2022/04/29
2022/04/26
2022/04/23
2022/04/21
【犬狼物語 其の五百九十五】大山の大山寺&大神山神社末社・下山神社
金色の狼伝説が残る大山には、大山寺や大神山神社奥宮が鎮座します。
猟師の依道が美保の浦(美保関)を通り過ぎたとき、海の底から金色の狼が出てきて、不思議に思って後を追っていくと大山に導かれたというものです。
大山寺のさらに奥には、大神山神社奥宮が鎮座し、社殿も立派なものですが、興味を引かれたのは下山神社の前の1対の大きな狐像です。高さはゆうに2mはあるでしょうか。今まで見た狐像の中では一番大きいかもしれません。
ところで、いわゆるこれは稲荷神社の「お稲荷さん」ではなく、最初に下山神社の小祠が祀られたとき、よく狐が出たので、守り像として狐像を置いたとのことです。狐像で「お稲荷さん」ではない狐像を初めて知りました。
2022/04/19
【犬狼物語 其の五百九十四】西日本の狼信仰
今回、西日本の狼信仰・狼像を探す旅も、7日目です。
いろいろと収穫ありました。やっぱり実際に現地へ来て、地元の人に話しを聞いて初めて知ることもあるし、また、新しい発見もあります。
4月は狼関連神社での祭りもいくつかあって、それに合わせてきました。
詳しいことは、帰宅後の報告になると思います(旅行中は忙しい)が、ようやく「参」のイメージがわいてきました。そして、これは「参」という形で一冊の本にできそうだという確信が持てました。
実は、撮影旅行を始めるまでは、関東地方の狼信仰・狼像と比べると、なんとなくバリエーションも少なく、1冊にするのは難しいかもしれないと思っていたからでした。
なお、今回は棚田も撮影していて、ちょうど田んぼに水が入り始めていますが、掲載の棚田は、牛を飼っている棚田です。かつては、かなり広く美しい棚田だったようですが、耕作放棄地化が進み、今は牧場として活用されています。でも、今もって地目は田んぼなので、これも「棚田」と呼んでいいのではないかと思います。
2022/04/10
【犬狼物語 其の五百九十三】岡山県津山市 貴布禰神社/奥御前神社
遅くなりましたが、昨年12月の貴布禰神社内の奥御前(おくみさき)神社の旧暦霜月大祭についてアップしておきます。
国道から入る狭い道沿いには、祭りの雰囲気を盛り上げる貴布禰神社の幟が立っていました。神社の駐車場に車を停めて、階段を上っていくと、そこが貴布禰神社の社殿。タイ焼きや、タコ焼きや、海産物の干物など4軒ほど露天商も出ています。
この旧暦霜月大祭は、13、14、15日に斎行されます。12日も前夜祭があったそうです。
昔は旧暦で行われていました。だから満月に近い日に祭りが行われていたんですね。この3日間に狼さまが子供を産みに神社に帰るということで、その子供狼の御霊分けを受けるという意味があるらしい。火難、盗難の御利益がありますが、特に昔から疫病除けの神様として信仰されてきました。
狼さまが刷られたお札は、その御霊分けです。お札は2種類あって、ひとつは、疫病除けのお札で、赤い狼の印が押してあるもの。これは昔から授与していたお札ですが、たまたまコロナが流行ったので、今はコロナ除けにもなっています。
もう一つは、戸口用のお札で、2頭の狼が向かい合って座っているもの。悪いものを寄せ付けない、あるいは盗難防止として、蔵や戸口に貼ったり、ビニールでくるんで、竹を刺して田畑に立て、害獣除けにしたりします。
幣殿では神職が観音開きのお宮の戸を開けてくれました。これか? ネット情報でも「剥製」とあったので、期待はしていましたが、てっきり、ぼろぼろで形もわからない動物の剥製を想像していたのですが、ずいぶんリアルです。狼というよりも見た目も犬のようです。あくまでもこれは「狼さま」のお姿を表現したものです。
体は横向きで、顔は正面を向いていて耳はピンと立ち、眼も入っているし、歯もそろっていて、みんな「生きているようですね」というそうです。
社殿を出て、奥御前神社を参拝しました。次から次へと参拝客が来て、お賽銭を上げたり、塩をあげたりしています。塩をあげた丹波市から来たという二人組の男性に、どうして塩を?と聞くと、料理人や商売人が塩を供えると商売繁盛するという。そして二人は社殿の後ろに周って、直径12㎝ほどの穴にお賽銭を投げました。お金がこの穴に入ると、それが100倍にもなって返ってくるそうで、中には塩を入れる人もいます。穴の周りには、投げ入れられた跡なのでしょう、塩がこびりついています。 この穴は、狼さまが子供を生むために入る穴なのです。
社殿とは別に、結界に囲まれた石があり、そこにも塩の山が盛ってあります。どうして塩なのか、宮司に伺うと、狼は塩が好きというのと、塩は我が身を清めるという意味があるそうです。
社務所に戻ると、袋に入れたコメを持っていた参拝者がいて、夫婦は地元の人で、「狼さまのお札は戸口に貼って、盗難除けです」という。社務所によると、奉納品は昔は全部コメだったそうです。参拝者は歩いてコメを背負ってきました。コメの量に見合ったお札は、社務所の窓口に引換券を渡して、お札と交換してもらいます。今はコメの代わりにお金で納める人も多いとのことです。
昔はこの祭りも盛況で、真庭市、美崎町など周辺の町からも、参拝客が観光バスを借り切って団体でお参りしていたといいますが、今は少なくなりました。
日中はいったん津山市の重要建造物保存地区を観光し、夜、神社に戻りました。
神社は昼とはまったく様子が変わっていました。シーンと静まり返っています。
7時半前には三々五々、人が集まり出しました。中空に輝く月明かりが、うっすらと貴布禰神社への石段を照らします。
30~40人の参列者が、ストーブがたかれた社殿の中で神事が始まるのを静かに待っていました。空気は深々と冷えてきて、ストーブの暖かさが嬉しく感じます。
右側には、太鼓、笙、篳篥、笛の4人の楽師が座っています。火鉢の火で笙を温めて、音色を整えるという楽師のおじさん。狼信仰の取材ですというと、秩父の三峯山の名前が出ました。やはり西日本でも、三峯山の狼信仰は知られているようです。
やがて、提灯に灯りがともされ、拝殿の蛍光灯が消されました。あたりは一気に薄暗くなり、ますます幣殿に置かれた「狼さまのお姿」が納められたお宮が目立ちます。けっしてこの狼さまがご神体ではありませんが、主役を担っているように感じてしまうのは、俺個人の狼熱によるものかもしれません。
雅楽の音、太鼓の音、祝詞がいっしょになって、心地よい異界へと我々参列者をいざないます。そうだ、この祭りは「旧暦霜月大祭」という。昔は旧暦で行われていました。だから月の月齢はとうぜん祭りに影響していたはずです。夜のこの7:30からの神事の次に行われるのが、日をまたいで、15日の午前1:30から行われる神事です。これは神職だけで行われるもので、我々は参列できません。これこそまさに満月の下で行われていた狼さまの祭りだということ。実際この夜の月は満月に数日足りませんでしたが、満月の祭りの気分は味わえたような気がします。
神事は1時間ほど続き、最後、宮司のあいさつがありました。「コロナにもかかわらず、この祭りに集まっていただいて良かったです」
コロナ禍では、この祭りも特別な意味を帯びているようです。狼さまの復活です。
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