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2021/01/25

【犬狼物語 其の五百三十六】 狼報恩譚(どうして狼の口から物を取ってあげなければならないのか)

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スウェーデン生まれでオオカミ研究家のエリック・ツィーメン著『オオカミ』に、興味深い民話が載っていました。

オオカミの歯に挟まった木切れを取ってあげるとオオカミが恩返しをしたという話です。オオカミの報恩譚です。

 「オオカミは善良で、ほとんど神に似た存在であり、たしかに少々ずぼらで、性急で熟慮に欠けるところがあるが、つねに親切で、思いやりがあり、賢明であった。有名なトーテムポール、ギットラテニクスのトーテムポールには、くり返し脚色されて話される一つの物語が語られている。ある男が、臼歯の間に木切れがはさまってしまったオオカミを助けた。オオカミはのちに、男とその部族が困窮しているときにシカを殺してやることで、返礼をしたという。
 実際オオカミは歯の間にはさまった木切れのために大変苦労することがある。ネースヒェンが四か月の自由な生活をして戻ってきたとき、たしかにたくさん食べはしたが、やがて病気の兆候を示しはじめた。獣医が診察したが、何も見つからなかった。それで獣医は、ネースヒェンの衰弱は逃走期間中の食料不足が原因だろうと考えた。けれども、このオオカミの体調はますます悪くなっていった。口臭もひどかった。そしてついに私はこの口腔に病気の原因を発見した。上顎の奥歯の間にはさまっていた木切れである。これを取り除くと、数時間以内にネートスヒェン(まま)は元気になった。」

というのです。ひとつは、オオカミの報恩譚。もうひとつは、オオカミの歯に物がはさまると大変だということ。そういえば、ヴィーノもたまに歯に物が挟まるときがあり、手指の形、機能上、自分ではなかなか取れなくて苦労しているときがあります。その様子はたしかに印象に残りますねぇ。なんだか間抜けな感じで、ユーモラスで、オオカミならなおさら、普段は精悍で威厳のある姿と、そのギャップ萌えもあるかもしれません。

著者のエリック・ツィーメンは、オオカミは人の助けを借りて「イヌ」になったという犬起源譚か?とも思ったらしいのですが、残念ながらそうではなく、イヌは中央アジアでオオカミから分離したらしいし、ネイティブアメリカンの民話でも犬起源譚ではなかったそうです。

 

オオカミの報恩譚は日本では、いろいろパターンを変えてたくさん存在するのですが、エリック・ツィーメンは欧州人だし、報恩譚はカナダのネイティブアメリカンの話で、まったく日本とは関係ないところで、こんな話があると、報恩譚の方は、まぁオオカミと接していた人たちがオオカミと友好的な間柄であれば、恩返しの話も自然と生まれるんだろうなと想像できます。

ただ、「狼の口」と「挟まった物を取ってあげる」という組み合わせは、日本にもネイティブアメリカンにもあるとすると、オオカミの何か特徴に関わっているのかな、それともオオカミの口から物を取ってあげなければならない理由があるのかと、想像がふくらみます。それを考えてみようかなと。

 

まずは、日本での狼報恩譚を紹介します。埼玉県坂戸市の北大塚という地域に伝わる民話をテーマにした公園があります。公園に設置されている解説プレートからこの民話を要約すると、

「昔は、この辺りにもたくさんの狼がいた。その中にどん吉といういつもお腹をすかした、のろまな狼がいた。ある日、どんぐりの木に隠れて獲物をねらっているとおばあさんがやってきた。狼はおばあさんを食べずに、家まで送っていった。おばあさんは、そのお礼として魚をお供えした。狼たちは喜んで魚を食べた。どん吉はあまり急いで食べたので、骨を喉につまらせた。そこへ酔った大工さんが通りかかり骨を取ってくれた。大工さんはそこで寝てしまった。夜中、目を覚ますと周りには狼がいっぱい。食べられると思った大工さんは「わしは、一日にどんぐり5個しか食っとらんからまずいぞ」 すると狼は「さっきはありがとう。忘れた道具箱を届けにきました」 それから毎朝大工さんの家の前には、どんぐり5個がおいてあったとさ」

 

次に、東京都東大和市中北台公園にも「藤兵衛さんと狼」という話を元に平成5年に設置された長さ2.2m、黒御影石の「狼のベンチ」があります。東大和市のHP「藤兵衛さんと狼」には、その狼の伝説が掲載されています。

「今は多摩湖になってしまった石川の谷に、昔、藤兵衛さんという腕の良い木こりの親方が住んでいました。ある朝、いつものように仕事場へいこうと笠松坂(狭山丘陵の中にあった)を登っていくと、大きな口をあいて苦しんでいる狼が見えました。口に手を入れて、骨を取ってやると頭をひとつさげ森の中へ行ったそうです。それからというもの、狼は藤兵衛さんを朝晩送り迎えするようになりました。藤兵衛さんは、狼が御嶽神社のお使いで大口真神(おおぐちまがみ)といわれていたので、自分を守ってくれた狼のためにお宮を造り、朝晩拝んだそうです。 -東大和のよもやまばなしから-」

これも「狼が口から骨を取ってもらって恩返しする」という話です。 

他にも、「民話 狼の恩返し」で検索すると、多くの似たような民話がたくさん出てきます。

狼の恩返し」まちづくり葛生株式会社(栃木県佐野市葛生の民話)

狼の恩返し」YAMANASHI DESIGN ARCHIVE(上野原市秋山遠所に伝わるお話)

狼(おおかみ)の恩返(おんがえ)し」フジパン株式会社(大分県の民話)

狼の恩がえし」伊豆の民話と昔話(静岡県伊豆の民話)

 

狼信仰について、しばしば参考にさせていただいているのが、菱川晶子さんの『狼の民俗学』ですが、狼の報恩譚についても論じられています。菱川さんが調べた結果、同様の民話は、北は岩手県から南は大分県まで分布しているという。

1:ある人が、口を開けた様子のおかしな狼に山で出会う。

2:みると狼の喉に骨が刺さっているので抜く。

3:狼が鹿などを礼に届ける。or それ以後山を通るたびに狼が送る。 or 山道を歩いていると狼が出てきて着物の裾を引き、藪陰に隠して狼の大群に襲われるのを防ぐ。

多くの報恩譚の1と2の部分はほとんど同じですが、「狼のお礼の仕方」の3の部分は、3パターンほどあるようです。

1と2の部分は、中国から入ってきた「虎報恩譚」が元になっているようです。日本には虎はいなかったので、虎が狼に変わった可能性が高いようです。

カナダのネイティブアメリカンの「狼」、日本では「虎」→「狼」と、じゃっかん変化はしていますが、どちらにせよ「猛獣の口から挟まったものを取る」というとんでもなく危険なことをやっているわけですね。下手したら食べられてしまうかもしれない恐れもあります。そんな危険を冒してまでも、どうして挟まってしまったものを取ってあげなくてはならないのか、ということですね。

そんなことを考えているとき、この一文が目に入りました。

オオカミという生き方」という平沼直人氏(弁護士,医学博士)のコラムです。

「◆医療の本質
送り狼の民話には,医療の本質を見て取ることができる。
本来,治療行為は,生命に対する畏れなくして行えるものではない。
患者はただ医師に身をゆだねているだけなのだろうか。感染は医師の専横に対する患者の無言の抑止力ではあるまいか。
傷つきあるいは弱った人がいれば助け,助けられた人は感謝する。
そんな当たり前のことが忘れられている。」

なるほどなぁと思います。

平沼さんは医師なので、治療行為はどうあるべきかを言っていますが、人によって、この民話をどのように受け取るかは、それぞれ違ってもいいのでしょう。

そこでここからは俺個人のとらえ方です。

平沼さんの一文にヒントを得て、狼のイメージをもっと大きくとらえ、「自然」を象徴するものと考えると、自然に対する接し方ととらえることはできないでしょうか。自然との緊張関係を感じさせます。下手したら死んでしまう(殺されてしまう)かもしれない、命をかけた関係を表現しているのかなと。

つまりそれなりの危険を冒さなければ、自然の中では獲物は得られないと取ることもできるのではないかということです。あるいは、命あるものを獲物として得るためには、こちらも命をかける必要があるということです。

 獲物だけではありません。農作物だってそうでしょう。時に自然は、風水害などで田畑をダメにしてしまうこともあります。自然は恵みをもたらしてくれるだけではなく、半面、恐ろしいものでもあるという両面性の表現であるかもしれません。

でも、それでも人はその自然の恐ろしさに打ち勝って生きていかなければならない。そういった人間の覚悟の物語なのかもしれません。

 

 

 

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