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2021/08/29

【犬狼物語 其の五百七十三】 東京都あきる野市 正勝神社/大口真神社

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東京都あきる野市の正勝神社を参拝しました。

隣には東海大菅生高校があります。境内の「サカキ」は、あきるの市の天然記念物に指定されています。

御祭神は大山祇命で、明治2年(1869)、旧称山ノ神を正勝神社と改称したようです。

この境内には大口真神社の祠があり、御嶽神社の大口真神のお札が祀られています。

高さ60センチほどの立派なお犬さまがいて、台座には「天保十」との銘があります。

天保十年といえば1839年です。東京都内のお犬さま(狼)像の中でも古いものです。奥多摩の丸っこい、はじめ狛犬のようなお犬さまの系統は宝暦年間で古いものですが、その後のもっとリアルなお犬さま像では、これが東京都内では一番古いものになるかもしれません。先日紹介した24区内で一番古い足立区千住神社/三峯神社のお犬さまは、弘化2年(1845年)なので、それよりも6年ほど古いものです。

『多摩のあゆみ 第38号』( 昭和60)の「山上茂樹翁ききがきノート 第五十一話 管生のお犬さま」には、正勝神社のお犬さまと狼に関する話が載っています。

「正勝神社からさらに奥に入った大沢にはオオカミクボという地名さえ残っている。今、細谷花火工場の倉庫のあるところで、明治のはじめのころ、元多西村々長であった村木鉄蔵さんの父文吉さんと弟久太さんが、このオオカミクボへ草かりに出かけた。狼などいるわけがないと、たかをくくっていたところ、穴の中から、太鼓をたたくような音がする。突如、その穴から狼が 飛び出し、北の方を向いて、ひとうなりうなって谷を飛び越えて、北に向かって飛び去った。ふたりはあまりの恐ろしさに、ほうほうのていで逃げ帰ったという。」

明治初めころはあきる野市でも狼が目撃されていたようです。

「これは私の祖々父がつたえた話。祖々父が御嶽山へ講中で行く途中、大沢のオオカミクボ付近まで歩いて 行ったとき、狼が祖々父の前に立ち、口を開けてこちらを向いている。見ると、のどへ骨がつかえている。祖々父は喰いつかなければ骨をとってやるといってと り除いてやったところ、喜びいさんで、どこかへ消えさったという。翌々日、その狼が家の庭先へやってきて、ひとうなりうなったあと、縁側へ「ドタン!」と いう大きな音を残し去った。出てみると、ウサギが縁側に置かれていたというのだ。」

これは先日、山梨県富士河口湖町善応寺の「狼塚」でも触れた狼報恩譚とほぼ同じです。だからこれは事実というより、この民話がこのあたりでも伝えられてきたということでしょう。

「むかしはどこの村にも村境ちかくに馬捨場などとよばれる動物の死骸を埋めた場所があった。牛や馬などが死ぬと、捨場に埋める。数日後、その場へ行ってみると、狼か犬か知らぬが、大きな穴が掘られ、死骸はむさんにも喰いあらされていたなどという光景はしばしばで、私も子供のころ実際に目撃したこともある。 人もまた土葬であったので、こうした被害から守るため、「狼除け」とよぶ仕かけがつくられた。今でも秋川流域一帯にかけて行なわれている。葬儀のときの四本旗の竹を三本切り、ゆわいて石を吊す。三本以外は穴の中へ放り込んで狼や犬などが死者に近づかぬようにする。瑞穂町長岡では、もっと丁寧に、四、五本まるいて真中に石を吊す。古くは西多摩全域の習俗だったらしい。」

 これには「西多摩全域の習俗」とありますが、平岩米吉著『狼 その生態と歴史』を見ると、この風習はもっと全国的な広がりがあったようです。

「秋田県仙北郡中川村や雲沢村(現、角館町)の辺では、狼が新しい墓を掘りかえすのを防ぐのに、土饅頭の上へ鎌を立てておく風習があったというし、また、それより南の方の豊川村(現名不詳)では、夜は太い藁松明に火をつけたり、弾力のある小枝を籠目に刺しておいて、狼が掘ると、強く弾ける仕掛けをしておいたりしたという。(武藤鉄城氏記載)
栃木でも、これに似たやり方があり、孟宗竹の三尺(約一m)ぐらいのを割って墓にたて、その一片を曲げて地に刺しておく。すると、狼がきて墓を掘ると、それがはねて目をつぶし仕掛けであった。この風習は明治の末頃まで残っていたという。(高久平四郎氏・日本犬の飼い方)
東京都西多摩郡秋多町では、新墓の土饅頭の上に、青竹を三本組合せ、そこから、荒縄で大きな石をつるした。(甲野勇氏・東京の秘境、秋川渓谷)」

 

 

 

 

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2021/08/26

【犬狼物語 其の五百七十二】山梨県富士河口湖町 善応寺の狼塚:狼報恩譚について

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河口湖の北東に位置する善応寺の狼塚も、書籍にはまだ載せていない話です。

塚は寺の境内の入り口にあります。よく石碑を見ると、「狐塚」の上に、読めない一文字も刻んであります。

これは、解説看板によると、

「塚石の頭文字は犬(いぬ)と読む。辞書にも無いが、此の文字が通用していた時代があった事も想像される。河口に古くからの言い伝えによれば、此の寺の坊さんが朝まだき薄暗い頃、裏山で狼の苦しむ声を聞きつけ、そばに行ってみると、骨がノドにささり、苦しんでいたので、衣の袖を手に巻いて抜いてやったのを、狼が恩義に思って、数日後寺の庫裡に兎を置いて行ったとの事。其の後も時々山鳥を咬えて来ては、坊さんに御恩を報じたということです。何年かの後その狼が年老いて死ぬるとき、庫裡に来て、一声呼んで死んだので、恩義を忘れぬ狼の心情を哀れに思い、此の地に埋葬、狼塚を建て、供養したと言い伝えられております。
何故狼塚の表題に此の文字を使ったのは定かでないが、塚を地蔵堂の傍に建てたというから、寛永年間以後の事でしょう。村では子供の遺体を埋めた上に、棒を三本打って、上を縄で縛り石をつるして狼よけにした風習が、大正の初め頃迄ありました。此の話は村の古老本庄魁平(九十歳)さんのお話です。  昭和五十七年四月一日建之  河口 善応寺運営委員会」

この伝説も「狼の喉から異物を取ってあげると、お礼に獣肉が届けられる」という狼報恩譚です。このパターンの話は全国的に多く存在します。

スウェーデン生まれでオオカミ研究家のエリック・ツィーメン著『オオカミ』に、興味深い民話が載っていました。

オオカミの歯に挟まった木切れを取ってあげるとオオカミが恩返しをしたという話です。オオカミの報恩譚です。

 「オオカミは善良で、ほとんど神に似た存在であり、たしかに少々ずぼらで、性急で熟慮に欠けるところがあるが、つねに親切で、思いやりがあり、賢明であった。有名なトーテムポール、ギットラテニクスのトーテムポールには、くり返し脚色されて話される一つの物語が語られている。ある男が、臼歯の間に木切れがはさまってしまったオオカミを助けた。オオカミはのちに、男とその部族が困窮しているときにシカを殺してやることで、返礼をしたという。
 実際オオカミは歯の間にはさまった木切れのために大変苦労することがある。ネースヒェンが四か月の自由な生活をして戻ってきたとき、たしかにたくさん食べはしたが、やがて病気の兆候を示しはじめた。獣医が診察したが、何も見つからなかった。それで獣医は、ネースヒェンの衰弱は逃走期間中の食料不足が原因だろうと考えた。けれども、このオオカミの体調はますます悪くなっていった。口臭もひどかった。そしてついに私はこの口腔に病気の原因を発見した。上顎の奥歯の間にはさまっていた木切れである。これを取り除くと、数時間以内にネートスヒェン(まま)は元気になった。」

というのです。ひとつは、オオカミの報恩譚。もうひとつは、オオカミの歯に物がはさまると大変だということ。そういえば、ヴィーノもたまに歯に物が挟まるときがあり、手指の形、機能上、自分ではなかなか取れなくて苦労しているときがあります。その様子はたしかに印象に残りますねぇ。なんだか間抜けな感じで、ユーモラスで、オオカミならなおさら、普段は精悍で威厳のある姿と、そのギャップ萌えもあるかもしれません。

著者のエリック・ツィーメンは、オオカミは人の助けを借りて「イヌ」になったという犬起源譚か?とも思ったらしいのですが、残念ながらそうではなく、イヌは中央アジアでオオカミから分離したらしいし、ネイティブアメリカンの民話でも犬起源譚ではなかったそうです。

 

オオカミの報恩譚は日本では、いろいろパターンを変えてたくさん存在するのですが、エリック・ツィーメンは欧州人だし、報恩譚はカナダのネイティブアメリカンの話で、まったく日本とは関係ないところで、こんな話があると、報恩譚の方は、まぁオオカミと接していた人たちがオオカミと友好的な間柄であれば、恩返しの話も自然と生まれるんだろうなと想像できます。

ただ、「狼の口」と「挟まった物を取ってあげる」という組み合わせは、日本にもネイティブアメリカンにもあるとすると、オオカミの何か特徴に関わっているのかな、それともオオカミの口から物を取ってあげなければならない理由があるのかと、想像がふくらみます。それを考えてみようかなと。

 

まずは、日本での狼報恩譚を紹介します。埼玉県坂戸市の北大塚という地域に伝わる民話をテーマにした公園があります。公園に設置されている解説プレートからこの民話を要約すると、

「昔は、この辺りにもたくさんの狼がいた。その中にどん吉といういつもお腹をすかした、のろまな狼がいた。ある日、どんぐりの木に隠れて獲物をねらっているとおばあさんがやってきた。狼はおばあさんを食べずに、家まで送っていった。おばあさんは、そのお礼として魚をお供えした。狼たちは喜んで魚を食べた。どん吉はあまり急いで食べたので、骨を喉につまらせた。そこへ酔った大工さんが通りかかり骨を取ってくれた。大工さんはそこで寝てしまった。夜中、目を覚ますと周りには狼がいっぱい。食べられると思った大工さんは「わしは、一日にどんぐり5個しか食っとらんからまずいぞ」 すると狼は「さっきはありがとう。忘れた道具箱を届けにきました」 それから毎朝大工さんの家の前には、どんぐり5個がおいてあったとさ」

 

次に、東京都東大和市中北台公園にも「藤兵衛さんと狼」という話を元に平成5年に設置された長さ2.2m、黒御影石の「狼のベンチ」があります。東大和市のHP「藤兵衛さんと狼」には、その狼の伝説が掲載されています。

「今は多摩湖になってしまった石川の谷に、昔、藤兵衛さんという腕の良い木こりの親方が住んでいました。ある朝、いつものように仕事場へいこうと笠松坂(狭山丘陵の中にあった)を登っていくと、大きな口をあいて苦しんでいる狼が見えました。口に手を入れて、骨を取ってやると頭をひとつさげ森の中へ行ったそうです。それからというもの、狼は藤兵衛さんを朝晩送り迎えするようになりました。藤兵衛さんは、狼が御嶽神社のお使いで大口真神(おおぐちまがみ)といわれていたので、自分を守ってくれた狼のためにお宮を造り、朝晩拝んだそうです。 -東大和のよもやまばなしから-」

これも「狼が口から骨を取ってもらって恩返しする」という話です。 

他にも、「民話 狼の恩返し」で検索すると、多くの似たような民話がたくさん出てきます。

狼の恩返し」まちづくり葛生株式会社(栃木県佐野市葛生の民話)

狼の恩返し」YAMANASHI DESIGN ARCHIVE(上野原市秋山遠所に伝わるお話)

狼(おおかみ)の恩返(おんがえ)し」フジパン株式会社(大分県の民話)

狼の恩がえし」伊豆の民話と昔話(静岡県伊豆の民話)

 

狼信仰について、しばしば参考にさせていただいているのが、菱川晶子さんの『狼の民俗学』ですが、狼の報恩譚についても論じられています。菱川さんが調べた結果、同様の民話は、北は岩手県から南は大分県まで分布しているという。

1:ある人が、口を開けた様子のおかしな狼に山で出会う。

2:みると狼の喉に骨が刺さっているので抜く。

3:狼が鹿などを礼に届ける。or それ以後山を通るたびに狼が送る。 or 山道を歩いていると狼が出てきて着物の裾を引き、藪陰に隠して狼の大群に襲われるのを防ぐ。

多くの報恩譚の1と2の部分はほとんど同じですが、「狼のお礼の仕方」の3の部分は、3パターンほどあるようです。

1と2の部分は、中国から入ってきた「虎報恩譚」が元になっているようです。日本には虎はいなかったので、虎が狼に変わった可能性が高いようです。

カナダのネイティブアメリカンの「狼」、日本では「虎」→「狼」と、じゃっかん変化はしていますが、どちらにせよ「猛獣の口から挟まったものを取る」というとんでもなく危険なことをやっているわけですね。下手したら食べられてしまうかもしれない恐れもあります。そんな危険を冒してまでも、どうして挟まってしまったものを取ってあげなくてはならないのか、ということですね。

そんなことを考えているとき、この一文が目に入りました。

オオカミという生き方」という平沼直人氏(弁護士,医学博士)のコラムです。

「◆医療の本質
送り狼の民話には,医療の本質を見て取ることができる。
本来,治療行為は,生命に対する畏れなくして行えるものではない。
患者はただ医師に身をゆだねているだけなのだろうか。感染は医師の専横に対する患者の無言の抑止力ではあるまいか。
傷つきあるいは弱った人がいれば助け,助けられた人は感謝する。
そんな当たり前のことが忘れられている。」

なるほどなぁと思います。

平沼さんは医師なので、治療行為はどうあるべきかを言っていますが、人によって、この民話をどのように受け取るかは、それぞれ違ってもいいのでしょう。

そこでここからは俺個人のとらえ方です。

平沼さんの一文にヒントを得て、狼のイメージをもっと大きくとらえ、「自然」を象徴するものと考えると、自然に対する接し方ととらえることはできないでしょうか。自然との緊張関係を感じさせます。下手したら死んでしまう(殺されてしまう)かもしれない、命をかけた関係を表現しているのかなと。

つまりそれなりの危険を冒さなければ、自然の中では獲物は得られないと取ることもできるのではないかということです。あるいは、命あるものを獲物として得るためには、こちらも命をかける必要があるということです。

 獲物だけではありません。農作物だってそうでしょう。時に自然は、風水害などで田畑をダメにしてしまうこともあります。自然は恵みをもたらしてくれるだけではなく、半面、恐ろしいものでもあるという両面性の表現であるかもしれません。

それでも人はその自然の恐ろしさに打ち勝って生きていかなければならない。そういった人間の覚悟の物語なのかもしれません。

ところで、この狼の報恩譚は、狼に対する相反する人間の気持ちの一面ではないかという気がしてきました。「狼の口に手を突っ込む」ということは、 「狼を助ける」とまったく反対のことも意味していたようなのです。

平岩米吉著『狼 その生態と歴史』には、次のような話が載っていました。 

それは狼を殺す方法です。「付記 狼の口に手を突っこむ」には、

「このようにして、狼の口に手を突っこんで殺したという話は、この他にもいくつもある。前述(八)信州佐久の少年、亀松の話をはじめ、(一一)信州上諏訪の次郎兵衛の話などもそうだし、さらに「遠野物語」には同村飯豊(現在、遠野市の一部)の鉄という若者の話があげられている。(略)ある年の秋、飯豊のものが、六角牛山(一二九四m)の麓の岩穴で狼の子を見つけ、二匹を殺し、一匹を持ち帰ったところ、その日から、狼が馬をおそうようになった。そこで、狼狩をすることになり、なかでも力自慢の鉄という男がひとりで野に出かけて行った。すると雌狼がいきなり飛びかかってきたので、鉄はワッポロ(上羽織)をぬいで腕に巻き、狼の口の中に突っこんだ。それを狼が荒れ狂って咬むので、人を呼んでも、誰も恐れて近よらず、鉄はとうとう腕を狼の腹まで押し込んで殺した。しかし、鉄も腕の骨を咬み砕かれ、助けられて帰ってから間もなく死んだ。(略)なお、手拭いなどを腕に巻いて狼の喉へ突っこみ殺したという同じような話は羽前(山形県)や丹波(京都府)にも伝えられているという。」

「アメリカにも同じような話がある。一九〇〇年ごろ、グレッグGreggという男がミズーリ州の僻地で大きな灰色狼に出会ったとき、何も武器を持っていなかったので、棍棒で狼をなぐったところ棍棒が折れてしまった。そこで、すぐに大きな黒い帽子を取って、それを大きく開いた狼の口の中に突っこんだら、狼はぐるぐるまわって後退した。それでグレッグも助かったのである。(略) 猟師は狼を見つけると、馬で追い詰め、棍棒で背骨を打ち砕くのが普通だが、時には勇敢な男があって、馬から狼の体の上に飛びおり、手袋をはめた手を狼の口の中に突っこみ、その舌の根元を押さえてしまうのである。すると、狼は咬みつくことができず、そこを素早く、太い短い棒を口にかませて両顎といっしょに縛りあげてしまうのだそうだ。こうして、生捕りにした狼は家に持ち帰って、犬の闘争の稽古台にして殺すのである。(ウィニペグの辺で狼を犬の喧嘩の稽古台につかったことはシートンも描いている。)」

なんだかすさまじい話です。実際、狼に襲われたときは程度の差こそあれ、日本でもすさまじい、凄惨な場面になったことは想像にかたくありません。

「狼の口に手を突っこむ」ことの二面性。一方は狼と人間の良い関係を語り、もう一方は狼との緊張関係、殺し殺されるという壮絶な関係。 

同じことでも、見方によって相反する話として伝わっている例は、九州筑後市の「羽犬塚伝説」でもそうでした。「愛犬」と「暴犬」という相反する伝説が同じ「羽犬塚」に伝わっているのです。

「羽犬塚」は古くから宿場町として栄え、その地名の由来は400年前から続くふたつの伝説にあるそうです。

どちらも犬を塚に葬ったというのが由来ですが、ひとつは、天下統一を目指す豊臣秀吉の行く手を阻んだ羽犬が仕留められたという説と、秀吉の病死した愛犬が羽が生えたように素早かったという説です。

小学校の隣の宗岳寺に残されている石塔には、「犬之塚」と彫られています。犬に名前がないことから、秀吉の愛犬説はむずかしいかなと思います。どうして愛犬に名前がないのか不思議です。だから不特定の犬の供養塔だったと考える方が自然でしょう。

羽の生えた犬を探して」というHPでも、こんな推測をしていて、なるほどなぁと思います。
 
「この「塚」は一体何なのか? これについては、昔このあたりで殿様が狩りの練習のため「犬追い」をしていて、その際に追われた多くの野犬の霊を弔うために立てられた犬塚が地名として残ったのではないかという推測を見つけました。」

秀吉も信長同様、鷹狩りを好んだそうで、鷹狩用の犬である「鷹犬」は「御犬」と呼んで大事にされましたが、反対に、野犬は鷹の餌にされて殺されたという話もあり、この犬之塚も、そんな犬たちの供養のためのものだったのかもしれません。

伝説は過去の事実がそのまま伝わることもあるでしょうが、その話が地元の人にとって何か有益なことがあれば、尾ひれがついて、変わっていくということは考えられることです。

心理学者・大場登著『精神分析とユング心理学』には、神話について、

「その国・その文化圏の人々の心が一致して「受け入れてきた」、その意味で個人を超えた、文化的、あるいは普遍的な「世界観」の表現とみることもできる。人々の心によって受容されないものが歴史を超えて残り続けることはほほとんどありえない」

と言っています。伝説は神話より、もっと具体的な物語ですが、残り方としては同じでしょう。

そう考えると羽犬塚の伝説も、多くの野犬を殺してしまった事実は、そのままでは辛すぎるので、暴犬の話になってしまったり、豊臣秀吉の島津氏討伐という大きな歴史的な出来事に便乗して、愛犬の話に変わっていったという可能性もゼロではないのではないでしょうか。

現在でも物語は刻々と変化しています。良し悪しは別として、物語も生きているのだから時代とともに、人が望むように、変わっていくのは自然なことなのでしょう。

伝説に、「暴犬」と「愛犬」という一見矛盾するような2つの伝説が同時に伝わっていることも、心理学的な面から見たら、人間の心の葛藤をそのまま表しているような気がします。「野犬」と「鷹犬」の、あまりにも両極端な2つの犬の立場そのものが伝わった結果なのかもしれません。

この羽犬塚の例のように、「狼の口に手を突っこむ」ということに関しても、ふたつの伝説があること自体、人間の狼に対する相反する「人間を守ってくれる山ノ神の神使」「恐ろしい動物」という気持ちが表れているのではないかなと思います。このふたつがあるからこそ、また畏敬の念もわき、神や神使として崇めることにもつながっているのだと思います。

 

 

 

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2021/08/23

今日からは、二十四節気「処暑(しょしょ)」、七十二侯「綿柎開(わたのはなしべひらく)」

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今日からは、二十四節気「処暑」の初候「綿柎開」です。

「処暑」は、暑さが峠を越えて後退し始めるころ、「綿柎開」は綿を包む萼(がく)が開くといった意味です。

写真は、旧暦棚田ごよみで使っている大分県豊後大野市の軸丸北の棚田です。

「猛暑」の峠は越えたようですが、まだまだ暑さは続きます。

コロナといい、温暖化といい、人間の試練は続きます。

 

 

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2021/08/21

【犬狼物語 其の五百七十一】神奈川県厚木市 上荻野御嶽神社

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今日は、厚木市上荻野の御嶽神社です。

国道421号線から西へ300mほど入った、荻野川の対岸に鎮座します。

橋を渡ると杜へ入る道へと 続きます。さらに上にはゴルフ場もあって深い山ではなさそうなのですが、けっこう鬱蒼とした杜で、お犬さまがいる聖域としてはふさわしいかなと思いました。

鳥居をくぐり、石段を上っていくと、真っ赤な社が建っていて、左右に1対のお犬さまがいます。残念ながらどちらも顔の部分が壊れています。台座を見たら「昭和三十六年十二月」という銘が。お犬さまの像自体も昭和36年なのか、台座だけなのかわかりません。どうも石の風化の感じが異なっているように思いました。

あとで調べてみると、次のHP「神社訪問記」(http://zinzyasanpai.web.fc2.com/14/atugi/983.htm)には、御嶽神社の記載がありました。出典は(『厚木市の歴史探訪5-神社』厚木市文化財協会 2007年1月)だそうです。

「青梅市御岳山に祀られる武蔵御嶽神社を本社とする」「久保・泉地区の氏子27戸で祀る」「現在の社殿は昭和35年四月八日に建立した。社殿前の左右には狛犬ならぬオオカミが鎮座している。これは大正十四年に建立」「オオカミの口が欠けているのは、ここに塩を上げる信者がいたからなのだそうだ」

お犬さま自体は大正14年に奉納されたようです。やっぱり「昭和三十六年」というのは、社殿建立の翌年、台座を新しくして大正時代のお犬さまを載せたということのようです。

そして口が欠けているのは、奉納された塩のせいらしいということです。狼と塩。狼の伝承の中には、「狼は塩好き」という話がたくさん出てきます。送り狼に塩を与えて帰ってもらうとか、狼が獲って食べ残したもの(イヌオトシ)を頂戴するときにも塩をお礼に置いたとか・・・。

でも、ここが直感的に「いい」と思ったのは、やっぱりロケーションですね。こういった場所にたたずむお犬さまを見るとなぜか心を揺さぶられます。

 

 

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2021/08/18

【犬狼物語 其の五百七十】 東京都青梅市 愛染院安楽院/軍荼利明王堂

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今日アップするのも、今まで参拝して、まだ紹介していないところ、愛染院安楽院/軍荼利明王堂です。

軍荼利明王を祀る古寺で、「成木の軍荼利(ぐんだり)さん」として親しまれています。

当初から扉がないという安楽院の長屋門を入り境内に。扉がないのは万人に広く門戸を開け放っているからという。

広々とした境内には「愛染院」の扁額の掲げられた八軒取の方丈型本堂が構え、鐘つき堂や大きな杉の木が見えます。

東京都教育委員会の解説看板によると、

「安楽寺は、行基が軍荼利明王を彫刻して祀ったのが始まりだそうです。境内は、本堂を中心とした一群と、やや離れた仁王門と軍荼利堂からなります。」

その少し離れた軍荼利明王堂裏にお犬さまが祀られています。

絵馬のお犬さまの姿は、武蔵御嶽神社のお犬さまにほぼ近いので、武蔵御嶽神社と関係があるようです。

 このお犬さま像、4本指と、ちゃんと「狼爪」も表現されています。

 

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2021/08/16

【犬狼物語 其の五百六十九】 神奈川県真鶴町 貴船神社

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まだ紹介していなかった真鶴町の貴船神社です。真鶴港を見下ろす高台にあります。ここには国指定重要無形民俗文化財「貴船まつり」があり、今年は7月27日に神事だけは斎行されたようです。

 

108段の長い石段の上には、貴船神社の本殿や、祖霊社、山神社が鎮座します。

狛犬が3対ほどありますが、その中で古そうな狛犬は、祖霊社前のものでした。山神社の前にあるのは、新しい普通の狛犬でした。

それと珍しいと思ったのは、人型の穴が開いた石碑です。説明書きには「厄除厄祓門」とあります。

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階段途中には稲荷社、恵比寿大黒社、淡島明神社などたくさんの祠が並んだ境内摂社があり、祠前には、狐像、古い狛犬などがありました。お犬さま(狼)像のような像もあります。一番右側にあったのは、子どもを抱いている狐像のようでした。

 

 

 

 

 

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2021/08/15

【犬狼物語 其の五百六十八】神奈川県湯河原町 素鷲神社

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緊急事態宣言が出て、しばらく遠出はできない状況なので、今まで行った中で、まだブログで紹介していなかった神社と狼像がありますので、それをアップします。

今日は、神奈川県湯河原町の吉浜海水浴場近くの素鷲(すが)神社です。

境内社として、大山津見神をご祭神とする山之神社が鎮座します。残念ながらこの前に像は見当たりません。

少し離れたところには牛頭天王社、比叡神社などの複数の石祠が鎮座し、その前に古形の狛犬がいます。

その中の牛頭天王社前の1対は、横から見ると魚とか爬虫類にも見えるような不思議な造形で、狛犬好きな人たちには有名な狛犬のようです。(寛文10年(1670年)奉納だそうです)

比叡神社前のもう1体の狛犬を含め、歴史を感じさせます。

 

 

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2021/08/14

ヴィーノと狼の遠吠え

 

ヴィーノに初めて狼の遠吠えを聞かせてみました。どんな反応をするのかと期待して。

この反応の薄さはヴィーノだけなんでしょうか。普通、犬はこんな感じなんでしょうか。

少なくとも、ヴィーノは狼ではないようです。

 

 

 

 

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2021/08/13

世界(国際)狼の日

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170710_2(ハイイロオオカミ)

 

8月13日は「世界(国際)オオカミの日」だそうです。由来を調べましたが、今のところわかりません。「世界」とあるので、外国の何か、オオカミに関する日が由来になっているのかもしれません。ご存じの方は教えてください。

ところで、オオカミの日にちなんで、オオカミの話題です。

上野の国立科学博物館の地球館には、ニホンオオカミとハイイロオオカミの剥製、北海道大学植物園内博物館にはエゾオオカミの剥製が展示されています。

『オオカミは大神【弐】』を出した後、【参】の構想を練っていますが、その中で、狼信仰をアニミズムの痕跡と捉えてみるのは、本のイメージが膨らみます。狼信仰のルーツは縄文に行きつくかもしれません。先日は北日本の縄文文化が世界遺産になったばかりです。

オオカミと縄文人の関係を想像させる資料がいくつか出土しています。岩手県一関市の貝鳥貝塚からは、細長い鹿角の先端にオオカミの頭が彫られた狼形鹿角製品が出土しています。

これは、3年前に開催された東京国立博物館での『JOMON 縄文 一万年の美の鼓動』展へ行って、実際に目にすることが出来ました。

会場内はすべて撮影禁止だったので、この写真はありませんが、長さは25cmくらいでしょうか、細長い鹿の角の先端にオオカミのような動物の顔が彫られて(造られて)いるものでした。

近づかないとわからないほど小さなものです。何に使ったものでしょうか。似たものとして髪飾りがあったので、これも髪飾りなのでしょうか。それとも呪いとか、お守りとかでしょうか。

強いものを身に着けることで、お守りにするということは、世界的にみられることなので、可能性はあると思います。北欧神話では、戦士たちが、戦場におもむく前、狼の血を飲み、肉を食べ、皮をかぶってオオカミそのものになったそうだし、中世ヨーロッパでは、オオカミの爪・歯・毛皮を護符として用いたり、肝臓の粉末を病気や怪我の薬、あるいは精力剤としていたという。
 形は違っても狼信仰は西洋にもありました。オオカミに対して人間が持つ「強さ」「神秘」「孤高」など普遍的なイメージなのかもしれません。

その他、千葉県我孫子市の下ヶ戸貝塚からは、オオカミの下顎骨を加工した垂飾品、千葉県千葉市の庚塚遺跡からは、上顎犬歯が加工された垂飾品も出土しています。 

このように、縄文時代には、すでに何らかの狼信仰と呼べる片鱗があったようです。 

 

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日比谷公園と、味の素スタジアムには、ローマ建設のロムルスとレムスが雌狼の乳で育てられた伝承にちなんだ、オオカミ像のレプリカがあります。ローマ時代、狼は聖獣であり、神殿、墓碑、モニュメント、貨幣にその姿が使われていました。

その後、西洋では狼は負のイメージで語られるようになるのですが、それはどうしてなのでしょうか。ミシェル・パストゥロー著『ヨーロッパから見た狼の文化史』によると、

「ひとつの説は、狂犬病が西洋で猛威をふるっていた期間が長かったため、それによって狼たちの行動が変化し、より危険なものになったとする。(略) 5世紀から10世紀にかけて気候が変動して飢餓や疫病が増し、人口も減り、耕作地の大部分が荒廃し、林や森、荒地が増加した。
その結果、野生動物も飢えをおぼえ、村の周囲を徘徊して、人間界により近く、より脅威的なものとなった。狼に対するこうした新たな、だが如実な不安や怖れは人間の態度や考えを変えた」

それで狼は負のイメージをもたれることになったらしいのです。典型的なイメージが「赤ずきんちゃん」の狼像ですね。こうして負のイメージは21世紀まで受け継がれました。

現在では、エコロジー、自然環境、生物多様性の観点からも、狼に対するイメージも良いほうに変わってきています。

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ところで、味の素スタジアムに建つ「カピトリーノの雌狼」の右後ろ足にはえぐれたような「傷」の表現があって、何か由来があるのかと調べましたが、今のところわかりません。

勝手に解釈すれば、このくらいの怪我でひるむような動物ではない、ということも意味しているのかもしれません。怪我は優秀な戦士の勲章かもしれないのです。

もしどなたか、この「怪我」の伝説をご存じでしたら教えていただけるとありがたいです。

 

 

 

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2021/08/11

写真展『オオカミは大神』(会期延長分)は、2021年8月19日から8月24日まで

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写真展の会場になっているギャラリー楽風は、今日8月11日から8月18日までお盆休みに入ります。楽風の営業は8月19日からです。
なので、写真展(会期延長)も8月19日から8月24日までになります。
10:00~19:00(最終日24日は15:00まで)

〒330-0064 埼玉県さいたま市浦和区岸町4-25-12
048-825-3910

最寄りの駅は、JR浦和駅で、徒歩約8分です。ただ現在緊急事態宣言下で、感染拡大が続いていますので、無理のないようにお越しください。

 

 

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2021/08/10

【犬狼物語 其の五百六十七】栃木県佐野市 田沼町の三峯神社

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真っ赤な社殿が印象的です。右が大宮大黒天、左が織姫神社・三峯神社の合祀殿です。

社殿を覗くと、右側の木製の祠が三峯神社でした。扉は閉まっていたので、お札のようなものも見えません。残念ながらここにもお犬さま像はありませんでした。

境内には、他に庚申塔、三光星大神の石祠なども祀られています。

 

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2021/08/07

今日からは、二十四節気「立秋(りっしゅう)」、七十二候「涼風至(すずかぜいたる)」

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連日の猛暑、どこが立秋だ、涼風至だ!?と文句を言いたくなるほどですが、今日は雲もあるので、ピークはしのいだと思いたい。

さすがに動物は感覚が鋭いなぁと思えるのは、ヴィーノは、いつも体を横たえる好み場所があるのですが、そこがエアコンの涼しい風がたまるポイントだとわかっているらしい。

魚も水温がわずかに1度違うと、それが不漁につながり、価格高騰につながるなど、やっぱり動物、いや植物もですが、わずかな温度を感知するその敏感さには感心します。

そうやって生き延びてきたんでしょうね。俺もその感覚を掴みたいと思いますが、思考がじゃまをして、1度の差を感じるのは難しい。結局、計器(温度計など)に頼るしかないという現状です。これは「進化」と言えるんでしょうか。

 

 

 

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2021/08/04

【犬狼物語 其の五百六十六】東京都八王子市 元八王子・御嶽神社

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『オオカミは大神 弐』の「没シリーズ」みたいになってきましたが、今日も、没になった石像についてです。

元八王子の御嶽神社に古い石像があるというネット情報がありました。これも思い込みの恐ろしさというか、「御嶽神社」と「古い石像」と聞くと、てっきり「お犬さま」像だと思ってしまいます。

ところが、確かに御嶽神社ですが、社殿は閉じられているので、社殿内に石像があるのかどうかはその時わかりませんでした。

もしかしたら、像とあったのは、この御嶽神社内ではなく、境内社である稲荷神社の石祠前にある像のことなのでしょうか。確かに古い石像です。だとしたら、残念ながら(?)これは狐像のようです。

ということで、この神社の石像も没にしました。もし、社殿の中に別のお犬さま像が奉納されいるのかどうか、ご存じの方がいたら、教えてください。

 

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2021/08/03

【犬狼物語 其の五百六十五】神奈川県横浜市 師岡熊野神社

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『オオカミは大神 弐』に載せるため、関東各地の神社を周りましたが、その中で「没」になったものも多くあります。師岡熊野神社も、その中の一社です。

東急東横線の大倉山駅から徒歩15分、狼像があるというネット情報を頼りに参拝しました。

この神社には横浜市の指定無形民俗文化財の「師岡熊野神社の筒粥」神事があります。解説看板によれば、

「筒粥とは稲作民族の間で行われる粥占・粥だめしの一種で、竹筒や芦の筒を入れて粥を煮、筒の中に入った米粒の数で作柄・豊凶や天候を占う年占です。師岡熊野神社では毎年一月十四日に行い、粥粒の量により農作物の作柄などをそれぞれ五種に分け占札に記入し、氏子区域に配布します。農家では、これを参考にして種蒔きをしました。また、粥は参詣者に供せられ、これを頂くと風邪をひかぬといわれています。(後略)」

筒粥神事は青梅市の武蔵御嶽神社でも行われていて、上尾市にかつてあった御嶽講では、代参したときこの筒粥の結果を書いた紙もいっしょにいただいて帰ってきたといいます。その結果を見て、作物を変えたりしていたようです。

さて、ここのお犬さま(狼)像ですが、結論を言うと、「わからない」ということで、今回『オオカミは大神 弐』には載せないことにしました。

確かに像はありました。確実なのは稲荷大神の石祠前にあった4体の狐像です。ネットで「狼像」とあったのはこの狐像のことのようです。

ところが、それとは別に、もう一体あって、それが微妙なのです。それは他の像よりも小さく、対ではなく、1体だけで、尻尾は直立ではなく、いったん巻いてから立っているので、なんとも悩ましい。

しかも、この稲荷大神の隣には、御嶽社&道祖神の合祀祠が祀られています。御嶽社由来の石像だったものが30センチ移動した(動かされた)可能性もゼロではない状況です。俺の頭の中では、「筒粥」「御嶽神社」「お犬さま」が結びつき、この像が「お犬様かもしれない」から「お犬さまにちがいない」という妄想を生んでしまったようです。

ただ冷静に見れば、顔つきは、耳がなくなっていて丸いのですが、やっぱり狐なんでしょうね。

そこで社務所でも聞いてみたのですが、すべて「狐」像であるという認識で、小さい像が、御嶽社にあったものかどうかもわからないそうです。少なくとも「狼」という話は出ませんでした。やっぱり小さい像も狐像なんだろうなと想像するしかありません。

こういう事情で、今回は、載せるのをやめたということなのです。

 

 

 

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2021/08/02

【犬狼物語 其の五百六十四】東京都港区 讃岐稲荷神社・小白稲荷神社のお犬さま? 

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JR浜松町駅から徒歩2分、讃岐稲荷神社・小白稲荷神社の合祀社が鎮座します。

稲荷神社を参拝したのは、ネット情報で、ここにお犬さま(狼)像があるということを知ったからです。

ただ「稲荷神社」です。お犬さまに見えた狐なのかなと思ったのですが、確かめに行きました。

境内にはたくさんの狐像が奉納されていますが、その中でメインの稲荷神社ではない、小さい稲荷神社の前にも狐像が置かれてあり、よく見るとその間には狐像がたくさんありました。その中に確かにお犬さま像が混じっています。2体ありました。

たまにこういう例に出くわしますが(反対に三峯神社前に狐像も)、置いた人はこの像を狐と意識して置いたのか、それとも狼と知ってはいたけれど、置く場所に困ったのでここに置いたのか、形にそれほど関心がなく何となく稲荷神社に置いたのかなど、いろんな事情が考えられます。

少なくとも捨ててしまったわけではないし、第三者が文句を言う筋合いのものでもありません。アニミズム的な考えからしても、形はどうであれ、どこに祀ろうが、「信仰」という面から見たら全く問題はないでしょう。

 そもそも稲荷神社には狐像が一般的ですが、もともと稲荷神社には狼だったものが狐に置き換わったという説もあるようなので、そのあたりあいまいでもいいのかもしれません。

 

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2021/08/01

【犬狼物語 其の五百六十三】 千葉県柏市 大井三峯神社&大山祇神の碑

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柏市大井に鎮座する三峯神社を参拝しました。

道路から続く階段を上っていくのが躊躇してしまうような鬱蒼とした杜の中にあります。絶対咬まれるだろうな、蚊に、と思いながら杜のトンネルをくぐっていくと、10メートルほど先に社が見えました。途中には手水鉢もあります。

残念ながら狼(お犬さま)像はなさそうです。社の中を覗くと、講社宛てのお札と、御眷属拝借の箱も見えます。三峯講がありそうです。平成13年にこの神社は修繕されているようです。

三峯神社の隣には大山祇神の石碑もあるので、もともとこの場所はいわくがありそうです。

実際地形図を確かめてみると、利根川の支流、手賀沼に注ぐ大津川の縁の高台にあるのがわかりました。神社が鎮座する立地条件に合致するようです。

 

 

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