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2022/01/24

【犬狼物語 其の五百八十四】兵庫県養父市 養父神社と山野口神社

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兵庫県養父市の養父神社を再参拝しました。

養父神社には独特の姿をした明治26年の狼像が奉納されています。『オオカミは大神』でも紹介したユニークな狼像です。

今回も養父神社は大切な神社で、とくに「狼の宮」として知られる境内の山野口神社ははずせません。

山野口神社は、養父神社本殿の後ろにあり、解説看板によれば、

「御祭神は大山祇命であります。別称は「山の口のおおかみ」と申し上げ、流行病を退けられ、「つきもの」を落とす神として広く信仰されています」

とあります。神使が狼です。だから狼さまの像が奉納されました。

ここには狼さまの伝説があり、NHK大河『鎌倉殿の13人』の源頼朝にも関係しているようです。

「養父郡朝倉庄に本拠をおいた朝倉高清は、その初代(※越前朝倉氏の初代)広景の祖父にあたる人物で、鎌倉幕府の源頼朝に仕えました。伝説では、当時、鎌倉では大きくなると210㎝になる一方で、逃げる時には鼠ほどに小さくなる白猪が暴れていました。そこで源頼朝は、朝倉高清にこの白猪退治を命じました。高清は但馬に帰って7日間、養父神社にこもって祈願し、神前から鏑矢をもらい受けました。この矢で白猪を退治して、源頼朝に仕官がかないました。養父神社は朝倉高清が武功を挙げるための一世一代の祈願所となっています。暴れまわる白猪は、狼が守護するという養父神社から授かった神矢の霊力によって退治できたと伝えています。」(養父神社リーフレット)

大河に高清や白猪退治のエピソードが登場するのかどうかわかりませんが、狼信仰と源頼朝が関わっていていたというのは面白いですね。

さて、山野口神社の話です。

明治時代、西日本でコレラが流行ったときに、コレラ除けとして数多く各地に勧請されたのが木野山神社ですが、疫病除けは木野山神社だけではありませんでした。その一社に山野口神社があります。

鳥取市丸山町にも山野口神社があります。地元では「山野口神社」よりも「狼さん」が通じるようです。ここでは明治30年ころ疫病が猛威をふるったので、兵庫県の養父神社の奥の宮、山野口神社から分祠してもらい祀ったそうです。それで疫病が収まったという。

養父神社社殿から右奥に進むと池があり、更に進むと、山野口神社の社殿が鎮座します。この社殿は元禄時代に建立されたと伝えられています。明治30年の「養父神社絵図」には「奥ノ宮 山ノ口社」として描かれています。

社殿の右下には川が流れ、高さ5mほどの神の滝があります。参拝したのは12月中旬でいたが、少しだけ紅葉が残っていました。

社務所では、山野口神社の御朱印をいただきましたが、それにも「あ」「うん」の狼さまが配されています。また「疫病退散」のお守りにも狼さまが使われています。

 

 

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