【犬狼物語 其の五百九十二】岡山県高梁市 木野山神社奥社
高梁市の木野山神社を再参拝しました。
境内はシーンと静まりかえっています。社務所が開いていません。奥宮までの行き方を聞くつもりでしたが、あてが外れました。近所の奥さんがいたので、聞いたら、彼女も子供連れで上ったことがあるといい、けっこう時間はかかったとのこと。途中、崩れたところもあるけど、道自体はわかりやすいとのことでした。
入り口さえ間違わなければ、途中には案内板があるので迷うことはありません。山道は落ち葉が厚く堆積し、ふかふかした感じです。坂がずっと続きます。40分ほどで東屋がありました。チョコレートをかじって休憩。
1時間ほどで、鳥居に到着です。その先に、まるで城の石垣のように階段が積みあがっていて、社殿の屋根も見えました。階段を上りきると、けっこう広い平らな境内です。さっそく、左右に小ぶりの狼さんが迎えてくれました。向かい合った狼さんは若いイメージです。
古くから「木野山さん」は、流行病・精神病に対する霊験あらたかで、明治に流行ったコレラ(虎列剌)除けとして山陰中国地方に信仰圏が広がったことは、すでに何度も書いています。
近代日本精神医療史研究会のHP(http://kenkyukaiblog.jugem.jp/?eid=414)によると、
「精神病についても、狼は重要である。
狐憑きの「狐」の「大敵」が狼なのである。
狐憑きの発祥は山陰地方と言われている。
木野山神社は地理的に「裏日本」と直結している。
かつては「奥宮」の参籠所に多くの精神病患者が宿泊し、加持祈祷が行われていたという。」
広い境内には、当時、この参籠所が建っていたといいます。更地の広さは、そこに理由があるようです。
昔は狐憑きと呼ばれ、狼によって悪い狐を祓い症状を直したのでしょうが、今ではこれを精神的な病と解釈し、臨床心理学が扱う症状となっています。
ここでも個人的に、狼信仰と心理学が結びついたこと、不思議な縁を感じています。
臨床心理学ではイメージを重要視していますが、昔も狐憑きを治すときは、狼というイメージで治していたということです。「狐を退治する狼」という物語が信じられていたからこそ、この治療は成功していたわけです。
奥宮の末社の高寵神(たかおかみ)、闇寵神(くらおかみ)の神姿が狼とされています。この神は、山に降る雨を司る龍神・谷間に流れる川を司る龍神で、それが狼の姿であるというのはどういうことだろう?とずっと疑問なのですが、先日読んだ姜戎 (著) 『神なるオオカミ』に、内モンゴルの三星他拉村で出土した玉龍は、中国で最初の龍と呼ばれるものですが、顔がオオカミに似ていて、姜戎氏は初期の龍はオオカミだったのではないかという説を唱えています。
龍はその後農耕民族のトーテムになり、雨や水を司るようになった・・というのです。これが本当かは素人の俺にはまったくわかりませんが、この偶然は面白いと思っています。
一説には、「高寵神(たかおかみ)」「闇寵神(くらおかみ)」の「おかみ」が「おおかみ(狼)」に変わったという話もあります。
社殿の左右に、別に2対の狼像が控えています。1対は一番古いらしく、右側のものは顔もわからないくらいに崩れていましたが、左側のは顔もわかります。体つきが、東京都のある御嶽神社のお犬さまのような体つきで特徴的です。
もう1対は比較的写実的で新しいものです。どれも年号らしき文字もなく、いつのものかはわかりません。
山を下りて里宮に戻りましたが、宮司さんなど誰もいませんでした。また来るつもりなので、今回は話を伺うのは諦め、奥宮御朱印のサンプルの写真と、山門の狼さま像、塩の奉納品だけ撮って神社をあとにしました。
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