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2022/08/28

日本石仏協会公開講座「民間信仰の中の動物石像~オオカミを中心にして~」

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日本石仏協会公開講座で、長野県富士見町博物館協議委員の下平さんの「民間信仰の中の動物石像~オオカミを中心にして~」を拝聴しました。日本全体の狼信仰についての流れがよくわかるお話でした。

東日本では、あまりにも三峯信仰が強く、土着の狼信仰の上に、うっすらと霧のようにかかっているというのも、よくわかりました。

そして、現在は狼信仰の痕跡が薄い地域ですが、熊野が狼信仰のルーツと関係するのではないか、という話にはハッとさせられました。

今回は、日本石仏協会 の会員でもある明治大教授、川野さんに誘われたのでしたが、川野さんと再会したのは、中国雲南省以来、20数年ぶりです。今、狛犬・神使像なども研究されているそうです。

そしてずっと気になっていたことを確認できました。水木しげるさんの雲南旅に同行できたのは、川野さんのおかげでした。水木さんの雲南旅は2回あったそうで、2回目の参加者が誰だったのかは俺は知るよしもなく、記憶は間違っていなかったことに、ようやく安心しました。

というのは、水木さんの雲南旅に同行した女性がいたはずだと、ある人に言われたことがあったのですが、どうしてもその女性を思い出すことができず、俺の記憶に自信をなくしていましたが、川野さんも参加者は男だけだったといい、その女性は2回目の参加者だったようです。ちゃんと確かめてから指摘してほしかったですね。

川野さんに紹介してもらった「狛犬千万無量」、参道狛犬ナビゲーターの山元さんに『房総の狛犬』をいただきました。とくに巻頭の「参道狛犬百景」は、単なる資料としてだけではない芸術的価値もあり、新しい狛犬写真の可能性を見た感じがします。

そして狛犬についても知らないと、狼像はわからないんだなぁと、あらためて思います。俺は、犬→犬像→狼像 と移ってきたので、今まで「狛犬」というのはあまり興味がなかったからです。でも、やっぱり神使像は、狛犬の影響だろうし、そのあたり、もう一度調べ直す必要がありそうです。

山元さんのサイトはこちらです。

https://komainu-senman.amebaownd.com

そして下平さんの発表後、下平さん、川野さん、山元さんと、その場で話題になったのは、「狛犬と狼像」の境がわからないというものでした。俺も、この点についてずっと感じてきたので、みんなそうなんだなぁと。

個人的には、それに加えて西日本の狼像は狐像とも似ていて、混迷は深まるばかりです。

 

 

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2022/08/27

【犬狼物語 其の六百二十三】岡山県備前市 備前焼の里

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1000年以上の歴史を誇る備前焼の里を訪ねました。伊部地区には多くの工房・ギャラリーが建ち並んでいます。

天津神社は、さすが備前焼の里、狛犬や十二支など、備前焼動物像の宝庫です。

「子宝いぬ」の備前焼像もありました。子宝犬、子育て犬など、子安信仰にまつわる犬像は全国各地にあって、正確には数えていませんが、今まで20カ所くらいは周ったのではないかと思います。

神門脇には、見落としてしまいそうな、小さな犬像もいました。どことなく、明恵上人が愛した子犬像(オリジナルは京都・高山寺に)と似た雰囲気です。

また神社の近くには天保3年ごろに築かれた「天保窯」があります。

昭和15年ごろまで焼き続けられたそうです。昔の姿をとどめている備前焼の古窯はここだけです。 

 

 

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2022/08/25

8月25日は、秋田犬の旧2円切手の発行日

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これは旧2円切手の秋田犬。この立ち姿には威厳が漂います。

よくこんな切手を持っていたなぁと思いますが、小学・中学のとき、学校で切手集めが流行って、俺も一時期集めたことがあったからです。

秋田犬2円の発行日は、昭和28年(1953年)年8月25日。発行されたとき、初日カバーには、忠犬ハチ公の写真が使われていたそうです。なので、この切手の秋田犬もハチ公だと思った人がいたとしても不思議ではありません。紛らわしい初日カバーでした。

実は、モデルはハチ公ではなく「橘号」だといわれています。 「橘号」は昭和18年3月15日生まれの雌の秋田犬の純血種です。ただ、どうしてこの犬がモデルに採用されたのか、調べてもよくわかりません。

当時、封書10円、はがき5円だったので、2円切手はそれほど使われなかったのですが、1989年の消費税導入で封書62円になったことでたくさん使われたようです。

1953年から1988年までの初代のデザインと1989年から2002年まで発行された2代目のデザインは違います。2代目は「2」「日本郵便」のフォントが違い、「NIPPON」の文字が入りました。全体の色も青みがあります。この写真は初代の2円切手です。

 

 

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2022/08/23

今日からは、二十四節気「処暑」、七十二侯「綿柎開」

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今日からは、二十四節気「処暑」の初候「綿柎開」です。

「処暑」は、暑さが峠を越えて後退し始めるころ、「綿柎開」は綿を包む萼(がく)が開くといった意味です。

暑さのピークは越えたのかと思われますが、それでもまだ暑いというのが実感です。今年は世界各地で異常な高温、水不足で、川や湖が干上がり、戦争で沈没した艦船や古代の遺跡や600年前の仏像が発見されたりしています。

 

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2022/08/21

【犬狼物語 其の六百二十二】内モンゴルの狼の呼び名「大口さん」

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千葉大学「ユーラシア言語文化論集」第19号、サランゴワ氏の「内モンゴル東部における狼の民俗」に興味あるモンゴル人の民俗について書いてありました。

ひとつは、おまじないのようなもので、家畜を狼に襲われないように、ハサミの口を開けて石を入れて挟み、それを布で強く包んでおく習慣があります。ハサミは明らかに狼の口を象徴しています。石は堅く、嚙み砕くことができません。石で、家畜の安全を願っているという。

また、内蒙古東部のモンゴル語で狼のことはチョンといいますが、名前を直接呼ぶことを避ける習慣があり、

「へーリン・ノハイ(野良犬)」

「テングリ・イン・ノハイ(天の犬)」

「ヘイ・アマト(大口さん)」

などと呼ぶという。

日本の猟師・木こりなども、忌言葉(いみことば)としての「山言葉」を使います。狼は「お客」「やせ」「やみ」と言ったりします。忌言葉は、「神や神聖な場所に近づく際には不浄なものや行為を避けるだけでなく、それを言葉に出していうことも忌み、代用語を用いていい表したことから生まれたと考えられている」(世界大百科事典)

モンゴル人が「チョン」と直接呼ばない理由は、名前を直接呼ぶと数が増えて、害が拡大するからだという。牧畜民にとって狼は害獣でもあるのですが、ここにも数のバランスの大切さが現れています。多くてもダメ、少なくてもダメなのです。

この数のバランスについては、狼信仰ではちょくちょく目にするもので、例えば、日本でも、津山市の奥御前神社(狼さま)では、本勧請と呼ぶ正式な祀り方で、霜月の大祭に狼さまをいったん本宮に戻し、新しく生まれた狼さまを迎えますが、それはその家で狼さまが勝手に増えるのを防ぐ意味があるそうで、牧畜民の狼に求める数のバランスと共通しているのが面白い。

「大口さん」は、日本の「大口真神」を思わせますが、実際、狼の「大きな口」は、モンゴル人にも日本人にも同じような特徴として捉えられているんですね。

 

 

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2022/08/20

赤坂氷川神社の狛犬と江戸型山車

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赤坂氷川神社を参拝しました。

境内には7対の狛犬があります。

その中で、中門両脇の狛犬は、延宝3年(1675)奉納の東京都内で2番目に古いといわれています。(都内最古の狛犬は、以前紹介した承応3年(1654)の目黒不動にある狛犬)

頭のてっぺんに丸い穴(溝)が開いていますが、宝珠か角が埋め込まれていたのかもしれません。

それと境内では、全国的にも貴重な「江戸型山車」が展示されています。

「山車は江戸の祭の華でした。時代の変化や震災・戦禍により東京から姿を消しましたが、ここ赤坂には奇跡的に一部が遺されていました」(「赤坂氷川山車保存会」より)

掲載の「祭礼山車行列額絵」は、明治44年に奉納されたもの。赤坂氷川祭での、江戸型山車13本が悠々と巡行する様子です。

 

 

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2022/08/13

【犬狼物語 其の六百二十一】世界(国際)オオカミの日

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8月13日は「世界(国際)オオカミの日」だそうで、2年前にアップした狼像をまとめたものを掲載します。

これはコロナ収束祈願で、半年にわたり(183日)SNSにアップしたお犬さま(狼)像です。狼信仰では、狼は、疫病退散のご神徳があったとされることにちなんだものでしたが、さすがに俺も、狼が直接コロナをやっつけるなどとは思ってなく、これは狼のイメージを借りた自分なりのコロナに対する決意表明みたいなものですね。

すっかり下火になってしまいましたが、当時はやった「アマビエ」もそんな感じでしょうか。あれでみんなで盛り上がることで、集団の精神的免疫力をあげたという一面はあったと思います。

最初は、「コロナ終息」でしたが、途中からこのウイルスは「終息」はないなと思ったので、「コロナ収束」に変更しました。

それで今、まだ「収束」したともいえず、こんなに長引くとは正直思ってませんでしたが、これからは「共存」しかないなと思います。


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2022/08/10

吉見百穴

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埼玉に住み始めて20年経ちますが、何度も近くを通り、いつか見よう見ようと思って、結局今まで実際に足を運んだことはありませんでした。

穴がたくさん開いていて、不思議な光景です。

調査の結果、従来は住居説などありましたが、古墳時代後期、死者を埋葬した墓穴であることがわかったそうです。

穴に入ることもできます。少し涼しいです。ヴィーノは地べたに寝そべって、暑い外へ出たがりませんでした。

また資料館では、吉見町で発掘された石器や土器、土偶、中世の壷などが展示されています。

その中に、動物型土製品も展示されていました。動物型土製品は、やっぱり猪のようです。「やっぱり」というのは、全国から出土している縄文時代の動物型土製品では、猪が圧倒的に多いからです。犬は少ないですね。

 

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2022/08/08

【犬狼物語 其の六百十九】 群馬県 渋川八幡宮の戌石&子授け子宝石

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渋川八幡宮を参拝しました。

戌・亥歳生まれの守り本尊は「八幡神」。なので八幡宮境内には、戌石、亥石が祀られています。

また、子安信仰の「子授け子宝石」もあります。大きな木の幹の中に祀られた丸い石。

子安信仰の石は、まん丸で、見た目だけでも「普通じゃない、特別の石、珍しい石」と思うのですが、大きな岩から「生み出された」という生成の経緯を聞くと、なおさら丸い石が子授け祈願と結びつくのが分かるような気がします。

以前、子安信仰と丸い石について書いた記事はこちらです。(今回の渋川八幡の石の写真も追加しました)

産育の「石」の民俗 」(2021/06/11)

 

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2022/08/07

MidjourneyでAIに絵を描かせてみました

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Midjourneyでは言葉を入力してAIに絵を描かせることができます。

最初の2点は、「wolf statue in the forest」で描かせたものです。とくに2点目の二尾の狼像は気に入りました。森の中でこんな狼像を出会ったら、泣いてしまいそうです。

そして3点目は、日本語で「お犬さま」と入力して描かせたものです。予想通り、こんなかわいいワンちゃんの絵になりました。AIは、まだ「お犬さま」が「オオカミ」の可能性もあることは学習していないようです。

ところでこの絵は誰に著作権があるんでしょうか。

 

 

 

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2022/08/06

【犬狼物語 其の六百十八】 岡山県備前市 三石の木野山神社

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備前市三石にある木野宮神社を参拝しました。

 小高い丘の上に鎮座するお宮ですが、意外と上までの階段は長く、数分上って息切れがしてしまいました。途中には雨に濡れたつつじの花が、しっとりとした紫色があでやかです。

上りきると、そこからは三石の街並みや山陽本線の線路が望める絶景ポイント。ちょうど三石駅には電車が止まっていて、すぐに動き始めました。この時間帯だと、通勤する人や通学する学生も多く乗っているのではないかと思います。

お宮の前には屋根付きの拝殿があり、その奥に賽銭箱と、明治の中期、高梁市木野山神社から勧請した木野山神社のお宮があります。両サイドには、明るい色の、一見、狐かなと見紛う狼像が護っています。

 

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2022/08/03

【犬狼物語 其の六百十七】島根県奥出雲 狼神社

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奥出雲町堅田地区に鎮座する狼神社です。

田んぼのあぜ道を20mほど進んで、害獣除けの柵を越えていくと、参道らしき山道になり、すぐ15m四方ほどの境内にたどり着きました。鳥居、狛犬、祠があります。狛犬は、残念ながら、狼ではなく一般的な狛犬でした。

去年の祭の当屋(当番)を務めたKさんに話を聞くことができました。

昔は12月13日に祭りを行っていましたが、最近では、11月の終わりの日曜日に行われることが多くなったそうです。

30戸の氏子中、2戸が毎年交代で当屋を務めるといいます。祭り当日は、当屋、地主、神職で神事が執り行われます。その後、場所を自治会館に移し、30戸の氏子が集まり、ここでも神職が祝詞を上げ、直会をします。

そもそも、どうして狼神社を祀るようになったんですか?と聞くと、当屋のKさんは、「ここ堅田地区、当時の農作業は、牛を使っていたので、牛が狼に襲われないように、狼をなだめるために、狼神社を祀り始めたら、牛が襲われる被害が無くなった。それでますますちゃんと狼神社を祀るようになって、祭りが定着したようです。でも、けっして狼が敵対するわけではないので、牛と狼の供養、両方の供養の意味もありますね」

このあたり、鹿や猪の害獣から農作物を守ってくれることから狼を崇拝するようになったのとは違って、むしろ、狼の被害を食い止めるための祭りです。「堅田」とは、いかにも堅そうな土なので、なおさら牛に頼らざるを得なかったのでしょうか。なお、堅田では牛馬の放牧も行われていたという話もあります。(奥出雲町HPより)

狼に対する祭りの意味は、東北地方の馬産地の祭りと共通するものがあります。ユーラシアの牧畜民と狼の関係もそうですが、敵であり神でもあるという狼のイメージ。

猪鹿から守ってくれる益獣というのはどちらかというと観念的ですが、家畜が殺されるという実害を目にしているのが牧畜民です。それでも、「敵対するわけではない」といったKさんの言葉は、狼信仰の本質を突いた言葉ではないかと思います。ユーラシアの牧畜民も、狼は死闘を繰り広げる敵であるにもかかわらず、全滅させることはしません。草原を守っているのは狼であることを知っているからです。

日本でも明治時代の近代化や狂犬病などの病気が流行って、不幸にしてニホンオオカミは絶滅してしまいましたが、牧畜民だけではなく、農耕民にとっても、敵でもあり神でもあるという、絶妙なバランスは、狼が共存すべき存在であることを教えてくれます。

 

 

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2022/08/01

【犬狼物語 其の六百十六】島根県安来市 八幡神社内の木野山神社

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 安来市大塚町の八幡神社を参拝しました。

杜の参道には枯れ枝が散乱していて、あまり人が来ていないようでした。

神社境内は広々として明るく、八幡神社社殿の右奥には、木野山神社と木山稲荷神社の合祀殿があって、前に一対の狼さんの像が控えています。

けっこう表面はボロボロですが、尻尾も脇に這わせてあって、狼像らしい狼像といえるかもしれません。

 

それと、八幡神社の神門には、木彫の狛犬像がいて、迫力があって立派なものだったのでアップしておきます。

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