大阪府能勢町に慈眼寺の狼像です。
関東地では三峯信仰、御嶽信仰の影響が強いですが、この狼像は「娘とオオカミ」というオリジナルの物語を持っていて新鮮な感じです。
先に、隣村の長谷の棚田の写真を撮ってから慈眼寺を参拝したので、夕方になってしまい薄暗くなりかかっていました。長谷の棚田については、先日書いた通りで、「棚田」をテーマに撮影していたときから何度も訪ねていて、今回「狼像」と近い場所にあることを知って、不思議な縁を感じているところです。
石段を上っていくと、山門の手前に、能勢町観光協会が設置した解説看板があります。
もと兵火により焼亡した三草山清山寺の一坊自雲庵であったが、延徳二年(1490)芳寿和尚が再興して師の永琛和尚(曹洞宗洞雲寺二世)を開祖とした寺である。境内の観音堂並びに宝篋印塔は清山寺から移したものでこの塔は概ね完存にして町内最大級の優作で、刻銘によれば、文和三年(1354)大乗妙典を法界衆生の平等利益のため、作善供養した証として造立したものである。
山門を入ると、正面に本堂、左側には観音堂、看板にあった宝篋印塔もありました。宝篋印塔は、花崗岩製で高さ206.7cmあり、基壇に文和三年(1354)の銘があります。
慈眼寺のHPから引用すると、
今をさかのぼること、およそ1400年前三草山清山寺を取り囲む
四十九院の一坊としてこの地に自雲庵という宿坊があった。
この宿坊こそ現在の慈眼寺である。
大いなる暦の流れにより、三草山清山寺は焼失(織田の戦火による)してしまったが
神山村の村民の手により、ご本尊(千手観音)は当寺の境内に観音堂としてまつられている。
又、この観音様は「娘とオオカミ」というはなし(「まんが日本昔ばなし」)にあるように
願掛観音としても知られている。
どういった物語でしょうか。少し詳しい話は慈眼寺HPの「娘とオオカミ」に載っているので、興味のある方はご覧ください。
http://www.eonet.ne.jp/~jigen/mesume.html
ところで、狼像が見当たりません。どこなんでしょうか。観音堂の裏側や境内を探しましたがわかりません。ふと、不安がよぎります。
そこで寺にいた奥さん(住職のお母さん?)に狼像の場所を尋ねると、大きな木の傍にあることを教えてくれました。予想外に大きな狼像です。前足をあげた堂々とした姿です。もちろん関東の「お犬さま」や中国地方の「狼さん」とも違います。
住職がちょうど帰宅したというので、いろんな話をお聞きすることが出来ました。
狼の伝説を世間に知ってほしくて、住職が自ら依頼してこの狼像を設置したという。20年ぐらい前です。
「村で管理している観音さんなんですけど、あちらに山があるでしょ。三草山です。もともとは三草山の山頂にお寺があったんです。1430年ほど前のことです」
観音堂のちょうど後ろには、おわん型の山影が見えて、月が昇っていました。それが標高563mの三草山です。
「仏教伝来当初、この辺は仏教都市だったんです。聖徳太子の教育係をしていた日羅というお坊さんが、朝鮮の百済出身でしたが、百済から九州の熊本の方から渡って、こっちの方にきはった。その人が建てたお寺がこの三草山と、剣尾山の山頂にあった。三草山のご本尊が、織田信長の焼き討ちで、このお寺も焼かれているんです。そのときにお坊さんが持って逃げて、最終的にここに降りてきて、今もそのときのご本尊はちゃんと残っています」
聖徳太子、織田信長も出てくるかぁ。いろんな有名人の名前がたくさん出てくるところは、さすが歴史があるところだなぁと思います。
「あの物語に石段が出てくるんですよ。観音堂をお参りするのに、娘が毎日毎日、21日間願掛けに行って、満願の日に、一番下から上を眺めると、上から狼がにらんでいた。登って上まで行ったら狼が見えなくなって、願がかなったと。狼が千手観音の化身ではないかという話です」
父の盗人としての濡れ衣を晴らしたい一心で願掛けを続けた娘の目の前に現れた1匹の狼。決心した娘は目をつむり、観音経を唱えながら石段を登っていきました。すると、無事に観音堂の前に辿り着いたので目を開くと、狼はいなくなっていました。その後盗人も捕まり、父の無罪が証明されました。狼は観音様の化身に映ったという話です。
ここで狼は怖い存在です。怖いからこそ、それでもお参りした娘の一途さが心を打つのでしょう。娘の覚悟を試した観音様が遣わした狼だったのかもしれません。
翌朝、もう一度慈眼寺を参拝して、あらためて狼像の写真を撮りに行きました。すると、昨日の夕方には気がつかなかったのですが、神山集落にも棚田があって、棚田の先に、慈眼寺の屋根が見えます。
そして狼像が鮮やかな紅葉の中にたたずんでいることがわかりました。まるで娘が狼を見た場面を再現しているようでした。
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