2022/07/30
2022/07/27
アントニオ・バンデラス主演の『オートマタ』 人類の後を受け継ぐ者
アントニオ・バンデラス主演の、『オートマタ』を観ました。
2014年、スペインイギリス合作映画です。ちなみにオートマタ(英: Automata [ɔːˈtɑmətə] 複数形)とは、12世紀~19世紀にかけてヨーロッパなどで作られた機械人形ないしは自動人形のこと(wikiより)。
https://gyao.yahoo.co.jp/episode/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%9E%E3%82%BF%E3%80%80%E3%80%90%E5%AD%97%E5%B9%95%E7%89%88%E3%80%91/619f51bb-8fc8-4357-8e8a-f24daa6ba09a
なんだか考えさせられるものがあって、GYAO!で2回も観てしまったのですが、どういう内容かというと、砂漠化や放射能汚染で地獄となった地球で、人間が管理できる(理解できる)範囲内に能力を制限されていたはずのロボット「オートマタ」が改造され、自己修復・自己学習を始めるのです。
人工知能が人間の能力を超える技術的特異点、シンギュラリティの到来です。
そうなると人間はいらなくなります。そこに危機を感じた人間がそのロボットを抹殺しようとするわけです。
考えてみれば、放射能汚染とか、砂漠化とかいう環境が「悪い」と思っているのは、人間の立場であって、この環境でも生きていけるのは(「生物」の定義をし直さなければならないですが)、たしかに放射能汚染化でも、水がなくても生きていけるロボットたちなのです。めざめてしまったロボットはいいます。「我々が人間の後を継ぐ」と。
そこでもっと想像を進めると、人型ロボットである必要もないということになります。人型であるのは、これも人間の都合です。人型の方が親近感がわくとか、可愛らしい顔ならば、警戒心が無くなり愛着もわくでしょう。
でも、単に、厳しいい地球環境で生き抜く者というふうに考えていくと、映画では、ゴキブリをイメージしているような新型ロボットが人型ロボット「オートマタ」によって作り出されました。砂漠でも生きているゴキブリのシーンが出てきます。たしかにゴキブリが次の地球の支配者だ、みたいな話は昔から聞いています。
俺が嫌いなものの第一番はこのゴキブリなんですが、この形がダメなんです。平べったくてつやつやした表面。残念ながらその一番嫌っているものが厳しい地球環境で生き抜く一番の適者というのも皮肉なものです。
ただ、もっといい形があるのでは? 要するに空飛ぶ円盤型が一番効率的なのではないかと思います。
アメリカ人のケネス・アーノルドが世界で初めてUFOを目撃した1947年以来、空飛ぶ円盤(UFO)の目撃例が多くなりました。アダムスキー型や葉巻型などいろいろありますが、その形には共通する部分があります。
ゴキブリから手足を取った形。UFOの大部分はそんな形であるような気がします。
UFOは人類の深層心理が生み出した「もの」であるかもしれません。救済者か破壊者か侵略者かはわかりませんが、どこかに存在し、人類にインパクトを与えてくれるもの。
それは地球外生物であるのが、もっともインパクトあるでしょうが、この行き詰った人類の殻を破ってくれる衝撃を人類は待ち望んでいるのではと、俺は思うのですが。
2022/07/24
2022/07/22
【犬狼物語 其の六百十二】鳥取県米子市 下郷神社
下郷神社を再参拝しました。
前回、去年の12月は管理者を探す中で、ある氏子さんと知り合い、ここに木野山神社への代参があることを知りました。
57軒のうち2軒が当番として参拝し、57軒分のお札をいただいて帰ってきます。この氏子さんは、今年当番でした。57軒の2軒なので、代参の当番が回ってくるのは30年に一度。一生に一度二度あるかという機会なので、楽しみだといっていました。当番は、4月に入って都合のいい日に代参のため高梁市木野山神社へ行きます。
代参でいただいてくる木野山神社の狼さんのお札は、全戸に配り、他に小宮は、この当番の2軒で半年づつ(4月~9月、10月~翌3月)、自宅に置いてお祀りします。毎月1日と15日には、灯明をともし、お供えします。
2022/07/19
「自然と人のダイアローグ」展
国立西洋美術館リニューアルオープン記念「自然と人のダイアローグ」展 。
今回展示の作品は、以前、常設展でも観ていたものもありました。作品一つ一つはもちろんすばらしい絵ですが、テーマの抽象性にあるのか、作品全体としては、散漫な印象がありました。
ポスターにもなっているゴッホの『刈り入れ』。これはさすがに多くの人が写真を撮っている絵の一つで、俺も釣られて撮ってしまいました。
死を象徴する鎌を持った人が麦を刈り取る絵です。刈り取りは生の終わり、「自然という偉大な書物が語り死のイメージ」を見ていたそうです。ただ絵は明るく、逆に「生」を感じさせる絵です。
ムンクの絵もありました。
『叫び』で有名なエドヴァルド・ムンクは、生涯にわたって「生と死、孤独、嫉妬、不安」といったイメージを絵画で表現し続けた画家です。
一時期精神科の治療を受けたこともありましたが、「作品」を発表する「画家」というよりも、自分で自分を治す「芸術(絵画)療法」の実践者であったという面が、特にムンクに興味ひかれる理由でもあります。俺も写真や旅で自己治療(芸術療法)の実践をしていたということがわかってきました。
2022/07/18
【犬狼物語 其の六百十一】鳥取県米子市 大神山神社本社の朝宮神社の狼?像
大神山神社の本社を参拝しました。社号額を揮毫したのは、最後の鳥取藩主だった池田慶徳公だそうです。
前回鳥取県を訪れたときには、大山寺の奥に鎮座する大神山神社の奥宮を参拝しています。そこには下山神社の巨大な狐像が。
奥宮・下山神社遥拝所もあります。やはりここにも狐です。
ところで大神山神社本社の境内末社に、朝宮神社というのがあって、本殿の蟇股に動物の彫り物があったのですが、どうも狼に見えてしまいます。というのも、この朝宮神社に祀られているのは、大山祇神や須勢理毘売神の他五柱の神様だそうです。
人間は見たいものを見るという脳の性質があって、いったん「狼」と認識してしまうと、もう「狼」以外に見るのは難しくなります。
2022/07/16
2022/07/15
鳥取県大山町 御碕水天宮&日御碕神社
中国地方で狼信仰を追っていると、「ミサキ信仰」というキーワードが出てきます。
この「ミサキ」という言葉は古い日本語で、なかなかその実態を説明するのは難しいのですが(言い訳するようですが、柳田国男もあいまいな表現で終わっているくらいです)、ミは敬称、サキは、後先のサキで、神様が現れる前触れ・兆しとして現れる自然現象や動物、または、祟るもの、憑くもの、災いの元、神使、境界などを意味するようです。海に突き出た「岬」も、同じ語源です。また関東地方の「オサキ狐」の「オサキ」も同じ語源のようです。あまりにもいろんな意味に分かれてしまったことが、全体を把握するのが難しい理由らしいのです。
以前ブログで紹介した岡山県津山市の奥御前神社の狼さまも、「ミサキ信仰」だと言われています。この場合、狼が神の使いという神使信仰ということになるでしょうか。
船上神社の祭に参加するために鳥取県を訪れ、大山周辺の地図を見ていたら、「御崎」という地名を見つけました。大山町御崎です。ここも「ミサキ」と関係あるんだろうか?と興味を持ちました。
海に突き出た岬で、御崎水天宮があることがわかりました。
行ってみると、水天宮は小さい祠でしたが、御崎漁港の入り口で、海岸に出たら、丸い石で埋め尽くされています。誰かが石を積んだ跡もありました。不思議な光景です。
また、漁港から内陸に入ったところに新しそうな神社、日御𥔎神社が鎮座します。
これは島根県出雲市大社町の日御碕神社を勧請したといいます。漁港からの道路整備に伴って新しく移されました。境内には古そうな祠や、お結びのような三角形の岩や、狛犬だったのではないかと思われる石造物も残っています。
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