【犬狼物語 其の五百八十】鳥取県境港市 水木しげるロードの「鍛冶媼」
鳥取県境港市、水木しげるロードの「鍛冶媼(かじばば)」像を見に行きました。
鍛冶媼(かじばば)は、別名「鍛冶が嬶」とか「鍛冶屋の婆」とか「千疋狼」として、全国各地に残る狼の説話です。
ここの「鍛冶媼」像は、高知県室戸市に残る説話を基にしているそうです。その室戸市佐喜浜には「鍛冶ヶ嬶供養碑」も立っています。
どういう話かというと、wikiを引用すると、
ある身重の女が奈半利(現・安芸郡奈半利町)へ向かうために峠を歩いていた。夜になる頃に陣痛が起き、運悪くオオカミが襲って来たが、そこへ通りかかった飛脚に助けられ、木の上へ逃げることができた。オオカミたちは木の上へは爪が届かないので、梯子状に肩車を組んで木の上へ襲いかかろうとし、飛脚は脇差で必死に応戦した。
その内にオオカミたちは「佐喜浜の鍛冶嬶を呼べ」と言い出した。しばらくすると、白毛に覆われた一際大きいオオカミが鍋をかぶった姿で現れ、飛脚に襲い掛かった。飛脚は渾身の力で脇差しを振り下ろすと、鍋が割れると共に人の叫びのような声が響き、オオカミたちは一斉に姿を消した。
夜が明けて峠に人通りが出始めたので、飛脚は女を通行人に任せ、自分は血痕を辿って佐喜浜の鍛冶屋へ辿り着いた。お宅に嬶はいないかと尋ねると、頭に傷を負って寝込んでいるということだった。飛脚は屋内に入り込み、中で寝ていた嬶を斬り倒した。嬶の姿をしていたのはあの白毛のオオカミであり、床下には多くの人骨、そして本物の嬶の骨も転がっていたという。
稲田浩二著『日本昔話通観 第28巻 昔話タイプ・インデックス』には、「鍛冶屋の婆」として載っています。話のパターンはこのようになります。
1:旅人が木の上で寝ていると、たくさんの狼が肩車をして迫ってくるが、あと少しで届かない。
2:狼たちに呼ばれ、鍛冶屋の婆という大きな狼が、肩車の先頭になって旅人を襲うが、旅人はその狼を切り落とす。
3:旅人は翌朝麓の村の鍛冶屋を訪ね、昨夜けがおしたという婆の刀傷を確かめて切り殺す。
4:日に照らされて婆は狼の姿となり、床下からその家の婆たちの骨が見つかる。
注釈に、「四国では伝説の形をとるものが多く、また発端部で、産気づいた妊婦を道連れの旅人が樹上へ運び上げて狼の危害から守る、という特徴的モチーフを備える」とあります。まさに室戸市に伝わる話は伝説の類で、松谷みよ子他著『土佐の伝説』には「佐喜浜を訪れた郷土史家・寺石正路によると、明治時代には鍛冶が嬶の墓石もあったとされ、鍛冶屋の子孫といわれる人々には必ず逆毛が生えていたという」とあります。
墓があったり子孫がいたり、 この話がこれほど伝説化しているのは全国でもめずらしいと思います。
「鍛冶」「千匹狼」伝説は日本各地にありますが、この話の特徴は、刀傷から狼(あるいは猫)の正体が暴かれるという結末です。こういった悪者が正体を暴かれる話はヨーロッパにもあるそうで、魔女が妻になっていたりするそうです。
最初この話を聞いたのは愛媛県の犬寄峠で、現地に伝わる「飛脚が山犬に襲われた話」」でしたが、個人的に面白いと思ったところは、「悪者の正体が暴かれる」ことではなくて、山犬(狼)が次から次へと繋がって、肩車しながら、木の上に逃れた飛脚に迫ってくるところです。狼が「肩車する」という部分は本当に面白いイメージですね。「馬乗りになる」とか「犬梯子」などとも表現されています。
柳田国男監修『日本昔話名彙』にも、山梨県に伝わる「千疋狼」として取り上げています。この話では、「婆」は、狼ではなくて年取った虎猫です。でも、「犬梯」のエピソードはちゃんと残っています。
まず一匹がしゃがみ、その上へ上へと山犬が登り商人のすぐ足許まで届くほどになった。
元々この伝説は中国大陸から伝わったようで、大陸では、狼ではなくて虎が梯子状になるという話だったようです。それが日本に入ってきたとき、虎はいないので、狼に置き換わったらしいという説があります。
狼(虎)が「怖い」「悪い」ものとして描かれる話は、やはり、大陸から入ってきた狼(虎)観が反映しているのでしょうか。「送り狼」や「狼のまつげ」など、狼が「いい」ものとして描かれる話とはちょっと違っているようです。ただ、神性を帯びるのは、この「怖い」「悪い」というのも半面持っているから、とも言えます。狼についても同じでしょう。
ただし、虎から狼に変わっても、「肩車」とか「犬梯子」というモチーフは残っているし、俺も、この話で一番好きで印象深いのが、この 「肩車」とか「犬梯子」のイメージです。
これはどういうことを表しているのでしょうか。
動物学者・平岩米吉著『狼 その生態と歴史』によると、夜に活動する習性や集団で行動する習性を意味するとし、狼の肩車は、狼の高く飛び上がる身の軽さを表現したものと指摘しているが、どうなんでしょうか。虎も木に登ったりするので、身軽なのはわかるので、大陸では「虎」だったことと矛盾はしないですが、集団で行動するという習性は虎にもあるのでしょうか。
いずれにしても、虎(狼)の動きを、まるで最新のスポーツ番組で見られるモーション画像のように表現したことも、「動き」に対する人間のイメージにも「元型」がありそうだということを示唆しているのかもしれません。
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