初夢と昔話
今日は新暦では正月二日ですが、旧暦では霜月三十日です。明日から師走(十二月)に入ります。旧暦の正月まで、あと30日。
写真は所沢市の多門院の虎像です。
ところで、初夢ですが、よく覚えていません。初夢を覚えていないとは、残念です。俺にとっての初夢本番は旧暦正月二日なので、問題ないと言えば問題ないのですが。1年を占うにも、初夢は昔から一つの指標で大切なものでした。
昨日(とはいっても深夜0時を回っていたので、今朝?)、義理の妹夫婦が来ているので、セブンブリッジをやって睡眠時間が短くなってしまいました。そのせいかもしれません。
ところで、妹の旦那さんからいい話を聞きました。山登りする人なんですが、昔、山で道に迷ったとき、鹿に出会って、本来の登山道にもどることができたというエピソードを聞いて、あぁ、こういうふうに伝説・昔話ができていくんだなぁとしみじみ思いました。残念ながらその鹿は白くはなかったそうですが。
西日本の狼信仰について、少しづつ書き始めているところですが、今回は、狼に関する物語がどうして生まれるのか、あるいは、残っているのか、ということも書きたいなと思っているので、彼の体験にすごく興味をひかれたのです。
もちろん、「鹿が道案内した」と考えるのは、個人の解釈で、「それは勘違いだよ」という人もいるでしょう。でも、昔話の場合は、そんなことはどうでもいいんです。客観的な事実なんていうのは。
昔話には当てはまりません。たとえば、「桃から生まれる男の子」とか「月に帰るお姫様」なんて、客観的事実からは、ありえないでしょう。でも、夢の中であれば、こういった話を「これは嘘だ」「ありえない」とか思わず、疑問を持たずすべてを受け入れているはずなのです。
そこが夢と昔話の似ている点でもあって、どうしてその昔話が残り、語り継がれていくか、ということはすごく、その人が生きて上では大切なものなんだ、ということに気がついてきました。
個人的なものであれば、昔話、もっと実在の土地や人に寄ったものは、伝説、国家や民族に関わる語ならば神話と呼ばれます。
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