今日から二十四節気「小満(しょうまん)」、七十二候「蚕起食桑(かいこおきてくわをはむ)」 ◆世界遺産「富岡製糸場」
今日(2021年5月21日)から二十四節気「小満」、初候「蚕起食桑」です。
木々が青々とし命輝き、蚕が桑の葉をいっぱい食べて成長する季節です。
蚕といえば絹です。
世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成要素4ヶ所は「富岡製糸場」、「荒船風穴」、「高山社跡」、「田島弥平旧宅」の4ヶ所です。
明治政府は、生糸の品質を向上させるため、洋式の繰糸器械を備えた官営模範工場を建設することになり、このとき大蔵省租税正であった渋沢栄一は、養蚕にも詳しかったので、富岡製糸場設置主任に任命されました。
フランスの技術を導入した富岡製糸場は明治5年(1872年)に設立され、国内養蚕・製糸業を牽引しました。 初代場長を務めたのが、栄一のいとこ、尾高惇忠です。フランス人技師が飲んでいるワインを見た人たちが、人の生き血を飲んでいると噂をし、女工が集まらなかったといいます。そこで、惇忠の娘のゆうが伝習工女第1号になり、その誤解を解いたというエピソードがあります。赤ワインだったんでしょうね。
資料棟には当時使われていたフランス製の機械も展示され、入り口の正面のレンガ壁には「明治五年」のプレートも見えます。
製糸工場の南側には川が流れていますが、この川は利根川水系の鏑(かぶら)川で、上流に「荒船風穴」があります。
「荒船風穴」は自然の冷気を利用した日本最大規模の蚕種(蚕の卵)貯蔵施設です。それまで年1回だった養蚕を複数回可能にしました。取引先は全国各地、朝鮮半島にまで及びました。
下仁田の街を過ぎ、神津牧場を経由した、かなり山の中です。今は建屋はなく石垣が残っているだけですが、温度計も設置されていて、外気温と石垣の下から出ている冷気の温度が示されています。手をかざすと冷たいのがわかりました。
「高山社跡」は日本の近代養蚕法の標準「清温育」を開発した養蚕教育機関です。2階に上がると蚕棚が並んでいました。
「田島弥平旧宅」は、通風を重視した蚕の飼育法「清涼育」を大成した田島与平の旧宅です。瓦屋根に喚起設備を取り入れた近代養蚕農家の原型です。
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