1月14日は、タロ・ジロの日
(「船の科学館」の「宗谷」 タロ、ジロと犬係だった北村さん)
昨日1月14日は、タロ・ジロの日でした。すっかり忘れていました。
東京都「船の科学館」に展示してある初代南極観測船「宗谷」は、1956年(昭和31)11月からは日本初の「南極観測船」として活躍しました。操舵室の各計器なども歴史を感じさせます。
船内の一部屋が樺太犬たちの部屋で、当時は暑さに弱い犬たちのために冷房も完備していたようです。そこに、タロ、ジロの可愛らしいぬいぐるみが展示されています。
タロ、ジロの話は有名ですね。置き去りにされたタロ、ジロは南極で1年後生きていることがわかった奇跡の話です。映画にもテレビドラマにもなりました。これはこれですごい話なのですが、興味をひかれた次のような不思議なエピソードがあります。
昭和33年2月、宗谷が流氷に阻まれて、動きが取れなくなりそうになり、ヘリで、昭和基地の隊員を救出することになりました。この時点では、すぐに第二次観測隊が来ることになっていたので、昭和基地にいた犬係の北村泰一さんは、犬ぞり用の樺太犬15頭の首輪をきつく締め、鎖につなぎ直しました。
でも悪天候によって、交替の第二次観測隊は来ないことが決定。残された犬について、隊員は、連れてこれないなら、いっそ殺しに行かせてほしいと頼みましたが、事態は深刻で、それもかないませんでした。北村さんたちは泣く泣く犬を置き去りにせざるをえなかったのです。
日本に帰った彼らは、「なぜ犬を見殺しにしたのか!」と大バッシングを受けます。北村さんも自責の念にかられて精神的にも肉体的にもかなり参ったといいます。
何も知らない人に限って言いたい放題ですね。それは今も変わりません。北村さんたちの気持ちを考えると胸が締め付けられます。「いっそ殺しに行かせてほしい」という切羽詰った気持ち、よくわかります。
そんなある夜、北村さんは夢を見ます。
南極大陸を走っている2頭の犬の夢です。それを見て「生きていたんだなぁ」と夢の中で思ったそうです。
そしてもうひとり、犬係だった菊池徹さんも不思議な体験をしています。
全国に樺太犬たちの記念像が建てられて、そのひとつ(大阪府堺市の大浜公園の樺太犬の慰霊碑)で弔辞を読むことになりました。
犬たちの名前を1頭づつ読み上げていきましたが、13頭までは名前が出たのに、14頭、15頭目の犬の名前が出ません。どうしても思い出せなくて、そのまま弔辞を終わりました。その2頭がタロとジロだったのです。
そして昭和34年1月、北村さんは第3次観測隊に参加して、南極で生き残っていたタロとジロに再会したのでした。
感動的な話であると同時に、不思議な話です。
ユングに言わせれば、北村さんの場合は「予知夢」というわけですね。
でも、ユングと違ってフロイトは予知夢には懐疑的だったそうで、フロイトだったらこう解釈するのでは?ということです。
北村さんは犬係だったので、15頭のそれぞれについては熟知していた。だから意識していないところで、タロとジロの生命力がほかの犬より強いことを把握していた可能性がある。加えて、タロ、ジロは首輪の潜り抜けが上手だったらしい。だから夢で見た、と。
それと罪悪感や、何匹かは生き残っていてほしいという願望なども、意識的無意識的に、北村さんの心に日々わいていただろうということは想像できます。夢は欲望の充足であるともいわれるので、世間から追い詰められた北村さんが、夢で生きている犬の夢を見たとしても不思議ではありません。
でも、もしかしたら、北村さんが南極で生きている犬の夢を見たのは本当かもしれませんが、それがタロ・ジロの2頭だったのかどうか、どうだったのでしょうか。
1年後、実際にタロ・ジロと再会して、あとで、北村さんが見た夢に出てきたのがタロとジロだったに違いないと思ったのかもしれません。北村さんだけではなく、周りの人たちも。もしかしたら日本全国民も。これを悲劇で語りたくない気持ちは、北村さんだけではなく、日本全国民にあったのではないでしょうか。人間の記憶は都合のいいように作り変えられるので、可能性はあるでしょう。
とはいっても、何も俺はこの不思議な話を「勘違いだ」「噓だ」などと言いたいわけではありません。「夢でタロ・ジロを見た」という話は、北村さんや周りの人たちの「物語」になったわけで、その「物語」によって、ようやく精神的重圧から逃れることができたのではないかと想像します。
一方の菊池さんの場合も、2頭の生命力の強さをわかっていたので、「死んだはずがない」という気持ちが、名前を忘れさせた(名前を言いたくなかった)ということのようです。
弔辞を読むことになった慰霊碑は大阪府堺市の大浜公園にあるものですが、数頭が遠吠えをする姿は、悲しみに満ちています。このときはまだ南極で2頭が生きていることは誰も知りませんでした。いや、日本人全員が、全頭死んでいるに違いないと思っていた時期なのです。そんな中で読む弔辞なので、菊池さんの心は緊張感や罪悪感が入り混じった極限状態だったのではないでしょうか。
これも、証拠があるわけではありませんが、菊池さんが全部の犬の名前を言えなくなったのは事実かもしれませんが、それがタロ・ジロだったのかどうか。タロ・ジロが見つかったあとで、そういう記憶が作られた可能性もあるのではないか、というふうに思います。
これも北村さんと同じように、菊池さんの「物語」になり、精神的ストレスから解放されたのではないか。いずれも想像でしかないのですが。
このふたりのエピソードは、それだけ北村さんや菊池さんの犬たちに対する愛情の深さを表すものであるのは間違いないでしょう。
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