« 2022年10月 | トップページ | 2022年12月 »

2022/11/30

上下逆のモンドリアンの絵画

Img_9909

先日、オランダの抽象画家、モンドリアンの絵画が、75年以上も逆さまに展示され続けていたことで話題になってましたね。

モンドリアンの絵画は、不規則な黒い格子の線と、赤、青、黄の原色の面が特徴的です。この特徴は一度見たらわすれません。

そんなモンドリアンの絵画「New York City I」が上下逆になっていても気がつかれなかったというのはよくわかります。そもそも、こういう絵画に「正しい上下」というものがあるのかどうか。あったとしたら主張できるのは作者だけでしょう。

なぜ逆だとわかったのかというと、モンドリアン自身のアトリエにこの作品が置かれた昔の写真があって、それが上下逆の状態になっていたというのです。

俺だったら、ちゃめっけだして、わざと上下逆にして飾ったりするし(実際学生のころ風景画を逆にして飾ったことがある)、本当のところは分からないんじゃないでしょうか。世間を右往左往させるのも、また芸術作品の役割なのかもしれないし。

ところで上に掲載の写真を見て、違和感を覚えた人がいたなら、鋭い人です。写真の加工はしていません。何が違和感なのか、よく見てみてください。

「Aoyagi Kenji」はわざと入れています。この情報が、この場合、人をだます大きな要素です。

そういえば、ある写真家の先生が、こんなことを言っていました。逆にして見てもいい写真はいい写真だと。コンテストの審査では、逆にして見て判断したこともあったそうです。

つまり、「常識」の中で写真を見続けていると、いいのか悪いのか、わからなくなる。だから逆にするのは「常識」から逃れるひとつの方法ではないかと思いました。逆にすることで、写真を抽象絵画のような感覚で選ぶ、ということです。 

 

 

| | コメント (0)

2022/11/23

「勤労感謝の日」は「新嘗祭」

151123_1

 

151123_2

 

 

1948年((昭和23年)に制定された勤労感謝の日、11月23日という日は、昔は「新嘗祭(にいなめさい、しんじょうさい)」の祭日でした。

「新嘗祭」は五穀(とくに稲)の収穫を祝う収穫祭です。飛鳥時代の皇極天皇の時代に始まったものでした。天皇が五穀の新穀を供え、自らもこれらを食して、その年の収穫に感謝するというものです。

旧暦11月の2回目の卯の日に行われていましたが、明治時代に太陽暦(グレゴリオ暦)に改暦して以降は、毎年11月23日に固定されて行われるようになりました。

それは、その年の「11月の2回目の卯の日」がたまたま11月23日だったので、翌年からもそのまま11月23日になったそうで、11月23日に特別な意味はないんですね。もともとは旧暦だったし。ちなみに今日は旧暦で十月三十日です。

でも「新嘗祭」は、敗戦後GHQの占領政策で、天皇行事・国事行為から切り離され、一応表向きは「勤労感謝の日」になりました。天皇という精神的支柱を失わせ、日本人を団結させないためのアメリカの政策です。「勤労感謝の日」というのもアメリカから提案された名前だそうです。なるほどね。

稲に宿る精霊のようなもの「稲魂(いなだま)」を信仰する習慣とともに、収穫祭という意味で、中国南部に住んでいるミャオ族など少数民族にも初穂を捧げる儀礼のような、似た祭りは多くあります。神に感謝し、収穫を祝うという農業民族にはごく自然な行為なのですが…

 

(参考: wiki新嘗祭勤労感謝の日)
 
 

| | コメント (0)

2022/11/17

今日から、二十四節気「立冬(りっとう)」、七十二候「金盞香(きんせんかさく)」

151118(福井県越前水仙畑)

今日は、二十四節気「立冬」の末候「金盞香(きんせんかさく)」です。

七十二候でいう「きんせんか」とはキク科の金盞花(キンセンカ)ではなくて、ヒガンバナ科の水仙のこと。

写真は越前水仙の畑です。越前水仙とは、越廼村居倉を発祥の地とし、越前海岸に咲く日本水仙の総称で、房総半島、淡路島と共に日本三大群生地として知られ、特に栽培規模では日本一だそうです。

水仙の見ごろは正月ころ。吉祥をあらわす花でもあるそうです。

 

 

| | コメント (0)

2022/11/09

昨夜の皆既月食と天王星食

Img_9706


Img_9705


 


 拡大したら、月の左下に青く光る星が。


これが隠れる前の天王星だったようです。 


 


 


| | コメント (0)

2022/11/08

2023年干支「卯」のトンパ文字バリエーション01

01_20221107064801

 

 砂の上に紐を置いたトンパ文字「兎」ふうにしてみました。

縦は2000pixcelあるので、コピーしてもらえば、このままハガキ印刷が可能です。

下の方にスペースを空けておいたので、ここに文字を入れることもできると思います。


 

| | コメント (0)

2022/11/07

今日からは、二十四節気の「立冬(りっとう)」、七十二候「山茶始開(つばきはじめてひらく)」

151108_1

 

151108_2

 

「立冬」です。寒さが苦手な俺には、とうとう来たか、という感じです。

この前まで暑いなぁと思っていたら、ここ何日かは、ちょうどいい日が続いていますが、来週あたりから寒くなるらしい。

いつの間にか立冬です。来年の立春が待ち遠しい。

 

 

 

| | コメント (0)

2022/11/06

韓国、梨泰院の事故で思い出したミャオ族の祭

120917

 

韓国、梨泰院の事故を聞いて、群集心理の怖さをつくづく感じます。そしてあるお祭りをまた思い出しました。

前にもブログで書いたことですが、天安門事件の直前だったと思います。貴州省の省都、貴陽で見たミャオ族の祭り「四月八」です。「四月八」というくらいなので4月8日の祭りですが、これは「西暦」ではなくて「農暦」なので、だいたい5月中旬だったのではないでしょうか。

当時の写真はどこかにあるはずですが、探すのが面倒なので、イメージとしてミャオ族の別の祭り「芦笙会」の写真を掲載しました。

そこでこの「四月八」なのですが、今はどうか知りませんが、1989年は貴陽の街中で大々的に行われました。

俺は事前にこの祭りがあることは知っていたので、1~2日前から、お祭りが行われる大きな交差点広場に面したホテルに泊まっていました。そこからは広場が全部見渡せるからです。

当時の中国の祭りは、「その日ある」とわかっていても、いつからなのか、情報はなく、だんだんと人が集まってきて、自然に始まるみたいな感じだったので、人が集まり始めている様子を午前中からずっとホテルのベランダで見ていました。

午後2時くらいでしょうか。だいぶ人が集まってきて、いよいよ始まるかなと思ったとき、民族衣装のミャオ族の女の子2、3人、広場の真ん中を突っ切るように歩いていったのです。

そのときでした。その女の子たちに誘われるように何人かの青年たちが動いたことで、別の見物人たちも「何か始まったようだ」という感じで、青年たちのほうへ動いたのです。それをきっかけにして群集全体が女の子たちをめがけて移動を始め、ざわつきだしました。そしてあっという間に、女の子たちに広場全部の群集が押しよせました。

群集が混乱して、彼女たちがいる場所に殺到します。彼女たちは群集が迫ってきて、恐怖だったでしょう。

でも、一番外側にいる人たちは、何をやっているかはまったくわからないのです。たまたま俺は上から見ていたのでその様子がわかったのですが、真ん中に女の子たちがいることも見えないし、知りません。ただ、人が動くから、自分も動く。それだけです。

このときは下に居なくてよかったと正直思いました。身の危険さえ感じる混乱になったのでした。もちろん当時は外国人も少なく、俺が仮に下にいても、だれも日本人だとは気がつくことはなかったでしょう。だから「日本人だから」怖かったわけではありません。あの群集の盲目的な動きなのです。

群衆が何かを期待(あるいは警戒)しているとき(この場合は祭りがいつ始まるんだろうという期待)、何かがきっかけで「それが起こった」と思ってしまう。間違いであっても、いったん火が着いた群集心理を修正することはほぼ不可能。そこには「正しいかどうか」とか冷静に判断する回路はもうありません。とにかく、隣の人間がやっているから自分もやる。その連鎖が広がってとんでもないことになってしまう。

この群集の恐ろしさを間近に見たので、祭りの内容そのものはほとんど記憶がありません。

祭りが終わってすぐ帰国しました。そしたら1ヶ月たたないうちに天安門事件がおきました。ニュース映像を見て、「四月八」の祭りを思い出しました。たぶん、群集の端っこにいる人たちは何が起こっているかわからない。だけど参加している。そしてあれよあれよという間に撃たれて死んだ参加者もいたのではないでしょうか。結局、何をやっていたか、何が起こったかわからないままに、です。たぶんそんな感じなんだろうなと。

これは何も中国人だけの話ではありません。群集心理の怖さを言いたいだけです。日本人にも起こりえます。きっかけはなんでもいい。集団としてまとまる事は諸刃の剣です。つくづくそう感じます。

 

 

| | コメント (0)

« 2022年10月 | トップページ | 2022年12月 »