吹上稲荷神社の最古の狐像と千住神社/三峯神社の狼像
東京都内には多くの狼像があるのですが、そのルーツは?と考えると、まだわからないところがあります。
まず、狼像を神使像とすると、やはりオリエント・中国由来の狛犬にルーツがあるということになるのでしょうか。当然、狛犬の影響があったのは間違いないでしょう。
それでは、いわゆる狛犬ではなくて、神使像ができたのはどういった経緯なのでしょうか。
早ければ1700年代ですが、1800年代になると様々な神使像が現れるようです。日本参道狛犬研究会HPの「最古の神使」(http://enjoo.com/komaken/bunnrui/saiko_sin.html)には、最古の神使像が載っていますが、一番古いのが意外にも「犬」で、成田不動妙見宮前の、正徳元年九月(1711年)の像です。(これは今、あるのかどうか未確認)
次にまた「犬」が続きます。これも成田不動釈迦堂の、寛政十年(1798年)の像です。そして1700年代は、一番古い狐像、文京区にある吹上稲荷神社の宝暦一二年二月(1762年)のものです。これはまた24区内にある神使像の中で、一番古いものにもなるようです。
それで、この狐像を見に行ってきました。
今、多くの稲荷神社で見かける狐像は、稲穂、巻物、鍵、玉などをくわえ、宝珠を持ったものも多いですが、これにはありません。ただ、直立する尾っぽが印象的です。
見た瞬間、足立区の千住神社/三峯神社前の狼像を思い出しました。千住神社の狼像は、弘化二年(1845年)で、24区内では一番古いと思われる狼像です。(東京都奥多摩には別系統のデフォルメが大きな狼像が複数存在し、古いものは大嶽神社本殿のものが宝暦九年(1759年)だし、埼玉県秩父の三峯神社の狼像も文化7年(1810年)のものがあります。三峯神社に奉納したのが江戸四谷講なので、24区内で造られた狼像のルーツと関わってくると思われますが、とりあえずはここでは外しておきます)
千住神社/三峯神社の狼像は、吹上稲荷神社の狐像よりも83年あとのものですが、雰囲気が似ているのです。もちろん各パーツの形は違います。狐は狐目、鼻先のヒゲ、垂直に立った尻尾、三角形の耳。一方、狼は垂れ耳、牙、尻尾はお尻を回してあります。この二つの像、狐と狼の特徴をちゃんと捉えて、まるで、同時に同じ人が作ったのではないかと思えるほどです。あるいは、この狐像を見て、アレンジして狼像を造ったとか、そんな可能性も感じさせるほど似ています。
狼像で一番古いものは、長野県の伊賀良神社の寛延二年(1749年)の像だそうですが、そうすると、都内の狼像よりも先に地方で造られるようになって、その後東京でも造られるようになったのか、そこのところはどうなんでしょうか。
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