像はあって、この浅間神社のことだったのかもしれません。
そしてこれは前情報になかったのですが、拝殿前左に子宝犬の石像、右に福招猫の石像がありました。どちらも現代的意匠で新しいものです。
子宝犬は、3匹の子犬を抱っこした母犬が横たわっている像です。だいたい子宝犬は、撫でられるので、ここの子宝犬も、ちょうどいい高さ(腰の位置)の台座に置かれていました。
ところで、この神社での儀式ですが、拝殿でご祈願をしたあと、本殿を3周し、本殿裏側の板塀に榊を差し込むというのが昔からの習わしだそうです。意外とこのあたりには古い伝統が残っているようです。
群馬県太田市の冠稲荷神社を参拝しました。
日本七社(日本七稲荷)のひとつだそうです。この前は、日本三大稲荷(あるいは日本五大稲荷)のひとつ、東松山市の箭弓稲荷神社を参拝したばかりです。
どうも最近、お稲荷さんに呼ばれているようです。
境内にはたくさんの狐像。いろんな像が点在していて見飽きないですね。
ところで、境内には日本一の大きさといわれる県指定天然記念物の樹齢400年、縁結びの木瓜(ボケ)があります。開花の時期は3月中旬~4月初旬頃なので、残念ながら今は地味な存在です。
「木瓜」と見ると、中国語の「ムーグワ(木瓜)」を連想してしまいます。南国シーサンパンナにはムーグワがたくさんありました。ムーグワとは、パパイヤのことです。日本語と中国語で意味が違います。どうして?
埼玉県久喜市の富士塚古墳に寄ってみました。
これは「栢間七塚」と呼ばれる栢間古墳群を構成する一基だそうです。
一辺10mの方墳で、階段が付いています。
古墳頂上に立つ石碑の表には蚕影大神、木花佐久夜姫、豊受姫神、裏には、明治二十■■■と刻まれています。
埼玉県東松山市の箭弓稲荷神社を参拝しました。
社殿は、天保十四年(1842)に竣工したもので、埼玉県の有形文化財に指定されています。「拝殿水引虹梁上丸彫り彫刻 目貫龍」も立派なものです。両目がくり貫かれた龍の木彫です。
wikiに「 まれに日本三大稲荷や日本五大稲荷の一つとされることがある」とあるように、けっこう大きな稲荷神社だし、多くの狐の像は見ごたえがあります。
拝殿内に奉納されている狐像は木彫でしょうか。それとお犬さまでは?と思わせるフォルムの狐像もありました。尻尾が直立していて狐像なんでしょうが、丸っこい体つきは狼というより和犬のようです。
それと、マスコットの「やっくん」「きゅうちゃん」像。
バット絵馬掛けというのがありましたが、これも「箭弓(やきゅう)」から来ているんでしょうね。
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