今日から、二十四節気「大寒」、七十二候「鶏始乳(にわとりはじめてとやにつく」
今日から、二十四節気「大寒」、七十二候「鶏始乳」です。
春の気配を感じたニワトリが卵を産み始める時期。今、卵はいつでも食べられますが、自然な状態のニワトリは日照時間が長くなるにつれ産卵率が上がっていくので、本来、卵の旬は2~4月とのこと。
「立春・東風解凍(こちこおりをとく)」から始まった旧暦も、これが第七十二番目、一番最後です。
今日から、二十四節気「大寒」、七十二候「鶏始乳」です。
春の気配を感じたニワトリが卵を産み始める時期。今、卵はいつでも食べられますが、自然な状態のニワトリは日照時間が長くなるにつれ産卵率が上がっていくので、本来、卵の旬は2~4月とのこと。
「立春・東風解凍(こちこおりをとく)」から始まった旧暦も、これが第七十二番目、一番最後です。
スウェーデン生まれでオオカミ研究家のエリック・ツィーメン著『オオカミ』に、興味深い民話が載っていました。
オオカミの歯に挟まった木切れを取ってあげるとオオカミが恩返しをしたという話です。オオカミの報恩譚です。
「オオカミは善良で、ほとんど神に似た存在であり、たしかに少々ずぼらで、性急で熟慮に欠けるところがあるが、つねに親切で、思いやりがあり、賢明であった。有名なトーテムポール、ギットラテニクスのトーテムポールには、くり返し脚色されて話される一つの物語が語られている。ある男が、臼歯の間に木切れがはさまってしまったオオカミを助けた。オオカミはのちに、男とその部族が困窮しているときにシカを殺してやることで、返礼をしたという。
実際オオカミは歯の間にはさまった木切れのために大変苦労することがある。ネースヒェンが四か月の自由な生活をして戻ってきたとき、たしかにたくさん食べはしたが、やがて病気の兆候を示しはじめた。獣医が診察したが、何も見つからなかった。それで獣医は、ネースヒェンの衰弱は逃走期間中の食料不足が原因だろうと考えた。けれども、このオオカミの体調はますます悪くなっていった。口臭もひどかった。そしてついに私はこの口腔に病気の原因を発見した。上顎の奥歯の間にはさまっていた木切れである。これを取り除くと、数時間以内にネートスヒェン(まま)は元気になった。」
というのです。ひとつは、オオカミの報恩譚。もうひとつは、オオカミの歯に物がはさまると大変だということ。そういえば、ヴィーノもたまに歯に物が挟まるときがあり、手指の形、機能上、自分ではなかなか取れなくて苦労しているときがあります。その様子はたしかに印象に残りますねぇ。なんだか間抜けな感じで、ユーモラスで、オオカミならなおさら、普段は精悍で威厳のある姿と、そのギャップ萌えもあるかもしれません。
著者のエリック・ツィーメンは、オオカミは人の助けを借りて「イヌ」になったという犬起源譚か?とも思ったらしいのですが、残念ながらそうではなく、イヌは中央アジアでオオカミから分離したらしいし、ネイティブアメリカンの民話でも犬起源譚ではなかったそうです。
オオカミの報恩譚は日本では、いろいろパターンを変えてたくさん存在するのですが、エリック・ツィーメンは欧州人だし、報恩譚はカナダのネイティブアメリカンの話で、まったく日本とは関係ないところで、こんな話があると、報恩譚の方は、まぁオオカミと接していた人たちがオオカミと友好的な間柄であれば、恩返しの話も自然と生まれるんだろうなと想像できます。
ただ、「狼の口」と「挟まった物を取ってあげる」という組み合わせは、日本にもネイティブアメリカンにもあるとすると、オオカミの何か特徴に関わっているのかな、それともオオカミの口から物を取ってあげなければならない理由があるのかと、想像がふくらみます。それを考えてみようかなと。
まずは、日本での狼報恩譚を紹介します。埼玉県坂戸市の北大塚という地域に伝わる民話をテーマにした公園があります。公園に設置されている解説プレートからこの民話を要約すると、
「昔は、この辺りにもたくさんの狼がいた。その中にどん吉といういつもお腹をすかした、のろまな狼がいた。ある日、どんぐりの木に隠れて獲物をねらっているとおばあさんがやってきた。狼はおばあさんを食べずに、家まで送っていった。おばあさんは、そのお礼として魚をお供えした。狼たちは喜んで魚を食べた。どん吉はあまり急いで食べたので、骨を喉につまらせた。そこへ酔った大工さんが通りかかり骨を取ってくれた。大工さんはそこで寝てしまった。夜中、目を覚ますと周りには狼がいっぱい。食べられると思った大工さんは「わしは、一日にどんぐり5個しか食っとらんからまずいぞ」 すると狼は「さっきはありがとう。忘れた道具箱を届けにきました」 それから毎朝大工さんの家の前には、どんぐり5個がおいてあったとさ」
次に、東京都東大和市中北台公園にも「藤兵衛さんと狼」という話を元に平成5年に設置された長さ2.2m、黒御影石の「狼のベンチ」があります。東大和市のHP「藤兵衛さんと狼」には、その狼の伝説が掲載されています。
「今は多摩湖になってしまった石川の谷に、昔、藤兵衛さんという腕の良い木こりの親方が住んでいました。ある朝、いつものように仕事場へいこうと笠松坂(狭山丘陵の中にあった)を登っていくと、大きな口をあいて苦しんでいる狼が見えました。口に手を入れて、骨を取ってやると頭をひとつさげ森の中へ行ったそうです。それからというもの、狼は藤兵衛さんを朝晩送り迎えするようになりました。藤兵衛さんは、狼が御嶽神社のお使いで大口真神(おおぐちまがみ)といわれていたので、自分を守ってくれた狼のためにお宮を造り、朝晩拝んだそうです。 -東大和のよもやまばなしから-」
これも「狼が口から骨を取ってもらって恩返しする」という話です。
他にも、「民話 狼の恩返し」で検索すると、多くの似たような民話がたくさん出てきます。
「狼の恩返し」まちづくり葛生株式会社(栃木県佐野市葛生の民話)
「狼の恩返し」YAMANASHI DESIGN ARCHIVE(上野原市秋山遠所に伝わるお話)
「狼(おおかみ)の恩返(おんがえ)し」フジパン株式会社(大分県の民話)
「狼の恩がえし」伊豆の民話と昔話(静岡県伊豆の民話)
狼信仰について、しばしば参考にさせていただいているのが、菱川晶子さんの『狼の民俗学』ですが、狼の報恩譚についても論じられています。菱川さんが調べた結果、同様の民話は、北は岩手県から南は大分県まで分布しているという。
1:ある人が、口を開けた様子のおかしな狼に山で出会う。
2:みると狼の喉に骨が刺さっているので抜く。
3:狼が鹿などを礼に届ける。or それ以後山を通るたびに狼が送る。 or 山道を歩いていると狼が出てきて着物の裾を引き、藪陰に隠して狼の大群に襲われるのを防ぐ。
多くの報恩譚の1と2の部分はほとんど同じですが、「狼のお礼の仕方」の3の部分は、3パターンほどあるようです。
1と2の部分は、中国から入ってきた「虎報恩譚」が元になっているようです。日本には虎はいなかったので、虎が狼に変わった可能性が高いようです。
カナダのネイティブアメリカンの「狼」、日本では「虎」→「狼」と、じゃっかん変化はしていますが、どちらにせよ「猛獣の口から挟まったものを取る」というとんでもなく危険なことをやっているわけですね。下手したら食べられてしまうかもしれない恐れもあります。そんな危険を冒してまでも、どうして挟まってしまったものを取ってあげなくてはならないのか、ということですね。
そんなことを考えているとき、この一文が目に入りました。
「オオカミという生き方」という平沼直人氏(弁護士,医学博士)のコラムです。
「◆医療の本質
送り狼の民話には,医療の本質を見て取ることができる。
本来,治療行為は,生命に対する畏れなくして行えるものではない。
患者はただ医師に身をゆだねているだけなのだろうか。感染は医師の専横に対する患者の無言の抑止力ではあるまいか。
傷つきあるいは弱った人がいれば助け,助けられた人は感謝する。
そんな当たり前のことが忘れられている。」
なるほどなぁと思います。
平沼さんは医師なので、治療行為はどうあるべきかを言っていますが、人によって、この民話をどのように受け取るかは、それぞれ違ってもいいのでしょう。
そこでここからは俺個人のとらえ方です。
平沼さんの一文にヒントを得て、狼のイメージをもっと大きくとらえ、「自然」を象徴するものと考えると、自然に対する接し方ととらえることはできないでしょうか。自然との緊張関係を感じさせます。下手したら死んでしまう(殺されてしまう)かもしれない、命をかけた関係を表現しているのかなと。
つまりそれなりの危険を冒さなければ、自然の中では獲物は得られないと取ることもできるのではないかということです。あるいは、命あるものを獲物として得るためには、こちらも命をかける必要があるということです。
獲物だけではありません。農作物だってそうでしょう。時に自然は、風水害などで田畑をダメにしてしまうこともあります。自然は恵みをもたらしてくれるだけではなく、半面、恐ろしいものでもあるという両面性の表現であるかもしれません。
でも、それでも人はその自然の恐ろしさに打ち勝って生きていかなければならない。そういった人間の覚悟の物語なのかもしれません。
二十四節気の「大寒」です。今日、快晴なのですが、寒いの一言で、「大寒」を実感します。
最近は、コロナのためもありますが、マスクが防寒着としても有効だと気が付いて、マスクをしていないと、パンツを履いていないような、不自然さを逆に感じています。
そういえば、マスク拒否で飛行機を下ろされた人とか、鼻を出していた受験生が逮捕されたりとか、「マスク」がクローズアップされる事件がありますが、よく調べてみると、マスクはきっかけではあるんですが、それを注意された両者の言動が、どうも問題で、こういう結果を引き起こしているようです。「たかがマスク」ではないんですね。
ニュースの見出しだけで判断すると、事件の本質が見えなくなるんだぁと、俺も反省しています。
「上天より命ありて生まれたる蒼き狼ありき。その妻なる惨白き牝鹿ありき。」
これは、『元朝秘史』(Wiki 参照)にある一節です。昔、井上靖の『蒼き狼』というチンギスハーンの小説を読みましたが、モンゴル人の起源として、この一節が引用されていたような気がします。当時はまだ、「モンゴル人」も「狼」もそれほど知識もなく読んだわけですが、狼が祖先という出自に、カッコ良さ、ロマン、神秘性を感じたものです。
このような狼祖神話をもつ民族は、「烏孫・ 羌・突厥・高車・アルタイ・蒙古・ブリヤートなどのテュルク系およびモンゴル系であって、いずれも代表的な遊牧生活を営む諸族 (中略) 狼はとりわけ中央アジアで畏怖の対象となってきた。野性的で迅速に攻撃する肉食獣たる狼は、軍事的な遊牧民にとって、まさしく模範とす べき存在である。それで突厥は軍旗に黄金の狼頭を掲げただけでなく、将卒の親衛隊員を「狼」と呼びもしたのである。狼が戦士の動物とされたなら、狼に出自をたどるのは光栄なことだった。それでアルタイ諸族は狼に族祖を求めたのだ。」(『犬からみた人類史』山田仁史氏「犬祖神話と動物観」より)
遊牧民にとっての一番の関心事は、農耕民が干ばつを恐れるように、家畜を食べる狼であったようです。勇猛果敢な狼は遊牧民の模範ともなるものですが、怖い動物でもありました。この両面を持つ存在である狼は遊牧民から神聖視され、狼祖神話が中央アジアに広まったということでしょう。
昔、中国北西部、内蒙古自治区ハイラルのナダム祭りで「蒼き狼」の末裔、あるモンゴル人と話す機会がありました。この祭りでは、モンゴル相撲(ブフ)も行われていて、「ブフ」の試合で4位になった力士、バォリタさんという青年でした。
彼は年に2、3回里帰りするそうです。この辺(ハイラル郊外)では夏だけゲル(天幕住居)に住むのとは違って、彼の実家の田舎では、夏も冬も、1年中ゲルに住む、完全な遊牧民が多いところ。草丈が高く、冬でも雪が積もることはないので、冬も放牧できます。ただし、やっぱり冬はめちゃくちゃ寒いらしい。
ゲルには、電線など来てないので、ヤマハの発動機を使って、自家発電しています。夜は(昼もそうかもしれませんが)、家畜の鳴き声意外は何も聞こえないところです。隣のゲルはとても遠いのです。遊牧をするには、かなりの面積の草原が必要です。
時々、狼が出没し、羊を食べられてしまいます。遊牧民にとって、一番怖いのが野生の狼だそうです。
からかい気味に「狼はモンゴル人の祖先でしょう?」と聞いたら、「羊を襲う狼は、やっぱり悪いやつです」とバォリタさんは笑いながら言ったのでした。
今回「ブフ」の試合で勝ち取った4位の賞品は、羊1匹と洗濯機でしたが、田舎へのいいおみやげができて喜んでいました。
世界には、狼祖神話と犬祖神話を持つ民族がいますが、遊牧民族が狼祖神話を伝えている一方、中国南部に住んでいるヤオ族、ミャオ族の一部には、槃瓠が自分たちの祖先だという犬祖神話が語り継がれています。
中国の史書『後漢書』列伝にでてくる槃瓠【ばんこ】という犬の話です。
昔、高辛氏【こうしんし】の時代、襲ってきた敵、犬戎【けんじゅう】の将軍の首を取ってきた飼い犬の槃瓠は褒美として帝の末娘の姫といっしょになった。槃瓠と姫は南山の石室で暮らし、6男6女をもうけた。
これが犬祖神話です。『南総里見八犬伝』にはこの神話が生かされています。
「犬は、偉大な神話を形成するだけの刺激を与えることはできない。犬は自然界ではな く、人間界に属するからである。狼が荒野の支配者なのに対し、犬は人間の守護者だ。狼は人間より前から存在 したが、犬は人間が造り上げたものである。よって人間は犬に対して距離を置かない。狼は、男性的で戦士的な 動物であるのみならず、破滅と死をもたらす存在でもあるから、その姿は戦慄と賛嘆とを同時に引きおこす。し たがって、犬祖神話よりも前に狼神話が先行したはずであり、その起源地は中央アジアに違いない。」(『犬からみた人類史』山田仁史氏「犬祖神話と動物観」より)
犬は狼に比べてより人に身近な動物なので、畏怖する存在までにはならないという話はわかるし、犬を悪く言う諺は世界中にたくさんあるし、「あいつらは犬の末裔だ」と、どちらかというと蔑んでいわれることもあるのが犬祖神話ですが、それでもなぜ「犬」なのでしょうか。
実はモンゴル族が狼の末裔という有名な話のほかに、犬の末裔という話もあるらしいのです。
「獣祖神話と北アジア 古沢襄」にはこのようにあります。
「ポルテ・チノの狼血が、ジンギス汗に流れ、殺戮の征服欲の根源になったという説は「モンゴルの秘められた史(ふみ)」という歴史書に依拠している。井上靖は小説を書くに当たって、この狼始祖史料を使っていた。実は、もう一つの犬始祖伝説がある。ジンギス汗は、むしろ蒼き狼の血統ではなくて、黄色い犬の血統だという。
ジンギス汗はモンゴル族の中でボルジギン氏族に属していたが、この氏族に伝わったのは犬の始祖神話。蒼き狼のポルテ・チノから十二代目の子孫にドブン・メルゲンという人物がでる。妻のアラン・コアとの間に二人の男子を生んだが、ドブン・メルゲンの死後、もう一人の男の子が生まれている。この子は狼始祖を持つドブン・メルゲンの血を受け継いでいない。
アラン・コアは、男の子の父親は黄色い犬だといった。そして犬の子・ボドンチャルがボルジギン氏族の始祖となった。ジンギス汗は狼の血統ではなく、犬の血統だったことになる。腹心の功臣であるジュベ、フビライ、ジュルメ、スペエデイの四人も「狗(いぬ)」に比せられている。」(「獣祖神話と北アジア古沢襄」より)
モンゴルにも犬祖神話があるようです。モンゴル人は狼の末裔だという「蒼き狼」のイメージが強いのは、もしかしたら井上靖の小説の影響かなと思うくらいですが、犬か狼かは別にして、「獣祖神話」が遊牧民に多いのは確かなようです。
でも一番知りたいところ、どうしてある民族は「狼」を選び、ある民族は「犬」を選ぶのか、まだまだ分かりません。
(「船の科学館」の「宗谷」 タロ、ジロと犬係だった北村さん)
昨日1月14日は、タロ・ジロの日でした。すっかり忘れていました。
東京都「船の科学館」に展示してある初代南極観測船「宗谷」は、1956年(昭和31)11月からは日本初の「南極観測船」として活躍しました。操舵室の各計器なども歴史を感じさせます。
船内の一部屋が樺太犬たちの部屋で、当時は暑さに弱い犬たちのために冷房も完備していたようです。そこに、タロ、ジロの可愛らしいぬいぐるみが展示されています。
タロ、ジロの話は有名ですね。置き去りにされたタロ、ジロは南極で1年後生きていることがわかった奇跡の話です。映画にもテレビドラマにもなりました。これはこれですごい話なのですが、興味をひかれた次のような不思議なエピソードがあります。
昭和33年2月、宗谷が流氷に阻まれて、動きが取れなくなりそうになり、ヘリで、昭和基地の隊員を救出することになりました。この時点では、すぐに第二次観測隊が来ることになっていたので、昭和基地にいた犬係の北村泰一さんは、犬ぞり用の樺太犬15頭の首輪をきつく締め、鎖につなぎ直しました。
でも悪天候によって、交替の第二次観測隊は来ないことが決定。残された犬について、隊員は、連れてこれないなら、いっそ殺しに行かせてほしいと頼みましたが、事態は深刻で、それもかないませんでした。北村さんたちは泣く泣く犬を置き去りにせざるをえなかったのです。
日本に帰った彼らは、「なぜ犬を見殺しにしたのか!」と大バッシングを受けます。北村さんも自責の念にかられて精神的にも肉体的にもかなり参ったといいます。
何も知らない人に限って言いたい放題ですね。それは今も変わりません。北村さんたちの気持ちを考えると胸が締め付けられます。「いっそ殺しに行かせてほしい」という切羽詰った気持ち、よくわかります。
そんなある夜、北村さんは夢を見ます。
南極大陸を走っている2頭の犬の夢です。それを見て「生きていたんだなぁ」と夢の中で思ったそうです。
そしてもうひとり、犬係だった菊池徹さんも不思議な体験をしています。
全国に樺太犬たちの記念像が建てられて、そのひとつ(大阪府堺市の大浜公園の樺太犬の慰霊碑)で弔辞を読むことになりました。
犬たちの名前を1頭づつ読み上げていきましたが、13頭までは名前が出たのに、14頭、15頭目の犬の名前が出ません。どうしても思い出せなくて、そのまま弔辞を終わりました。その2頭がタロとジロだったのです。
そして昭和34年1月、北村さんは第3次観測隊に参加して、南極で生き残っていたタロとジロに再会したのでした。
感動的な話であると同時に、不思議な話です。
ユングに言わせれば、北村さんの場合は「予知夢」というわけですね。
でも、ユングと違ってフロイトは予知夢には懐疑的だったそうで、フロイトだったらこう解釈するのでは?ということです。
北村さんは犬係だったので、15頭のそれぞれについては熟知していた。だから意識していないところで、タロとジロの生命力がほかの犬より強いことを把握していた可能性がある。加えて、タロ、ジロは首輪の潜り抜けが上手だったらしい。だから夢で見た、と。
それと罪悪感や、何匹かは生き残っていてほしいという願望なども、意識的無意識的に、北村さんの心に日々わいていただろうということは想像できます。夢は欲望の充足であるともいわれるので、世間から追い詰められた北村さんが、夢で生きている犬の夢を見たとしても不思議ではありません。
でも、もしかしたら、北村さんが南極で生きている犬の夢を見たのは本当かもしれませんが、それがタロ・ジロの2頭だったのかどうか、どうだったのでしょうか。
1年後、実際にタロ・ジロと再会して、あとで、北村さんが見た夢に出てきたのがタロとジロだったに違いないと思ったのかもしれません。北村さんだけではなく、周りの人たちも。もしかしたら日本全国民も。これを悲劇で語りたくない気持ちは、北村さんだけではなく、日本全国民にあったのではないでしょうか。人間の記憶は都合のいいように作り変えられるので、可能性はあるでしょう。
とはいっても、何も俺はこの不思議な話を「勘違いだ」「噓だ」などと言いたいわけではありません。「夢でタロ・ジロを見た」という話は、北村さんや周りの人たちの「物語」になったわけで、その「物語」によって、ようやく精神的重圧から逃れることができたのではないかと想像します。
一方の菊池さんの場合も、2頭の生命力の強さをわかっていたので、「死んだはずがない」という気持ちが、名前を忘れさせた(名前を言いたくなかった)ということのようです。
弔辞を読むことになった慰霊碑は大阪府堺市の大浜公園にあるものですが、数頭が遠吠えをする姿は、悲しみに満ちています。このときはまだ南極で2頭が生きていることは誰も知りませんでした。いや、日本人全員が、全頭死んでいるに違いないと思っていた時期なのです。そんな中で読む弔辞なので、菊池さんの心は緊張感や罪悪感が入り混じった極限状態だったのではないでしょうか。
これも、証拠があるわけではありませんが、菊池さんが全部の犬の名前を言えなくなったのは事実かもしれませんが、それがタロ・ジロだったのかどうか。タロ・ジロが見つかったあとで、そういう記憶が作られた可能性もあるのではないか、というふうに思います。
これも北村さんと同じように、菊池さんの「物語」になり、精神的ストレスから解放されたのではないか。いずれも想像でしかないのですが。
このふたりのエピソードは、それだけ北村さんや菊池さんの犬たちに対する愛情の深さを表すものであるのは間違いないでしょう。
『犬からみた人類史』の中のコラム、石倉敏明氏「文明と野生の境界を行き来するイヌのイメージ」には、オオカミとイヌのイメージの連続性が語られています。俺もこの連続性にひかれているようなところがあります。
とくに日本では、オオカミとイヌの区別がはっきりしていないことがあります。それは、もともと大陸のオオカミと違って小型であること、牧畜業が盛んではなかったのでオオカミの被害が少なかったこと、そして実際、オオカミとイヌとの交配も起こっていたことなどから、見かけ上も、生物学的にも、オオカミとイヌを完全に分けることが難しいことがあります。
先日も書きましたが、上野の国立科学博物館に展示されているニホンオオカミの剥製を見て、これをオオカミだとすぐに判断できる人はそれほどいないと思います。イヌだと思うでしょう。もっとも剥製の製作者が「可愛らしく」作ってしまったということも原因かもしれませんが。
ここにオオカミからイヌへのイメージの連続性が見て取れます。オオカミが「ヤマイヌ」「オイヌサマ」と呼ばれることにもそれが表れているのではないでしょうか。
石倉氏はこう書いています。
「オオカミ、ヤマイヌ、イヌといった動物は、奥山、里山、人間界(里・町)という大きく三つに分割された地理的な文化コードを行き来することによって、人間の生活圏の境界を超えた穢れや聖性といった性格を獲得している。現代、日本のアーティストが作り出す豊かなイヌのイメージも、こうした異種間の想像力と無縁ではありえない。イヌは神話的な動物素として、多種多様な方法でイメージ化されてきたのだ。」
文明と野生を行き来するのがイヌとオオカミのイメージというのに加え、俺にはもうひとつ、心理学的な面からのオオカミとイヌの連続性が感じられます。
これは前から何度か書いていることですが、オオカミとイヌを対比すると、
オオカミ:無意識・夢・裏・陰・闇・夜・死などなど
イヌ:意識・現実・表・陽・光・昼・生などなど
といったイメージです。境界を超えて向こう側へ行ったものがオオカミ、境界のこちら側にいるのがイヌ。そして両者は、区別されるものではなく、境界を行ったり来たりしている「何ものか」なのです。俺にはそう感じられます。
実際、イヌは現実の動物として存在していますが、ニホンオオカミは明治時代に絶滅し(まだ生存を信じる人たちもいますが)、あちら側へ行ってしまいました。いなくなってしまったからこそ、オオカミはよりカミへ近づいたと思います。オオカミがカミの眷属であることは自然なことのようにも思えるし、オオカミによって人は向こう側へ連れていってもらえるということです。
それは普段は意識していない、自分の内面に残っている野生性に気が付かせてもらうことでもあります。
マダガスカルの中央高地、アンバラヴァウ郊外では、水曜、木曜の午前中を中心にゼブ牛を売買する市「ゼブ・マーケット」が開かれます。マダガスカル第二の規模だそうです。
島の西海岸にはバオバブ並木があります。周辺では稲作も行われていますが、農耕や運搬に牛が使われています。
イサル国立公園の入り口の水田では、牛をたくさん使って田んぼの泥の中を歩かせて耕す「踏耕」も見ました。(下から2番目の写真)
ところで、アジアを旅していて、牛に襲われたという話を聞いたことはありません。メコンの水牛だろうが、チベットのヤクだろうが、闘牛を別として、牛というものは、おとなしい動物だというイメージが焼きついています。
ところが、この感覚で、マダガスカルのゼブ牛に接するのは時に危険です。俺たちが、ある農家に立ち寄ったとき、ちょうど牛車から牛をはずしているところでしたが、「危険だから近づくな」と注意されたことがあります。
実際、ゼブ牛は、気性が荒く、暴れていました。「かわいい~」などと言って近づいたら大ケガをしそうです。もし、マダガスカルへ行かれる方は、注意してください。
ネパールへ行ったときは、「バフ・テキ」を食べました。「バッファロー(水牛)・ステーキ」のことですね。マダガスカルでも、ゼブ牛の肉料理はもちろんあります。「ゼブ・テキ」とは言わなかったようですが、アゴを丈夫にできるくらいの、程よい硬さのステーキを食べることができます。
アンチラベ郊外で食べた、ゼブ牛のタンの煮込み料理はうまかったですよ。
シエムリアップは、世界遺産アンコールワット遺跡群への玄関口として発展してきましたが、郊外に出ると広大な水田が広がっています。
牛や水牛が農作業で使われていますが、もうひとつ、カンボジアでよく見たのは、牛車・水牛車でした。
それと、水路に飛び込む子や、魚を捕まえている子など、カンボジアの子どもたちは元気ですね。牛や水牛の扱い方もうまいですね。
『犬からみた人類史』の第5章に今野晃嗣氏の「イヌとヒトをつなぐ眼」があります。
オオカミとイヌは、「眼」に関して何が違うのかが書いてあり、非常に興味深く読みました。
著者はこう書いています。
「イヌとヒトの距離を近づけた要因の一つは互いの「眼」を介した視覚情報のやりとりであり、それがひいてはイヌとヒトの稀有な共生関係を形作ったりつなぎとめたりする役割を果たしてきたと考えている。」
この前は、イヌの嗅覚のすごさを書きましたが、今回は視覚です。イヌとヒトが同等の嗅覚能力があったら、また別な交流史が描けたかもしれませんが、残念ながら、ヒトの嗅覚はイヌとは比較にならないので、視覚がカギを握ったということではないでしょうか。
オオカミとイヌの眼の違いで一番大きいのは、瞳孔と虹彩のコントラストがあげられます。オオカミの眼は、光彩が明るく、瞳孔が黒いので、どこを見ているかがはっきりわかる眼をしています。これは人間でもそうで、白目と黒目がはっきりしているのは霊長目でもヒトだけで、視線がどこを向いているのかがわかります。(視線強調型の眼)
これは諸刃の剣でもあります。視線を悟られると、獲物を逃したり、他者に威嚇を与えてしまうことがある一方、利害が一致する集団においては、「好意」や「愛着」を表すことになります。デメリットがありながらも、ヒトは、目立つ眼を持つことを選択し、それが功を奏し、地球上で繁栄することができたと言えるかもしれません。
「ヒトの目立つ眼は、同種他個体と「うまくやる」ための交流能力を促進する器官として進化してきたのかもしれない。」と著者も言います。その証拠に、目立つ眼を持つ種ほど集団は大きく、大脳新皮質が発達しているとのこと。これは「社会的知性仮説」として、ヒトの大脳新皮質がどうして大きくなったかを説明しているものがあり、大きな集団を維持するためには、複雑な社会情報を処理する必要があったから、ということと矛盾しません。
でも、イヌは違います。黒目がちな眼で、視線強調型ではなく黒目強調型です。ヒトとオオカミが出会ったときには、お互いが視線強調型の眼をしていましたが、イヌに変わっていった過程でも、黒目強調型に変わったのは後で起こった変化であるらしい。
オオカミとイヌでは何が一番の違いなのかを調べた比較研究があるそうです。
フタを開ければ容器の中の食べ物を取り出せることを学習させたあと、フタを開かないようにする。すると、オオカミはひたすら自分で開けようとするのですが、イヌは、ヒトの顔を見るというんですね。容器とヒトの顔を交互に見るイヌもいたそうです。オオカミはヒトの顔を見ません。
他の実験からも、イヌの方が、オオカミより、ヒトに視線を向けることが多く、解決策をヒトに「頼む(命令する?)」ようです。
これはよくわかります。うちのヴィーノも、水が入ったボウルや、オシッコシートは、居間の隣の和室に置いてあって、戸が閉まっていると、ヴィーノが、じっとこちらの顔を凝視することがあります。明らかに、「この戸を開けて」と言っているのだとわかります。開けてやると、ヴィーノは水を飲んだり、オシッコしたりします。
そして明け方、と言っても早い時は午前3時半、遅くても午前5時ですが、ハッとして目が覚めると、枕元でヴィーノが伏せの格好で、俺の顔をじっと見ています。それでも無視して寝続けていると「散歩に連れていけ」と、顔をひっかくのです。妻はこの前目をやられたので、急遽、枕を覆うように金網のフェンスを作り、ヴィーノの不意打ちを防ぐことにしました。これはまた別な問題、ヴィーノ固有の問題ですが。
視線信号の送信能力に長けているのがオオカミよりもイヌだという考えを補強する神経内分泌的証拠もあります。最近話題の、オキシトシンです。「愛情ホルモン」などとも俗に呼ばれていますね。
ヒトとイヌが見つめ合うとオキシトシン濃度が上昇するというものです。これについては、前にブログでも書いています。
犬と見詰め合うのは、威嚇ではなく、愛情という研究結果のニュース(2015/06/01)
オオカミはイヌになってから、もっとヒトに気にいられるため、ヒトを利用しやすくするため、眼は視線強調型ではなくて、黒目が多い黒目強調型の眼に変化させてきたということらしい。これによってますます「幼さ」を強調することができ、見つめることで、ヒトにかわいがられたり、守られたりする存在になったという。
「利用しやすく」などと表現すると、ちょっとイヌがあざといように受け取られてしまうかもしれませんが、種が生き残るために「良い」も「悪い」もないし、仮にそうだとしても、ヒトはイヌからそれ以上のものを与えてもらっているし、種が違っても「最良の伴侶・家族」になっているので、双方がwin-winの関係で結果オーライでしょう。
ベトナム北部、中国との国境にも近い、ラオカイ省サパは、国内最高峰ファンシパン山(3143m)麓にあり、多くの少数民族が住んでいます。
標高約1500mのサパで棚田を作るモン族(中国ではミャオ族)は、中国、清の時代に、差別や貧困から逃れて、北ベトナムやラオスへ南下してきた民族です。昔は「三苗」と呼ばれた勇猛果敢な民族の末裔とも言われています。鬱蒼とした森林を切り開き、生きるために山の斜面を棚田に変えてきました。天水を利用した棚田では水牛が大活躍です。
長距離移動にはバイクを使いますが、このバイクはソビエト(現ロシア)製のバイクで、レンタルできるので、俺も1週間ほど借りて乗り回していましたが、プラグがよく壊れました。でも心配いりません。他のバイクの運ちゃんからプラグを譲ってもらい、入れ替えるのは簡単でした。
まなびJAPAN 連載14回目の『狼信仰』は「山形県の狼信仰 (1)」です。
狼信仰の痕跡は、東北の太平洋側に多く、日本海側には少ないという傾向があって、それは狼像がほとんどない、というところからも実感します。
それでも、昔は狼祭りも行われていたし、石碑はいくつか残っています。
2回に分けて「山形県の狼信仰」を書きますが、第1回目は、尾花沢市の「三峯山神社」の石碑と、最上町の「おいの祭り」の痕跡や、「三峯山」の石碑についてです。
詳しくは、まなびJAPANの方でお読みください。
https://manabi-japan.jp/culture/20201229_23676/
アレクサンドラ・ホロウィッツ著『犬であるとはどういうことか』を読みました。彼女の本は以前も読んだことがあります。
『犬から見た世界』です。
今回は、「嗅覚」「匂い」というところに特化して、犬の世界を紹介しています。
「犬は瞬間を生きている」と俺は何度か今まで書いてきました。でも、これは、まんざら当てずっぽうな話ではないかもしれないと、この本を読んで気が付きました。
というのは、嗅覚で世界を見ている犬にとっては、匂いがそこにあるのは、その時だけです。すぐに匂いは流れ、二度と同じ臭いの状態にはなりません。つまり、犬が見ている世界というのは、その瞬間なのです。
人間は嗅覚よりも視覚を重視しています。 ヴィーノを連れての散歩は、ほぼ同じルートを歩きます。俺にとっては、いつものルートなので、新鮮味はあまり感じません。人間は視覚で世界を見るので、物体が存在する限り、あまり変わりません。だから世界は、固定されたものとして映ります。
でも、ヴィーノは違うらしいのです。匂いの世界は、絶対同じ状態はありえません。瞬間瞬間で移ろう世界です。俺には「無臭」に感じても、ヴィーノにとっては、毎回、新しい世界を歩くようなものなのかもしれません。
犬の嗅覚はすごいことは俺もヴィーノから日々感じていますが、犬の嗅覚を使った探知犬はいろんな分野で活躍しています。
犬が病気を発見するという話はよく聞くようになりました。ガンや糖尿病などがあります。最近ヴィーノは夕食後、ソファーに座っているとやたら腹のあたりの服をなめるので、「だめ」と言って鼻先を払うのですが、まさか何かの病気か?などと冗談で考えてみたり。
それと去年は、新型コロナを発見する探知犬まで生まれています。新型コロナ探知犬がたくさん生まれたら、PCR検査する必要もなく、かなり楽になるかもしれません。ただ訓練する時間が必要なので、ワクチン接種でコロナが収束する時間よりは、今のところ、より長い時間がかかってしまうような気がします。
病気を発見する犬の能力は、その祖先であるオオカミから受け継いだ可能性があるようです。
「犬の嗅覚を研究してい るある学者がわたしに冗談めかして言ったものだ――獲物の群れの中でもっとも弱い、あるいは病気の動物を感知するオオカミの感受性が、ひょっとして人間の病気に反応する犬の感受性と関係しているかもしれないと。」
犬が人の病気を発見するのは、餌としてみたとき、弱った個体として認識されることで、これを知るとちょっと複雑な感じがしてきますが、でも、家畜化されてしまった犬が人の病気を見つけることは、オオカミが弱い個体を見つけるという意味は薄れ、むしろ、利点ともなっているわけです。
「現代に生きるわたしたちはきわめて滅菌志向であり、機械依存症に なっているから、あえて患者を嗅ぐようなことはしない(時には見ることさえしない)。この傾向 は昔からあったわけではない。古代の文化も思想家たちも、病気にかかわる匂いの役割に気づいて いた。」
現代社会は、それこそ「無臭」を理想とした社会を目指しているようです。消臭剤がたくさん売れています。「おやじ」は臭いと嫌われます。
ただ、異性を好きになるのは、その異性の体臭が好きだからという説もありますね。自分では気が付いていない、無意識で、匂いで判断していることはあるのかもしれません。
俺は、匂いで過去を突然思い出すことがあります。たとえば、「あぁ、これはシリアの匂いだ」とか「雲南で嗅いだ匂いと同じだ」「これはカトマンズの街の匂い」とか。
実際は「無臭」にはならないんですが、人間はもう鈍感なので、無臭に感じているにすぎません。いや、「無臭」状態を望んでいるので、その無意識が、嗅覚を鈍らしているのかもしれません。
犬は人間のことを、嗅覚能力がないにもかかわらず、匂いを「ない」と思いこんでいるバカ者だ思っているかもしれません。
人間は二足歩行によって脳を発達させたという説がありますが、ひとつ、二足歩行することで、地面から鼻が離れ、あまり匂いを嗅がなくなった。そのために、嗅覚は衰えたということでもあるようです。
筆者は、匂いを追求します。自分で犬のようになって匂いを嗅ぐようになります。そしてこの嗅覚能力は、筋力と同じで、訓練によって上達するということでもあるようです。
自慢じゃないですが、俺もヴィーノと暮らすようになり、前よりは匂いを嗅ぐようになっているし、実際、道路の残り香で、ついさっきまで誰かここを歩いていたことが分かるようになりました。ただし、電柱のオシッコの匂いで、近くに雌の犬がいることを知るには、まだまだ訓練が必要です。ヴィーノには「やめとけ」と言われそうです。そもそも、人間には犬ような優れた嗅覚能力がないので、これは訓練しても無駄なことです。
ところで、飼い犬が主人の帰宅時間がわかるという話があります。これも「匂い」で判断しているらしいのです。でも、主人の匂いが近づいて来るから犬が主人を玄関先で待つのではない、ということです。意外です。実は、主人の残り香の減衰を感知しているらしいんですね。だいぶ主人の匂いが少なくなってきた、だから、そろそろ主人は帰ってくると。
その証拠に、こういう実験をやってみたそうです。この被験犬も、主人の帰宅時間がわかる犬です。主人が出て行ったあと、主人の匂いの付いた衣服をこっそり犬のそばに置いたところ、帰宅時間になっても、その犬はソファーで寝たままで、主人の帰宅には気が付かなかったというんですね。
匂いで帰宅時間が分かるという意味では、どっちにしろ、犬はすごいというしかありません。
本日、西暦(新暦)2021年元日です。
去年1年間はあっという間でした。コロナに明け暮れた年になりました。
それで、去年の元旦は、どういうことを書いていたんだろう?と読み返しましたが、もちろんコロナについての言及はまだありません。「物語」について書いていました。
>最近、ますます「物語」の大切さを思います。個人的な「自分なりの物語」と、もっと広い「その土地の物語」とでもいうんでしょうか。
「自分なりの物語」では、過去の物語は「思い出」で、未来の物語は「希望」と言い換えることができるかもしれません。思い出と希望で生きていけるという話は、極限状態に陥った人たちの話にもよく出てきます。<
https://asiaphotonet.cocolog-nifty.com/blog/2019/12/post-57fac1.html
コロナ禍を経験して、この「思い出」と「希望」が、なおさら大切に思えるようになりました。とくに「希望」ですね。
いつかコロナは収束して、前のような生活を取りもどせる、という希望です。ワクチンも開発されて、外国では接種が始まっているので、半年前よりもその希望の光が見えてきたことは事実です。
ただ、「前のような生活」と書きましたが、実際はもう「前のような生活」はあり得ないでしょう。確実に変わりました。コロナが収束してもです。社会システムもそうですが、心理的な面も大きいようです。いつまでも「前のような生活」を願っていては生き残れないということです。新しい環境に慣れるしかない。
たまたま今放映中の『ミッドナイト・スカイ』という映画を観ました。ジョージ・クルーニーが監督・製作・主演を務めたSF映画です。放映中なので、詳しいストーリーは伏せておきますが、地球が滅亡する中で、ある人を救うために主人公は危険を冒すわけです。余命いくばくもないことを知っている主人公が最後にやり遂げるミッションです。それはやっぱり希望です。その人たちを救うことで、人類を生き延びさせることができる、という希望です。その希望はかなったのかどうなのか、それは映画を観て判断してほしいと思いますが、少なくとも、主人公の行動力は希望にありました。
主人公の場合は、「人類」(結果的にはちょっと違うんですが)という大きなものですが、たぶん、俺たちも、日々、希望を持ちながら生きているし、もし絶望したら、死んでしまうでしょう。
個人的なことをいえば、「前のような生活」を懐かしむんじゃなくて、この新しい世界にどのように適応していくか、という試行錯誤も面白いんじゃないか、ということです。
2021年は、それが俺にとっての希望になっているかもしれません。
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