ヴィーノのガム噛み演技、レベル4獲得
ヴィーノのガム嚙み演技です。
たまたま昨日はフィギュアスケートにシンクロして、演技がレベル4を獲得しました。
女子シングルでは、紀平梨花が4回転サルコーを成功させて優勝しました。ロシアと対決できる選手としてこれからも活躍してくれるでしょうが、この実況は、紀平の4、5人前の演技のもの。
ヴィーノのガム嚙み演技です。
たまたま昨日はフィギュアスケートにシンクロして、演技がレベル4を獲得しました。
女子シングルでは、紀平梨花が4回転サルコーを成功させて優勝しました。ロシアと対決できる選手としてこれからも活躍してくれるでしょうが、この実況は、紀平の4、5人前の演技のもの。
昔、パキスタンの南部、カラチに行ったとき、町の食堂で知り合った青年たちに誘われて、郊外の彼らの村へいったことがあります。
当時は、外国人を誘拐する事件はあまりなかったので(誘拐ではなく、強盗殺人はあった)、ある程度注意していれば、危険な目には遭わなかったのです。
俺が、こいつは信用できるかどうかを判断する基準としていたのは、まず、「英語や日本語(外国語)をしゃべらない」ということと「向こうから声を掛けてきたのではない」という条件でした。そういう人たちの誘いには、喜んでついていったのでした。
このときも、英語はほとんどしゃべらなかったし、外国人が行くような地区の食堂ではなかったので、一緒に行っても大丈夫だと思いました。(片言のウルドゥー語と英単語だけでなんとかなりました)
実際、彼らの村では、大歓迎され、たいへん面白い体験をすることができました。
夕食後、電気のない暗い民家では早めに寝てしまうのですが、俺は、ある部屋のベッドを貸してもらいました。手探りで連れて行かれて、服を着たままそのベッドに横になりました。懐中電灯もなく、部屋の中がどんな様子なのかさっぱりわかりませんでした。
夜中、変な音で目が覚めました。なにか、水を捨てているような音がしたのです。しかも、けっこう近くから聞こえてきました。それでも、俺は疲れていたのか、すぐにまた眠ってしまいました。
そして朝、明るくなったころ起きてびっくりしたのです。
なんと、俺の隣には、牛がいたのでした。その部屋は、家畜小屋というのではないのでしょうが、田舎の農村の家なので、お客さんを泊める部屋は、ここくらいしかなかったのでしょう。俺は一晩牛と寝ていたことを知りました。つまり、夜中の音は、牛がオシッコを垂れ流していた音だったのです。
朝食には、牛乳が出されましたが、水っぽい味でした。そういえば、この乳は、いっしょに寝ていたあの牛の乳? 味はともかく、夜中の小便の音が耳から離れず、この牛乳をあまりおいしく飲めなかったのは残念でした。
パキスタンは牛肉・乳製品の消費が急拡大しているそうです。2014年の調査ですが、総人口は1999年から2014年には37.8%増加して1億8802万人になり、牛や水牛の飼育頭数も、7割増えました。飼育環境や生産効率の改善につながったとみられていますが、牛小屋でお客さんを寝せるなんて遠い昔の話なんでしょうね。
ネパールでは、首都のカトマンズでも、ヒマラヤへの玄関口ポカラでも、牛が自由に歩いているのを見かけます。インドでもそうですが、ヒンズー教徒にとって、牛は豊穣の女神ラクシュミの化身として神聖視されています。
2008年に連邦共和制になって、ネパールはヒンズー教王国ではなくなりましたが、牛の殺処分は今でも違法だそうで、牛はカトマンズの中をゆったりと歩いていたり、ポカラの市場では寝そべってストレッチしたりしています。
2013年には交通の邪魔になるとのことで路上を歩き回る牛を「取り締まった」らしいのですが、2013年秋に俺がネパールに行った時も、掲載写真のように、町中で牛を見ることは珍しくありませんでした。
また、ネパールのリゾート地や外国人登山客の多いレストランでは、「バフテキ」を食べられます。「バフテキ」は「バッファロー・ステーキ」のこと。水牛のステーキですね。ちょっと固めだけどおいしいですよ。
牛は神聖視されていますが、水牛は食べられます。水牛は牛とは明確に区別され、神聖視されていません。まったく牛とは別物です。実際、ふたつは種が違います。
ところで、牛が町中にいても襲われることはないのでいいのですが、怖いのは野放しの犬ですね。とくに夜の犬は。
■牛(■は、牛へんに毛)とは、チベット高原のヤク牛のことです。チベット人にとって、ヤクはなくてはならない家畜です。
草原を歩いていると、牧畜民のテントのそばに、活発に走り回っている黒っぽい動物。あれは・・・。てっきりチベット犬かな?と、顔が青ざめ、立ち止まってしまいます。犬に何度か噛まれているので、ほんとに怖いんです。
ところが、その動物は、ヤクの子どもなんですね。それがわかると一安心。
ヤクの子どもを遠くから見ると、犬に見えるのは、あの活発な動き方が、どうしても大人のヤクの、どっしりとした動きから想像しづらいからです。身軽なんです、子どものヤクは。それと、俺が犬に敏感だからなのは言うまでもありません。今はヴィーノでリハビリし、犬恐怖症も克服しましたが、当時は、一番ひどい時だったので。
毛は(毛牛というくらいだから毛が長い)、チベット牧畜民のテントやロープの材料に、乳は各種乳製品に、肉はもちろん食料に、糞は木がない高原では貴重な燃料になります。ヤクを利用することで、厳しい環境にも適応してきました。
牧畜民のところで食事をごちそうになると、かならずヤクの干し肉が出ましたが、これが、想像通り堅い。大きな塊を、ナイフで小さく切りながら食べるのですが、固いゴムのようで、なかなか噛み砕くのに時間がかかります。だから、顎が丈夫になり、唾液も良く出て、体には良いような気がします。
写真は、チベット高原のメコン源流を探しに行ったときのもので、源流に近い家族は、ヤクの放牧をやっていました。8月でしたが雪が降る中で、ヤクの乳しぼりをしています。
乳からバターやヨーグルトを作ります。バター茶は、チベットではポピュラーな飲み物です。
ヤクのヨーグルトには、あたりはずれがあります。ほんとにおいしいものは、どんぶり2杯も食べましたが、たまに、独特の匂いのするものもあります。新鮮さの違いかもしれません。
来年の牛・丑年にちなんで、牛の話題を続けようと思います。
西郷隆盛の愛犬「ツンの像」を探しに鹿児島県薩摩川内市の藤川天神を参拝した時です。牛の姿が入った馬頭観音のお札をいただきました。
駐車場から境内に入る参道脇にツンの像はありました。上野の西郷さんの像からの思い込みで、てっきりここも西郷さんといっしょのツンを想像していたのですが、像はツン単独の像です。
どうしてここにツンの像が建てられたのかというと、ツンの元々の飼い主だった前田善兵衛の家が、ここから4kmほどのところにあるからです。いわば、ツンの生まれ故郷に、錦を飾ったというかっこうでしょうか。
平成2年(1980年)のNHK大河ドラマ『翔ぶが如く』の放映を機に、制作を彫刻家・中村晋也氏に依頼し、ツンの像が建立されたとのことです。
宮司さんは、
「上野のときには、ツンは死んでいて、雄犬をモデルにしたのですが、ここのツンの像はちゃんと薩摩犬の雌犬をモデルにしています」
といいました。上野の銅像を造ることになったときには、ツンは既に死んでいたので、別の薩摩犬の雄犬をモデルにして造られたという話は聞いていました。
こっちの方が実物に似ているということになるのでしょう。地元ではちょっとした自慢なのかもしれません。
社務所には御札やお守りがあって、中に動物が2頭刷ってあるお札があって、小さいほうがチベット犬の子犬の姿にも似ていました。
確認のために「これは犬ですか?」と聞いたら、馬頭観音の御札で、これは子牛の像なのだという。残念ながらやはり犬の姿ではありませんでした。
牛のお札をいただいたのは、ここが最初で最後です。
来年は「丑年」。
今年はコロナ禍で知人友人と直接会う機会も少なくなってしまいました。だからでしょうか、年賀状の売れ行きは良いようです。
なので、今年も恒例の年賀状サンプル、トンパ(東巴)文字のデザインを載せておきます。参考にしてください。1500pixcelあるので、年賀状のプリントでも使えると思います。
トンパ文字は、雲南省麗江地区、ナシ族に伝わる象形文字です。角が特徴的です。
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牛といえば、アジアでよく見るのは水牛です。
中国貴州省のミャオ族・トン族などでは闘牛を見ることができます。とくに、1月下旬から2月上旬にかけての中国正月(春節)の時期。田んぼに何も作物がないところが会場になります。
普段はおとなしそうに見える牛(水牛)ですが、男たちからけしかけられて興奮した牛たちは、角を突き合わせて激しく闘います。近づいて写真を撮るのは、ちょっと怖い。
逃げたら負けです。中には、それだけエネルギーがあったら闘えるだろうと思えるような、何キロにもわたって逃走劇を演じてしまい、観客から失笑をかってしまう牛もいました。
ミャオ族の料理に、水牛のモツ煮込みのような食べ物があります。肉も内臓もいっしょに煮てある、しかも、塩味だけのシンプルな料理で、市場などで食べることができました。
食べた後、脂が固まって、唇に蝋を塗ったようになってしまったのは困りました。
ヴィーノを連れて丸山公園を散歩しました。
丸山公園の紅葉もほぼ終わりましたが、じゃっかん赤い葉が残っている場所もあります。
陽が当たると暖かいですが、陰ると急に寒く感じたり、いよいよ寒い冬に近づいているのを実感します。
もう1年経ったんですね。今ころ新型コロナのニュースがそろそろ出てきた時期だったでしょうか。
あのときは、「また中国でへんな感染症が出たか」程度で、対岸の火事でした。それが年が明けてから、これはただ事じゃないと。
欧米ではワクチン接種が始まっていますが、日本ではどうなるのか。まだまだ先は見通せません。
今年の夏から始まった青山茶舗の改修工事は、年末に終わる予定でしたが、年明けにずれこむらしい。新しい店舗で営業再開するのは立春(2月上旬)ころかもしれません。ずっとスチールとムービーで記録を撮っています。
今は、茶屋は、仮店舗で営業中です。旧中山道に面した店舗は養生シートに覆われていますが、正面右側のTimesの駐車場を通って裏に周ると、和風喫茶・ギャラリー楽風(こちらは通常営業)の庭で、手前に、仮店舗の入り口があります。そこを入ると、和室を利用した仮店舗です。一番下の写真がそうです。
これがなかなか趣があっていいのですが、仮店舗なので、見られるのは今だけです。ちゃんとお茶は販売していますので、ぜひ行ってみてください。今日あたり、足場が解体されるようだし、この前外壁塗装が終わったので、近々養生シートも外され、新店舗の外観だけは見られるようになるのではないかと思います。
東京都豊島区の池袋氷川神社で七五三の撮影がありました。この神社境内には、池袋富士塚があります。
解説看板によると、
「 高さ約五メートル、東西幅約十三メートル、南北幅約十八メートルを測り、全山がボク石で覆われている。
池袋富士塚は、明治四五年(一九一二)六月に池袋月三十七夜元講によって築かれたものである。
平十年(一九九八)六月に東京都豊島区指定史跡となり、保存がはかられている。」
なお、登拝が許されているのは7月1日だけのようで、通常は上ることはできません。
久しぶりのブログの更新です。調べたら20日間ぶりです。
友だちからは、死んでいるんじゃないか?という心配のメールも届きましたが、まったく健康です。コロナにも〈まだ〉罹っていません。
10月11月は、七五三のシーズンで、撮影依頼がたくさんあったからで、疲れてしまって、ブログを書く気力がありませんでした。
でも、12月に入って、その撮影依頼もぱったりと途絶えました。もちろん七五三のシーズンが終わったことはありますが、コロナ感染者が増えていることも関係しているでしょう。
コロナ禍でどうなるんだろうと心配していた親御さんも多かったと思いますが、なんとか、今年の七五三シーズン(10月11月)が、感染再々拡大前になったことは幸いといったところでしょうか。
12月に入り感染者が増えてきて、また仕事の見通しが立たなくなってきました。心配です。
ところで、今年、七五三の撮影で始めたのは、400ミリ望遠レンズを使っての撮影です。七五三の撮影で、400ミリの望遠レンズを使っているカメラマンを見たことがありません。正直、俺自身、始めたときは違和感がありました。
でも、やむにやまれぬ事情があったのです。それは女の子でしたが、機嫌を損ねて泣いてしまい、ご家族そろって記念写真も撮れないという状況でした。でも、「何々して」というとぐずって泣いた女の子も、自由にさせてあげると、自然な表情に戻ります。
考えてみれば、俺も子供のころ、親に「写真を撮るから」といわれ、無理やり野球のユニフォームを着せられたときは大泣きしたことを覚えています。自分で好きな衣装だったら喜んだかもしれませんが、俺は野球はそれほど好きではなかったし、ましてや、親の都合でユニフォームで写真に納まることが嫌で嫌でたまらなかったのです。
七五三の子供たちも普段着慣れない着物を着せられ、「ほら、何とかちゃん笑って」などと言われても、素直に聞けるわけがありません。子供にとっては、その意味もわからないからです。
でも、泣いている子でも、自由にしてあげると、機嫌を直し、普通の表情、あるいは笑顔が戻ります。そのとき、カメラを意識させないとより自然になることが分かったのです。
だから物陰に隠れて望遠レンズで彼女の表情を追いました。結果、自然な表情、もちろん大泣きしている表情、そして少しだけ笑顔の写真も撮ることができ、親御さんからも喜ばれたということがあったのです。それから望遠レンズを使うことにしました。
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