【犬狼物語 其の六百十七】島根県奥出雲 狼神社
奥出雲町堅田地区に鎮座する狼神社です。
田んぼのあぜ道を20mほど進んで、害獣除けの柵を越えていくと、参道らしき山道になり、すぐ15m四方ほどの境内にたどり着きました。鳥居、狛犬、祠があります。狛犬は、残念ながら、狼ではなく一般的な狛犬でした。
去年の祭の当屋(当番)を務めたKさんに話を聞くことができました。
昔は12月13日に祭りを行っていましたが、最近では、11月の終わりの日曜日に行われることが多くなったそうです。
30戸の氏子中、2戸が毎年交代で当屋を務めるといいます。祭り当日は、当屋、地主、神職で神事が執り行われます。その後、場所を自治会館に移し、30戸の氏子が集まり、ここでも神職が祝詞を上げ、直会をします。
そもそも、どうして狼神社を祀るようになったんですか?と聞くと、当屋のKさんは、「ここ堅田地区、当時の農作業は、牛を使っていたので、牛が狼に襲われないように、狼をなだめるために、狼神社を祀り始めたら、牛が襲われる被害が無くなった。それでますますちゃんと狼神社を祀るようになって、祭りが定着したようです。でも、けっして狼が敵対するわけではないので、牛と狼の供養、両方の供養の意味もありますね」
このあたり、鹿や猪の害獣から農作物を守ってくれることから狼を崇拝するようになったのとは違って、むしろ、狼の被害を食い止めるための祭りです。「堅田」とは、いかにも堅そうな土なので、なおさら牛に頼らざるを得なかったのでしょうか。なお、堅田では牛馬の放牧も行われていたという話もあります。(奥出雲町HPより)
狼に対する祭りの意味は、東北地方の馬産地の祭りと共通するものがあります。ユーラシアの牧畜民と狼の関係もそうですが、敵であり神でもあるという狼のイメージ。
猪鹿から守ってくれる益獣というのはどちらかというと観念的ですが、家畜が殺されるという実害を目にしているのが牧畜民です。それでも、「敵対するわけではない」といったKさんの言葉は、狼信仰の本質を突いた言葉ではないかと思います。ユーラシアの牧畜民も、狼は死闘を繰り広げる敵であるにもかかわらず、全滅させることはしません。草原を守っているのは狼であることを知っているからです。
日本でも明治時代の近代化や狂犬病などの病気が流行って、不幸にしてニホンオオカミは絶滅してしまいましたが、牧畜民だけではなく、農耕民にとっても、敵でもあり神でもあるという、絶妙なバランスは、狼が共存すべき存在であることを教えてくれます。
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