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2021/02/06

【犬狼物語 其の五百三十七】 宮城県石巻市 三峯神社の狼レリーフ像

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宮城県石巻市の三峯神社を参拝しました。

仙台からの途中、小雪がパラつき寒くなりましたが、石巻に着いた頃は雪もあがり、晴れ間が見えてきました。ただ気温は低いままです。この日、最高気温は1度、2度だったらしい。

三峯神社は駅から約800m。石祠の台座、左右に狼のレリーフ像がありました。祠の右奥には、秩父の三峯神社参拝記念の碑も。だから、ここは本山から勧請した神社だということがわかります。

今、この神社を管理しているのは「三峯会」といい、20年前は100戸ほどが加入していましたが、震災後、徐々に減っていき、現在は60~70戸が加入しているという。

この社は、東日本大震災で壊れて津波にものまれました。修理をすることになりましたが、その時、社の中に祀ってある木祠の中からポロリと木札が出てきました。それには、「文化十四年三月武州秩父郡三峯山ヨリ御神ヲ遷ス奉ル」とありました。だから初めて勧請されたのは文化14年までさかのぼることが震災後にわかりました。

なお台座の刻字や石碑などから、今の石祠(狼のレリーフ像も)は明治25年に作られたものらしいとのことです。

でも、誰が勧請したか、なぜ勧請したかはわからないといいます。台座には「水」と書いた水桶のようなものも彫られているので、火災除けとしての勧請だったのではないかと思っているそうです。

ある女性は「水」にちなんで、水イボができたので、笹船に豆をお供えして祈願したという。三峯会の人たちは「それはないだろう」と思ったそうですが、でも、信仰という面からみれば、狼(ご眷属様)は、病気除けのご神徳もあるので、間違っているわけでもないでしょうが。

石祠もそうですが、神社で使っている石材は、加工がしやすい「井内石」を使っています。近くに「井内石」の産地があって、そこから採れる石を使って修理しました。昔は多くの石工もいたらしいですが、現在では少なくなりました。狼像もこの石工たちが彫ったものなのでしょう。

昔は、石巻三峯講として本山に詣でていましたが、現在は行なわれていません。(祠の中に祀ってある御札は「講」としてのもの)ただ、今でも、7月の第3~第4の土曜日(昔は7月19日)に祭りを行っています。羽黒神社の宮司が祈祷をする神事が行われ、夜8時ころから直会をします。また8月第1土(日)にも、総会と直会をやっています。

「19日」というのは、秩父三峯神社の域外、地方に貸し出されている御眷属様に小豆飯を炊いて供える「お炊き上げ」神事の日と同じです。

もともとこの神社は、近くの通りの遊郭街のどこかにあったものを現在のところに移したという話を聞いているそうです。神社前の道路は昔の旧道ですが、もともと道の広さは現在の半分程度だったので、三峯神社の境内も広かったらしい。銀杏の御神木がありましたが、老木になり、倒れることなども心配し、平成29年2月7日に伐採されました。その切り株が、歩道との境に残っていますが、境内が広かったころは、境内の真ん中に立っていた御神木だったようです。

境内を回り込むように昔は堀がありました。近くの酒蔵からこの堀を通り船で酒を運んでいたらしい。現在、一部用水路になっている部分もありますが、堀は埋められて道路になっています。

 

 

 

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